城山キリスト教会 礼拝説教
二〇二三年三月二六日 関根弘興牧師
第二サムエル一五章一節〜一二節
サムエル記連続説教16
「どうするダビデ」
1 その後、アブシャロムは自分のために戦車と馬、それに自分の前を走る者五十人を手に入れた。2 アブシャロムはいつも、朝早く、門に通じる道のそばに立っていた。さばきのために王のところに来て訴えようとする者があると、アブシャロムは、そのひとりひとりを呼んで言っていた。「あなたはどこの町の者か。」その人が、「このしもべはイスラエルのこれこれの部族の者です」と答えると、3 アブシャロムは彼に、「ご覧。あなたの訴えはよいし、正しい。だが、王の側にはあなたのことを聞いてくれる者はいない」と言い、4 さらにアブシャロムは、「ああ、だれかが私をこの国のさばきつかさに立ててくれたら、訴えや申し立てのある人がみな、私のところに来て、私がその訴えを正しくさばくのだが」と言っていた。5 人が彼に近づいて、あいさつしようとすると、彼は手を差し伸べて、その人を抱き、口づけをした。6 アブシャロムは、さばきのために王のところに来るすべてのイスラエル人にこのようにした。こうしてアブシャロムはイスラエル人の心を盗んだ。7 それから四年たって、アブシャロムは王に言った。「私が主に立てた誓願を果たすために、どうか私をヘブロンへ行かせてください。8 このしもべは、アラムのゲシュルにいたときに、『もし主が、私をほんとうにエルサレムに連れ帰ってくださるなら、私は主に仕えます』と言って誓願を立てたのです。」9 王が、「元気で行って来なさい」と言ったので、彼は立って、ヘブロンへ行った。10 そのとき、アブシャロムはイスラエルの全部族に、ひそかに使いを送って言った。「角笛の鳴るのを聞いたら、『アブシャロムがヘブロンで王になった』と言いなさい。」11 アブシャロムは二百人の人々を連れてエルサレムを出て行った。その人たちはただ単に、招かれて行った者たちで、何も知らなかった。12 アブシャロムは、いけにえをささげている間に、人をやって、ダビデの議官をしているギロ人アヒトフェルを、彼の町ギロから呼び寄せた。この謀反は根強く、アブシャロムにくみする民が多くなった。(新改訳聖書第三版)
前回は、ダビデが生涯の中で最も愚かで残忍な過ちを犯してしまった出来事を読みました。ダビデは、優秀な部下のウリヤの妻バテ・シェバの美しさに目を奪われ、自分のもとに呼び寄せ、子供を身ごもらせてしまいました。そして、その罪を隠すために、夫のウリヤを最も危険な前線に送るように仕向けました。その結果、ウリヤは戦死し、ダビデは未亡人になったバテシェバを自分の妻にしました。ダビデの隠蔽工作は上手くいったかのように見えました。しかし、神様がこんなことをお赦しになるはずがありません。11章27節には「ダビデの行ったことは主のみこころをそこなった」と書かれています。神様に遣わされた預言者ナタンは、ダビデの罪を鋭き指摘しました。すると、ダビデは、言い訳や弁解をいっさいせずに、「私は罪を犯した」と自分の罪を認めたのです。そのダビデに対してナタンは言いました。「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。」神様は自分の罪を認めて悔い改める者を必ず赦してくださいます。その赦しは、ダビデの生涯に大きな支えとなりました。しかし、前回お話ししましたように、神様に赦されても、自分が行ったことの結果は受け取らなければなりません。この後、ダビデの家族の中に様々な争いや混乱が起こっていくことになったのです。
さて、ダビデには多くの妻がいました。聖書に名前が記されているのは八人ですが、他にも妻やそばめたちがいて、子供もたくさんいたわけですね。全員を紹介したら、それだけで説教が終わってしまうでしょうから、ごく一部だけ紹介しましょう。
最初の妻は、サウルの娘ミカルですが、ミカルには子供がいませんでした。次の妻アヒノアムは、ダビデ家の長男アムノンを産みました。そして、以前の説教で出て来ましたが、ダビデの逃亡生活中に出会った愚かな金持ちナバルの妻で才色兼備のアビガイルが夫の死後にダビデの妻となり、次男ダニエルを産みました。ただ、この子は若くして死んでしまったようです。それから、マアカという妻が三男アブシャロムを産み、ハギテという妻が四男アドニヤを生み、また、ウリヤの妻だったバテ・シェバがソロモンを産みました。この息子たちがこれからのダビデ家の出来事の中心人物となっていくのですが、今日は、長男アムノンと三男アブシャロムについて見ていきましょう。
1 長男アムノンの愚行
ダビデ家の長男アムノンは、ダビデの後継者となる存在でした。ところが、深刻な事件を起こしてしまったのです。それが、13章に書かれています。
アムノンの腹違いの兄弟である三男アブシャロムには、タマルという美しい妹がいました。アムノンは、そのタマルに恋心を抱いて悶々としていました。すると、悪賢い友人がこう入れ知恵をしたのです。「王子様、仮病を使いなさい。そして、父君に『妹のタマルを来させて病人食を作らせてください』と頼めばいいのですよ。」アムノンは友人の言う通りにしました。父であるダビデは、アムノンの願いを聞いて、タマルをアムノンの家に行かせました。そして、タマルがアムノンの家に来てパンを作り、食べさせようとすると、アムノンは人払いをしてタマルと二人きりになり、「さあ私と寝ておくれ」と言って、力ずくでタマルを押し倒し、はずかしたのです。それだけでもひどいことですが、事が終わると、アムノンは一転してタマルに対して激しい憎しみを抱き、タマルを外に追い出して戸をしめるよう召使いに命令したのです。アムノンは、タマルに対して責任を取ろうともせず、逆にタマルが自分に言い寄ってきたかのような印象を与えようとしたのです。追い出されたタマルは、「頭に灰をかぶり、着ていたそでつきの長服を裂き、手を頭に置いて、歩きながら声を上げて泣いていた」と書かれています。その後、タマルは兄のアブシャロムの家でひとりわびしく暮らすことになります。
この出来事を知ったダビデはどうしたでしょうか。13章21節に「ダビデ王は、事の一部始終を聞いて激しく怒った」と書かれています。しかし、それだけです。アムノンを厳しく戒めたり罰したりしたとは書かれていません。自分の子供に正しい対応が出来ないダビデの弱さが見受けられますね。もしかしたら、ダビデは自分が以前犯したバテ・シェバとの過ちを思い起こして、息子を厳しく戒めることができなかったのかもしれませんね。
一方、タマルの兄アブシャロムはどうだったでしょうか。事の次第を知ったアブシャロムは、タマルに「妹よ。今は黙っていなさい。私に任せておきなさい」と言い、自分の家に引き取りました。妹をはずかしめたアムノンにすぐに抗議することはしませんでした。アムノンを激しく憎んでいたので、機会を待って復讐しようと密かに心に誓っていたからです。
それから二年が経過し、遂に復讐の機会がやってきました。 アブシャロムは、羊の毛の刈り取りの祝いに王の息子たち全員を招きました。アムノンもやってきました。そこで、アブシャロムは、部下にこう命じたのです。「よく注意して、アムノンが酔って上きげんになったとき、私が『アムノンを打て』と言ったら、彼を殺せ。恐れてはならない。この私が命じるのではないか。強くあれ。力ある者となれ。」(第二サムエル13章28節)こうしてアムノンは祝宴の最中に殺されてしまいました。
アブシャロムは部下にこう言いましたね。「恐れてはならない。この私が命じるのではないか。強くあれ。力ある者となれ」と。この言い回しは、聖書のヨシュア記1章6節、9節に出てきます。神様が、いよいよ約束の地に入っていこうとするイスラエルの民を励ますためにヨシュアにお語りになった言葉です。約束の地を獲得するためにはこれから様々な戦いや困難を経験しなければなりません。しかし、神様は、「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない」と言われたのです。その言葉に励まされて、彼らは約束の地に入ることができました。しかし、今日の箇所に出てくるアブシャロムの言葉の主語は神様でありません。アブシャロム自身です。この箇所には神様の御名が一度も出て来ません。ダビデ家の中では、いつのまにか神様の存在がないがしろにされ、礼拝の姿が失われてしまっていたようです。もしダビデ家の一人一人が神様の前で謙遜に御声に聞き従おうとしていたなら、このような事態は起きなかったことでしょう。
2 三男アブシャロムの謀反
復讐を果たしたアブシャロムは、すぐに逃亡しました。王位後継者のアムノンを暗殺してしまったのですから、エルサレムに戻れば捕らえられ処罰されるでしょう。そこで、母方の祖父であるゲシェルの王タルマイのもとに逃げ込んだのです。ゲシェルはガリラヤ湖東側にある小国です。アブシャロムは、そこに三年間滞在しました。
一方のダビデはどうでしょうか。13章37節に「ダビデは、いつまでもアムノンの死を嘆き悲しんでいた」とあります。また、アブシャロムがゲシェルにいることがわかっても、39節に「ダビデ王はアブシャロムに会いに出ることはやめた。アムノンが死んだので、アムノンのために悔やんでいたからである」と書かれています。次の14章1節には「ツエルヤの子ヨアブは、王がアブシャロムに敵意をいだいているのに気づいた」と書かれています。
ダビデの胸中は複雑だったことでしょう。アブシャロムが大罪を犯したとしても、父親の愛情は簡単に消え去ることはありません。しかし、だからといって、もう一人の愛する息子アムノンを殺したことを赦すこともできません。ダビデは苦しんだはずです。
そのダビデの様子を見て行動を起こしたのが将軍ヨアブでした。ヨアブは、アブシャロムを赦しエルサレムに呼び戻すように王を説得したのです。次の王位継承者としてアブシャロムがふさわしいと思っていたようです。ダビデは、ヨアブの願いを聞き入れ、アブシャロムをエルサレムに呼び戻しました。しかし、アブシャロムに会おうとせず、自分の家に引きこもっているように命じました。アブシャロムが兄を殺したことに対する法的処置だったのかもしれませんし、ダビデの心にまだアブシャロムを赦せない思いがあったのかもしれません。
その状態が二年間も続いたので、アブシャロムはヨアブに強く訴えました。「今の状態より、ゲシュルにとどまっていたほうがましだった。私は王に会いたい。もし私に咎があるなら、王に殺されてもかまわない」と。そこで、ヨアブが王と交渉し、アブシャロムはやっと父ダビデと面会することができたのです。アブシャロムはダビデの前でひれ伏し、ダビデは彼に口づけしました。その光景を見た人々は、ダビデ王とアブシャロムが和解したと思ったことでしょう。
長男アムノンが死に、次男も早く死んでしまったので、次の王位継承権は三男のアブシャロムにあると考えるのは当然のように思われました。第二サムエル14章25節−26節には、こう書かれています。「さて、イスラエルのどこにも、アブシャロムほど、その美しさをほめはやされた者はいなかった。足の裏から頭の頂まで彼には非の打ちどころがなかった。彼が頭を刈るとき、──毎年、年の終わりには、それが重いので刈っていた──その髪の毛を量ると、王のはかりで二百シェケル(二六〇〇グラム)もあった。」かなり誇張された表現ですが、とにかくアブシャロムのルックスは素晴らしかったわけです。人々に魅力的に映ったことでしょう。しかも、彼は民の心を掴むことに長けていました。いつも朝早く、門に通じる道のそばに立ち、王のところに来て、王にさばきを求める人が通りかかると、「あなたの訴えは正しいけれど、王の側にはあなたのことを聞いてくれる者はいませんよ。もしだれかが私をこの国のリーダーにしてくれたら私が正しいさばきをすることができるのだが」と語りかけました。また、人が彼に近づいて挨拶しようとすると、手を差し伸べて、その人を抱き、口づけをしました。15章6節には「こうしてアブシャロムはイスラエル人の心を盗んだ」と書かれています。また、それと並行して、彼は自分のために戦車や馬や兵士を準備を進めました。しかし、彼の心の中に神様を敬いあがめる思いは備わっていませんでした。神様でなく、自分の力で王位を奪おうとしていたのです。
そして、四年経ったときでした。アブシャロムは、父ダビデが最初に王として即位したヘブロンに行き、人々を扇動し、またイスラエルの全部族にも根回しをし、「アブシャロムがヘブロンで王になった」と宣言させたのです。イスラエル人の多くがアブシャロムを支持しました。
3 どうするダビデ
その知らせは、すぐにエルサレムのダビデのもとに届きました。この謀反は根強く、アブシャロムはまもなくエルサレムを攻めてくるでしょう。ダビデは自分が形勢不利であると悟りました。これからどう行動したらよいか、すぐに決断しなければなりません。人生最大の危機です。まさに「どうするダビデ」という事態です。ダビデは、家来や家族とともに急いでエルサレムを脱出することにしました。エルサレムを親子の戦いの場にすることは避けたかったのです。忠実な家来たちがダビデに従いました。ダビデたちは、エルサレムの東のキデロン川を渡り、泣きながらオリーブ山を越えていきました。
このダビデの逃避行の中で、様々な人物が登場します。ダビデに変わらぬ誠意を示して助けようとする者もいれば、この時とばかりダビデを責め立てる者もいました。窮地に陥ったときにこそ人々の真実な姿が見えるものですね。
祭司ツァドクとエブヤタルはすべてのレビ人と一緒に神の箱を担いでダビデに同行しようとしました。しかし、ダビデは言いました。「神の箱を町に戻しなさい。もし、私が主の恵みをいただくことができれば、主は、私を連れ戻し、神の箱とその住まいとを見せてくださろう。もし主が、『あなたはわたしの心にかなわない』と言われるなら、どうか、この私に主が良いと思われることをしてくださるように。」(15章25節)
「この状況は主から与えられたものだから、これからのことをすべて主のみこころにゆだねます」という告白をダビデはしたのです。そして、ダビデは、この二人の祭司に「エルサレムにとどまって、あなたの息子たちを伝令として私に情報を送ってほしい」と頼みました。
また、王の友(相談役)であるフシャイが嘆き悲しみながらやって来ると、「あなたは、エルサレムでアブシャロムに仕えるふりをして敵の計画を攪乱し、また、敵の動向を祭司たちに伝えてほしい」と頼んだのです。
バフリムという場所に来ると、サウルの一族のシムイがダビデたちに石を投げつけ、「これはサウル家の血の報いだ。こんどはお前が災いに会うのだ」とののしり続けました。部下のアビシャイが「シムイの首をはねさせてください」というと、ダビデは答えました。「これは私の問題だ。彼がのろうのは、主が彼に、『ダビデをのろえ』と言われたからだ。・・・私の子さえ、私のいのちをねらっている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから。たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう。」
この時の心境を、ダビデは詩篇3編にこう書き綴っています。「主よ。なんと私の敵がふえてきたことでしょう。私に立ち向かう者が多くいます。多くの者が私のたましいのことを言っています。『彼に神の救いはない』と。しかし、主よ。あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、そして私のかしらを高く上げてくださる方です。私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答えてくださる。私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるから。私を取り囲んでいる幾万の民をも私は恐れない。主よ。立ち上がってください。私の神。私をお救いください。あなたは私のすべての敵の頬を打ち、悪者の歯を打ち砕いてくださいます。救いは主にあります。あなたの祝福があなたの民の上にありますように。」ダビデにとって、息子に追われエルサレムを離れるのは辛い経験でした。「彼に神の救いはない」という中傷も受けました。しかし、ダビデはその困難を通して、「主は、心から呼ばわる者に答え、どんな窮地の中でも支えてくださる方」であることを経験していったのです。
さて、ダビデたちは、エルサレムにいるフシャイと祭司たちからの情報を得て、急いでヨルダン川を渡り、マハナイムに移動しました。そして、そこで陣営を立て直してアブシャロム軍との戦いに臨んだのです。戦場は、エフライムの森でした。ダビデは、「私に免じて、アブシャロムをゆるやかに扱ってくれ」と頼んで、部下たちを送り出しました。
戦いはダビデ軍の勝利で終わりました。アブシャロムは、乗っていたラバが大きな木の枝の下を通ったとき、頭が木に引っ掛かり、宙づり状態で動けなくなってしまいました。そのアブシャロムをダビデの将軍ヨアブが槍で突き刺して殺してしまったのです。
勝利はしましたが、アブシャロムの死を知ったダビデは、「わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに」と激しく嘆き悲しみました。
しかし、いつまでも嘆き悲しんでいるわけにはいきません。王として味方の兵士たちをねぎらい、分裂した国内を再び一つにまとめなければなりません。ダビデはエルサレムに帰り、アブシャロムに味方していた人々との関係を修復し、なおもダビデに敵対しようとするグループのリーダーを討伐しました。そして、再び王権を確かなものにしていったのです。
さて、第二サムエル記のアブシャロムの謀反に関連する記事は20章で終わり、最後の21章ー24章には、ダビデの治世の下で起きたいくつかの出来事やダビデの歌、また、ダビデの部下たちについての記録が補足的に綴られています。
振り返ってみますと、第一サムエル記には、預言者サムエルの誕生から、最初の王サウルが戦死するまでの出来事、第二サムエル記にはダビデが王位に就いてからの出来事が書かれていましたね。
ダビデは、多くの敵に勝利し、イスラエルを統一した王ですが、王になる前はサウル王に命を狙われて長い逃亡生活を余儀なくされ、王になってからも様々な苦難を味わいました。自分自身が愚かな失敗をしましたし、家族の中に深刻な問題も起こりました。涙することの多い人生でした。特に息子の反乱によってエルサレムを脱出したときには、「ダビデはオリーブ山の坂を登った。彼は泣きながら登り、その頭をおおい、はだしで登った。彼といっしょにいた民もみな、頭をおおい、泣きながら登った」(15章30節)と書かれています。一国の王が恥も外聞もなく泣いたのです。しかし、様々な苦しみや悲しみの涙を流すたびに、ダビデは自分の愚かさに気づき、謙遜を教えられ、救いは主にあるということを身をもって知っていったのです。
ダビデは詩篇30篇5節でこう歌っています。「まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」
第二コリント7章10節には、「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします」とあります。ダビデは、ただ悲しんだだけではありませんでした。神様に立ち返り、神様のみこころに添って悲しみ、悔い改めることをしたのです。だからこそ、「朝明けには喜びの叫びがある」と歌うことができたのですね。
私たちもたくさんの涙を流します。しかし、朝明けに喜びの叫びがあることを覚え、救いは主にある、と告白しながら、歩んでいきましょう。
さて、次回からは、列王記に入る予定です。ダビデの次の王となるソロモンの記事を読んでいくことにしましょう。