城山キリスト教会 礼拝説教    
二〇一六年一月一〇日             関根弘興牧師
               ガラテヤ一章一一節~二四節
 ガラテヤ人への手紙連続説教2
   「パウロの準備期間」

11 兄弟たちよ。私はあなたがたに知らせましょう。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。12 私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。13 以前ユダヤ教徒であったころの私の行動は、あなたがたがすでに聞いているところです。私は激しく神の教会を迫害し、これを滅ぼそうとしました。14 また私は、自分と同族で同年輩の多くの者たちに比べ、はるかにユダヤ教に進んでおり、先祖からの伝承に人一倍熱心でした。15 けれども、生まれたときから私を選び分け、恵みをもって召してくださった方が、16 異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために、御子を私のうちに啓示することをよしとされたとき、私はすぐに、人には相談せず、17 先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行き、またダマスコに戻りました。18 それから三年後に、私はケパをたずねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間滞在しました。19 しかし、主の兄弟ヤコブは別として、ほかの使徒にはだれにも会いませんでした。20 私があなたがたに書いていることには、神の御前で申しますが、偽りはありません。21 それから、私はシリヤおよびキリキヤの地方に行きました。22 しかし、キリストにあるユダヤの諸教会には顔を知られていませんでした。23 けれども、「以前私たちを迫害した者が、そのとき滅ぼそうとした信仰を今は宣べ伝えている」と聞いてだけはいたので、24 彼らは私のことで神をあがめていました。(新改訳聖書)

先週からガラテヤ人への手紙の連続説教を始めました。
ガラテヤの諸教会はパウロによって生み出された教会でした。しかし、いつのまにかパウロが伝えた福音とは別の教えを語る者が入り込んできました。それは、本当の福音の内容を微妙に変えた教えでした。「イエス様を信じて、恵みによって救われる、それは、確かにその通りです。でも、それだけでは不十分です。ユダヤ人のように割礼を受け、戒めを守り行わなければ、与えられた救いは完成しません。信仰の成長のためには、それが必要なのですよ」と教えたのです。つまり、「救いは恵みによって与えられるけれど、その救われた状態を保ち、信仰を成長させるためには、神様の恵みだけでは足りない。自分が努力し、頑張っていかないと、神様の恵みから落ちてしまう」というのです。その教えは、「ただ神様の恵みよって救われ生かされていくことができる」という本来の福音から、人々を切り離そうとするものでした。また、その教えは、パウロの使徒としての権威を否定し、パウロが語っている福音を否定することにもつながっていきました。
 残念なことに、ガラテヤの諸教会の中には、この教えに心を動かされ、本当の福音からずれていってしまう人々が増えていきました。それを聞いたパウロは大変驚き、危機感を持って、強い口調でこの手紙を書き送ったのです。
 先週学んだとおり、パウロは手紙の冒頭から、自分の使徒としての権威は、神とイエス・キリストから直接与えられたものであること、また、自分が伝えた本当の福音とはどのようなものであるかということについて書き記しています。
 そして、今日の箇所は、その続きで、パウロが福音の啓示を受けて使徒として召された経緯、つまり、パウロの回心と召命の記録が詳しく説明されています。パウロは、特別に劇的な経験をしました。しかし、パウロがここで自分の経験を記しているのは、自分自身を誇るためではありません。ただただ、自分が語っていることが嘘偽りでないことを何とかして理解してもらいたい、そして、イエス・キリストから与えられたまことの福音を信じ、守っていってほしい、という一心から、熱心に語っているのです。
 では、今日の内容を詳しく見ていきましょう。

1 ダマスコへの途上で

 まず、11節から16節の前半までには、パウロの劇的な回心の出来事が書かれています。
 11節-12節でパウロは、「私が宣べ伝えた福音は、人間から教えられたのではなく、ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです」と書いていますね。パウロは、復活したイエス・キリストから直接啓示を受けるという劇的な体験をしたのです。
 ところで、パウロというのは、ギリシャ式の名前で、ユダヤ名はサウロと言います。聖書には、最初はサウロという名前で登場し、異邦人伝道を始めてからは、パウロという名前が使われるようになりました。
 サウロは、大変まじめで意志の強い努力家でした。同年代の誰よりも熱心なユダヤ教徒で、先祖からの伝承を守って生活する厳格な律法主義者でした。そして、激しく神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。「イエスは、先祖伝来の教えに背くことを教えて、神を冒涜している。そのイエスに従うクリスチャンたちは、神に逆らい、社会に害を及ぼす存在だ。だから、彼らを完全に滅ぼすことが神のみこころだ」と思い込んでいたのです。
 初代教会の最初の殉教者はステパノという人ですが、そのステパノが人々に石を投げつけられて殺されたとき、サウロは、石を投げた人々の上着を預かり、その光景を見ていました。ステパノを殺すことに賛成していたのです。そして、その後もサウロは激しく神の教会を迫害していきました。
 ところが、ダマスコの町にいるクリスチャンたちを迫害するためにダマスコに行く途中、サウロは、突然、強い光に照らされ、地に倒れてしまったのです。その時のことは、使徒の働き9章や、21章、26章に詳しく書かれています。
 地に倒れたサウロは、「サウロ、サウロ。なぜ私を迫害するのか」という声を聞きました。「主よ。あなたはどなたですか」と尋ねると、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」という答えがあったのです。それは、彼を叱責する口調ではありませんでした。さんざん酷いことをしてきた彼を、無条件に赦そうとする愛に満ちた口調であったに違いありません。そのイエス様のみ声に触れたとき、彼はどれほどの衝撃を受けたことでしょう。そして、イエス様は、こう言われました。「わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らの所に遣わす。それは彼らの目を開いて、暗闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々にあって、御国を受け継がせるためである。」 イエス様が直接サウロに新しい使命をお与えになったのです。この出来事をきっかけに、サウロの人生は百八十度変わりました。
 しかし、同時に、彼は、激しい後悔や罪責感に苛まれたことでしょう。これまで、クリスチャンたちを激しく迫害してきたのですから。
 人は、今までやって来たことや信じ築いてきたことが否定されたり覆されてしまうと、大きな失望や挫折感を覚えますね。特に、一所懸命に取り組んできたことが違っていたとわかったら、「今まで私がやってきたことはいったい何だったのだろう」となりますね。
 しばらく前に、ある新興宗教を脱会した方のお話しを聞いたことがあります。「今までこれが正しいと信じて一生懸命やってきたことが違ったとわかったとき、自分の中で『そんなはずはない』と打ち消して、打ち消して、しかし、どうしても打ち消すことができない現実をつきつけられ、非常な虚脱感に襲われた」と言っていました。
 サウロも同じような思いを味わったことでしょう。しかし、それは、また、新しい人生のスタートともなったのです。
 サウロは、ダマスコのアナニヤというクリスチャンの助けと励ましによって洗礼を受け、ダマスコの町でしばらくクリスチャン仲間と共に滞在していました。

2 アラビヤへ

 その後、彼はどうしたでしょうか。16節、17節にこう書かれていますね。「私はすぐに、人には相談せず、先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行き、またダマスコに戻りました。」
彼は、ダマスコでの劇的な回心の後、まず一人でアラビアに出て行ったのです。この「アラビヤ」というのがどこの地域を指すのか定かではありません。また彼がどれくらいの期間アラビヤに滞在したのかもわかりません。このアラビヤでの生活の内容は聖書に何も記されていないのです。
 彼は、なぜアラビヤに言ったのでしょうか。おそらく、これから新しい出発をするために、まず、神様と自分の一対一の関係の中でじっくりと心を整理して、自分に起こったことを振り返り、検討する必要があったのでしょう。今までの人生に対する葛藤や後悔もあったでしょう。主の福音を伝えることが本当に自分に許されているのだろうかと、自分に与えられた使命についてもゆっくり考える時が必要だったでしょう。これからの新しい人生のための充電期間だったのではないでしょうか。
 皆さん、「考える」ことは大切なことです。時々、「クリスチャンになると考えなくなる」とか、「信仰というのは何も考えないことだ」と思っている方がいますが、それは違います。 聖書の中には、「考えなさい」という言葉がたびたび出てきます。たとえば、ヘブル3章1節には、「イエス・キリストのことを考えなさい」とあります。また、第二コリント10章7節には、こう書かれています。「あなたがたは、うわべのことだけを見ています。もし自分はキリストに属する者だと確信している人がいるなら、その人は、自分がキリストに属しているように、私たちもまたキリストに属しているということを、もう一度、自分でよく考えなさい。」信仰生活の中で、思考を十分に働かせるのは大切なことなのです。
 アラビヤでのこの期間は、パウロ個人の内的確信のために必要なひとときであったように思います。その間に、彼は少なくとも二つのことをしたはずです。

①「書き記された」聖書を開いた

 彼は、以前から旧約聖書に精通していました。しかし、イエス・キリストの光に照らされて初めて、聖書が教えている真理を正しく理解することが出来るようになったのです。彼は、旧約聖書に示されている救い主がイエス・キリストだと知って、改めて聖書を読み返し、聖書の教えを整理していきながら、ますます、イエスがまことの救い主であることを確信していったことでしょう。

②「語られた」ことについて考えた
 
 第二に、彼は、自分に直接語りかけられたイエス様の言葉を繰り返し考えたことでしょう。また、ダマスコでアナニヤやクリスチャン仲間から語られたことについても考えたでしょう。クリスチャンたちは、イエス・キリストの語られた言葉、なさった奇跡や恵みのわざ、そして、十字架や復活についてたくさんのことを証言したことでしょう。そして、イエス・キリストが今も生きておられること、また、信じる人々に聖霊が注がれたこともパウロに語ったことでしょう。パウロは、それら一つ一つの言葉を整理し、自らの確信へとつなげていくために、じっくりと考える時が必要だったのです。

 こうして、アラビヤでの経験は、これからの生涯のための大切な準備期間となりました。「書き記され」「語られ」た言葉を吟味しつつ自ら経験したことを振り返ることによって、彼は、大きな確信を持つに至ったはずです。彼は、イエス様に出会って、すぐに張り切って世界中に宣教を始めたわけではありませんでした。まず考えたのです。退いてじっくりと自分と向き合い、自分に起こった一つ一つのことを整理し、神様の恵みをしっかりと確信することになったのです。
 聖書を読むと、大きな働きをした人物には、このような準備期間があったことがわかります。それは陰に隠れているような時期で、一見すると無駄な時間に見えるかもしれませんが、実は、その人にとってとても重要な時だったのです。
 たとえば、あの有名なモーセはどうでしょう。出エジプトを成し遂げるのは八十歳になってからです。それまでいったい何をしていたかというと、最初の四十年間は宮廷で過ごしましたが、その後の四十年はなんと荒野で羊飼いとして生活していたのです。この後半の四十年はなんとも無駄な時間に感じられるでありませんか。しかし、その四十年の荒野での生活があったからこそ、エジプトから脱出したイスラエルの民を導いて過酷な荒野の旅をすることができたのです。
 皆さんは、いかがですか。私たちにも「書き記された」言葉である聖書と、「語られる」言葉である説教やクリスチャンたちの証しがあります。クリスチャンとして様々な経験をしていく中で、これらの言葉を吟味し、自からを見つめ、祈りの中で神様と対話しつつ、じっくりと考える時を持つことは大切なのです。

3 ダマスコに戻る

さて、アラビヤに行ったパウロは、ダマスコに戻ってきました。今度は、迫害のためではなく、イエス様が救い主であるという確信を分かち合うためでした。そこには、自分が回心したあと世話をしてくれたクリスチャン仲間がいたのです。
 パウロはアラビアに行ったきりで一匹狼の信仰生活を送ったのではありませんでした。仲間のクリスチャンたちのもとに戻ったのです。迫害者であったパウロが本来の信仰に立ち帰ることのできた場所はダマスコでした。信仰の故郷とも言える場所ですね。そこは、パウロの心を平安にし落ち着かせる場所であったはずです。教会も常にそのような場所でありたいですね。

4 エルサレムへ

パウロは、その後三年間、ダマスコで力強くイエス・キリストを宣べ伝えていましたが、ダマスコのユダヤ人たちがパウロを殺す陰謀を企てていることがわかったので、密かにダマスコを脱出してエルサレムに向かいました。
 しかし、エルサレムほど危険な場所はありません。ユダヤ教の中心であり、クリスチャンたちを迫害する人々の拠点だったからです。特に、パウロは「裏切り者」として憎まれていましたから、捕まって殺されてしまうかも知れません。パウロにとってエルサレムは、自分が行った的外れなは言動を思い起こさせる場でもありました。その場所に戻ることは、普通なら、また後悔や自責の念に苛まれることになるはずですね。ところが、パウロは、エルサレムに出かけていきました。
 そのエルサレムにパウロがあえて行ったのは、教会の代表者たちに会うためでした。18節の「ケパ」というのは、ペテロのことです。ペテロは使徒たちのリーダー的存在です。また、主の兄弟ヤコブというのは、イエス様と同じ母マリヤから生まれ、イエス様の弟として育った人物で、当時のエルサレム教会の代表者でした。パウロは、これからイエス様を伝えるために出発しようとしているわけです。ですから、教会を代表するペテロとヤコブに自分のこれからの福音宣教を了解してもらう必要があると感じたのでしょう。
 パウロがこの二人との会見についてここに書いているのは、ガラテヤの諸教会の人々に「私が語る福音は、ペテロもヤコブも了解済みだ」ということを知ってもらいたかったからでしょう。それとともに、11節に「私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません」とあるように、「私が伝える福音は、ペテロやヤコブから受けたのでなく、イエス様ご自身から受けたのだ」ということもはっきり記しているのです。

5 シリヤとキリキヤへ

 エルサレムに十五日間滞在した後、パウロは、シリヤおよびキリキヤの地方に行きました。キリキヤ地方には、パウロの出身地タルソがありました。彼はここで育ち、学校に行き、多くの学友がいました。自分の故郷へ戻ったわけです。
 「預言者は故郷では受け入れられない」とありますが、昔の自分を知っている人に福音を語るのは難しいものですね。パウロだって例外ではありません。人々は、「あの優秀なパウロがクリスチャンになったって?少しおかしくなったのではないか?」そのように言う人もいたかも知れません。しかし、パウロはタルソに行って自分の生きざまを見せ、そこで福音を分かち合っていったのです。
 そのようなパウロの姿は、ユダヤ地方のクリスチャンたちにはどう映っていたでしょうか。22ー24節にこう書かれています。「しかし、キリストにあるユダヤの諸教会には顔を知られていませんでした。けれども、『以前私たちを迫害した者が、そのとき滅ぼそうとした信仰を今は宣べ伝えている』と聞いてだけはいたので、彼らは私のことで神をあがめていました。」
 パウロは、シリヤのダマスコでキリストを信じ、ユダヤのエルサレムには十五日間滞在しただけで、すぐにシリヤ、キリキヤ地方へ行ってしまいましたから、ユダヤの諸教会には、クリスチャンになったパウロと実際に会った人はほとんどいませんでした。しかし、皆、パウロのことを聞いて、神様をあがめていたのです。
 私たちも、それと同じように、直接知っている人か知らない人かに関係なく、お互いがイエス様によって生かされていることのゆえに神様をあがめていきたいですね。

そして、今日、皆さんにぜひ知っていただきことがあります。
 15節で、パウロは神様について「生まれたときから私を選び分け、恵みをもって召してくださった方」と言っていますね。パウロは自分の人生を振り返って、「私はキリストを迫害するような人生を送っていたけれども、今の私があるのは、神様が私を生まれたときから選び分け、恵みをもって召してくださったからにほかならない」と強く感じていたのです。これは、ここにいる一人一人が持つべき確信です。
 私たちは、どんな人生を送って来たとしても、今、キリストにあって生かされているなら、それは百%神様の恵みによって召し出された結果なのです。私たちの主は過去を一切問いません。それどころか、恵みによって、すべてのことを働かせて益としてくださるのです。ですから、私たちは安心して前に向かって歩むことができるのです。
 私たちを恵みをもって召してくださり、神様との親しい交わりと赦しと永遠のいのちの中に生かしてくださる主に人生を委ねつつ、今週も歩んで生きましょう。