城山キリスト教会 礼拝説教    
二〇二〇年五月二四日             関根弘興牧師
             ローマ人への手紙一章七節〜一二節
 ローマ人への手紙連続説教3
  「感謝と願い」

 7 ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。8 まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。9 私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、10 いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。11 私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。12 というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。 (新改訳聖書第三版)

この「ローマ人への手紙」の初めに、パウロは、まず自分の自己紹介をしました。パウロは、自分について三つの意識を持っていました。一つは、「私はキリストのしもべである」という意識です。二つ目は、「私は使徒として召し出された者だ」という意識です。自分で勝手に使徒となったのではなく、神様に召し出されて使徒とされたということをパウロははっきりと自覚していました。そして、三つ目は、「私は神の福音のために選ばれた」という意識です。この三つの意識をパウロはいつも持っていました。この三つは、私たちもクリスチャンとして持つべき大切な意識です。
 さて、今日は、そんな意識を持っていたパウロの手紙の宛先の人々について見ていきましょう。

1 手紙の宛先

パウロは、7節に「ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ」と書いていますね。これが、この手紙の宛先です。
 ローマ教会の起源は、聖書には記されていないのですが、ローマ・カトリック教会の中では、ペテロがローマに行って教会を建てたのだと言い伝えられています。ペテロが教会の設立者であり、初代の法王だというわけですね。しかし、ペテロがローマに行って教会を建てたという記述は、聖書のどこにもありません。
 当時は、強いリーダーが一生懸命に伝道して、そこに教会が誕生するというのが普通でした。パウロの場合も、小アジヤを中心に地中海沿岸、ギリシャなどを回って伝道した結果、それぞれの地方に教会が生まれていきました。
 しかし、ローマの場合は、特に有名な伝道者が行って教会が誕生したわけではないようです。ローマは世界の中心でしたから、各地から無名のクリスチャンたちが集まってきて、小さな家庭集会が始まったようです。
 福音がどのように広まり、教会がどのように建て上げられていったのかを記しているのは、新約聖書の「使徒の働き」です。その2章に、ペンテコステの日の様子が記されています。その日、エルサレムに集まって祈っていた弟子たちに聖霊が下り、一人一人がいろいろな国の言葉で神のみわざを大胆に語り始めたのです。ちょうど祭りの時だったので、世界中からたくさんの人々が集まっていたのですが、彼らは、弟子たちが自分たちの言葉で神様のみわざを語っているのを聞き、大いに驚きました。そして、その日だけで約三千人がイエス・キリストを信じたのです。そこには、滞在中のローマ人たちもいたと書かれています。このローマ人たちが、ローマに帰ってから教会の礎を築いたのではないかと考える学者もいます。
 また、パウロは、小アジア、ギリシャにまで福音を広めたので、そうした地域でクリスチャンとなり、後に、ローマに行って教会の中心的なメンバーになった人たちもたくさんいたようです。
 ですから、パウロ自身はまだローマに行ったことはありませんでしたが、ローマ教会の中には、パウロが知っている人々もいました。パウロはこの手紙の最後にそういう人々の名前を挙げて「よろしく」と挨拶を書き送っています。
 しかし、顔見知りかどうかにかかわらず、パウロは、ローマ教会のすべての人々に親愛の情を抱いていました。なぜなら、皆、キリストにあってつながっているからです。パウロは、「あなたと私は、生かされている場所は違うけれど、キリストにあってつながっているのです」という確信を持って、親しみを込めてこの手紙を書き送っているのですね。
 その宛先の人々に対して、パウロは、「神に愛されている人々」「召された聖徒たち」と呼びかけていますね。どのような意味が込められているのでしょうか。

(1)神に愛されている人々

 ローマの教会には、様々な人が集まっていました。奴隷もいれば、裕福な実業家もいたでしょう。老人もいれば、若者もいる、未亡人もいたはずです。社会的地位も経済的な状況も生活の環境も皆違っていたはずです。しかし、パウロはそこにいるすべての人たちを「神に愛されている人々」と呼んでいます。
 普通、「神に愛されている人」という言葉を聞くと、特別な能力が与えられている人、成功している人、何の問題もなく幸せに暮らしている人といったイメージが浮かぶかもしれませんね。
 しかし、聖書に書かれている「神に愛されている人」とは、そういう意味ではありません。クリスチャンになっても様々な問題や苦難や悲しみが起こります。神に愛されているなら、どうしてこんなことが起こるのか、と文句を言いたいほどの不条理を経験することもあります。でも、そんな中にあっても、神様の愛は決して離れることも失われることもない、と聖書は教えているのです。「わたしはあなたを離れずあなたを捨てない」と約束されているとおり、神様がどんな時もともにいてくださり、支えてくださる、そして、すべてのことを益としてくださるというのです。
 私たち一人一人が「神に愛されている人」です。ですから、どんな境遇や状態にあっても、「私は神様に愛されている」という確信を持ち続けていきましょう。

(2)召された聖徒たち

 それから、パウロは、「召された聖徒たち」と書いていますが、「聖徒」いう言葉を見ると、立派な聖人君子や完全無欠な人を指すかのような感じがしますね。
 でも、聖書の中で使われている「聖徒」とは、そういう意味ではありません。聖書で使われている「聖」という言葉の基本的な意味は、「神様によって、他の人々や他の物から取り分けられている。分離されている。区別されている」ということです。
 ですから、「聖徒」には、次のような意味があるのです。
 
@神様のご用のために取り分けられた人

 「聖徒」とは、別の言葉を用いるなら、「神様の専用品」ということです。一人一人が神様のご用のために選ばれた大切な存在だというわけです。
 ときどき「この腕時計は、あの有名な○○が愛用してた」とか、「この靴は有名なプレイヤーがデビュー当時履いていたものだ」とかいうことが話題にあがることがありますね。そして、驚くほどの価値が付いているんですね。有名な人が使っていたというだけで、ぐんと価値が上がるわけです。
 とすれば、皆さん、私たち一人一人の価値は計り知れませんね。なんと天地を創造された神様の専用品なのですから。神様御用達なんです。ですから、もっと自信を持ったらいいのです。 神様は、なんと恵み深い方でしょう。もし私が自分の働きを進めるために誰かを選ぶとしたら、優秀で非の打ち所のない人ばかりを選ぶでしょう。しかし、神様は、本来なら、神様のみわざにたずさわるにはふさわしくない私たちを選び、神様の恵みと愛を分かち合う者として用いてくださっているのです。

Aイエス・キリストの十字架の血によってきよめられた人

 ただし、神様は、正義そのものの方ですから、罪や汚れのある私たちをそのまま受け入れることはお出来になりません。「悪いことをしても、まあいいよ。まあしょうがない」で済ませたら、神様の正義は崩れてしまいます。ですから、神様は、罪をそのまま見過ごすことはなさいません。
 しかし、神様は、義なる神様であると同時に、愛なる神様でもあるのです。そして、この神様の愛は、罪ある私たち一人一人を救うためならどんな犠牲をも惜しまない愛、命がけの愛なのですね。
 神様は、私たちを愛するがゆえに、御子イエス・キリストをこの地上に送ってくださいました。そして、イエス様は私たちの罪を身代わりに背負い、私たちの代わりに十字架にかかって罪の罰を受けてくださったのです。神様ご自身が人となって私たちの罪の贖いをしてくださいました。ここに、神様の大きな愛が示されています。箴言10章12節に「愛はすべてのそむきの罪をおおう」とありますが、イエス・キリストによって示された愛は、まさに、私たちのすべての罪を覆ってくださる神様の愛そのものだったのです。その十字架のゆえに、私たちは、罪が赦され、きよめられ、神様に受け入れられ、神様の専用品となることができたのです。
 ですから「聖徒」とは、この愛よって、罪赦され、生かされている者たちのことです。神様の御前で、赦された罪人として、過去を振り返らず、前に向かって進んでいく者たちなのですね。
 私たちは、決して自分の功績や善行によって聖徒となったわけではありません。神様の一方的な恵みによって聖徒とならせていただいたのです。だから、パウロは、「召された」聖徒たちと呼びかけているのですね。

2 パウロの感謝

 さて、そのローマ教会の人々に対して、パウロは、8節でまず、こう書き送っています。「まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。」
 パウロの関心は、福音が全世界に伝えられていくことでした。福音が多くの人々の元に届けられ、イエス・キリストを信じて救いを受ける人々が起こされていくことこそが、パウロの最大の喜びでした。パウロにとっては、他に何もなくても、それだけで十分だったのです。
 パウロがこの手紙を書いた当時、ローマの教会についていろいろ良いうわさを聞いていたようです。そして、ローマの教会から福音が広まっていることを単純に喜んでいました。自分が直接行って築いた教会ではありませんでしたが、パウロにとっては、誰が福音を宣べ伝えているかは関係ありませんでした。自分が直接関わっていなくても、ただ福音が広まっていることを喜び、感謝したのです。
 私たちもこういう姿勢、態度を持っていたいですね。互いに競い合ったり、縄張り争いをしたり、ねたんだりするのではなく、ただ福音を聞いて救われる人が起こされていくことを喜び感謝していきましょう。ルカ15章7節で、イエス様は「ひとりの罪人が悔い改めるなら、天において喜びが沸き起こる」と言われましたが、私たち一人一人もその喜びを共有する者となっていきましょう。

3 パウロの願い

 次に、パウロは、9節-10節にこう記しています。「私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。」
 パウロは、以前から、何とかしてローマに行きたいと願い、祈り求めていました。なぜでしょうか。世界の首都ローマで多くの人々に福音を語りたいと思っていたからでしょう。しかし、それだけではありませんでした。11節ー12節にこう書かれています。「私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。」
 パウロは、「互いの信仰によって、ともに励ましを受けたい」と記していますね。パウロは、自分がいつも与える側だとは考えていませんでした。もちろん、相手を励ましたいという強い思いをいつも抱いていましたが、それと同時に、仲間からの励ましを受けたいとも願っていました。自分の弱さを自覚していたからです。
パウロは、コリント教会へ書き送った手紙の中で、こう記しています。「・・・ 労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このような外から来ることのほかに、日々私に押しかかるすべての教会への心づかいがあります。だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。だれかがつまずいていて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか。もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります」(2コリント11・27ー30)パウロも、様々な困難に気落ちすることもあったようです。また、教会の中に人を惑わす様々な教えが入り込んで来たことに心を悩ませていました。また、第二コリント12章7節に「肉体に一つのとげを与えられました」と書いているように、何かの病も抱えていたようです。
 パウロは、「誰かが弱くて、私が弱くないということがあるでしょうか」と書いていますね。自分は強いから大丈夫と誇れる人などだれもいないのです。私たちは、お互いがキリストのからだの一部であり、互いに主にあってつながり、支え合っている存在です。「自分一人でも信仰は持てるから教会なんて必要ない」と考え人もいるでしょう。逆に、「私一人ぐらいいなくても、どうってことないですよ」と考える人もいるかもしれません。しかし、どちらも大間違いなんですね。一人一人がキリストのからだの大切な器官であり、なくてはならないものです。また、一つの器官だけで生きていくことはできません。お互いを必要としているのです。ですから、パウロは、ローマ教会の人々とも互いに励まし合いたいと願っていたのですね。
 ところで、パウロは、この手紙をAD57年頃にコリントから書いたと言われています。コリントはギリシャの町ですから、旅費と時間があれば、すぐにでもローマに行けたでしょう。ところが、パウロの願いはなかなか叶いませんでした。人の計画と神様の計画は、少し違うのですね。実は、この手紙を書いた後、神様は、パウロがローマに行くために最善の方法を用意してくださっていたのです。
 パウロは、貧しさと飢饉に苦しむエルサレム教会のために、小アジアの諸教会に義援金を募り、そのお金を届けるためにエルサレムに向かいました。エルサレムは、ローマとは正反対の方向です。パウロはすぐにもローマに行きたかったでしょうが、ユダヤで苦しんでいる同胞を見過ごすことはできませんでした。それで、まず、エルサレムに義援金を届けたら、すぐにローマに行こうと考えていました。しかし、エルサレムでは、大変な困難が起こることが予想されていました。実際、パウロがエルサレムに行くと、ユダヤ教の人々がパウロを捕らえて殺そうとしたのです。町中が大騒ぎになったため、ローマ軍が出動してパウロを兵営に連行しました。パウロは、ローマに行くどころか、囚人になってしまったのです。もうこれでローマ行きは断念せざるを得ないのではないかと思ったことでしょう。しかし、主は、その夜、パウロにこう告げられました。「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。」(使徒23・11)つまり、神様は、パウロに「あなたは、必ずローマに行く」と言われたわけです。でも、囚人になったパウロがどうしてローマに行けるのでしょうか。
 パウロは、ローマの市民権を持っていました。このローマ市民権が大きな力となったのです。ローマ市民権を持っている者は、ローマ政府による直接の裁判を受ける権利があったからです。そこで、パウロは、ユダヤ総督による裁判を拒否し、ローマ皇帝による裁判を要求しました。(使徒25・9ー11)その結果、彼はローマで裁判を受けるため、囚人としてローマに移送されることになったのです。ローマ兵士に守られながら、自分で旅費を払う必要もなくローマに行けることになったわけですね。途中で嵐に遭うなど大変なこともあり、時間もかかりましたが、パウロは、ついに世界の首都ローマに到着することができました。そして、見張り付きではありましたが、ある程度の自由を与えられて二年間、自費で借りた家に住み、そこで手紙を書いたり、訪ねてくる人々に自由に福音を語ることができたのです。
 神様は、ローマに行きたいというパウロの願いを、まったく予期せぬ方法で実現してくださいました。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださいます」(ローマ8・28)と約束されているように、私たちにはマイナスと思われるようなことも、神様のご計画の中では最終的にすべて益とされていくのです。

 今週も神に愛されている者、聖徒として召されている者として、互いが励まし合いながら、すべてを益としてくださる神様の恵みと平安の中を味わっていきましょう。