ヘブル人への手紙-5
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、
その力あるみことばによって万物を保っておられます。
また、罪のきよめを成し遂げて、
すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
ヘブル1:3
・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~~
赤ちゃんが熱く燃えるストーブに近づいたらどうしますか。
止めますね。命の危険があるなら、素早くかけよってその危険から
守るのが普通です。愛なる神様は、人が虚しさと滅びに向かって
いくような人生を送っているなら、そのまま放置されるはずがないのです。
立ち返ることを願わないはずがありません。
イエス・キリストはそのために人として来てくださり、
人の罪を背負い、赦しを提供するために十字架の苦しみを受けられたのです。
イエス・キリストが私たちの身代わりになってくださって
死んでくださったということは、あなたの罪を赦し、
無罪であるように取り扱ってくださるということなのです。
そして、そればかりか、永遠のいのちを与えると約束されているのです。
私たちはイエス様が三日目によみがえられたことを知っています。
そしてイエス様は、永遠のいのちを与えると約束なさっています。
ここに私たちの罪の赦しと死の問題の解決がもたらされたのです。
ヘブル人への手紙-4
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、
その力あるみことばによって万物を保っておられます。
また、罪のきよめを成し遂げて、
すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
ヘブル1:3
・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~~
イエス様は人として約33年の生涯を送られました。
福音書の中で、イエス様が栄光を受けられたと書いてある箇所を
読んでみてください。
それはイエス様が拍手喝采を浴びたときではありません。
名誉の勲章を受けることでもありません。
イエス様が栄光を受けられたと言われる場面は、
十字架の場面なのです。十字架は極悪人の受ける刑罰です。
決してきれいな場所ではありません。忌み嫌われる場所です。
人が本来持っている汚さ、罪、けがれ、いやらしさ、憎しみ、
そういったものを全部引き受けて、イエス様は身代わりになって
十字架についてくださったのです。
そのことがイエス様の栄光だというのですね。
ひとりひとりがキリストの愛に目覚めて、キリストの愛に信頼して、
罪を悔いて、キリストの十字架の赦しを受け、
本当に自分を大切にして生きていくとき、
イエス様はそれがご自分の栄光だとおっしゃるのです。
あなたが永遠の救いに入れられること、これこそがイエス様の栄光なのですね
ヘブル人への手紙-3
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。
神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。
ヘブル1:2
・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~~
いろいろな試練に揺れているクリスチャンたちに、
ヘブル書の著者は、イエス様がどのような方であるかを書き送りました。
それは、驚くべき内容です。それは、イエスキリストによって世界は
造られたというのです。
ヨハネ福音書1章の中には、こう記されていますね。
「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、
この方によらずにできたものは一つもない。」(ヨハネ1:3)
今、世界で使われている西暦は、イエス・キリストの誕生の年を
元年とする数え方ですね。でも、ヘブル書の著書は、イエスキリストは
ベツレヘムでお生まれになる前から存在していて、
すべてのものはこの方によって造られたのだと、書いているのです。
イエス・キリストは、全世界をいや全宇宙を、創造された方だというわけですね。
パウロは、イエス様の福音をローマの世界にまで伝えた優れた人物ですが、
彼もこう記しています。
「・・・・万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。」と。
どうも、私たちは、イエス・キリストについて理解を変える必要があるようですね。
66巻からなる聖書の最初の書物、創世記一章一節には、
「初めに神が天と地を創造した」と記されています。
この1ページ目からイエス・キリストの姿を思い浮かべながら聖書は読むべきなんですね。
ヘブル人への手紙-2
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
・・・この終わりの時には、御子によって、
私たちに語られました。 ヘブル1:2
・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~~
「ヘブル人への手紙」が書かれたのは、今から1900年も前です。
この手紙が書かれた時には、いろいろな所に教会が誕生していました。
しかし、教会の進展と共に、悪意に満ちたうわさも広がっていきました。
誤解や中傷ですね。たとえば、教会では、聖餐式を行いますが、
聖餐式は十字架で流されたキリストの血と裂かれたキリストの体を象徴し、
パンとぶどう酒(ぶどうジュース)をいただくわけです。
しかし、周りの人たちの中には、そう理解しなかった人たちもいたのですね。
クリスチャンたちは人の肉を食べている「残虐な集団」だとか、
「家庭を崩壊していく者」だ、とか、ローマ皇帝を礼拝しないために、
「彼らは国を捨てた者だ」と言か、いろいろなことが言われるようになりました。
そして、ローマ皇帝による残忍な迫害も忍び寄ってきたのです。
そんな時代の中でイエス・キリストを信じ生きていった人たちは、
さまざまな非難、中傷、悪意に満ちたうわさに翻弄され、
これから先イエス・キリストに従っていくことは
ほんとうに大丈夫だろうかという不安が起こってきたのです。
そんな中で、ヘブル書の著者は、
「もう一度、イエス様というお方を見直そう。
あなたが信じているイエス・キリストという方は、世界の創造者であり、
旧約聖書のモーセやエリヤなどの預言者より、
はるかにすぐれた方なんですよ」と励ますのです。
御子イエスキリストによって語られた救いの確かさを、
この書物を通して語っていくのですね
ヘブル人への手紙-1
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、
また、いろいろな方法で語られましたが、・・・ヘブル1:1
・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~~
しばらくお休みしていましたが、今週からヘブル人への手紙から
少しずつ聖書の言葉を分かち合っていきたいと思います。
どこの地域、民族にもたくさんの神様が登場します。
日本では、八百万の神と言われるほどですね。
そして、人は神様を追い求めていくのです。
ある宗教学者がこう言いました。「これほど宗教が存在するということは、
日本の歴史が激しく神を求めた神探求の歴史であった。
しかし同時に、それはついに今日に至るまで、本当の神を見いだし得なかった
と言うことの記念碑でもあることを雄弁に物語っている。」
人は一生懸命、努力して、修行して、神様を見い出そうとします。
イエスキリストは、こう言われましたね。
「人はパンだけで生きるのではなく、
神の口から出るひとつひとつのことばによる」
言葉がなければ、相手が何を考えているのかわかりません。
人は語り、それを聞くということが失われるとき、
そこには分かり合えない世界が出てきます。
聖書の神様は、ひとりひとりに語りかけて下さる神様であることをご存じですか。
ヘブル書にあるように、神様は、旧約聖書の預言者たちを通して、
語りかけてくださったのです。それは、具体的にユダヤ民族を選び、
その歴史を通して、人間がいかに弱く、愚かであるかを教えられたのですね。
そして、いまイエス・キリストを通して、神様の与える救いの確かさを約束し、
語ってくださっているのです。
マイナスがプラスに
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、
主イエス・キリストのことを教えた。使徒28:31
・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~~
あけましておめでとうございます。
この一年も聖書から恵みを分かち合えればと願っています。
さて、使徒の働きもいよいよ最終節です。
私たちは、今までどおりの働きができなったしまった時、
すべてマイナスになってしまった考えることがありませんか。
パウロのことを考えるマイナスどこからプラスになっていること
わかります。パウロのこの獄中の二年間は少しも妨げられる事がなく、
福音を分かち合っていったようです。
皮肉なことに、彼の生涯は多くの妨げの連続でした。
アジアに行けば、ユダヤ人の暴徒たちに襲われ、
ギリシャの地域に行けば、無関心な態度で迎えられ、
とにかく、行くところ所で妨げを受けましたね。
でも、今、囚人として、外に出かける事も自由にできない状態なのに、
少しも妨げられることなく、と書かれているのです。
そして、このローマの獄中から書いたピリピ人への手紙4:22を
読むと「特にカイザルの家の人々があなたがたによろしくと言っています。」
と、記されています。カイザルの家に属する人々とは、皇帝のもとで働く人、
当時の役人、パウロの家を守っていた兵隊であったかもしれませんね。
要するにパウロの身近で番をしている人たちさえも、
パウロの語るイエスキリストを聞いたのでしょう。
捕らわれの身
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
私たちがローマに入ると、パウロは番兵付きで自分だけの
家に住むことが許された。使徒28:16
・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~~
長いトンネルも、出口のないトンネルはありません。
どんなに暗い夜も、明けない夜はありません。
長い船旅となったパウロ一行は、マルタ島から、
ついにローマに到着しました。しかし、あの嵐の中での出来事と、
マルタ島でのパウロの働きの故に、パウロは、多くの人から、
一目おかれる存在となりました。
そして、ローマに着くと、すぐに投獄されるということではなく、
番兵付きの自分だけの家に住むことが許されたのです。
自由に外に出られることはありませんでしたが、
訪問してくる人は、自由にその家に入ることができたのです。
主の計画は、なんとすばらしいことでしょう。
さて、この使徒の働きは、パウロのローマでの生活の様子を
紹介して閉じられています。彼は、囚われの身となりましたが、
番兵付きの家に住み、ローマにいるおもだったユダヤ人(自分の同胞)を
自分のいる場所に呼び集めることでした。
どこにいても、彼は同胞を忘れることがなかったのですね。
不思議な計画
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
・・・こうして、私たちはローマに到着した。使徒28:14
・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~~
それぞれが、人生という旅路を歩んでいます。
そこには、数え切れない様々な出来事が起こります。
「どうして、なぜ、私だけが、冗談じゃない!」
いろいろな叫びがあるでしょう。
しかし、主を信頼する一人一人に与えられている約束は、
「主は共におられる」ということなんですね。
パウロは、何とかしてローマに行ってイエス様の福音を
知らせようと考え、計画、準備してきました。
しかし、逮捕され、囚人となり、難船し、マルタ島に上陸、
まむしにまで噛まれ・・・しかし、そのマルタ島においても
福音が語られ、結果的にローマに行くための備えがそこで調達
できたのです。そして、ついに、ローマに着いたのです。
私達は、人生の計画、設計をきちんと考えることは
大変必要なことです。しかし、それとともに、私たちの人生には、
思いがけずもたらされる出来事によって、不思議な主の計画が
進んでいくこともあるのだということを知っておくことも大切なんですね。
ローマ人への手紙八章二八節には、
「神を愛する人々、すなわち神のご計画に従って召されてた人々のためには、
神がすべてのことを働かせて益として下さることを私たちは知っています。」
と書かれています。何とすばらしい約束でしょう。
思いがけないことの中で
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
それで彼らは、私たちを非常に尊敬し、私たちが出帆するときには、
私たちに必要な品々を用意してくれた。使徒28:10
・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~~
私たちにとって「思いがけないこと」の中に、神様の計画が
あるということを知ることは大きな励ましです。
ある事を実現するためには、二つの方法があります。
ひとつは、計画を立て、準備し、目標を設定し、実行し、達成するわけです。
もう一つ、「思いがけず的実現」というものもあります。
これは、事前に計画していないのに実現していくことです。
私は、小田原に来る前に、宇都宮で牧師として働くことを準備していました。
しかし、神様は思いがけない出来事を通して、小田原で牧師として働くように、
私を導いて下さったのです。
「人の心には多くの計画がある。 / しかし【主】のはかりごとだけが成る。」
箴言19:21
神様は、パウロにローマに行く志を与えて下さいました。
その実現のために、パウロの計画を遙かにこえた主の計画があったのですね
NCM2クワイヤーが礼拝で賛美して下さいました!
11/29 アメリカの日系ゴスペルクワイヤー、NCM2クワイヤーが礼拝で賛美してくださいました!一曲一曲が心温まる賛美で、思わず涙ぐんでしまいました。メンバーはみなアメリカ在住の方々で、日本への伝道ツアーのために、時間と労力を惜しまずに来てくださいました。
城山教会は、ツアー最終日。力一杯の賛美が会堂に響きました。感謝!!
