城山キリスト教会 礼拝説教    
二〇一四年二月二三日             関根弘興牧師
               ヨハネ一九章一七節ー二七節

ヨハネの福音書連続説教59
  「ゴルゴタの丘」

17 彼らはイエスを受け取った。そして、イエスはご自分で十字架を負って、「どくろの地」という場所(ヘブル語でゴルゴタと言われる)に出て行かれた。18 彼らはそこでイエスを十字架につけた。イエスといっしょに、ほかのふたりの者をそれぞれ両側に、イエスを真ん中にしてであった。19 ピラトは罪状書きも書いて、十字架の上に掲げた。それには「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」と書いてあった。20 それで、大ぜいのユダヤ人がこの罪状書きを読んだ。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったからである。またそれはヘブル語、ラテン語、ギリシヤ語で書いてあった。21 そこで、ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、「ユダヤ人の王、と書かないで、彼はユダヤ人の王と自称した、と書いてください」と言った。22 ピラトは答えた。「私の書いたことは私が書いたのです。」
23 さて、兵士たちは、イエスを十字架につけると、イエスの着物を取り、ひとりの兵士に一つずつあたるよう四分した。また下着をも取ったが、それは上から全部一つに織った、縫い目なしのものであった。24 そこで彼らは互いに言った。「それは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。」それは、「彼らはわたしの着物を分け合い、わたしの下着のためにくじを引いた」という聖書が成就するためであった。25 兵士たちはこのようなことをしたが、イエスの十字架のそばには、イエスの母と母の姉妹と、クロパの妻のマリヤとマグダラのマリヤが立っていた。26 イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に「女の方。そこに、あなたの息子がいます」と言われた。27 それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。(新改訳聖書)

今日の箇所には、イエス様がついに十字架につけられた時の出来事が記されています。
 このイエス様の十字架、そして、復活は、聖書の中心です。ですから、イエス様が十字架につけられた時の出来事は、四つの福音書のすべてにいろいろな側面から詳細に記されています。四つの福音書の記事を合わせて読むと、イエス様の十字架の光景がより鮮明に映し出されてくるのですね。
 しかし、今日は、ヨハネの福音書にだけ特徴的に記されている出来事を中心に考えていきましょう。

 イエス様は、捕らえられた後、大祭司のもとに送られ、ユダヤ議会の審問を受け、そして、総督ピラトのもとに送られました。ピラトは、イエス様に罪があるとは思えませんでしたが、ユダヤ人たちの激しい訴えがあったので、兵士たちにイエス様をむち打つよう命じました。また、兵士たちは、いばらを編んで作った冠をイエス様の頭に突き刺したのです。イエス様の背中はむち打たれて肉が裂け、いばらの冠が突き刺さった額からは血が流れていたことでしょう。しかし、その悲惨なイエス様の姿を見てもユダヤ当局者たちは満足せず、なおも「イエスを十字架につけろ」と叫び続けたのです。そこで、ピラトは、ついにイエス様を十字架につけるため兵士たちに引き渡したのです。

1 ゴルゴタへの道

 こうして、イエス様は、自らの十字架を背負ってゴルゴタという場所に向かって行かれました。ゴルゴタとは、「どくろ(されこうべ)」という意味の大変不気味な名前です。ラテン語に訳すと「カルバリヤ」です。そこから、英語の「カルバリー」という言葉が出来ました。イエス様が十字架につかれた場所を「ゴルゴタの丘」とか「カルバリー山」と言うわけです。
 イエス様は、むちで打たれたために相当な痛みと疲労があったことでしょう。しかし、黙々と自らの十字架を背負い、ゴルゴタに進んで行かれました。その沿道には、「十字架につけろ!」と叫んだ人々がいたでしょう。彼らは、イエス様をののしり、あざけり、容赦のない罵声を浴びせたことでしょう。
 考えてみてください。前の晩のゲッセマネの園での逮捕から始まって、夜通し様々な場所に引き回されて審問を受け、むち打たれ、いばらの冠をかぶせられ、なぐられ、あざけられ、今、重い荒削りの十字架を背負って処刑場に向かっておられるのです。イエス様がよろめいて転ぶと、兵士たちはむちを打ちつけたことでしょう。まるで虫けらのように扱われたのです。
 ところで、イエス様が処刑場に向かう途中に起こった出来事で、他の福音書には記されているのに、ヨハネの福音書では省かれている出来事があります。それは、イエス様が道の途中でたびたび倒れてしまうので、兵士たちが、ちょうどそこを通りかかったクレネ人のシモンにイエス様の十字架を無理矢理に背負わせ運ばせたという出来事です。
 このクレネ人シモンという人は、エジプトのアレキサンドリア地方にあるクレネという町の出身で、きっと長年の夢がかない、エルサレムで過越の祭りを祝うためにはるばるやってきていたのでしょう。しかし、兵士たちは、彼を捕まえて、なんと十字架を背負わせ、イエス様の後について行くようにと命じたのです。彼は、きっと「何と運の悪い日なのだ」と思ったに違いありません。
 しかし、マルコの福音書15章21節には、こう書かれています。「そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。」つまり、イエス様の十字架を背負わされたシモンは、アレキサンデルとルポスとの父であるというのですが、このアレキサンデルとルポスは、後にできたローマ教会のメンバーだったと言われているんです。つまり、シモンは、この後、イエス様を信じて、その信仰が息子たちに受け継がれていったようです。最初は「何て運の悪い、ついていない日だ」としか思えなかった日が、本当の救い主と出会った最高の日へと変えられたようです。
さて、このかなり有名なクレネ人シモンの逸話が、ヨハネの福音書では省かれています。その理由は、はっきりわかりませんが、次のように考える学者もいます。
 ヨハネがこの福音書を記したのは、一世紀の終わり頃だと言われています。その頃、教会の中にグノーシス主義という異端が入り込んできて、その後、二世紀になると、その影響はますます大きくなっていきました。
 グノーシス主義のグループは、イエス様が肉体をとって来られたことを否定しました。聖書は、「神が私たちと同じ人となって私たちのもとに来てくださった」と教えているのですが、グノーシス主義の人々は、イエスは、霊なる存在であって、人としての肉体を持っていたわけではないと主張したのです。イエスが弟子たちと一緒に歩まれたというけれど、それは、人々が幻影を見ていたに過ぎないというのです。そして、イエス様が十字架を背負ってゴルゴタの丘に行き十字架についたという出来事も、そのまま信じようとはしませんでした。彼らは、どのように言ったかといいますと、「キリストの霊がクレネ人シモンに十字架を背負わせて、彼の姿をイエスのように変えたのだ。そして、人々はクレネ人シモンをイエスだと思い込んで、彼を十字架に磔にしたのだ」というのです。
 そのような異端が教会に入り込んで来たので、ヨハネは、あえてクレネ人シモンを登場させずに、17節にあるように、「イエスはご自分で十字架を負って、『どくろの地』という場所に出て行かれた」とはっきり書く必要があると考えたのかもしれません。そして、他の箇所でも一貫して、神であるイエス様が私たちと同じ人として来られたこと、また、私たちの身代わりとして自発的に選び取って十字架への道を進んで行かれたことを記しています。イエス様の十字架は、幻影でもなければ、突然誰かと入れ替わってしまったマジックのようなものでもなく、歴史上の事実として起こった出来事なのです。

2 罪状書き

 さて、イエス様が十字架につけられると、ピラトは罪状書きを書いて十字架の上に掲げました。罪状書きには、普通、処刑される人物の名前と罪状が記されます。私が強盗殺人罪で十字架につけられるなら、「強盗殺人罪 関根弘興」と言う風になるわけですね。しかし、ピラトが書いた罪状書きには、「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」としか書いてなかったのです。これでは、罪状書きというよりも、紹介文のようなものですね。
 ゴルゴタは、エルサレムに近く、たくさんの人が通る場所だったようです。おまけに、ユダヤ最大の祭りである過越の祭りの時期ですから、世界中の人がエルサレムに集まってきていたわけです。
 もし、この時、皆さんがエルサレムにいたら、十字架刑の話をいろいろなところで聞いたことでしょう。そして、その十字架につけられた者たちを見に行こうと思ったかもしれませんね。ピラトは、罪状書きを「ヘブル語、ラテン語、ギリシャ語」の三つの言葉で書きました。口語訳聖書では「ヘブル、ローマ、ギリシャの国語で書かれていた」と訳されています。つまり、これらの言葉は、当時の世界の中心的な言語です。ですから、ゴルゴタの場所を通るすべての人が罪状書きを読んで意味が理解できたと言っても過言でありません。
 そこで、面白くないのがユダヤ人の祭司長たちでした。彼らは「イエスを十字架につけろ」とピラトに訴えた人たちです。彼らは、罪状書きに「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」とだけ記されているのを見て、ピラトに文句を言いました。「ユダヤ人の王、と書かないで、彼はユダヤ人の王と自称した、と書いてください」と。「この男は、王でもないのに王だと自称した罪で十字架についたのだ」ときちんと書いてくれと訴えたわけです。
 しかし、ピラトは、その訴えをつっぱねました。自分に圧力をかけて無理矢理イエスを十字架につけさせたユダヤ人たちに対して、苦々しく思っていたのでしょう。腹いせのために、彼らの嫌がるような罪状書きをあえて掲げたのかもしれません。そして、自分のほうが権威があることを見せつけようとしたのでしょう。22節にあるように、「私の書いたことは私が書いたのです」と強い口調で、彼らを退けたのです。
先週、ピラトが、むち打たれ、いばらの冠をかぶせられたイエス様をユダヤ人たちの前に引き出して「見よ、この人を」と言ったことが、実は預言的な言葉となっているというお話をしました。ピラトが深く考えもしないで語った言葉の中に「このイエス様を見る必要がある」という大切な真理が表されていたということです。
 そして、今日の箇所でも、このピラトがおそらくユダヤ人たちへの腹いせとして掲げた罪状書きが、やはり大切な真理を表すことになりました。罪状書きは世界的な三つの言語で書かれていました。それは、この十字架についたイエス様こそ、世界中のすべての人に知られていくべきまことの王なる方であるということを奇しくも宣言するものとなっていったのです。

3 十字架のまわりにいた人々

 十字架につけられたイエス様の周りには、いろいろな人たちがいましたが、ヨハネの福音書では、特に二組の人々の様子が記録されています。兵士たちと女性たちです。どちらも四人ですが、対照的な姿が見られます。

@ローマの兵士たち

 まず、兵士たちの姿を見てみましょう。23ー24節に「さて、兵士たちは、イエスを十字架につけると、イエスの着物を取り、ひとりの兵士に一つずつあたるよう四分した。また下着をも取ったが、それは上から全部一つに織った、縫い目なしのものであった。そこで彼らは互いに言った。『それは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。』それは、『彼らはわたしの着物を分け合い、わたしの下着のためにくじを引いた』という聖書が成就するためであった。」
 十字架のもとには、イエス様の着物を分け合い、くじ引きする兵士たちがいました。彼らは、十字架につけられたイエス様にはまったく無関心でした。彼らの興味は、イエス様の残された着物を取り合うことにありました。「イエスの着物を取り、ひとりの兵士に一つずつあたるよう四分した」と書かれていますが、これは一枚の着物を四つに切ったということではありません。切ってしまったら着物として使えませんね。この「着物」と訳された言葉は、複数形で書かれています。私は、今、背広を着ていますが、この着物を分けると言えば、上着とズボンとネクタイとベルト、というふうに分けられますね。ユダヤの場合ですと、頭にターバンのような帽子、帯、服、サンダル、というような服装のスタイルですね。ですから、兵士たちはイエス様の帯や服やサンダルといったものを四つに分け合ったのでしょう。しかし、下着は、上から全部一つに織ったものであったとあります。そこで、彼らは、それを裂くことをしないで、くじ引きをしたというのです。
 自分たちの罪のために十字架についてくださったイエス様のみもとで、まるでギャンブルに興じているかのような兵士たち姿がありました。しかし、聖書は、この彼らの身勝手な行動も、以前から預言されていたことなのだと教えています。イエス様が十字架につけられる何百年も前に書かれた旧約聖書の詩篇22篇18節に、「彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします」と書かれているのです。このように細かい出来事までが、何百年も前から預言されていたのです。驚くべきことですね。

A四人の女性たち

さて、その一方では、十字架のそばには、四人の女性たちがいました。25節に「イエスの母と母の姉妹と、クロパの妻のマリヤとマグダラのマリヤが立っていた」と書かれていますね。 まず、「イエスの母」は、マリヤですね。マリヤは、十字架につけられたイエス様をどんな思いで見ていたでしょうね。神様のみ告を受けてイエス様を身ごもったとき、マリヤは「これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう」と賛美しましたね。しかし、今、むごたらしい十字架につけられているイエス様を見て、胸が張り裂けるような思いだったのではないでしょうか。
 それから、そのマリヤの姉妹がいました。この女性は、マタイの福音書27章56節に「ゼベダイの子たちの母」と紹介されている女性ではないかと考えられます。「ゼベダイの子たち」とは、ヤコブとこの福音書を書いたヨハネのことですから、もし、彼らの母が、イエス様の母マリヤの姉妹であるとすると、イエス様とヨハネはいとこ同士ということになりますね。
 それから、三番目の女性は、クロパの妻のマリヤです。この女性はマタイの福音書27章56節では、「ヤコブとヨセフの母マリヤ」といふうに紹介されています。そして、もう一人はイエス様から七つの悪霊を追い出していただいたマグダラのマリヤです。
 男の弟子たちは、ヨハネを除いて、蜘蛛の子を散らすように逃げていってしまいました。しかし、ここにいる四人の女性たちは、ユダヤ当局者たちを恐れることなく、十字架のもとにとどまっていたのです。

4 イエス様の言葉

さて、四つの福音書を総合すると、イエス様が十字架上で語られた言葉は、七つあったことがわかります。ヨハネの福音書では、その内の三つを紹介しているのですが、まず最初に記録されているのが、26節で母マリヤに言われた「女の方。そこに、あなたの息子がいます」という言葉と、27節の「愛する弟子(ヨハネ)」に言われた「そこに、あなたの母がいます」という言葉です。イエス様が、母マリヤを気遣い、ヨハネに母の世話を託した言葉です。ご自分が十字架の激しい苦しみの中にあるにもかかわらず、母マリヤへの気遣いを最優先にしておられたのです。
 これについて、「イエス様とヨハネがいとこ同士だったから『わたしの死んだ後は母をよろしく頼むよ』という単純な依頼をしたのではないか」と割り切って考える人もいます。しかし、もっと深い意味があると思うのです。なぜなら、イエス様には弟たちもいましたから、「弟たちに母のことを頼むと伝えてくれ」と言うのが普通ですね。しかし、イエス様の弟たちは、この時には、イエス様につまずいている者たちでした。イエス様は、その弟たちに母を託したいとは思われなかったのでしょう。それで、今、十字架の前に来ている愛する弟子ヨハネに向かって、「あなたの母がいます」と言われ、母を委ねたのでしょう。そこで、ヨハネは、マリヤを自分の家に引き取りました。イエス様は、母マリヤに対して最善の配慮をなさったのです。
 それとともに、イエス様の言葉には、もう一つ大切なメッセージがあると思います。イエス様がヨハネに「あなたの母がいます」と言われたということは、イエス様とヨハネは兄弟の関係とされたということでもあるわけですね。それは、イエス様の十字架によって救いを受ける人々が皆、神の家族の一員とされるということを暗示しているのです。
 
 さて、イエス様の十字架のもとには、いろいろな人々の姿がありました。「イエスはユダヤ人の王だ自称しているに過ぎない」と訴える者たちがいました。イエス様には全く無関心で、目の前に残された着物を分け合うまるでハイエナのよう兵士たちがいました。一方では、十字架のもとでイエス様を案じる女性たち、イエス様の母を引き受ける愛する弟子がいました。
 私たちは、どうでしょうか。私たちは、イエス様の十字架のもとに集い、イエス様の十字架を見上げて、私たちの身代わりに罪の罰を受けてくださったイエス様に感謝し、罪の赦しと救いを与えられて生きる者となっています。そして、神の家族の一員とされています。
 そのことを覚えつつ、続けて十字架のイエス様を見つめていきましょう。