城山キリスト教会 礼拝説教
二〇二〇年三月八日 関根弘興牧師
ナホム一章一節〜七節
「苦難の日の砦」
1 ニネベに対する宣告。エルコシュ人ナホムの幻の書。2 主はねたみ、復讐する神。主は復讐し、憤る方。主はその仇に復讐する方。敵に怒りを保つ方。3 主は怒るのにおそく、力強い。主は決して罰せずにおくことはしない方。主の道はつむじ風とあらしの中にある。雲はその足でかき立てられる砂ほこり。4 主は海をしかって、これをからし、すべての川を干上がらせる。バシャンとカルメルはしおれ、レバノンの花はしおれる。5 山々は主の前に揺れ動き、丘々は溶け去る。大地は御前でくつがえり、世界とこれに住むすべての者もくつがえる。6 だれがその憤りの前に立ちえよう。だれがその燃える怒りに耐えられよう。その憤りは火のように注がれ、岩も主によって打ち砕かれる。7 主はいつくしみ深く、苦難の日のとりでである。主に身を避ける者たちを主は知っておられる。(新改訳聖書第三版)
ナホム書は、旧約聖書の十二の小預言書の一つで、一章から三章までの短い預言書です。今日は、そのナホム書全体からお話をさせていただきます。
聖書を読むときには、書かれた背景を頭に入れておくと内容が理解しやすくなりますので、まず、当時の時代背景を見ておきましょう。
一章一節に「エルコシュ人ナホム」とありますが、旧約聖書にナホムの名が出てくるのはこの箇所だけで、しかも、エルコシュという場所もどこにあったのかよくわかっていません。そんなほとんど無名の一介の預言者ナホムが、ニネベに対して神様の宣告を語ったというのですね。
ニネベというのは、アッシリヤ帝国の首都です。ですから、「ニネベに対する宣告」というのは、「アッシリヤ帝国に対する宣告」という意味です。アッシリヤは、当時、世界中に覇権を拡大している強大な帝国でした。イスラエルにとっては自国を脅かす敵国です。
このナホム以前にもニネベに対して神様の言葉を語った預言者がいましたね。ヨナです。ヨナは、神様から「ニネベに行って、わたしの言葉を語れ」と命じられたのですが、その神様の命令に従わずに、ニネベとは正反対の方向に向かう船に乗り込んで逃げようとしました。「ニネベに行って神様の言葉を語ったら、ニネベの人々が悔い改めて、滅びを免れるかもしれない。そんなことになるくらいなら死んだ方がましだ」と思ったのです。しかし、ヨナの乗った船が嵐にあって沈みそうになると、ヨナは、同船している人々に「この嵐は、私が神様に逆らったせいで起こったのだから、私を海に投げ入れてください」と頼み、海に投げ込まれたのですが、大きな魚に飲み込まれ、三日目に陸に吐き出されると、やっとニネベの町に行く決心をしました。そして、ニネベの人々に「あと四十日するとこの町は滅ぼされる」と宣告すると、ニネベ中の人が悔い改め、断食をして赦しを願ったので、神様は、このニネベの民を憐れみ、滅ぼすのを思いとどまられたのでした。
しかし、時代が進むにつれて、ニネベの人々は、ヨナが語った神様のことなどすっかり忘れ、どんどん高慢になっていきました。アッシリヤ帝国は、次から次へと残虐な方法で他国を侵略していきました。その結果、北イスラエル王国は滅ぼされてしまいました。南ユダ王国は、貢ぎ物を納めることで、なんとか滅ぼされることを免れていましたが、ヒゼキヤ王の時、貢ぎ物を納めるのを止めてしまったのです。すると、エルサレムはアッシリヤの軍隊に包囲され、大変な危機に直面したのですが、その時は、神様の奇跡的な介入で守られました。その時の経緯は、第二列王記18章ー19章に書かれています。しかし、その後、南ユダ王国は、アッシリヤ寄りの政策を取ったため、異教の神々が入り込んできました。また、神様の戒めを軽んじる王たちによって人々を圧迫する政治が行われるようになっていきました。そして、アッシリヤ帝国は、順調に勢力を伸ばし、ついにエジプトにまでその領土を広げたのです。ですから、ナホムの時代のアッシリヤといえば、高慢で、自分たちの力を誇り、やりたい放題のことをしている国だったのです。
そんなアッシリヤの首都ニネベに対して、ナホムは、神様のさばきをはっきりと宣告したわけです。たぶん、ナホムの友人たちは、「お前、そんなことを公に言ったら、アッシリヤの兵隊に逮捕され、殺されてしまうぞ。よせよ、そんなことを預言するのは。もっと違うことを預言しろ」と助言したのではないでしょうか。強大なアッシリヤ帝国にとっては、ナホムなど、物の数に入りませんでした。
面白いことに、預言者ヨナが嫌々ながら仕方なく神様の宣告を語ったときには、ニネベの人々は悔い改めたのですが、勇敢に語ったナホムの声に耳を傾けて悔い改めた人がいたとは、どこにも記されていないのです。そして、ナホムの預言からしばらくして、アッシリヤ帝国は滅亡することになります。同じメッセージを語っても、時代や状況によって、まったく違う反応が返ってくるということを、私たちは理解しておくべきですね。
では、神様を信じる人々に対して、このナホム書は、何を教えているでしょうか。
当時の人々は、預言者として活動していたナホムにこのような質問をしたのではないでしょうか。「アッシリヤは、まことの神様を侮り、残虐非道な暴虐を行っている。それなのに、神様が何の反応もなさらないとしたら、果たして神様は、本当に正義の神と言えるだろうか」という質問です。
私たちも同じような質問をしたくなることがありますね。「神様を信じている私にこんなことが起こって、神様を無視して高慢に振る舞っている人がすべて順調なのは、おかしいではないか」と思うことがあるのではないでしょうか。
ナホムは、このような問いかけに対して、どのように答えているでしょうか。
1 主は、苦難の日の砦
まず、2節に「主はねたみ、復讐する神。主は、復讐し、憤る方」とありますね。今日、初めて聖書を開いた方は、この言葉を見てびっくりなさるのではないでしょうか。「神は愛である」という言葉はよく聞くけれど、「復讐の神」というのは、何だか急に恐ろしくなりますね。自分に神様の復讐が襲ってくるのではないか、自分に神の怒りが下るのではないか、と心配になってしまう方もおられるでしょう。
でも、少し考えてください。もし、あなたが今、横暴で残虐な権力者の圧制の中に苦しみ、脅威に怯えながら生活しているとしましょう。そんな時、あなたにはどんなメッセージが必要ですか。
ナホムは、アッシリヤ帝国の脅威に怯える人々に対して、「主はねたみ、復讐する神だ」と語りました。この「ねたみ」というのは、私たちが普通使っている意味とはちがいます。神様は、人々を御自分から引き離して滅ぼそうとするものに対して激しい憤りを感じられますが、それを聖書では「ねたみ」という言葉で表現しているのです。ナホムは、アッシリヤに対して神様が激しい憤りを感じておられること、そして、アッシリヤの高慢で横暴なふるまいに対して必ず厳しい報いをお与えになることを、アッシリヤに対しても、アッシリヤに怯える南ユダの人々に対しても高らかに宣言したのです。
ただ、もちろん神様は愛の神様ですから、一人として滅びることを願っておられません。だからこそ、高慢で破壊的なアッシリヤに対しても、何度も警告を与え、悔い改めの機会をお与えになるのです。
先ほどお話ししたヨナの時代には、ニネベの人々は神様のさばきの宣告を聞いて悔い改め、滅びを免れました。その時、神様は、ヨナに「私はこの大きな町ニネベを惜しまずにいられようか」と言われたのです。ナホムの時代にも、神様は、アッシリヤがナホムの宣告を聞いて間違った道から軌道修正して立ち返ることを願っておられることに変わりはありません。神様は裁きを語られますが、その背後には、「だからこそ、方向を変えて生きよ」というメッセージが込められているのです。
横暴な者たちに対してさえ、そのような愛の心をお持ちの神様なのですから、ましてや神様を信頼し、神様に祈り求める人々を守られないはずがありません。7節にあるように「主はいつくしみ深く、苦難の日のとりでである。主に身を避ける者たちを主は知っておられる」のです。主御自身が私たちの砦となってくださるのです。ですから、苦難の時、自分の信仰の弱さを嘆くのではなく、堅固な砦として私たちを守ってくださる主を誇りましょう。そして、主にゆだねて安心して生きていけばいいのです。
2 主は、敵に立ち向かわれる
次の2章と3章には、アッシリヤの首都ニネベが敵の激しい攻撃を受けて破壊され、滅びる様子が描かれています。
アッシリヤ帝国は、獅子と呼ばれた強国でしたが、各地で続発する反乱に悩まされるようになりました。そして、最後には、首都ニネベは、バビロニヤ帝国の攻撃によって陥落し、アッシリヤ帝国は滅亡しました。ですから、歴史の授業では、アッシリヤはバビロニヤ帝国によってメディヤとバビロニヤの連合軍によ敵国によって滅ぼされたと教えるところですね。
しかし、聖書は、その歴史の出来事の背後に神様の意志と介入があったのだ、いや、歴史上のあらゆる出来事の中心に神様がおられるのだと教えるのです。
2章13節と3章5節で、神様は、アッシリヤに対して「見よ。わたしはあなたに立ち向かう」と言っておられます。神様御自身がバビロニヤ帝国を使ってアッシリヤに立ち向かわれたというのです。アッシリア帝国が崩壊したその背後には、神様の働きがありました。神様の意志と力によって、歴史は動いているのです。
3 高慢な者は滅びる
3章8節に、「ノ・アモン」という地名がでてきます。これは、メンフィスに次ぐエジプト第二の都市です。栄華をきわめたこの都は、川のそばに建てられ、「人類が達成した最も永遠的なものがこの町だ」と言われたほどでした。大神殿が群がり、栄光と力の象徴でもありました。しかし、そのノ・アモンは、紀元前671年にアッシリヤ帝国に滅ぼされてしまいました。これは、世界の大ニュースになりました。アッシリヤの力は底無しだと人々は思ったことでしょう。
しかし、そのアッシリヤの首都ニネベも必ず陥落するとナホムは預言したのです。ナホムがこれを預言したのは、もちろんニネベ陥落の前でしたが、ナホムは、自分の目で実際に見ることは出来なくても神様の正義は必ず行われると確信していました。そして、ナホムが預言したとおり、ニネベは紀元前612年についに陥落したのです。
アッシリヤ帝国は、バビロニヤ帝国の攻撃によって滅亡しました。その後、バビロニヤ帝国は領土を拡大し絶大な勢力を持つようになりましたが、結局は、敵国の攻撃によって滅亡し、今は廃墟になっています。その後に続く帝国もどれも一時的な隆盛を誇っても、最後には滅びてしまいました。箴言18章12節に「高慢は滅びに先立つ」と書かれているとおりです。
私たちは、目に見えることだけで判断してしまいがちですが、歴史の背後にはいつも、正しく、真実で、まことの審判者なる神様のみわざがあることを心に留めていきましょう。神様は虐げられた者、苦しむ者の叫びを聞いてくださる方です。そのことを確信し、信頼していきましょう。
詩篇91篇4節には「主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである」と記されています。
私たちは、天地を造られ、歴史を支配しておられる神様の愛といつくしみの御翼の中で保たれています。たとえどんなことがあっても、神様が私たちをお忘れになることはありません。主に身を避ける者たちを主は知っていてくださるのです。そのことを覚えつつ、信頼して歩んでいきましょう。