城山キリスト教会 礼拝説教    
二〇二三年二月一二日             関根弘興牧師
         第二サムエル二章一節〜四節、八節〜一〇節
               五章一節〜五節
 サムエル記連続説教12
   「ダビデ、王となる」
 
2:1 この後、ダビデは主に伺って言った。「ユダの一つの町へ上って行くべきでしょうか。」すると主は彼に、「上って行け」と仰せられた。ダビデが、「どこへ上るのでしょうか」と聞くと、主は、「ヘブロンへ」と仰せられた。2 そこでダビデは、ふたりの妻、イズレエル人アヒノアムと、ナバルの妻であったカルメル人アビガイルといっしょに、そこへ上って行った。3 ダビデは、自分とともにいた人々を、その家族といっしょに連れて上った。こうして彼らはヘブロンの町々に住んだ。4 そこへユダの人々がやって来て、ダビデに油をそそいでユダの家の王とした
 8 一方、サウルの将軍であったネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェテをマハナイムに連れて行き、9 彼をギルアデ、アシュル人、イズレエル、エフライム、ベニヤミン、全イスラエルの王とした。10 サウルの子イシュ・ボシェテは、四十歳でイスラエルの王となり、二年間、王であった。ただ、ユダの家だけはダビデに従った。
5:1 イスラエルの全部族は、ヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「ご覧のとおり、私たちはあなたの骨肉です。2 これまで、サウルが私たちの王であった時でさえ、イスラエルを動かしていたのは、あなたでした。しかも、主はあなたに言われました。『あなたがわたしの民イスラエルを牧し、あなたがイスラエルの君主となる。』」3 イスラエルの全長老がヘブロンの王のもとに来たとき、ダビデ王は、ヘブロンで主の前に、彼らと契約を結び、彼らはダビデに油をそそいでイスラエルの王とした。4 ダビデは三十歳で王となり、四十年間、王であった。5 ヘブロンで七年六か月、ユダを治め、エルサレムで三十三年、全イスラエルとユダを治めた。(新改訳聖書第三版)
 
 前回は、イスラエルの最初の王であったサウルがペリシテ軍との戦いに敗れて戦死した出来事を読みましたね。第一サムエル記はそこで終わっていました。
 今日から読み始める第二サムエル記には、次のダビデ王の時代に起こった様々な出来事が記されています。今日は、まず、第二サムエル記1章から5章を見ながら、サウル王の死後、ダビデがイスラエルの王になるまでの経緯を見ていきましょう。
 
1 サウルの死の知らせ
 
 サウル王が戦死した頃、ダビデはペリシテの地にいました。サウル王に命を狙われていたダビデは、敵国のペリシテの国に逃げていき、イスラエルの敵になったふりをして、ガテの領主アキシュから与えられたツィケラグというの町で生活していたのです。しかし、自分たちが留守の間に、ツィケラグの町がアマレク人の略奪隊に襲われ、焼き払われて、家族も財産もすべて奪われてしまいました。ダビデは涙が涸れてしまうほど嘆き悲しみました。しかし、大きな失意の中でも「主によって奮い立った」と書かれています。ダビデは、主に祈り求め、アマレク人の略奪隊を追跡して奇襲攻撃をかけ、奪われたすべてのものを取り戻すことができたのです。それは、大きな喜びの時でした。
 しかし、ツィケラグに帰ってきて三日後に衝撃的な知らせが届きました。イスラエル軍がペリシテ軍に大敗北を喫し、サウル王も息子たちも戦死したという知らせだったのです。
 その知らせを届けたのは、イスラエルに寄留していたアマレク人でした。彼は言いました。「私は、たまたま、ギルボア山にいましたが、ちょうどその時、サウルは槍にもたれ、戦車と騎兵があの方に押し迫っていました。サウルが、『さあ、近寄って、私を殺してくれ。まだ息があるのに、ひどいけいれんが起こった』と言いました。そこで私は近寄って、あの方を殺しました。もう倒れて生きのびることができないとわかったからです。私はその頭にあった王冠と、腕についていた腕輪を取って、ここに、あなたさまのところに持ってまいりました。」前回の箇所には、サウルがペリシテ人に追い詰められて自害したことが書かれていましたね。このアマレク人は、嘘を言って、自分が手柄を立てたように見せかけたのです。ダビデがサウルの死を知れば、喜んで自分に褒美をくれるだろう、自分を家来にしてくれるかもしれない、と考えたようです。しかし、彼の思惑はまったく外れてしまいました。ダビデは「主に油そそがれた方に、手を下して殺すのを恐れなかったとは、どうしたことか」と言って、彼を処刑してしまったのです。
 ダビデは、サウルと息子の死を悼み悲しんで哀歌を作り、それを部下たちに教えるように命じました。その歌が1章の後半に記されていますが、23節では「サウルもヨナタンも、愛される、りっぱな人だった。生きているときにも、死ぬときにも離れることなく、鷲よりも速く、雄獅子よりも強かった」と歌っています。
 
2 二人の王
 
 サウルが死んだ今、ダビデは、イスラエルに帰ろうと考えました。自分の出身であるユダ部族が住むユダの地に行けば、そこには以前から自分を支援してくれている味方も多くいます。そこで「ユダの町に上って行くべきでしょうか」と主に祈りました。すると、主は、「ユダのヘブロンに行け」と言われたのです。そこでダビデは、部下や家族たちとともにヘブロンにいってそこに住むことになりました。すると、ユダの人々がやって来て、ダビデに油をそそぎ、ユダの家の王としたのです。
 一方、サウル王の将軍であったアブネルは、サウルのいとこにあたる人物ですが、サウルの死後、権力を握ってサウル家を支配するようになりました。彼は、まず、生き残っていたサウルの四男イシュ・ボシェテを王にして傀儡政権を作りました。影で自分の好きなように操ろうというわけですね。イシュ・ボシェテがサウル王の正式な後継者として、ユダ部族以外の全イスラエルの王となったわけです。サウル王の時代の首都は、サウル王の出身部族であるベニヤミン族の住む地域にあるギブアでしたが、イシュ・ボシェテ王の首都はヨルダン川の東のマハナイムになりました。それは、ペリシテ人たちがヨルダン西岸地域にまで勢力を伸ばしていたためです。ですから、イシュ・ボシェテは弱い王国の弱い王となったわけです。
 こうして、イスラエルには、ユダ部族の王となったダビデと、その他の部族の王となったサウル家のイシュ・ボシェテという二人の王が存在することになったわけです。
 
3 内戦
 
 同じイスラエルの国に二人の王が誕生しました。それぞれが中立を保って争わないようにすれば、無駄な血は流されずに済んだはずです。イシュ・ボシェテは弱い王でしたし、ダビデは同胞と争うことを望んでいませんでしたから、どちらも互いを攻撃しようとは思っていなかったでしょう。
 しかし、イシュ・ボシェテの将軍アブネルは、自分の権力を増大させようとする野心を持っていました。また、ダビデの将軍ヨアブも一筋縄ではいかない男でした。ヨアブはダビデの姉妹ツェルヤの息子、つまり、ダビデの甥にあたる人物で、武勇に優れ、二人の弟と共にずっとダビデを補佐してきました。ダビデにとって重要な部下であったわけです。ですから、ダビデもヨアブには気をつかわざるをえなかったようです。ヨアブはダビデ軍の中でも特に力を持っていたのです。
 このアブネルとヨアブの間に争いが勃発しました。ある時、アブネル率いるイシュ・ボシェテの家来たちとヨアブが率いるダビデの家来たちがギブオンという所で出会いました。すると、アブネルは、それぞれの部下の中から代表戦士十二人を出して闘技させようと挑みました。ヨアブも争いを避けようとするどころか、受けて立ちました。代表戦士たちの戦いはエスカレートして、互いの殺し合いになりました。そして、両陣営の全面戦争になってしまったのです。結局、アブネルの家来たちはダビデの家来たちに打ち負かされてしまいました。将軍アブネルは逃げるしかありませんでした。そのアブネルを執拗に追っていったのがヨアブの弟アサエルです。アサエルは足が速く、アブネルに迫っていきました。すると、アブネルは、アサエルを槍で突き刺し、殺してしまったのです。
 アサエルの兄弟ヨアブとアビシャイは、アブネルの追跡を続けました。アブネルは、自分が仕掛けた戦いでしたが、形勢が不利になったので、ヨアブたちにこう呼びかけました。「いつまでも剣が人を滅ぼしてよいものか。その果ては、ひどいことになるのを知らないのか。いつになったら、兵士たちに、自分の兄弟たちを追うのをやめて帰れ、と命じるつもりか。」これは停戦しようという提案です。すると、ヨアブは「神は生きておられる。もし、おまえが言いださなかったなら、確かに兵士たちは、あしたの朝まで、自分の兄弟たちを追うのをやめなかっただろう」とアブネルの停戦の提案を受け、それぞれが兵を引き上げていったのです。
 アブネルは、攻撃している相手に対して「自分たちの兄弟」と呼んでいます。戦いの前にこのことをしっかりと認識していれば、不要な戦いなどしなくて済んだはずです。しかし、いったん戦いが始まってしまったら、復讐の連鎖を止めることは非常に難しくなっていきます。3章1節には、この出来事の後、「サウルの家とダビデの家との間には、長く戦いが続いた」と書かれています。
 賢明な指導者は、将来起こりえることを考慮して、全力をあげて戦いを回避する努力をすることがいつの時代でも求められているのです。
 
4 将軍アブネルの策略と死
 
 さて、将軍アブネルによって王になったイシュ・ボシェテは、非常に影の薄い名ばかりの王様でした。そこで、アブネルは、次第に好き放題のことをし始めました。アブネルはサウル王のそばめだった女性と通じるようになったのです。王であった者の妻やそばめと通じるというのは、自分が王位を継承することを世に示す行為であり、権力を人々に見せつける行為でした。さすがのイシュ・ボシェテもこのことには黙っていられませんでした。彼は勇気を出して将軍アブネルに言いました。「あなたはなぜ、私の父のそばめと通じたのか。」すると、将軍アブネルは激しく怒り、こう言ったのです。「今、私はあなたの父上サウルの家と、その兄弟と友人たちとに真実を尽くして、あなたをダビデの手に渡さないでいるのに、今、あなたは、あの女のことで私をとがめるのですか。 」つまり、「誰のおかげで王様でいられると思っているのか」と激しく怒ったわけです。そして、「こんな些細なそばめのことで私をとがめるなら、これからはダビデ側につくぞ」と脅したのです。すると、「イシュ・ボシェテはアブネルに、もはや一言も返すことができなかった」と3章11節に書かれています。
 長く続く内戦の間に「ダビデはますます強くなり、サウルの家はますます弱くなった」と3章1節に書かれていますから、アブネルは、「このままイシュ・ボシェテの側にいても将来はない。うまくダビデ側に乗り換えれば、重要なポストを得ることができるのではないか」と考えるようになっていたようです。
 そこで、アブネルはダビデの所に使いを送り、こう提案しました。「私と契約を結んでください。そうすれば、私は全イスラエルをあなたに移すのに協力します。」(3章12節)
 ダビデはこの提案を受け入れました。しかし、一つの条件を出しました。「まずサウルの娘ミカルをを連れて来なければ、あなたは私に会えないだろう。」ミカルは、最初、ダビデの妻となりましたが、後に、サウルによって引き離され、別の人物と結婚していました。そのミカルを自分に返すことをダビデは求めたのです。当時は、自分の妻であったものを取り返すことは、人々に自分の権力の正当性を示すために重要だったのです。
 そして、ダビデは、アブネルの了解を取り付けた上で、イシュ・ボシェテ王に使いをやって、「私の妻ミカルを返していただきたい」と要求しました。しかし、想像してみてください。ミカルは、いま別の人と結婚し、新しい生活を送っているわけです。3章15節ー16節にこう書かれています。「それでイシュ・ボシェテは人をやり、彼女をその夫、ライシュの子パルティエルから取り返した。その夫は泣きながら彼女についてバフリムまで来たが、アブネルが、『もう帰りなさい』と言ったので、彼は帰った。」何だか切ないですね。泣きながら追いすがる夫は追い返され、ミカルはダビデの元に帰ったのです。
 しかし、ミカルがダビデのもとに返されたということは、イスラエルの人々、特にサウル支持派にとって、忠誠心を揺るがすことに繋がりますね。
 ダビデが出した条件を果たした将軍アブネルは、全イスラエルをダビデに従わせるために本格的な根回しを始めました。彼は、まず、イスラエルの長老たちをこう説得しました。「あなたがたは以前からダビデが王になることを願っていたでしょう。今がその時です。神様も、ダビデによってイスラエルをペリシテ人やすべての敵の手から救うと仰せられているではありませんか。」また、アブネルは、サウル王の出身部族であるベニヤミン族とよく話し合って、ダビデを王にすることを認めさせました。そして、ペブロンにいるダビデのところに行き、全イスラエルもベニヤミン族もダビデが王になることを望んでいると告げたのです。ダビデはアブネルと部下たちのために祝宴を張りました。アブネルはダビデに「私は、全イスラエルをわが主、王のもとに集めに出かけます。そうして彼らがあなたと契約を結び、あなたが、望みどおりに治められるようにしましょう」と約束して帰って行きました。ついに国が一つにまとまる大きな一歩を踏み出したかのように見えました。
 しかし、アブネルが帰った直後に、ダビデの家来ヨアブが戦いから帰って来てこのことを知ると、黙っていられませんでした。ヨアブは、ダビデに「あの男に惑わされてはいけません。あの男はこちらの動静を探るために来たのです」と詰め寄りました。アブネルは策略家であり、権力志向があり、しかも自分の弟を殺した男です。そのアブネルに対する疑いと復讐心に支配されたヨアブは、とんでもないことをしてしまいました。いったん帰って行ったアブネルを「内密の話があるから」と言ってダビデに内緒で呼び戻し、暗殺してしまったのです。
 そのことを知ったダビデは衝撃を受けました。やっと国が一つにまとまろうとしているときに、交渉相手の将軍が自分の部下に暗殺されてしまったからです。これではすべてが振り出しに戻ってしまうかもしれませんし、内戦が激しくなってしまうかも知れません。疑いと憎しみが増すばかりになるでしょう。
 そこで、ダビデはこの暗殺については自分はまったく関与していないことを発表し、手厚い葬儀を行い、アブネルの墓の前で嘆き悲しみ、悲しみの歌を歌い、断食しました。人々はそのダビデの姿を見て満足し、ダビデがアブネル暗殺を指示したのではないことを理解したと書かれています。
 ただ、ダビデはアブネルを勝手に暗殺したヨアブに厳しい処分を下すことができませんでした。そして、こう言ったのです。「私は、今はまだ力が足りない。ヨアブ兄弟は私にとっては手ごわすぎる。主が悪に報いてくださるように。」
 
5 イシュ・ボシェテの死
 
 さて、イスラエルの王であるイシュ・ボシェテは、アブネルの死を聞いて、気力を失いました。サウル家を支えていた人々もみなうろたえました。アブネルなしにイシュ・ボシェテの王位を支えることはほとんど不可能です。
 イシュ・ボシェテのもとには二人の略奪隊の隊長がいました。彼らは、これ以上イシュ・ボシェテに仕えても何の得にもならないと考えたのでしょう。イシュ・ボシェテが昼寝をしている時、家に入り込んでイシュ・ボシェテを突き殺し、首をはねて、その首をペブロンのダビデのもとに持って行ったのです。彼らは、ダビデに言いました。「ご覧ください。これは、あなたのいのちをねらっていたあなたの敵、サウルの子イシュ・ボシェテの首です。主は、きょう、わが主、王のために、サウルとその子孫に復讐されたのです。」すると、ダビデは答えました。「以前、戦場で瀕死状態のサウルを殺したと報告しに来た者を私は処罰した。ましてや、ひとりの正しい人を自宅の寝床の上で殺したお前たちは罰を受けなければならない。」そして、その二人の暗殺者を処刑したのです。ダビデは、自分の利得のために人の命を奪おうとすることの愚かさを人々の前で示したのです。
 
6 ダビデ、全イスラエルの王となる
 
 イシュ・ボシェテの死後、イスラエルの全部族の長老たちがヘブロンのダビデのもとにやってきました。彼らは主の前でダビデと契約を結び、ダビデに油を注いでイスラエルの王としました。今まで分裂していたイスラエルが統一国家となり、ここからダビデ王の時代に入っていくわけです。
 
7 ダビデの信頼と忍耐
 
 さて、ここまでを振り返ると、ダビデは三度油注ぎを受けています。最初は、預言者サムエルが次の王として選ばれたダビデに油を注ぎました。まず、神様の選びがあったわけですね。しかし、ダビデはすぐに王位に就いたわけではありません。その時、ダビデはまだ若く、羊飼いをしていました。自分がなせ油を注がれたのかもよくわかっていなかったかもしれません。その後、巨人ゴリアテを倒し、サウル王の部下となり、いくつもの戦いに勝利して戦士の長になり、王の婿にまでなりましたが、サウル王の妬みを買って、一転して長い逃亡生活を余儀なくされ、敵国に身を寄せなくてはならなくなったのです。
 しかし、サウル王が死ぬと、ユダ部族の人々はダビデに油を注いで自分たちの王にしました。これが二回目の油注ぎです。そして、イシュ・ボシェテが死ぬと、全部族の長老たちがダビデに油を注ぎ、イスラエルの王としました。これが三回目です。
 神様に選ばれてから、実際に全イスラエルの王となるまでには長い年月がかかりました。その間、苦難や命の危険が何度もありました。しかし、ダビデは自分の感情や策略に溺れそうになったことも何度かありましたが、その都度、主に信頼し続けました。だから、自分勝手にサウルやイシュ・ボシェテを殺して王になろうとはしませんでしたし、イスラエルの人々が自分を王と認め選ばれるまで忍耐強く待つことができたのです。神様は、長い時間をかけて様々な試練を与えながらダビデを訓練してくださいました。そして、ちょうど良い時にダビデが王になることができるように状況を整え、人々の心をも備えてくださったのです。
 これは、私たちにも言えることです。私たちは、神様に選ばれた者として生きています。ローマ11章29節には「神の賜物と召命とは変わることがありません」とあります。また、第一ペテロ2章9節には、「あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です」と書かれています。私たちは神様に選ばれてクリスチャンとしての生涯を歩み始めました。時には苦難や試練を経験し、神様の約束がなかなか実現しないように思えることもあります。しかし、大切なのは、主が最善の時に最善のことをしてくださることを信頼し忍耐を持って歩むことです。主のなさることは時にかなって美しいと聖書には書かれているのですから。