城山キリスト教会 礼拝説教    
2017年9月17日            関根弘興牧師
                ヘブル11章23節ー27節
 ヘブル人への手紙連続説教29
    「信仰に生きた人々7」

23 信仰によって、モーセは生まれてから、両親によって三か月の間隠されていました。彼らはその子の美しいのを見たからです。彼らは王の命令をも恐れませんでした。24 信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、25 はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。26 彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。27 信仰によって、彼は、王の怒りを恐れないで、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見るようにして、忍び通したからです。(新改訳聖書)


 しばらくの間、ヘブル人への手紙11章を続けて学んでいますが、毎回お話ししていますように、この章の大見出しのような言葉が1節に書かれています。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」
 そして、このような信仰を持って歩んだ人々が、旧約聖書の中から順番に紹介されているのです。前回は、アブラハムの息子イサク、イサクの息子ヤコブ、そして、ヤコブの息子ヨセフについて見ていきました。彼らは、死を間近に迎えたとき、残される子孫たちの未来について祝福を与えました。また、まだ目にすることはできないけれど、将来、神様が必ず約束を成就してくださると信じつつ生涯を閉じていったのです。
 先週、私の叔母の葬儀がありました。葬儀の中で、叔母が家族に宛てた手紙が読まれました。その手紙は、「『人の生きた道に聖書の神は必ず辻褄を合わせてくださる』とは、ある牧師の言葉です」という文で始まり、二人の息子へ親としての至らなさをわびつつ元気に育ってくれたことを感謝し、お嫁さんたちへは同居してくれたこと、また、共働きで苦労しながらもとても優しくしてくれたことを感謝し、孫たちには、その存在の愛おしさや、おばあちゃんとしての喜びが、丁寧な優しい言葉で綴られていました。そして、「最近、実感として、辻褄が合わせられたなぁと思います」と書かれていました。手紙の最後には、四十年以上前に亡くなったご主人に触れ、「惇さんが手を広げて待っていてくれるような気がします」と綴られていました。その手紙には、残された者への感謝と祝福の祈り、天を見つめる思いが溢れていました。信仰に生きる人の幸いを見る思いがしました。
 さて、前回お話ししましたように、ヤコブには十二人の息子がいましたが、特に十一番目の息子ヨセフを溺愛していました。そのため兄たちはヨセフを妬み、ヨセフを捕まえて奴隷として売ってしまい、父親にはヨセフは死んだと嘘を言ったのです。それは、ヨセフが十七歳の時です。ヨセフは、エジプトに連れて行かれ奴隷として生活していましたが、無実の罪で監獄に入れられてしまいます。しかし、あるとき、エジプト王の見た夢を解き明かし、エジプトを大飢饉から救ったので、ヨセフは、王に次ぐ高い地位を与えられエジプト全土を管理するようになりました。波瀾万丈の生涯ですね。そして、飢饉にあえぐ父ヤコブとその一族約七十人をエジプトに呼び寄せ、土地を与え、不自由なく生活することができるようにしたのです。
 さて、エジプトにいる間にヤコブの子孫であるイスラエルの民は、おびただしく増えていきました。しかし、やがて、ヨセフの功績を知らない王が即位しました。その王は、イスラエルの民の数が多いことに脅威を感じ、彼らを奴隷として過酷な労働を課すようになりました。しかし、どんなに苦しめてもイスラエルの民はますます増え広がっていきます。そこで、王は、ヘブル人(イスラエル人の呼び名)の助産婦シフラとプアに恐ろしい命令を出しました。「ヘブル人の女に分娩させるとき、
産み台の上を見て、もしも男の子なら、それを殺さなければならない」という命令です。助産婦たちに「死産のように見せかけて殺せ」と命令したわけですね。しかし、助産婦たちは、神を恐れて、その命令に従いませんでした。そして、王が「なぜ命令に従わないのか」と問い詰めると、「ヘブル人の女は活力があるので、私たちが行く前に産んでしまうのです」と答えたのです。出エジプト記1章20節ー21節には、こう書かれています。「神はこの助産婦たちによくしてくださった。それで、イスラエルの民はふえ、非常に強くなった。助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた。」
 イスラエルの民は、どんどん増えていきます。そこで、王は、ついに公に恐ろしい命令を出しました。「生まれた男の子はみな、ナイルに投げ込まなければならない」という命令です。
 こうした大変厳しい状況の中で、モーセは生まれました。本来ならば、すぐに殺されてしまうはずでした。しかし、周りにいた勇気ある信仰者たちによって、生き延びることができたのです。

1 勇気ある信仰者たち

①助産婦たち

助産婦たちは、信仰により、勇気をもって王の命令を拒みました。生まれてくる男の子を生かすために、命がけで尽くしたのです。モーセが誕生するとき、このような人々がいたことを忘れてはいけませんね。
 私たちは、ともすると、偉大な人物だけに注目しがちです。しかし、その人物の背後に、敬虔な人々の祈りと勇気ある支えがあることを忘れてはいけません。教会の働きも同じです。多くの人々の背後の祈りが教会に注がれているからこそ、こうして存在しているのです。どんな働きも一人の力で成し遂げられるのではありません。それぞれが置かれた場所で忠実に主にあって生かされていくことが、結果として大きな働きにつながっていくのです。

②家族

 また、今日の23節には、モーセの両親の信仰の姿が紹介されています。「信仰によって、モーセは生まれてから、両親によって三ヶ月の間隠されていました。彼らはその子の美しいのを見たからです。彼らは王の命令をも恐れませんでした」とあります。
 モーセの父はアムラム、母はヨケベデといいます。この夫婦は、モーセの誕生後、三カ月の間、家に隠していました。「その子の美しいのを見たからです」とありますが、赤ちゃんは皆、親にとっては可愛いものです。その子の命が危機にあるとしたら、何とかして助けたいと思うでしょう。しかし、三ヶ月を過ぎる頃になると、赤ちゃんの泣き声も大きくなり、隠し続けることが難しくなってきました。そこで、彼らは、防水加工を施した篭に赤ちゃんを入れて、ナイル川の葦の茂みの中に置いたのです。モーセの姉のミリアムは、自分の弟がこの先どうなってしまうだろうと、遠く離れて見ていました。すると、どうでしょう。ちょうどエジプト王の娘が水浴びをしようやってきたのです。王女は、篭を見つけ、その中の赤ちゃんが泣いているのを見て、哀れに思いました。そのとき、一部始終を見ていた姉のミリアムが出てきて、こう言ったのです。「あなたに代わって、その子に乳を飲ませるため、私が行って、ヘブル女の乳母を呼んでまいりましょうか。」 王女が「そうしておくれ」と言ったので、ミリアムは母親を呼んできました。すると、王女は、こう言ったのです。「この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。私があなたの賃金を払いましょう。」
 なんと、モーセの母ヨケベテは、王女に雇われた乳母として賃金をもらい、モーセが大きくなるまで自分の手元でモーセを育てることができることになったのです。
 ヨケベテは、我が子を篭にいれてナイル川に置いたとき、もう駄目かもしれないと思ったかも知れません。この子は、このまま死んでしまうのではないかと心を引き裂かれるような思いだったでしょう。子供がどうなるのか見るのが辛くて家に帰ってしまっていたのかも知れません。しかし、不思議な神様の計画の中でモーセを取り戻し、自分の子としてではなく、託された子として育てることになったのです。
 ヨケベテは、乳母として幼子モーセを一生懸命に育てたことでしょう。そして、異教の世界であるエジプトにおいて「まことの神様」がどのような方か、また、神様が先祖のアブラハムたちにどのような約束をしてくだったかをモーセに教え、神様に信頼する心を植え付けていったのです。 モーセの背後には、この母の信仰の姿もあったのです。

2 モーセの価値観

 さて、モーセは大きくなると、王女の息子として宮廷で生活するようになりました。おそらく、当時の最高の学問を受け、贅沢な生活を送っていたことでしょう。
 しかし、今日の24節-25節にこう書かれています。「信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。」
 私は、以前、エジプトにあるカイロ博物館に行ったことがあります。そこには、あの有名なツタンカーメンの黄金のマスクが展示されていました。私たちが想像できないほどの富と権力が集中していたことを思わされました。そのツタンカーメンの時代とモーセの時代は、そう離れてはいません。ですから、モーセも莫大な宝と富に囲まれて生活していたのではないでしょうか。
 しかし、モーセは、王子として、はかない罪の楽しみに生きるよりも、同じ神様を信じるイスラエルの民とともに苦しむことを選び取ったというのです。
 そして、26節に「彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです」とありますね。モーセは、同胞の救いのためにうける苦しみを、キリストのゆえに受けるそしりと考え、エジプトの宝にまさる富だと思ったというのです。しかし、神の子キリスト・イエスが人として私たちのもとに来てくださったのは、モーセの時代より遙かに後の時代ですから、モーセは、実際には、キリストをはっきりと見たわけではありませんし、キリストがどのような方かはっきり知っていたはずがありません。しかし、モーセは同胞の救いのためにうける苦しみの延長線上に、永遠の救いを与えるキリスト(救い主)の姿を見ていたのでしょう。
 この手紙の記者は、モーセの出来事を引用しながら、「神を信じる人々が経験する様々な苦しみは、エジプトの宝にまさる大きな富なのだ。なぜなら、その苦しみは、将来与えられる報いにつながるものだからだ」と記しているのです。
 これは、この手紙の読者に大きな励ましとなったに違いありません。彼らは、クリスチャンになったがゆえに、ローマからの迫害や困難の中に苦しんでいたからです。ローマと言えば当時の世界を支配していた大帝国です。しかし、キリストのゆえにもたらされる苦しみは、あのエジプトの富にも、また、ローマの巨大な富にまさるものなのだ、だから、苦しみがあっても、報いとして与えられる永遠の祝福から目を離さないでいよう、とこの手紙は語りかけているようですね。
パウロは、ピリピ人への手紙3章8節で、こう書いています。
「それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。」
 パウロは、以前、自分が誇りとしていた家柄や学問や宗教的に厳格な生活などは、キリストを知ることの素晴らしに比べれば塵あくたに過ぎないと思っていたのです。
 クリスチャン生活は、とてもすっきりしていますね。この世の肩書があろうがなかろうが、ブランドを身に着けようが着けまいが関係ありません。キリストを知っていることの素晴らしさにまさるものはないのです。教会は、この世の価値観とは無縁の場所です。ただ、キリストの知ることのすばらしさを味わい、分かち合う場所なのです。
第一コリント13章13節に「いつまでも残るものは、信仰と希望と愛です」と書かれていますね。信仰と希望と愛こそ、私たちにとって、何にもまさる宝なのです。

3 モーセの挫折経験

モーセは、エジプトの王女の息子として育ちましたが、自分がイスラエル人であることを自覚し、エジプトで苦しむイスラエルの民を何とか自分の力や立場を用いて救いたいという思いを持っていたでしょう。しかし、事態はモーセの思い描いたようには進みませんでした。
 モーセが四十歳の時、エジプト人がイスラエル人を打ちたたいているのを見ました。すると、モーセは、誰もいないのを見計らって、そのエジプト人を殺し、砂の中に埋めてしまったのです。同胞を苦しめる敵をやっつけたつもりでいたのかもしれません。しかし、翌日、今度は、イスラエル人同士が争っているので、仲裁に入ると、「だれがあなたを私たちのつかさやさばきつかさにしたのか。あなたはエジプト人を殺したように、私も殺そうと言うのか」と言われてしまったのです。モーセは、恐れました。自分が人殺しをしたことが知れてしまっているからです。しかも、同胞のためにやったつもりが、同胞からも批判と疑いの目で見られているのです。そして、エジプトの王もそのことを知って、モーセを殺そうと捜し始めました。そこで、モーセはエジプトからミデヤンの地に逃れていき、そこで出会ったミデヤン人の女性と結婚し、羊を飼って生活するようになったのです。モーセは、自分の力で同胞を救おうとしましたが、結果として、すべてを失ってしまいました。もう自分の人生は、この荒野で終わるのだと思っていたかもしれません。
ところで、今日の箇所の27節には「信仰によって、彼は、王の怒りを恐れないで、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見るようにして、忍び通したからです」とありますね。「王の怒りを恐れないで」と書かれていますが、実際には、出エジプト記に「同胞に自分のしたことが知れていることを恐れた」と書かれていますし、王に殺されないようにと逃げていったわけですから、モーセに何も恐れがなかったわけではありません。しかし、モーセがエジプトから立ち去りミデアンの地に行ったのは信仰によってなのだ、とこの手紙は記しているのです。どういうことでしょうか。
 モーセは、人生で一番脂ののりきった何でもできると思われる四十歳のときに、同胞の救いのために勇敢に立ち上がりました。しかし、同胞からは理解されず、結局、ミデヤンの地に逃れるしかありませんでした。これは、まわりの人々には、華やかな宮殿の生活から転落して敗北者のように生活する惨めな姿に見えたかもしれません。しかし、それは、モーセが信仰によって生きた結果なのだと聖書は教えているのです。モーセは、神様が苦しむイスラエルの民を救ってくださることを信じ、期待していました。だからこそ、勇み足で失敗してしまったのですね。
 私たちも、神様のためにと思って自分勝手に行動して、失敗することがありますね。でも、自分で描いたシナリオと神様の計画しておられる方法とは違うことが多いのです。人生は、自分で決めたように進んでいくわけではありません。気負って何かをしても虚しい結果に終わったり、人に理解してもらえなかったりしますね。しかし、神様は、その失敗をも用いて下さいます。聖書の人物を見ていくと、彼らは挫折や失敗を通して謙遜を学び、待たされることを通して忍耐を学んでいるのです。ですから、挫折や失敗も、大切な信仰によって生きる姿の側面となっていくのです。
ですから、皆さん、失敗を恐れないでください。挫折があるかもしれません。計画通りに進まないこともあるでしょう。神様がなかなか事を行ってくださらないように思えて不安や疑いを感じることがあるかもしれません。しかし、私たちがどのような状態にあっても、神様は、着実にみわざを進めてくださっているのです。そのことを信頼しましょう。
 モーセの失敗も、実は、神様の計画に含まれていました。モーセは、結局四十年間も荒涼としたミデアンの地で羊を飼って暮らすことになりました。あまりにも長い期間ですね。ところが、モーセが八十歳になったとき、神様はモーセに「エジプトに行ってイスラエルの民を脱出させなさい」と命じられたのです。神様は、不思議な方ですね。モーセが脂ののりきった四十歳の時に挫折を味わわせ、もう年を取って大したことはできないと思われる八十歳になってから、「さあ、出番だよ」と声をかけられたのです。
 神様は、何かをなさるときに、それがはっきりと神様によるものだとわかるような方法を使われるのですね。前にお話ししましたが、アブラハムに息子イサクが生まれたのは、もうアブラハムも妻のサラも年を取って、もう子供を産むことは不可能だと思われる時でした。しかし、それによって、イサクが神様によって与えられた子であることがはっきりとわかったのです。
 もしモーセが四十歳の時にイスラエルの民をエジプトから救い出すことに成功していたら、モーセ自身もまわりの人々も、それはモーセの功績だと思ったかも知れません。
 しかし、エジプトでの失敗と四十年間の荒野での生活によって、モーセは、大切なことを学ばされていったのです。
 27節にモーセは「目に見えない方を見るようにして、忍び通した」と書かれていますね。目に見えない方、つまり神様をまるで見ているように歩んだというのです。モーセは、自分の力ではなく神様のみこころままに従うことの大切さを実感していたことでしょう。荒野の中で神様に何でも打ち明け、祈りつつ生活していたことでしょう。その中で、自分の力ではなく、すべてを神様にゆだねて生きる謙遜を身に付けていったのです。
 民数記12章3節に「モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった」と書かれています。そして、そのように謙遜なモーセだからこそ、神様は、モーセを豊かに用いることがお出来になったのです。次回、お話ししますが、モーセは、様々な不思議な奇跡を行ってイスラエルの民をエジプトから脱出させました。モーセが杖を伸ばすと、海の水が分かれて道ができました。荒野でモーセが杖で岩をたたくと水がでました。また、モーセは、シナイ山の上で神様から直接十戒の書いた石の板を受けました。出エジプト記33章11節にはこう書かれています。「主は、人が自分の友と語るように、顔と顔とを合わせてモーセに語られた」と。
 これだけのすごい経験をしたのですから、もしモーセが少しでも高慢だったら、自分が神様にとって特別な存在で、自分に特別な力があるかのように思い上がってしまったかもしれません。しかし、神様は、まずモーセに徹底的に謙遜を学ばせてくださっていたのです。そして、モーセが高齢になり、「イスラエルの民をエジプトから脱出させるなんて、私には無理です。できません」と自信を失っていたときに、大きな使命を任せてくださったのです。
 自分は弱くて何もできないと思っている時に、神様はそれぞれにふさわしい使命を与えてくださいます。どんな年齢の時にも、神様から託された人生を生きることができるのです。うれしいことですね。
 ですから、どんな状態であろうと、どんな境遇にいようと、目に見えない方を見るようにして、信仰の歩みを続けていくことが大切です。今週も主と親しく語らい、主によって託された人生であることを認めながら歩んでいきましょう。