城山キリスト教会 礼拝説教          
二〇二一年一一月七日             関根弘興牧師
              使徒の働き一一章一九節〜三〇節
 使徒の働き14 
 「クリスチャンと呼ばれる人たち」
 
 19 さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。20 ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。21 そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。22 この知らせが、エルサレムにある教会に聞こえたので、彼らはバルナバをアンテオケに派遣した。23 彼はそこに到着したとき、神の恵みを見て喜び、みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと励ました。24 彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。25 バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、26 彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。27 そのころ、預言者たちがエルサレムからアンテオケに下って来た。28 その中のひとりでアガボという人が立って、世界中に大ききんが起こると御霊によって預言したが、はたしてそれがクラウデオの治世に起こった。29 そこで、弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。30 彼らはそれを実行して、バルナバとサウロの手によって長老たちに送った。(新改訳聖書第三版)
       
 前回は、異邦人であるコルネリオたちがイエス・キリストの福音を信じて洗礼を受けたという箇所を読みました。
 それまで、ペテロをはじめとする使徒たちや弟子たちは、異邦人は神様の救いの対象外だろうと考えていました。そして、イエス様が「地の果てにまで福音を宣べ伝えなさい」と言われたのは、世界中に離散しているユダヤ人たちに福音を宣べ伝えることだと思っていたのです。ユダヤ人は神様から選ばれ、神様の律法を守って生活しているけれど、異邦人はまことの神様も律法も知らない罪深い汚れた者たちだから救われるはずがないという固定観念に捕らわれていたのです。
 しかし、神様はその固定観念を打ち砕いてくださいました。
 ペテロが昼の祈りのために屋上で祈っていると不思議な幻を見ました。天から大きな敷布のようなものが降りてきたのですが、その中には、地上のあらゆる種類の動物や、はうもの、空の鳥が入っていて「ペテロよ。さあほふって食べなさい」という声が聞こえたのです。ペテロが「主よ、それはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません」と答えると、「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない」と言う声が聞こえました。その幻が三回繰り返され、ペテロが「今見た幻は、いったい何だったのだろう」と思い惑っているちょうどその時、ローマの百人隊長であるコルネリオの使いの者たちがやってきました。そして、コルネリオが幻の中で御使いからペテロを招くように言われたというのです。
 ユダヤ人が異邦人の家を訪問することは、汚れた動物を食べるのと同じく身を汚す行為だと考えられていました。しかし、自分の見た幻とコルネリオが見た幻が神様からのものであることを確信したペテロは、躊躇せずにコルネリオの家に向かいました。
 コルネリオは、家族や友人を招いてペテロを待っていました。そして、ペテロがイエス様のことを語っていると、コルネリオたちに聖霊が注がれ、彼らは異言で神を賛美し始めたのです。以前、ペンテコステの日にペテロたちに聖霊が注がれたときと同じことが起こったのですね。ペテロは、それを見て、異邦人もイエス様の福音によって救われるということを確信しました。神様は国籍や民族によって偏ったことをなさらず、どの国の人であっても、救い主イエス様を信じるなら救ってくださるということがはっきりわかったのです。
 しかし、ペテロはわかっても、他の人たちはどうだったでしょう。ペテロがエルサレムに帰ると、ペテロを非難する人たちがいました。「ペテロ、お前、異邦人のところに行って食事をしたそうだな。なんということだ」と言うのです。エルサレムにいたユダヤ人クリスチャンたちは、自分たちが幼い頃から守ってきた戒めを、ペテロがないがしろにしたと考えたのです。
 そこで、ペテロは順序正しく自分の見た幻のことやコルネリオの家で起こったことを説明しました。すると、彼らは批判をやめ、「それでは神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」と言って、神様をほめたたえたのです。
 エルサレムの教会の仲間たちは、自分たちが今まで思い込んでいたことが「違う」とわかったとき、反発したり拒絶するのではなく、神様をほめたたえたのです。
 私たちも同じようでありたいですね。教会には違いのある人たちが集まってきます。それぞれ習慣も生活スタイルもみな違います。ですから、時には軋轢が生じることもあります。しかし、私たちは、聖書に照らしながら、それぞれの思い込みを点検し、自分の習慣や固定観念が違うとわかったときは、それを素直に認めて神様をほめたたえる者でありたいですね。
 さて、こうして、異邦人も神様の愛と救いの対象なのだということがエルサレムの教会では受け入れられましたが、それが、すぐに各地に伝わったわけではありませんでした。今なら、ホームページに載せたり、メール配信したり、SNSで発信すればすぐに情報が広がるでしょうが、当時は、情報が伝わるのに時間がかかりました。しかし、次第に各地で信じて救われる異邦人が起こり、多くの異邦人が集まる教会が生まれていきました。その先駆けとなったのが、今日の箇所に登場するアンテオケ教会です。
 
1 アンテオケ教会
 
 聖書の中では、アンテオケと呼ばれる場所が二つ出てきます。一つは、シリヤ地方のアンテオケ、もう一つは、今のトルコにあたる小アジアのピシデヤ地方にあるアンテオケです。
 今日の箇所に出てくるのは、シリヤ地方のアンテオケです。このアンテオケは、当時、ローマ帝国のシリヤ州の首都で、ローマ、アレキサンドリヤに次ぐ世界的な大都市でした。ユダヤ人もたくさん住んでいました。
 19節にあるように、ステパノの殉教をきっかけにエルサレムでクリスチャンたちに対する大きな迫害が起こったため、教会の仲間たちは各地に散らされ、ガリラヤより北のフェニキヤ地方や、海を渡ったキプロス島、そして、エルサレムからおよそ五百キロも離れた大都市アンテオケにまで広がっていきました。
 散らされたクリスチャンたちは、最初は各地に住んでいるユダヤ人たちに福音を語っていましたが、20節にこう書かれています。「ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。」と書かれています。何気ないこの一行ですが、これは、前回の異邦人コルネリオが救われた出来事と同じように、教会にとって大きな転機となる一行です。キプロスやクレネから来たユダヤ人クリスチャンたちが、異邦人であるギリシヤ人にも主イエスの福音を宣べ伝えたというのです。福音を語る対象がユダヤ人だけでなく異邦人にまで広がったのですから、大きく一歩踏み出す行為だったわけです。これは大冒険ですね。そして、その結果、アンテオケに住む大勢の異邦人たちが信じて主に立ち返ったのです。
 アンテオケは、経済的には豊かな町でしたが、道徳的には退廃した町だったようです。しかし、その中で、多くのクリスチャンが生まれたのです。
 その立役者となったキプロス人やクレネ人たちについて詳しいことは何も紹介されていません。名前さえわかりません。でも、無名の彼らの働きによって、アンテオケ教会は、ユダヤ人も異邦人もともに集う大きな教会に成長していったのです。
 
2 バルナバの派遣
 
 さて、アンテオケで起こったことを聞いたエルサレムの教会は、早速、バルナバを派遣しました。24節に「彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった」とありますね。本名はヨセフですが、使徒たちからバルナバ(慰めの子)と呼ばれていました。以前、クリスチャンを迫害していたサウロが回心してエルサレムを訪れたとき、教会はサウロを疑い警戒しましたが、バルナバがサウロを受け入れ、使徒たちと引き合わせたのでしたね。また、バルナバがキプロス出身ということもあって、使徒たちは、アンテオケに派遣するのに最適な人物だと考えたのでしょう。
 バルナバは、アンテオケに行って何をしたでしょうか。
 
(1)神の恵みを見て喜んだ
 
 23節に、バルナバがアンテオケに到着したとき、「神の恵みを見て喜んだ」と書かれていますね。彼は、ユダヤ人以外の異邦人が大勢イエス様を信じて喜んでいる姿を初めて見ました。そして、今まで神様と無縁で律法を守ったこともない異邦人たちに対して神様が示してくださった愛と恵みに感動し、喜んだのです。
 
(2)みなを励ました
 
 バルナバは、異邦人クリスチャンたちに対して、自分たちユダヤ人が守ってきた戒めや習慣を強要しようとはしませんでした。23節にあるように「みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと励ました」のです。
 「心を堅く保つ」という言葉は、新共同訳では「固い決意をもって」と訳されています。つまり、「しっかり決心して主にとどまり続けなさい」と勧めたわけです。
 イエス様は、ヨハネ15章4節でこう言われましたね。「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。」私たちがイエス様の中にとどまり、イエス様が私たちの中にとどまっていてくださる、つまり、私たちは、いつもイエス様とともに生きる者とされているのです。
 でも、主は私たちを強制的に従わせることはなさいません。主にとどまるか、とどまらずに離れてしまうかは、私たちが自分の意志で選択する自由が与えられているのです。ですから、イエス様も「わたしにとどまりなさい」と言われましたし、バルナバも「自分で決心して、しっかりとした意志を持って主にとどまっていなさい」と勧めているのです。
 でも、それは、自分でがんばって、がんばって、いつも緊張して生きていくということではありません。道徳的に立派に生きなくてはならないという意味でもありません。
 では、「主にとどまる」とは、どういうことなのでしょうか。
 それは、聖書に書かれている主のみことばの中にとどまることです。神様は、「あなたは、わたしの目には高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と言われました。イエス様も「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました」と言われました。「御子を信じる者は一人として滅びることなく永遠のいのちを持つ」と約束されています。また、「主は私の避け所、私の盾、私の岩」とも書かれています。神様に愛されていることを覚え、十字架でいのちをかけてくださったイエス様によって救われていることを確信し、イエス様がいつもともにいてくださることを喜びながら、いつも聖書のことばを土台として生きていくことがイエス様にとどまることになるのです。
 そして、イエス様は、ヨハネ15章10節、12節でこう言われました。「もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。・・・わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」主に愛されていることを味わい、そして、互いに愛し合うことがイエス様にとどまることなのです。
 私たちは、イエス様にとどまりつづけていくとき、イエス様のいのちを受けて豊かな実を結んでいくのです。そのために、時々、枝が剪定されるように、私たちも自分の姿に気づかされ、正されることがあります。捨てるべきものを示されることがあります。試練や悲しみが与えられることもあります。しかし、それによって、主は、私たちを成長させ、豊かな実を結ばせてくださるのです。
 
(3)サウロを連れてきた
 
 バルナバの働きによって大勢の人が主に導かれ、その人々を指導する助け手が必要になってきました。そこで、バルナバは、サウロを探しにタルソに出かけていったのです。
 サウロは、以前はクリスチャンを激しく迫害していましたが、ダマスコへの途上でイエス様と出会い、回心した人物でしたね。サウロがエルサレムに行った時、教会の人々は、最初はサウロを不信と疑いのまなざしで見ていました。しかし、バルナバのとりなしのおかげで、サウロはエルサレム教会に受け入れられるようになったのです。その後、サウロは自分の故郷タルソにもどり、十年ほどそこで生活していたようです。
 タルソは、アンテオケから比較的近い場所にあります。また、サウロの経歴をよく知っていたバルナバは、このサウロこそ異邦人のために用いられる器であると確信し、サウロをアンテオケに連れてきたのです。バルナバとサウロは、アンテオケでまる一年間、大勢の人たちを教えました。
 サウロは、旧約聖書に精通していました。また、クリスチャンたちを迫害していた自分のような者さえ救ってくださった神様の恵みに深く感動していました。しかも、天からの光に照らされ、復活されたイエス様の声を聞き、イエス様から直節、異邦人の使徒として任命されるという体験さえしたのです。そのサウロの経歴や体験がアンテオケ教会での働きに大いに役立ったことでしょう。
 特に、教会に集う人々にとって聖書を教えられることはとても大切なことでした。私たちも聖書から教えられることが大切です。自分の経験や感じ方に頼る信仰は不安定になりがちです。しかし、聖書のことばは、揺らぐことがありません。結局、聖書が何と言っているのかが最後の砦であり拠り所となるのです。ですから、聖書の教えや約束を知ることこそ、永遠につながる人生の糧となるのです。
 
3 エルサレム教会への支援
 
 さて、バルナバとサウロがアンテオケ教会の指導をしていた頃、預言者のアガポと言う人がエルサレムからやってきました。そして、世界中に大ききんが起こる、と告げたのです。そして、そのとおり、クラウデオ帝の時代に大ききんが起こりました。クラウデオ帝は、紀元四一-五四年まで在位したローマ皇帝です。この間、各地で何度もききんが襲ったことが歴史書に記されています。
 エルサレムのあるユダヤ地方もききんに襲われました。そのとき、アンテオケの教会の仲間たちがとった行動が29節に書かれています。「そこで、弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。彼らはそれを実行して、バルナバとサウロの手によって長老たちに送った。」
 ここには、私たちが献金するときにも共通する大切な二つのことが書かれています。それは、聖書が一貫して教えていることでもあります。
 
(1)自発的に
 
 アンテオケ教会は、エルサレム教会への援助を自発的に決めました。旧約聖書には、「主は心から進んでささげるささげものを喜んでくださる」と繰り返し教えていますし、また、新約聖書でも、サウロ(後のパウロ)がこう書いています。「あなたがしてくれる親切は強制されてではなく、自発的でなければいけないからです。」(ピレモンへの手紙14節}、「ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。」(第二コリント9章7節)
 
(2)それぞれの力に応じて
 
 また、アンテオケ教会の弟子たちは、それぞれの力に応じて支援したと書かれていますね。私たちの献金も同じです。一人あたり何円を献げなさいなどと機械的に割り振るものではありません。「それぞれが自分の力に応じて」が大切な原則なのです。第二コリント8章12節にも、「もし熱意があるならば、持たない物によってではなく、持っている程度に応じて、それは受納されるのです」とあります。
 
 異邦人が多いアンテオケ教会が、今まで自分たちを軽蔑してきたユダヤの人たちに物資を送ることにしました。ユダヤ人であるか異邦人であるかに関係なく、キリストにある兄弟同士であるという思いを持つようになっていたのですね。ここにうるわしい愛の交流を見ることができます。
 アンテオケ教会は、まだ生まれたばかりの教会でした。しかし、イエス様の「受けるより与える方が幸いである」という教えを実践したのです。受け取るだけを考える人生もあります。これもあれも私のものという人生です。しかし、与えることによって豊になる世界もあることをイエス様は教えられているのですね。そして、繰り返しますが、与えるときの原則は、「自発的に」「それぞれの力に応じて」ということなのです。
 
4 クリスチャンと呼ばれる人たち
 さて、26節に「弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった」と書かれています。
 実は、この「キリスト者」、つまり、「クリスチャン」という言葉は、アンテオケに住む人たちがイエス様を信じる人たちに付けたあだ名なのです。たとえば、ヘロデを支持するヘロデ党のメンバーは「ヘロディアン」と呼ばれました。カイザル一派の者たちは「カイザリアン」と呼ばれました。関根弘興の熱狂的な支持者なら「セキネアン」と呼ばれるでしょうね。
 最初、アンテオケの人々は、イエス様を信じる人々をユダヤ教の一派だと考えていました。しかし、教会に集う人々の姿を見ると、どうもユダヤ教徒とは違うようだと気づいたのです。そこで、キリストを愛し礼拝する人たちのことを、「あの人たちはキリスト党員だ、キリストかぶれの人たちだ」という意味で「クリスチャン」というあだ名で呼び始めたわけです。あだ名で呼ばれるようになったということは、アンテオケでは短い期間にもかかわらず多くのクリスチャンが生まれたということですね。
 また、26節に「彼らは教会に集まり」とありますね。アンテオケは、異邦人のクリスチャン・グループに「教会」という言葉が使われた最初の場所となりました。
 
 これまで見たとおり、福音はエルサレム、ユダヤ、サマリヤ、そして、異邦人の住む場所まで広がって行きました。異邦人コルネリオがイエス様を信じ、また、アンテオケでは大勢の異邦人がイエス様を信じ、教会が生まれ、クリスチャンとあだ名されるまでになっていきました。そして、このアンテオケ教会から、全世界へと福音は広がっていくことになるのです。