城山キリスト教会 礼拝説教    
二〇一三年六月一六日             関根弘興牧師
               ヨハネ九章一三節ー四一節

ヨハネの福音書連続説教31
    「今は見える」

13 彼らは、前に盲目であったその人を、パリサイ人たちのところに連れて行った。14 ところで、イエスが泥を作って彼の目をあけられたのは、安息日であった。15 こういうわけでもう一度、パリサイ人も彼に、どのようにして見えるようになったかを尋ねた。彼は言った。「あの方が私の目に泥を塗ってくださって、私が洗いました。私はいま見えるのです。」16 すると、パリサイ人の中のある人々が、「その人は神から出たのではない。安息日を守らないからだ」と言った。しかし、ほかの者は言った。「罪人である者に、どうしてこのようなしるしを行うことができよう。」そして、彼らの間に、分裂が起こった。17 そこで彼らはもう一度、盲人に言った。「あの人が目をあけてくれたことで、あの人を何だと思っているのか。」彼は言った。「あの方は預言者です。」18 しかしユダヤ人たちは、目が見えるようになったこの人について、彼が盲目であったが見えるようになったということを信ぜず、ついにその両親を呼び出して、19 尋ねて言った。「この人はあなたがたの息子で、生まれつき盲目だったとあなたがたが言っている人ですか。それでは、どうしていま見えるのですか。」20 そこで両親は答えた。「私たちは、これが私
たちの息子で、生まれつき盲目だったことを知っています。21 しかし、どのようにしていま見えるのかは知りません。また、だれがあれの目をあけたのか知りません。あれに聞いてください。あれはもうおとなです。自分のことは自分で話すでしょう。」22 彼の両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れたからであった。すでにユダヤ人たちは、イエスをキリストであると告白する者があれば、その者を会堂から追放すると決めていたからである。23 そのために彼の両親は、「あれはもうおとなです。あれに聞いてください」と言ったのである。
24 そこで彼らは、盲目であった人をもう一度呼び出して言った。「神に栄光を帰しなさい。私たちはあの人が罪人であることを知っているのだ。」25 彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、私は知りません。ただ一つのことだけ知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです。」26 そこで彼らは言った。「あの人はおまえに何をしたのか。どのようにしてその目をあけたのか。」27 彼は答えた。「もうお話ししたのですが、あなたがたは聞いてくれませんでした。なぜもう一度聞こうとするのです。あなたがたも、あの方の弟子になりたいのですか。」28 彼らは彼をののしって言った。「おまえもあの者の弟子だ。しかし私たちはモーセの弟子だ。29 私たちは、神がモーセにお話しになったことは知っている。しかし、あの者については、どこから来たのか知らないのだ。」30 彼は答えて言った。「これは、驚きました。あなたがたは、あの方がどこから来られたのか、ご存じないと言う。しかし、あの方は私の目をおあけになったのです。31 神は、罪人の言うことはお聞きになりません。しかし、だれでも神を敬い、そのみこころを行うなら、神はその人の言うことを聞いてくださると、私たちは知っています。32 盲目に生まれついた者の目をあけた者があるなどとは、昔から聞いたこともありません。33 もしあの方が神から出ておられるのでなかったら、何もできないはずです。」34 彼らは答えて言った。「おまえは全く罪の中に生まれていながら、私たちを教えるのか。」そして、彼を外に追い出した。
35 イエスは、彼らが彼を追放したことを聞き、彼を見つけ出して言われた。「あなたは人の子を信じますか。」36 その人は答えた。「主よ。その方はどなたでしょうか。私がその方を信じることができますように。」37 イエスは彼に言われた。「あなたはその方を見たのです。あなたと話しているのがそれです。」
38 彼は言った。「主よ。私は信じます。」そして彼はイエスを拝した。39 そこで、イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」40 パリサイ人の中でイエスとともにいた人々が、このことを聞いて、イエスに言った。「私たちも盲目なのですか。」41 イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」(新改訳聖書)


前回は、イエス様が生まれつきの盲人を癒された記事を読みました。
私たちにとって苦しみや不幸と思われることも、主は、それを神のわざを現すために用いてくださる、という希望のメッセージを受け取ることができました。
 それから、イエス様は、私たち一人一人に対して「神のわざを昼の間に行いなさい」と言われました。私たちが行う「神のわざ」とは何でしょうか。それは、神が遣わされた方であるイエス様を信じて生きるということです。私たちの人生には、困難や苦しみが襲うものです。しかし、イエス様を信頼して生きていくとき、私たちの人生を通して神様のくすしいみわざが現されていくのです。

1 安息日のいやし

 さて、今日は、前回の続きですが、前回、生まれつきの盲人に何が起こったかといいますと、イエス様は、つばきで泥を作り、その泥をこの盲人の目に塗りつけて、「シロアムの池に行って洗いなさい」と言われました。盲人が言われたとおりに池に行って目を洗うと、なんと目が見えるようになったのです。周りの人たちは、びっくりしてしまいました。癒された本人に聞いてみると、「イエスという方が、泥を作って私の目に塗り、シロアムの池で洗えと言われたのです。そしてそのようにしたら見えるようになったのですが、今、その方がどこにいるのか、私は知りません」と答えるだけでした。
 そこで、今日の箇所の最初にあるように、人々は、この癒された盲人をパリサイ人たちの所に連れて行きました。
 パリサイ人というのは、当時のユダヤ教の中で特に厳しく戒律を守っていた人たちでした。当時の宗教指導者の中の一大勢力でした。しかし、彼らは、本来の神様の心を忘れて、戒律だけを守ることに懸命になっているような人たちだったのです。
 パリサイ人たちは、この癒された盲人を見ると、すぐにひとつのことを指摘しました。それは、「イエスが泥を作って盲人の目を癒したのが、安息日だったので、イエスは、安息日の規定に違反した」と言い出したのです。彼らにとって、週の七日目にあたる安息日を遵守することは、何よりも大切なことだったのです。
 安息日というのは、もともとは、神様が与えてくださった十戒の中に規定されているものです。神様は、「七日目は安息日としなさい。その日にはどんな仕事もしてはならない」と言われました。それは、私たちが重荷を下ろして神様の前で安息し、神様のすばらしさを思うときを持つためでした。
 ところが、ユダヤ人たち、中でも特にパリサイ人たちは、その神様の戒めの言葉の表面だけをとらえて、安息日の本来の意味とはまったく関係のない細々としたきまりをたくさん作っていきました。彼らは、安息日にしてはいけない仕事とは何か、という細かいリストを作りました。たとえば、安息日に何メートル以上歩いてはならないとか、火をおこしてはならないとか、壁が崩れて下敷きになった人がまだ生きている場合は助け出してもいいが、すでに死んでいる場合に遺体を動かすのは仕事にあたるからしてはいけないとか、パリサイ人たちは、そういう細かい決まりを作って、それを厳格に守ることに情熱を燃やしていました。そして、守らない人々を厳しく批判したのです。その結果、本来は安らぎの日であるはずの安息日が、あれもしてはならない、これもしてはならないと様々な規則にしばられる窮屈で負担の多い日になってしまいました。安らぎの日のはずの安息日が、かえって人々に重荷を負わせる日になっていたのです。
 今日の箇所でも、彼らは、盲人の目が見えるようになるという素晴らしい出来事が起こったのにもかかわらず、すぐにこう批判し始めました。「なんだ、イエスというやつは。安息日を守らないなんて。『わたしは神から出た』などといっているが、神様の戒めに従っていないではないか」と。
 彼らの考え方によると、イエス様が盲人の目をいやされた行為の中には、安息日にしてはいけない仕事が少なくとも四つ含まれていました。一つは、命の危険がない者に対して医療行為をしたこと、二つ目は、つばきを吐く行為、これも仕事だというのです、三つ目は、そのつばで泥を作るのは左官屋の仕事をしたことであり、四つ目は、その泥を盲人の目に塗るのは壁塗り職人の仕事をしたことになるというのです。
 このような仕事をしたから、イエスは安息日を守らない不届きな奴だ、神の律法に違反している罪人だ、というのですから、ほとんど言いがかりのようなものですね。
 しかし、パリサイ人の中には、「でも、もしイエスが罪人なら、盲人の目をあけることができるはずがない」と考える者もいました。そこで、彼らの中で分裂が起こってしまったというのです。
 イエス様がすばらしい神のわざを行われたことを認めたくないパリサイ人たちは、このことについて、もう一度、いやされた本人を尋問しました。しかし、「確かにあの方が私の目を見えるようにしてくださったのです。あの方は神様から遣わされた預言者だと思います」と答えるだけです。
 すると、パリサイ人たちは、今度は、本当にこの盲人が生まれつき目が不自由であったのかさえ疑って、両親まで呼び出して尋問しました。「あなたがたは、自分の息子が生まれてつき盲目だったと言っているが、本当なのか? 本当に盲目だったのなら、今見えているなんて、おかしいではないか」と聞いたのです。 
 すると、両親はどう答えたでしょうか。両親にしてみれば、息子の目が癒されたのですから、こんなにうれしいことはないはずですね。しかし、両親の答えを見ると、どうも冷たい感じがしますね。「私たちは、これが私たちの息子で、生まれつき盲目だったことを知っています。しかし、どのようにしていま見えるのかは知りません。また、だれがあれの目をあけたのか知りません。あれに聞いてください。あれはもうおとなです。自分のことは自分で話すでしょう」と答えたのです。 「私たちは、今回のことは全く関係ありません。何も知りません。私たちが息子のことで責任を負うことはできません」というような態度ですね。
 もちろん、両親は、息子がいやされた現場にはいませんでしたから、「どうして見えるのかわかりません。本人に聞いてください」と言うのもしかたないようにも思えます。しかし、22節には、両親がこのような態度をとった理由が書かれています。「彼の両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れたからであった。すでにユダヤ人たちは、イエスをキリストであると告白する者があれば、その者を会堂から追放すると決めていたからである」と書かれていますね。「会堂」というのは、ユダヤ人が集まる中心的な場所です。「会堂から追放する」というのは、ユダヤ人の社会から追放するということです。この両親は、イエス様が息子をいやしてくださったと主張したり、イエス様を擁護するような発言をしたりすると、ユダヤ社会から締め出されてしまうと恐れていたわけですね。
考えてみてください。この盲人は生まれた時から目が見えなかったのですから、今まで一度も自分の目で周りの景色や人々や両親の姿を見たことがありませんでした。それが、イエス様によって目が開かれたのです。ところが、彼が最初に目にしたのは何だったでしょうか。神様の心を忘れ、戒めを遵守することばかりに懸命なパリサイ人たち。自分の言うことをなかなか信じてくれない人々、また、会堂から追放されることを恐れて「私たちは関係ない」と答える両親でした。そして、結局、この盲人は、34節にあるように、外に追い出されてしまいました。つまり、ユダヤの会堂から追放されてしまったのです。

2 見える人、見えない人

 さて、今日の箇所に登場するパリサイ人たちと盲人の間には、興味深い対比が見られます。
 まず、パリサイ人たちですが、彼らは、自分たちこそ最も知識があると思い込んでいました。28節で「私たちは、神がモーセにお話しになったことは知っている。私たちはモーセの弟子だ」と言っていますが、それは、「私たちは、神様がモーセを通して与えてくださった律法を詳しく知っているし、その律法に従って正しい生活をしている」ということです。つまり、「自分は神様のことを一番よく知っているし、自分の意見もやっていることも正しい」というプライドがあったのです。その一方で、イエス様に対しては、「私たちはあの人が罪人であることを知っているのだ」(24節)と批判し、盲人に対しては、「おまえは全く罪の中に生まれていながら、私たちを教えるのか」と罵倒し、追い出してしまったのです。
 彼らは、自分は誰からも教えられる必要がないと考えていました。自分の権威が傷つけられることには我慢がならない人たちでした。自分と異なる意見があると、耳を傾けるどころか、かえって非難し、中傷し、追い出してしまう人たちでした。彼らは、「私たちは、知っている」といつも言っていたのです。 しかし、彼らの知らないことが一つありました。それは、29節にあります。「あの者(イエス)については、どこから来たのか知らないのだ」と言っていますね。彼らは、聖書の内容をよく知っていました。けれども、その知識を自分たちの高慢のために利用するだけで、神様の心を理解しようとしていなかったので、聖書の中で預言されている救い主であるイエス様を認めることができなかったのです。
 そんなパリサイ人たちに、イエス様は41節でこう言われました。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える。』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」
つまり、イエス様はこう言っておられるのです。「もし、あなたがたが、神のことをまったく知らない無知な人々なら、私を信じることができなくてもしかたがないが、実際には、あなたがたには、神について多くの知識が与えられている。知っていると自負しているにもかかわらず、神の子が来てもそれを認めることができないなら、あなたがたの罪は重いのだ。結局はあなたがたは見えると言っているが見えていないのだ。」    パウロは、彼らのような人々に向かって次のように書きました。「もし、あなた方が・・・、盲人の案内人、やみの中にいる者の光、愚かな者の導き手、幼子の教師だと自任しているのなら、どうして、人を教えながら、自分自身を教えないのですか。」(ローマ2章17節ー21節)
 自分は聖書や神のことをよく知っていると思っているが、実は何もわかっていないという姿がそこにあるというわけです。人を教えながら、自分自身を教えようとしないという姿ですね。特に、指導的立場にいる人は気を付けなければなりません。傲慢は私たちの目を暗くするだけなのです。
 一方、盲目であった人は、どうでしょう。彼には、聖書の知識はあまりなかったでしょう。教育を受ける機会も無かったと思います。彼は質問されたことに、「私は知りません。私は知りません」と答えることしかできませんでした。しかし、その彼が、25節ではっきりとこう言っているのです。「ただ一つのことだけ知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです。」
「驚くばかりの」という讃美歌の英語の歌詞の一節の最後の部分には、この盲人の言葉が引用されています。"I once was lost, but now I am found; Was blind, but now I see."というのですが、「私は、以前は失われていたが、今は見い出された。以前は見えなかったけれど、今は見える」という意味です。
 皆さん、知識を持つことと、神様を知ることとは、まったく別のことなのです。この盲目であった人は、神学的な知識はほとんどありませんでした。しかし、イエス様によって癒され、今見えるようになったという恵みの体験によって、パリサイ人の攻撃に対しても「もしあの方が神から出ておられるのでなかったら、何もできないはずです」(33節)と大胆に主張できる者に変えられていったのです。

3 見つけ出してくださる方

 この盲人は、目が見えるようになったという喜びのすぐ後に、会堂から追放されるという厳しい現実に遭遇しました。彼が目にしたものは、彼を意気消沈されるものだけでした。しかし、そんな彼を捜し出して、近づいて声をかけてくださった方がいました。イエス様です。
 35節を見ると、イエス様のほうで彼を見つけ出してくださったと書かれていますね。当時の宗教家たちは、この盲人を追放しました。しかし、イエス様は、彼を見つけ出してくださったのです。あの迷った一匹の羊を捜す羊飼いのように。イエス様は、「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです」(ルカ19章10節)と言われました。そして、この癒された盲人は、自分の目で初めてイエス様を見たのです。
 イエス様は、彼に「あなたは人の子を信じますか」と問われました。この「人の子」というのは、旧約聖書に描かれている救い主の姿です。つまり、「あなたは救い主を信じますか」ということです。盲目であった人は、少し戸惑いながら「その方はどなたでしょうか。私がその方を信じることができますように」と答えました。すると、イエス様は、「あなたが今見ている私が救い主なのだ」とお答えになったのです。目が見えるようになった盲人は、イエス様を見、「主よ。私は信じます」と告白し、イエス様を礼拝しました。肉体の目だけでなく、心の目も開かれたのです。
信仰は、机上のものではありません。信仰に生きるというのは、実際の生活から切り離されたものではありません。今までわからなかったことがわかるようになっていく、今まで見えていなかったものが見えるようになっていくという体験を通して神様の恵みを味わいつつ歩んでいくのが信仰生活です。どんなに時間をかけて学んでも、それを自分のものとして受け取ることがなければ、信仰は生活に結びつきません。
 私は三十歳まで泳げませんでした。理論的には、浮力や比重の関係で人は水に浮くということはわかっているんですよ。畳の上でクロールをさせたら、うまいものでした。しかし、実際に水の中に入って体験して覚えなければ泳げるようにならないのですね。
二人の人がいて、それぞれの前においしいケーキが置いてあるとしましょう。一人は、ケーキの作り方や材料や栄養について詳しく知っていますが、食べていません。もう一人は、ケーキの作り方はほとんど知りませんが、目の前のケーキをパクリと食べてしまいました。ケーキの味がわかったのは、どちらですか。もちろん実際に食べた人ですね。
同じように、どんなに聖書について、神様について、詳しく知っていたとしても、受け入れようとせず、その言葉に生きようとしないなら、主の恵みのすばらしさを味わうことができないのです。イエス様が約束する赦しを受け取らないから、いつまでも罪責の中にとどまってしまうことになるのです。
 この盲人が「以前は盲目だったのに、今は見える!」という経験をしたように、私たちも神様の恵みを実際に体験しつつ歩んでいくことが信仰生活の醍醐味なのです。見えるようになった者として新しい人生を歩みつつ、見えるようにしてくださった方がどのような方であるのかをさらに深く聖書から学んでいくのです。
 初代教会がスタートしたとき、弟子たちは、「私たちは自分が見たこと聞いたことを語らないわけにはいかない」と言って全世界に出て行きました。自分たちが実際に体験して味わったイエス様の救いを分かち合っていったのです。
 青山学院大学は、アメリカのメソジスト派と呼ばれるプロテスタント教会の宣教師がその礎を築いた学校ですが、このメソジスト派は、イギリスのジョン・ウェスレーという人の働きから始まりました。この人は、たくさんの讃美歌を作ったことでも有名です。十八世紀にイギリス各地を巡回して福音を語った人物で全世界に大きな影響を与えました。
 彼は、大学を卒業して牧師となり、三十二歳の頃、宣教師としてアメリカに渡りました。その航海の途中、嵐に遭遇しました。ウェスレーは、嵐の中で恐怖におののきました。ところが、同じ船に乗っているモラビア兄弟団というクリスチャンのグループの人々は、嵐の中でも落ち着いて賛美し礼拝を捧げているのです。彼らは大変伝道熱心で世界各国に宣教師を派遣する運動を始めたグループでした。ウェスレーは、恐れおののいている自分とは正反対の彼らの姿に強い印象を受けました。
 アメリカでの宣教活動はまったく成果があがらず、失望と失意の中にいたウェスレーに、モラビア兄弟団の宣教師であるシュパンゲンベルグと会う機会が訪れました。シュパンゲンベルグ宣教師は、ウェスレーにこんな質問をしました。「ウェスレー兄弟、あなたはイエス・キリストを知っていますか?」と。考えてみてください。これは、失礼な質問ですよね。牧師であり宣教師でもあったウェスレーは、イギリスで最も優秀な大学を卒業し、この時、すでにひとつのグループを率いて指導するリーダーでもあったのですから。ウェスレーはこう答えました。「はい、私は、イエスが世の救い主であると知っています」と。するとシュパンゲンベルグ宣教師は、続けてこう質問したのです。「その通りです。それでは、あなたは、イエスがあなたを救う救い主であることををご存じですか。」
 この時の問答は、ウェスレーの生涯を変えるものとなっていきました。彼は、イギリスに帰国後、イエスが自分の罪を取り除いてくださる救い主であることを明確に受け入れたのです。それが、彼の生涯の転機となりました。彼は、人生の最期の瞬間に「最も素晴らしいことは、神が私たちと共にいてくださることだ」と語ったといわれています。
 イエス様に目を癒された盲人は、「あの方が罪人かどうか、私は知りません。私はただ一つのことだけ知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです」と言いました。
 皆さん、私たちには、わからないことはたくさんあります。人はいろいろなことを言うでしょう。しかし、「私にはわからないことがたくさんあります。でも、知っていることがあります。以前は見えなかったけれど、今は見えるということです」と告白する者でありたいですね。「イエス様が私を愛し、私のために十字架についてくださり、私の罪を赦してくださった。そして、よみがえられたイエス様は、いつも私と共にいて私とともに歩んでくださるということを私は知っています」と。
信仰に生きるということは、実際の生活の中で、見えなかったものが見えてくる、というものです。イエス様の約束が見えてくる、励ましが見えてくる、慰めが見えてくる、希望が見えてくる、愛されていることがわかってくるのです。そんな信仰の生活、イエス様を信頼しつつ生きるという生活を味わい、楽しみ、分かち合う者として歩んでいきましょう。