城山キリスト教会 礼拝説教    
2017年8月20日            関根弘興牧師
                     ヘブル11章7節
 ヘブル人への手紙連続説教25
    「信仰に生きた人々3」

7 信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。(新改訳聖書)


11章1節に「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」と書かれています。これが11章全体のテーマです。そして、11章2節には、「昔の人々はこの信仰によって称賛されました」と書かれています。昔の人々とは、旧約聖書に登場する人物たちのことです。彼らは、信仰に生き、まだ実際に見てはいなものを確信し、将来に希望をもって生きていきました。その信仰の姿を神様は称賛してくださるのです。
 その信仰者のリストの最初の人物は、アダムの次男アベルでしたね。アベルは兄のカインに殺されてしまいましたが、その生涯は、神様を心からの感謝と賛美を持って礼拝することの幸いを教えてくれています。
 その次のエノクについては、前回学びました。神に喜ばれるとは神と共に歩むことであり、信仰によって与えられる報酬とは死を乗り越えるいのちである、ということを学びましたね。
 今日は、次に登場する人物ノアについて見ていきましょう。
ノアについては、創世記6章から9章に記されています。
 まず、その前の創世記1章から5章にどんなことが書かれていたか思い出してください。1章-2章で神様が天地万物を創造されたとき、すべては非常に良かったのですが、3章で最初の人アダムとエバが神様の言葉に聞き従わず自分勝手な道を選んだために、罪と死の支配を受けるようになってしまいました。4章ではアダムの長男カインが弟のアベルを殺すという最初の殺人事件が起きましたね。そして、5章ではアダムの三男セツの子孫の系図が記されているのですが、その中で信仰に生きたエノク以外はすべて、「彼は死んだ」「彼は死んだ」と繰り返し書かれています。人は、神様から離れてしまった結果、どんなに長生きをしたとしても、その生涯の結末は死しかないのだ、ということを表しているのですね。
 しかし、神様は、そんな状態にある人に対して希望を与えてくださいます。5章の系図の最後にノアと三人の息子の名前が登場しますが、この家族が大洪水による滅びから救われたという出来事が次の6章から9章に記されているのです。ノアの姿を通して、神様は私たちに救いの御計画を示してくださっているのですね。では、ノアについて詳しく見ていきましょう。

1 人の悪の増大

 ノアの時代は、どのような状態だったでしょうか。
 創世記6章5節に、こう記されています。「主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。」また、6章11節には、「地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた」と記されています。神様が愛をもってお造りになった非常に良い世界が、人の罪のために暴虐で満ちてしまったというのです。
 神様は、そんな人々の姿をご覧になって、心を痛められました。なぜなら、このまま悪と暴虐が続くなら、結果的に、人は自らを滅ぼしてしまうことになるからです。人は、自ら神様に逆らう道を選んだ結果、罪の力に支配され、自らの滅びを招くことになってしまっていたのです。
 神様は、そんな人々に対して、6章3節で「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう」と仰せられました。これは、どういう意味でしょうか。
 一つは、文字通り寿命が百二十年になる、という意味だと解釈できます。先週、お話ししましたが、創世記5章の系図に載っている人々は、今では考えられないほどの長寿でしたね。ほとんどが七百年から九百年以上生きていたのです。しかし、ノアの時代以降、人の寿命は次第に短くなっていきました。確かに、今、私たちがどんなに長生きしたとしても百二十歳ぐらいが限度でしょうね。
 しかし、ここで言われている「人の齢を百二十年にする」というのには、もう一つの意味に解釈することもできるのです。それは「自らが滅びを引き寄せているような生き方をやめて、神様に向きを変えて生きていきなさい。そのための猶予期間として百二十年を定める」という意味です。つまり、人は、自らの行動の責任を問われ、どう生きていくかを定められた時の中で選択しなければならない、というわけです。神様は完全に正しく聖なる方ですから、悪や罪を裁かなければなりません。しかし、すぐに裁きを実行なさるのではなく、人が神様のもとに立ち返るのを待っていてくださるのです。

2 箱舟建造

さて、そんな時代にノアが登場しました。ノアについては、「ノアは、主の心にかなっていた」、また、エノクと同じように「ノアは神とともに歩んだ」と書かれています。彼は、混乱と暴虐に満ちた時代にあって、神様により頼まなければ生きていけないと感じていたのでしょう。また、神様を無視して暴虐の中に生きている人々の姿を見て、滅びに向かいつつある危険性をひしひしと感じていたのでしょう。
 神様は、そんなノアに重大な命令をお与えになりました。「地は、暴虐で満ちているから、わたしは今、いのちの息あるすべての肉なるものを滅ぼすために大洪水を起こそうとしている。地上のすべてのものは死に絶えなければならない。しかし、あなたはゴフェルの木の箱舟を造って家族とともに乗り込み、生き残るようにしなさい。」
 すぐには信じられないような言葉ですね。しかし、聖書には「ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った」と書かれています。
 でも、ノアは、舟を造る専門技術など持っていなかったでしょう。そんなノアに、神様は、箱舟の材料、構造や寸法、防水加工などについて細かく指示してくださいました。
 材料となるゴフェルの木は、どういう木なのかよくわかりませんが、船の材料となるのですから、相当硬かったはずです。切り出すのも加工するのも相当苦労したでしょう。
 箱舟の寸法は、メートルに換算すると、長さ約百四十メートル、幅約二十三メートル、高さ約十四メートルです。この長さ、幅、高さの比率は、荷物をたくさん積むことを目的としている船としては、理想的なバランスだそうです。まるでタンカーみたいな舟ですね。それに、前に進むのが目的ではなく、安定して浮いていることが目的ですから、形は普通の舟のような舳先(へさき)がとがった形ではなく、長方形だったかもしれません。内部は三階構造になっていました。
 こんな大きな箱舟を造らなければならないのですから、一人ではとても無理ですね。家族の協力が不可欠でした。家族総出で造っていくわけですが、今のような便利な道具も機械もありませんから、一年や二年ではできません。先ほどの百二十年というのは、箱舟を造り始めてから完成するまでの期間だったのではないかと考える学者もいます。とにかく何十年という歳月が必要だったことでしょう。
 考えてみてください。あなたがノアの奥さん、または息子やその嫁だったら、どう思いますか。最初に聞いたときは、こう思ったでしょうね。「一体何て突飛なことを言い出すんだ。気が変になったのではないだろうか」「すべての生き物が滅びる大洪水が起こるなんて、信じられない」「神様の命令だっていうけど、勝手に思い込んでるだけじゃないのか」と。
 しかし、家族の同意と協力なしに、箱舟を造ることは不可能でした。ですから、ノアは、熱心に家族に神様の約束の言葉を伝え、神様を信頼して生きることの大切さを分かち合っていったはずです。実際に箱舟を造ることも大変な作業ですが、ノアにとっては、家族が同じ思いで行動してくれるように家族を支え導いていくことも、祈りなしにはできなかったことでしょう。
 また、他の人々はどうだったでしょう。彼らから見れば、ノアは完全に変わり者です。「神様は大洪水をもってあなたがたを滅ぼそうとしておられる」というような訳のわからないことを言って巨大な箱舟を造っているわけですから、人々は、あきれ、嘲ったことでしょう。「ノアは、とうとう頭がおかしくなった!」「そんな馬鹿な真似は止めておけ」などど言っては、ノアの心を揺さぶったのではないでしょうか。それでも、ノアは、箱舟を造り続けました。また、あざける人々に向かって、神様の警告を伝え、大洪水で滅ぼされないように備える必要があることを訴え続けたことでしょう。しかし、残念ながら人々は、まったく聞く耳を持とうとしませんでした。
 そして、長い年月が経ち、箱舟が完成しました。

3 大洪水

 箱舟が完成すると神様は、「あなたと家族は箱舟に入りなさい。また、いけにえとしてささげる動物と鳥は七つがいずつ、その他の動物は一つがいずつ舟に乗せなさい」と言われました。動物たちは洪水という極限状態の中で、冬眠のような状態になったのではないか、と考える学者もいますが、とにかく、箱舟の中は、まるで動物園のようだったでしょうね。
 創世記7章16節には、最後にノアたちが乗り込んだ時、「主は、彼のうしろの戸を閉ざされた」と書かれています。これは、大変象徴的な言葉です。戸は、一番浸水しやすい場所ですが、神様がその戸をしっかりと閉ざしてくださったのですね。ノアたちが大洪水から救われるためです。そして、それは同時に、ノアを馬鹿にし、あざ笑っていた人たちの救いの道が閉ざされた、という厳粛な言葉でもあるのです。
 新約聖書の第二コリント6章2節で、パウロは、こう書いています。「神は言われます。『わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。』確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」つまり、神様が救いの道を提供してくださっている間に、神様の招きに答えて救いを得なさい、と勧めているのです。箱舟の戸が閉ざされる前に箱舟に乗れば助かります。しかし、ノアの家族以外の人々は、最後まで箱舟に乗ろうとしなかったのです。
 ノアたちが箱舟に乗り込むと、大雨が四十日四十夜降り続き大洪水が起こりました。山々もすべて水でおおわれてしまいました。そして、すべての人と生き物は死んでしまったのです。
 雨が止んだ後も、水かさは増し続け、百五十日経ってからやっと少しずつ減り始めました。そして、地上がかわききって、ノアたちが箱舟から出るまでには、丸一年もかかったのです。
 長い箱舟生活からやっと解放されたノアたちが、箱舟を出て最初に行ったことは、祭壇を築いて礼拝することでした。神様に全焼のいけにえをささげたのです。全焼のいけにえは、すべてを焼き尽くして煙にします。煙は上に上っていきますね。これは、「すべてを神様にささげます」という献身の思いと「すべてをあなたに委ねて生きていきます」という信仰を表明するものでした。

4 ノアの信仰

 さて、このノアについて、へブル人への手紙の今日の箇所には、こう記されています。「信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。」

①まだ見ていないことを信じた

 信仰とは、とても単純なものです。「神様がそう言われるのだから信じる」というものだからです。へブル11章1節に「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」とありますが、ノアは、まだ見ていない事がら、つまり、大洪水が起こってすべてのものが滅びるということについて神様から警告を受けたとき、それを信じて行動したのです。最初は、迷いも疑いもあったと思います。しかし、まわりの状況を通して、ノアは次第に確信を強めていったことでしょう。また、神様がノアに箱舟を造る知恵と力を授け、励まし続けてくださったことでしょう。ピリピ2章13節に「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです」とあります。神様がノアに箱舟を造ろうという志を与えてくださり、それを成し遂げることができるように助けてくださったのです。
 神様が私たちに語りかけてくださる方法は様々です。時には、直接神様の声を聞いたと思える時もあるかもしれません。しかし、それだけでなく、神様は聖書を通し、周りの状況や人との関わりを通し、様々な方法で語りかけてくださり、私たちに志を与えてくださいます。そして、その志を成し遂げるために必要な知恵や力や平安や喜びや意欲をも与えてくださるのです。

②身近な人の救いのために箱舟を造った

 それから、ノアは「その家族の救いのために箱舟を造り」と書かれていますね。ノアが箱舟を造ったのは、愛する家族の救いのためだというのです。最も身近な人々の救いのために箱舟を造ったのです。ノアは、全世界の人々を救おうなどという気負いはありませんでした。ただ、最も身近な人たちの最善を願い、救いを願い、箱舟を造り始めたのです。最初は、家族もなかなか理解してくれなかったかもしれません。箱舟を造るというのは、あまりにも荒唐無稽なことですから。しかし、ノアは、それでもなお神様を信頼し続けていきました。そして、それは家族の救いに繋がっていったのです。
新約聖書の使徒の働き16章31節には「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」とありますね。これは、「イエス・キリストを信じたら、自動的に家族が救われる」という約束ではありません。しかし、ノアが神様を信頼して生きていったとき、それが家族の救いにつながっていったように、私たちも恵みあふれる神様を信頼し生きていくときに、それが最も身近な人々の救いに繋がっていくことを信じていきましょう。

③箱舟によって世の罪を定めた

それから、ノアは、「その箱舟によって、世の罪を定め」とありますね。この箇所は、「その箱舟によって、全世界を間違っているとした」とも訳せます。
 ノアは、神様の言葉を信頼して箱舟を造り、箱舟によって救われました。しかし、世の人々は、その箱舟をあざけり、箱舟に乗ろうとしなかったために滅びました。箱舟に対する態度が救いに至るか、滅びに至るかの分かれ道になったのです。ノアが「その箱舟によって、世の罪を定め」たというのは、ノアが信仰によって箱舟を造ったのは正しい選択だったこと、そして、それを否定した世の人々が誤っていたことを示しているのです。
 もう一度思い出してください。このへブル人への手紙の読者は、様々な困難や危機に直面している人たちでしたね。ノアと同じように暴虐のただ中にいたのです。自らをノアと重ねる人もいたかもしれません。その彼らは、ノアの生涯を見ることによって、どんなに状況にいても信仰に生きることは決して間違っていない、それどころか、救いにつながることなのだ、ということを思わされことでしょう。ノアの生涯は、信仰によって歩み続けることの確かさを語っているのです。

④信仰による義を相続する者となった

そして、ノアは「信仰による義を相続する者となりました」と書かれていますね。ノアだけでなく、この11章に登場する旧約聖書の人物たちは皆、信仰による義を相続する者たちとして描かれています。
 「義」とは、神様の御前で罪のない者と認められ、神様と何の隔てもなくまっすぐな親しい関係を持って生きる状態を表すことばです。そして、義を「相続する」とありますが、それは、私たちが自分の努力で義を獲得するのではなくて、神様が私たちに相続財産として義を与えてくださるということなのです。神様を信頼する人々は、神様からの相続財産を受け取る権利を与えられています。ですから、私たちは、それをただ喜んで受け取るだけでいいのです。感謝して喜んで受け取ろうとすること、それが信仰です。神様が義を相続財産として与えてくださることを信じて、感謝して受け取るだけでいいのです。
 新約聖書の時代になると、イエス・キリストが私たちのもとに来てくださり、十字架と復活によって私たちに罪の赦しと永遠のいのちを与えてくださいました。ですから、イエス様を救い主として信るなら、私たちは神様の義を相続する者となることができます。そのことは聖書にはっきりと書いてありますね。
 しかし、それでは、イエス・キリストが来られる前の旧約聖書の時代の人々は、どうなのでしょうか。まことの救い主イエス様のことを知りませんから、イエス様を信じることはできませんね。でも、旧約聖書の人々も、信仰による義を相続する者となることができたのです。
 では、彼らは何を信じたのでしょうか。彼らは、神様が最善を行ってくださること、そして、神様に信頼する者たちに救いを与えてくださることを単純に信じたのです。彼らは、将来、御子イエスがまことの救い主として来られ、救いを完成させてくださることを知りませんでした。これから神様がどのような御計画を立てておられるのかもほとんど知りませんでした。しかし、今はよくわからないことも含めて、神様を全面的に信じて委ねて生きていったのです。そして、その信仰によって義を相続する者となることができました。
 これは、私たちに素晴らしいことを教えています。「聖書をすべて理解できなければ信仰を持つことができない」とか「神様についてすべて知らなければ信じることができない」と考える方がいますが、そうではありません。旧約聖書の人たちは、まだよくわからないことがたくさんあったけれど、神様を信頼し、その信仰によって義を相続しました。それと同じで、私たちには神様についてまだ知り得ないこともあるし、まだ見ていないこともたくさんあるけれど、それも含めて神様を信頼します、ということによって義を相続することができるのです。
 もちろん、まったくわからないのに闇雲に信じることはできませんね。ですから、聖書を読んだり、礼拝で説教を聞いたり、クリスチャンたちの体験を聞いたりしながら、神様がどのような方であることを知っていくことは大切です。でも、神様についてまだ理解できないことがたくさんあったとしても、神様を信頼し、神様とともに歩み始めることはできます。そして、神様とともに歩んでいくにつれて、神様のことを深く知っていくことができるようになるのです。ですから、もし、今、よくわからないことがあったとしても、心配しないでください。
 もう天に帰りましたが、あるご高齢の方がクリスチャンになりました。その方は、それまで聖書を読んだこともなく、イエス様がどのような方かもほとんど知りませんでした。ただ、イエス様が救い主だと聞いて、単純に信じ受け入れたのです。高齢で聖書を読むことがほとんどできませんでしたが、毎日「主の祈り」を祈っておられました。もしこの方に「主の祈り」の意味を教えてくださいと尋ねたら、「よくわからん」と言われたでしょう。でも、この方は神様を信じて生きたのです。この方も信仰による義の相続者、つまり、神様とともに救いの恵みの中に永遠に生きる者となったのです。
 信仰は単純でシンプルです。私たちも聖書を通して神様が語りかける声を聞きながら、「主よ、信じます」と告白しながら、信仰によって生きる者とさせていただきましょう。