城山キリスト教会 礼拝説教    
二〇一五年六月一四日             関根弘興牧師
                 エペソ四章二九節~三二節

エペソ人への手紙連続説教20

   「生活再考2」

29 悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。30 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。31 無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。32 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。(新改訳聖書)

 先週、私たちは、まず「偽りを捨て、真実を語ろう」ということを学びました。私たちはキリストのからだの器官ですから、互いに偽わって生きる必要がありません。格好付ける必要もありません。背伸びする必要もないし、必要以上に自己卑下することもありません。仮面をかぶり、演技をする必要はないのです。それぞれに特徴や役割があるのですから、それを認め合い、補い合って真実を語り合っていこうではないか、とパウロは勧めたのです。しかし、「真実を語る」というとき、気をつけなければならないことがありましたね。それは、「いつ語るか」ということと、「どのように語るか」ということです。私たちは、「真実を語らなければならない」からといって、時を選ばず何でもかんでもストレートにそのまま話すということであってはいけません。配慮が必要です。場合によっては、ちょうどよい時期が来るまで忍耐強く待つことも必要でし、相手の状態を見極めて適切な伝え方をすることも大切です。真実を語るには知恵と祈りが必要なんですね。そして、パウロが「愛をもって真理を語り」と書かれていたように、「愛をもって」語ることが大切なんです。
 それから、二番目に「怒りを適切に処理せよ」と言うことも学びました。怒りを感じた時、悪魔に機会を与えないようにとパウロは注意しましたね。私たちはときどき、自分のことは棚に上げて、相手を責めたり、攻撃してしまうことが多いのですが、それはまるで悪魔の手先になってしまったような状態ですね。パウロは「悪魔と肩を並べて、人や自分自身を中傷したり、非難したり、訴える者となっていてはいけない」と語ったわけです。
 そして、三つめに、パウロは、「盗むことをやめ、与えることを考えよ」と語りました。自分が受けることだけしか考えず、自分のものは自分のもの、他人のものも自分のものというような生き方をしているなら、そんな生き方は止めて、人に与える生き方を学びなさい、とパウロは語るわけですね。神様の豊かな恵みに感謝して、互いに分かち合いながら生きていくことの大切さを教えたわけです。イエス様が言われるとおり、「受けるより、与えるほうが幸いだ」ということを学ぶ人生でありたいですね。

 そして今日は前回の続きです。

4 語ることばに気をつけよ

 パウロが四番目に、29節でこう教えています。「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。」
 パウロは、この手紙の中でくどいほど言葉の使い方を取り上げています。それは、私たちの言葉が、大きな励ましとなることもあれば、冷たいとげのようにその人を刺し、人を暗やみに追い込んでしまうこともあるからです。

①悪いことばを口に出さない

 ここでパウロはまず、「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません」と言っていますが、この「悪い」と訳されている言葉は、「腐った」とか「古くなった」という意味があります。ですから、「悪いことば」とは、「腐ったことば」ということですね。「悪意をもった解釈をして人に語ることば」や「相手の存在そのものを否定するようなことば」です。そういう言葉が人の心に入ると、その人の心を病気にしてしまう、下痢を起こさせてしまう、そんな言葉だというわけですね。
 パウロは、そのような言葉をいっさい口から出してはいけないと言っています。
 皆さんもきっと経験があると思いますが、つい余計なひと言を言ってしまうことがありますね。そして、そのひと言が、ここで言われている「悪いことば」「腐ったことば」になってしまうことがあります。
たとえば、久しぶりに勉強しているわが子を見て、お母さんが言いました。「まあ、勉強しているの! 珍しいわね。何をたくらんでいるの?」このひと言が子どもの心を傷つけるわけですね。
 教会の中でも、「こんなふうになるのは、あなたの信仰がしっかりしていないからじゃないの」とか、「私ばかり奉仕して、あなたは何もしないのね」とか、人を責めたり否定してしまうことばを言ってしまうことがないでしょうか。そんなことばを口に出すことがないように注意していきたいですね。
 そうは言っても、私たちは完全ではないので、ことばで失敗することが多いですね。ヤコブの手紙3章2節には、こう書かれています。「私たちはみな、多くの点で失敗するものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。」おそらくパウロも、自分が失敗した経験を反省し、祈りを込めて「悪いことばをいっさい口に出さないように」と書いているのでしょう。
 本当に、私たちは言葉で失敗をする者です。舌を制御することは難しいですね。でも、だからこそ、私たちの内に住んでくださる聖霊なる方に、「主よ。どうぞ、私のこの唇をコントロールしてくださいますように」と祈り求めていきましょう。

②人の徳を養うのに役立つことばを話す

 そして、パウロは、「ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい」と教えています。
 まず、「必要なとき」に語るということが大切ですね。良い言葉でも必要のない時に語ると、かえって良くない結果になったり、無駄になったりするかもしれません。「時にかなったことば」を語れるといいですね。
 そして、「人の徳を養うのに役立つことば」とありますが、原文では、この箇所には「良い」という言葉と「建物」という言葉が使われています。つまり、「建築にとって良いこと」という意味なんですね。新共同訳聖書では、29節は次のように訳されています。「悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。」
 新改訳聖書では「人の徳を養うのに役立つことば」と訳され、新共同訳では「その人を造り上げるのに役立つ言葉」と訳されているのですね。
 このエペソ人への手紙の中心的なテーマは、教会がキリストをかしらとするキリストのからだであり、一人一人はそのからだの器官であるということ、また、キリストこそ教会の土台であり、その上に私たちは建てあげられていくのだ、ということです。ですから、お互いがキリストにあって建て上げられていくために役立つ言葉を語ろう、とパウロはここで勧めているのです。
 では、人の徳を養うのに役立ち、聞く人に恵みを与える言葉とは、どのような言葉なのでしょうか。
「人の徳を養うのに役立つことば」とは、成長に役立つ言葉です。第一ペテロ2章2節にこう書かれています。「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」私たちは、純粋なみことばの乳によって成長することができるのですね。つまり、聖書のことばを語っていくことが大切なのです。
 そして、聖書には、聞く人に恵みを与える言葉で満ちています。聖書によって、私たちは、神様がどんなに恵み深く愛に満ちた方であるかを知ることができるのです。
 神様は、私たちにこう言っておられます。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43章4節)「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしは忘れない。見よ。わたしは手のひらに、あなたを刻んだ。」(イザヤ49章15-16節)
 また、ヨハネ3章16節には、こう書かれています。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」神様は、御子イエスを私たちのもとに送ってくださいました。そして、ヨハネ1章14節には、「この方(イエス様)は恵みとまことに満ちておられた」と書かれています。
 ルカの福音書4章22節には、イエス様が故郷のナザレの会堂で語られたとき、「みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた」と書かれています。
 また、イエス様は、マタイの福音書11章28章で、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」と言われましたね。
 イエス様が語る言葉は、恵みのことば、救いのことばです。平安への招きのことばですね。イエス様ご自身もイエス様の語る言葉も、いつも恵みに満ちています。そして、その恵みの言葉が、聖書を通して私たちに語りかけられているのです。
 ですから、成長に役立つ言葉、聞く人に恵みを与える言葉は、聖書を抜きにして語ることは出来ません。イエス様抜きに語ることが出来ないのです。
 パウロが伝道旅行で各地を回っていたとき、エペソ教会の長老たちと別れる時にこう語りました。「いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」(使徒の働き20章32節) 私たちも聖書の恵みのことばによって、成長させられています。まず、聖書の中に約束された恵みの数々を心に留め、自分自身が励まされ支えられていきながら、人の徳を養う恵みの言葉を語る者とされていきましょう。

5 まとめ

①聖霊を悲しませてはいけない

 さて、前回の箇所から今回の箇所にかけて、パウロは新しい人を着た者としての生き方について語ってきました。偽りを捨て真実を語ること、怒りを適切に処理すること、自分の利益ばかり求めず、神にささげ人に与える生き方をすべきこと、そして、今日お話ししたように、悪いことばではなく、人の成長に役立ち、人に恵みを与えることばを語ることでした。
 パウロが、そのようなことを勧めるのはなぜでしょうか。30節でこう言っていますね。「神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。」
 この「聖霊によって証印を押された」という言葉は、1章にもありましたね。私たちが、救い主イエスを信じ受け入れたとき、聖霊が私たちの内に住んでくださり、永遠のいのちが与えられ、永遠の御国を受け継ぐことが保証されました。また、聖霊は、私たちに神様の愛、イエス・キリストの恵みを教え、私たちを導き、成長させてくださるのです。
 もし私たちが、その神様の愛やイエス・キリストの救いの恵みを軽んじ、聖霊の導きを無視するような生き方をしたら、聖霊を悲しませることになります。父なる神、子なるキリスト、聖霊の三位一体の神様を悲しませることになるのです。
 ですから、31節に書かれているような、無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどの悪意ある生活は、私たちにはふさわしくないのです。自分勝手で、人がどうなってもいいという生き方、怒りを爆発させたり、人を陥れようとしたり、非難の叫び声を上げたり、ののしり合ったり、相手の存在を無視したり否定したりするような生き方をしていたら、自分も相手も傷つけ、破壊し、キリストのからだを建て上げることなど決してできないでしょう。
 しかし、時には、教会の中にそのような姿がありました。そういうことに引き込まれてしまう人々もいました。パウロは、教会のそういう姿に心を痛めていたのでしょう。だから、「そんなことをしていては、聖霊を悲しませるだけだから、やめなさい」と語っているのです。
 今も同じです。教会の中でもいろいろな失敗があるし、聖書から逸脱してしまう姿もたくさんあります。私たちは、完全ではないので、聖霊を悲しませてしまうことがあるのです。
 しかし、イザヤ書63章9節に、こう書かれています。「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。」
 私たちが、失敗したり間違ったことをして苦しんでいるとき、その背後には、神様の痛み、聖霊の悲しみがあることを覚えることは大切なことです。それとともに、そんな私たちを神様が救い、贖い、背負い、抱いて、救い出してくださることを覚えましょう。私たち一人一人には、「贖いの日のために、聖霊によって証印を押されている」のです。つまり、神様が聖霊によって私たちに永遠の御国の保証してくださっているのです。そのようなすばらしい恵みを与えられたのですから、もし聖霊を悲しませていることに気づいたら、自分を正直に振り返る勇気と、聖霊の助けを得ながら、捨てるべきものを捨て、聖霊が喜ばれる生き方をしていきたいですね。

②聖霊が喜ばれる生き方

 では、聖霊に喜ばれる生き方とは、どのようなものでしょうか。
 パウロは、32節で「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい」と勧めています。
 クリスチャン・ライフの根底にあるのは、「神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださった」ということです。それは、「神様があなたという存在を愛おしく思い、あなたがどんな者であったとしても、あなたという存在そのもののすべてを赦し、あなたを生かしてくださっているのだ」ということです。イザヤ43章4節の「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」という言葉の通りです。
 パウロは、「私たちは、そのような神の赦しの中に生かされているのだから、互いに赦し合い、互いの存在を受け入れ合いなさい」と勧めているのです。
 もちろん、赦し受け入れるというのは容易なことではありません。時間がかかるかも知れません。心のわだかまりがなかなか消えないことあるでしょう。逆に、自分が過ちを犯し、相手が赦してくれることを期待したり信じることができないこともあるかもしれません。しかし、私たちは、神様の赦しの恵み中に生かされている者として、互いに赦し、赦されていく仲間だということを覚えましょう。謝罪や償いをする必要があるときは、勇気をもって実行しましょう。また、「赦します」とはっきり言うことが必要な場合もあるでしょう。神様の愛とキリストが与えてくださった赦しの恵みに感謝しつつ、聖霊の導きと助けを期待しながら、互いに赦し合う仲間として、ともに成長させていただきましょう。
 不要なものを捨てていきながら、キリストの恵みの言葉によって成長し、キリストのからだとして建て上げられていきましょう。