城山キリスト教会 礼拝説教    
二〇一四年六月一日              関根弘興牧師
              第一テサロニケ二章一節ー一二節

テサロニケ人への手紙連続説教3
   「母のように、父のように」

1 兄弟たち。あなたがたが知っているとおり、私たちがあなたがたのところに行ったことは、むだではありませんでした。2 ご承知のように、私たちはまずピリピで苦しみに会い、はずかしめを受けたのですが、私たちの神によって、激しい苦闘の中でも大胆に神の福音をあなたがたに語りました。3 私たちの勧めは、迷いや不純な心から出ているものではなく、だましごとでもありません。4 私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るのです。 5 ご存じのとおり、私たちは今まで、へつらいのことばを用いたり、むさぼりの口実を設けたりしたことはありません。神がそのことの証人です。6 また、キリストの使徒たちとして権威を主張することもできたのですが、私たちは、あなたがたからも、ほかの人々からも、人からの名誉を受けようとはしませんでした。7 それどころか、あなたがたの間で、母がその子どもたちを養い育てるように、優しくふるまいました。8 このようにあなたがたを思う心から、ただ神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったのです。なぜなら、あなたがたは私たちの愛する者となったからです。9 兄弟たち。あなたがたは、私たちの労苦と苦闘を覚えているでしょう。私たちはあなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えました。10 また、信者であるあなたがたに対して、私たちが敬虔に、正しく、また責められるところがないようにふるまったことは、あなたがたがあかしし、神もあかししてくださることです。11 また、ご承知のとおり、私たちは父がその子どもに対してするように、あなたがたひとりひとりに、12 ご自身の御国と栄光とに召してくださる神にふさわしく歩むように勧めをし、慰めを与え、おごそかに命じました。(新改訳聖書)


 この手紙を書いているのはパウロですが、彼は、テサロニケの人々に対して、1節にあるように「私たちがあなたがたのところに行ったことは、むだではありませんでした」と記していますね。
 パウロたちは、いろいろな所を巡回してイエス様のことを伝えましたが、すべてが順調だったわけではありません。2節に「私たちはまずピリピで苦しみに会い、はずかしめを受けた」と書かれていますね。彼らは、テサロニケに行く前に、ピリピに行きました。そこでは、まず、紫布の商人であるルデヤという女性とその家族がそろってクリスチャンになりました。そして、占いをして主人に多くの利益を得させていた若い女奴隷もクリスチャンになったのです。この女奴隷は、クリスチャンになると、自分の混乱した状態がいやされて占いが出来なくなってしまいました。すると、儲け口を失ったこの女奴隷の主人がパウロたちのことを役人に訴え出たため、パウロと仲間のシラスの二人が逮捕、投獄されてしまったのです。彼らは、何度もむちで打たれ、牢に入れられ、足に足かせを掛けられました。しかし、彼らは、牢の中で、真夜中ごろ神様に祈りつつ賛美の歌を歌っていました。その時、突然、大地震が起こって牢のとびらが全部開き、囚人たちの鎖が解けてしまったのです。目を覚ました看守は、牢のとびらがあいているので囚人たちが逃げてしまったものと思い、自殺しようとしたのですが、パウロにとめられました。この出来事の結果、この看守とその家族もクリスチャンになりました。パウロたちがピリピの町で受けた苦しみやはずかしめは、決して無駄ではなかったわけですね。
 その後、パウロたちはテサロニケにやってきて、イエス・キリストを宣べ伝えました。しかし、パウロは、テサロニケには、わずか三週間しか滞在できなかったのです。パウロは「テサロニケであれもこれもしたかった。でも出来なかった」という思いを持ったことでしょう。しかし、テサロニケの教会のことを思い起こすたびに、「私がテサロニケに行ったことは決して無駄ではなかった」とうなずくことができたんですね。
 パウロは、ある時、コリントの教会に、こう書き送っています。「堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分達の苦労が、主にあって無駄でないことを知っているのですから。」(1コリント15・58)
 実は、パウロは、生涯の後半、獄中で過ごすことが多かったのです。有能なパウロが獄中で過ごすなんて、なんてもったいない無駄な時を主は許されたのだろうと思いませんか。自由がないわけですから、説教はできないし、伝道旅行もできないわけです。福音は、後退こそすれ、前進するとは考えられないではありませんか。しかし、どうでしょう。結果は、その正反対でした。パウロは、獄中で様々な教会に手紙を書き送りました。そして、その結果、直接現地に行って伝道する以上の働きを獄中で行うことができたのです。「自分達の苦労が、主にあって無駄でないことを知っている」という感覚で生かされていることは、クリスチャンの特権かも知れませんね。
伝道者の書11章1節には、こう書かれています。「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。」
 私たちは、時々、骨折り損のくたびれ儲けのようなことを経験します。祈っても祈っても、まるで水の上にパンを投げるようなむなしさを味わうかもしれません。しかし、一見無駄なような中にもイエス様は働いてくださり、それが無に帰することがないようにしてくださることを私たちは知っているのです。これは、大きな励ましであり慰めですね。
 さて、パウロは、テサロニケ教会の人たちに対して、どんな態度と思いを持って福音を語っていったのでしょうか。今日の箇所を通して、そのことをご一緒に見ていきましょう。

1 パウロは大胆に福音を語った

 パウロは、たびたび激しい迫害に襲われました。しかし、2節で「大胆に神の福音をあなたがたに語りました」と書いていますね。では、「大胆に語る」とは、いったいどういうことでしょうか。
 普通、私たちが生活の中で何かの行動が具体化されて行くまでには、また、自信をもって何かをすることができるようになるためには、いくつかの段階を経ていきます。
 まずは、理解することから始まります。四月から「みんなで歌おう。ウクレレで」という会が始まりましたが、ほとんどの方は、ウクレレ初心者です。最初、何から始めるかというと、楽器を理解することから始めるわけです。「ウクレレは、弦が四本あって、音は一弦目がラで、二弦目がミで」といった具合ですね。まず、理解していくわけです。
 でも、理解したから弾けるかというと、そんなことはありませんね。実際に手に触れ、音を出し、コードを指で押さえて体験しいく必要があります。そして、「なるほど、このように押さえれば、この音が出るのだ」と体験したことが、その人の内で自覚されていくんですね。そして、それを繰り返し行うことによって曲が弾けるようになるわけですね。そして、実際に弾けるようになると、いろいろな形で発表していくわけです。「ウクレレを弾きながら歌っていると楽しい」、「気分転換になる」、「今度は人前で演奏したい」といった具合ですね。
 つまり、生活の中で具体化され、分かち合われていくまでには、理解し、理解したことを体験し、自覚し、そして、自覚したことが何らかの形で分かち合われていく、という段階があるのです。
 パウロが大胆に福音を語ることができたのは、彼がまず自分自身でイエス様の恵みを十分に理解し、その恵みを実際に体験し、イエス様によって赦され愛されていることを自覚することができたからなのです。
 ところが、キリスト教会の中で、この「大胆に福音を語る」という言葉が誤解されていることがよくあります。「大胆さ」が、ただ「度胸がある」とか「強引な態度」という意味だと思っている人がいるんですね。
 たとえば、「街頭で大声で人目をはばかることなく賛美歌を歌える人が信仰深くて、そうでない人は不信仰だ」とか、「どんなところでも相手のことにかまわず平気でずかずかと入っていってイエス様を伝えることができるのがいいのだ」と勘違いしているのです。それは、決してパウロのいう「大胆さ」ではなく、ただの無神経で無配慮な強引な態度にすぎません。
 私が高校一年生の時でした。バスケット部に入っていたんですが、毎日、昼休みに三年生のところに挨拶に行くという忌まわしい習慣があったんです。三年生の教室に入って、大声で「今日も練習よろしくお願いします」と言うわけです。先輩に「関根!一曲歌え」と命令されると、「ハイ、歌わせてもらいます」と言って歌わなければなりません。これは、結構、度胸がいりますね。これが、大胆さでしょうか。違いますね。「そんなことはしたくないけど仕方なくやっている」というだけのことですね。
 聖書が記している「大胆に語る」というのは、そういうことではありません。「確信を持って自由に語る」ということを意味しているのです。つまり、自分の生活の中で、主イエスの愛と赦しと恵みと真実を体験的に知り、味わい、自覚していきながら、強いられてでもなく、無理矢理にでもなく、確信をもって分かちあっていくということなんです。
 ですから、皆さん、福音を大胆に語るというのは、声の大きい小さいに関係ありません。健康か病気か、高齢か若いかということも関係ありません。自分が神様の恵みによって生かされていることを味わい、その恵みを自由に確信をもって分かち合っていくことなんです。ですから、パウロは、迫害の中でも、投獄されても、その置かれた場所で、いつでも自由に確信をもってイエス様のすばらしい恵み、救い、いのちを分かち合っていったのです。
 皆さん、今日、ここにいる一人一人は、神様に愛されている存在です。大丈夫です。ですから、愛されている存在として自信をもって歩み、主イエス様の日ごとに注がれる恵みを受け取りながら歩んでいきましょう。

2 パウロの伝道の姿

 大胆に語っていったパウロですが、彼が福音を語っていく時の姿はどのようなものだったのでしょう。三節に以下にそのことが記されています。

@神を喜ばせようとして

 まず、3節、4節にこう書いてあります。「私たちの勧めは、迷いや不純な心から出ているものではなく、だましごとでもありません。私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るのです。」
パウロが福音を語る時の思いは、常に、神様が何を願い、何を喜ばれるかということでした。人を騙し、自分の名を上げようなどとは決して考えませんでした。
 私たちは、宗教がらみの事件をたびたび耳にします。豪華な生活をしている教祖が登場し、多くの人が「だまされた!」と糾弾するのです。心が痛むニュースです。「私たちの心をお調べになる神」を忘れてしまい、不純な心で人々をだまし束縛していく、そんな姿があるのです。
 だから、教会は、注意しなければなりません。私たちには不純な心やだましごとがあってはなりません。互いに誠実な仲間として歩んでいきましょう。神様は、何よりも私たちが誠実であることを喜ばれるのです。
 もちろん問題のない教会なんてありません。しかし、問題が起こったとき、お互いに相手の立場に立ちながら、神様は何を願い何を喜ばれるのかを問いながら、歩んでいくことが大切なのです。

A人からの名誉を受けようとしない

次に、5節、6節には、こう書いてあります。「ご存じのとおり、私たちは今まで、へつらいのことばを用いたり、むさぼりの口実を設けたりしたことはありません。神がそのことの証人です。また、キリストの使徒たちとして権威を主張することもできたのですが、私たちは、あなたがたからも、ほかの人々からも、人からの名誉を受けようとはしませんでした。」
パウロの願いは、自分がイエス・キリストのように変えられていくことでした。イエス・キリストに従い、イエス・キリストを模範とし、聖霊によってイエス・キリストのように変えられていく、それがクリスチャンとしての本来の姿です。
 イエス様は、人々の歓心を得るためにへつらいのことばを用いたでしょうか。いいえ。いつもはっきりと真理をお語りになりました。宗教家たちの偽善を指摘し、人々の内側の問題を見抜いて言い当てました。また、ご自身が与える救いと赦しといのちについて大胆にお語りになりました。イエス様は、人々を慰め、いやし、必要な助けを与え続けておられましたが、それは、人気を得るためではなく、純粋に、人々を愛し、あわれむ心からあふれ出る行為でした。
 イエス様は、むさぼりの口実を設けることをなさったでしょうか。いいえ、イエス様が財布を預かっているユダと共謀して強引な献金集めをしたなどということは、いっさいありませんでした。
 では、イエス様は、ご自分の権威をふりかざすことがあったでしょうか。イエス様は、天においても地においても一切の権威が与えられているお方です。いっさいの権威が与えられているのですよ。それは、イエス様ご自身もはっきりとお語りになりました。しかし、イエス様は、その権威をご自分のために用いようとはなさいませんでした。父なる神のみこころに従順に従い、人々を助けるときにだけその権威をお用いになったのです。最高の権威を持っておられる方が、しもべとして歩み、十字架の死にまで従われたのです。それは、すべて私たちのためでした。そして、イエス様は、私たちを友と呼んでくださり、いつも私たちのかたわらにいて、共に歩んでくださるのです。イエス様は、自分を誇示し、権威を振りかざし、自分の力を見せつけるようなことは決してなさらなかったのです。
 パウロは、6節で「キリストの使徒たちとして権威を主張することもできた」とありますね。しかし、パウロは、自分に与えられた権威をかざして自分を誇示したり、人々から特別扱いされることを好みませんでした。
 私たちは、不必要な権威を持つ必要があるでしょうか。イエス様の御名に力があることをだけを理解していればそれでいいのです。教会の指導者も含めて、不必要な権威主義は、主のみこころを痛めるだけです。キリストの姿に習う者として歩んでいきましょう。

B母のように、父のように

次に、7節から10節を読みましょう。「それどころか、あなたがたの間で、母がその子どもたちを養い育てるように、優しくふるまいました。このようにあなたがたを思う心から、ただ神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったのです。なぜなら、あなたがたは私たちの愛する者となったからです。兄弟たち。あなたがたは、私たちの労苦と苦闘を覚えているでしょう。私たちはあなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えました。また、信者であるあなたがたに対して、私たちが敬虔に、正しく、また責められるところがないようにふるまったことは、あなたがたがあかしし、神もあかししてくださることです。」
 パウロは、イエス様の心をよく知っていました。そして、イエス様が私たちのためにいのちを与えてくださったように、自分もテサロニケの人々のために喜んでいのちまでも与えたいと思ったと記しています。パウロは、大いなる愛の人でもあったのです。
 彼は、権威を振りかざすのではなく、「母のように」振る舞ったと書いていますね。パウロは、このテサロニケ教会の産みの親のような存在ですからね。昔から、母親のイメージは「優しさ」で表されるのですね。子供が苦労し、困難の中にいたら、母親というものは、いてもたってもいられないほどつらいものです。(父親もそうなのですが。)パウロは、テサロニケの教会の若い仲間たちに負担をかけさせまいとして、自分で夜も昼も働きながら福音を宣べ伝えたとありますね。彼は、我が子を思いやる心を持って福音を伝えていったのです。
 ところで、おもしろいことに、新共同訳聖書を見ると「母のように優しくふるまいました」と訳されている言葉が「幼子のようになった」と訳されているのです。どうしてかといいますと、聖書にはたくさんの写本があるのですのが、ある写本では、この箇所が「幼子のようになった」と読めるような書き方をしているからなのです。もちろん、パウロが「母親のようにふるまった」と訳すのが最もぴったりきます。しかし、「幼子のようにふるまった」とも読めるように書いているということは、そこにパウロの姿を見ることが出来るように思うのです。それは、相手と同じ目の高さになって接していくという姿です。
 迷子の子どもに接するには最初どうすればいいでしょうか。まず、その子の目の高さに合わせることが大切だそうです。上から目線で権威を振りかざしていたら、子どもは決して近づこうとしません。子供は正直ですから、ただ言葉をかけるだけでなく、子供と同じ立場に立って接しようとしてくれる人に心をゆるすのです。パウロは、母のような優しさを持ちつつ、相手と同じ目の高さになって、互いに子供同士のような親しみの中で伝道の働きをしたのです。
 それは、イエス様の姿でもありました。イエス様は、神であられる方なのに、私たちと同じ人となって私たちのそばに来てくださいました。そして、私たちの友となり、親しく交わり、神様の愛を身をもって伝えてくださったのです。私たちも、互いに目の高さを同じくして歩む者となりましょう。
 それから、11節、12節を見ると、パウロは、母のようにふるまっただけでなく、父のようにも接したと書かれています。「また、ご承知のとおり、私たちは父がその子どもに対してするように、あなたがたひとりひとりに、ご自身の御国と栄光とに召してくださる神にふさわしく歩むように勧めをし、慰めを与え、おごそかに命じました。」
 どうも最近は、父親の権威が失われていますね。昔は、「雷おやじ」と言えば、怖い威厳のある父親のことを指したわけですが、最近の「雷おやじ」というのは、「家でごろごろしているおやじ」のことだそうですからね。ちょっと情けないですね。
 しかし、パウロは、ひとりひとりが神様に従う者としてふわしく歩むように、と厳かに命じたのです。
 「神にふさわしく歩むように」というのは、「品行方正な完全な人になりなさい」ということではありません。「神様の心を思いながら歩みなさい」ということです。神様がどれほど私たちを愛し、どれほど私たちの最善を願い、どれほど豊かな恵みを与えたいと思っておられるかを覚えて、感謝し、賛美し、神様を愛しつつ歩みなさいということなのです。
 神様の心をどうして知ることが出来るでしょうか。聖書を通して、礼拝を通して、また、祈りを通して知っていくのです。
 パウロは、人々に母のように、そして、父のように接していきました。それは、イエス様がパウロに接してくださった姿でもあるのです。イエス様は、私たち一人一人にも同じように接してくださいます。愛と真実、誠実をもって接してくださっているのです。そして、私たち一人一人を「友」と呼び、共に歩み、最善の道に導こうとされています。
 お互いが、イエス様に従う者として、主のすばらしい恵みと愛を今週も味わっていきましょう。