城山キリスト教会 礼拝説教          
 二〇二二年一月二三日            関根弘興牧師
               使徒の働き一三章一三〜二三節
 使徒の働き17                三八〜三九節
   「約束に従って」
 
 13 パウロの一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰った。14 しかし彼らは、ペルガから進んでピシデヤのアンテオケに行き、安息日に会堂に入って席に着いた。15 律法と預言者の朗読があって後、会堂の管理者たちが、彼らのところに人をやってこう言わせた。「兄弟たち。あなたがたのうちどなたか、この人たちのために奨励のことばがあったら、どうぞお話しください。」16 そこでパウロが立ち上がり、手を振りながら言った。「イスラエルの人たち、ならびに神を恐れかしこむ方々。よく聞いてください。17 この民イスラエルの神は、私たちの父祖たちを選び、民がエジプトの地に滞在していた間にこれを強大にし、御腕を高く上げて、彼らをその地から導き出してくださいました。18 そして約四十年間、荒野で彼らを耐え忍ばれました。19 それからカナンの地で、七つの民を滅ぼし、その地を相続財産として分配されました。これが、約四百五十年間のことです。20 その後、預言者サムエルの時代までは、さばき人たちをお遣わしになりました。21 それから彼らが王をほしがったので、神はベニヤミン族の人、キスの子サウロを四十年間お与えになりました。22 それから、彼を退けて、ダビデを立てて王とされましたが、このダビデについてあかしして、こう言われました。『わたしはエッサイの子ダビデを見いだした。彼はわたしの心にかなった者で、わたしのこころを余すところなく実行する。』23 神は、このダビデの子孫から、約束に従って、イスラエルに救い主イエスをお送りになりました。・・・38 ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。39 モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。(新改訳聖書第三版)
 今日の箇所は、前回から始まったパウロの第一次伝道旅行の続きです。
 パウロとバルナバは、シリアのアンテオケ教会から送り出され、まず、キプロス島に渡って、島中を巡って福音を伝えました。前回は、そのキプロス島での出来事を読みましたね。
 そして、今日の箇所では、キプロス島のパポスから船出して今のトルコにあたる小アジアに行ったことが書かれています。
 船が着いたのはパンフリヤ地方のベルガというところです。
 13節に「ここでヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰った」とありますね。このヨハネは、有名な十二使徒のヨハネとは別の人物で、マルコとも呼ばれ、マルコの福音書を書いた人です。まず、このヨハネについて見ておきましょう。
 「使徒の働き」の中では、まず、12章12節にこのヨハネの名前が出てきます。投獄されていたペテロが御使いによって牢から救い出された時のことですが、こう書かれています。「ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家へ行った。そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。」マルコの母マリヤの家はエルサレム市内にあって、大ぜいの人が集まるのに十分な広さがあったようです。それで、教会の集まりによく用いられたのでしょう。伝承によれば、イエス様が十字架にかかる前に弟子たちと最後の晩餐の時を過ごされたのも、また、ペンテコステの日に弟子たちの上に聖霊が下ったのも、このマリヤの家であったと言われています。ですから、マルコは、ペテロを初めとする弟子たちのことをよく知っていたでしょう。
 また、コロサイ4章10節には「バルナバのいとこであるマルコ」と書かれています。バルナバとは、信仰の兄弟以上の親しい関係があったのですね。そのバルナバは、エルサレムからシリヤのアンテオケ教会に派遣されていましたが、その後、飢饉に苦しむエルサレム教会に救援物資を届けるため、パウロと共にエルサレムに行きました。そして、12章25節に「任務を果たしたバルナバとサウロ(パウロ)は、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、エルサレムから帰ってきた」と書かれています。つまり、ヨハネもアンテオケ教会の一員になったわけですね。
 その後、バルナバとパウロが第一次伝道旅行に出かけるとき、13章5節に「彼らはヨハネを助手として連れていた」と書かれています、これは、ヨハネが単にバルナバのいとこであったからというだけでなく、彼がイエス様について実際に見聞きしたことを伝えることができたからでもあったでしょう。貴重な証人であったわけですね。ですから、このマルコと呼ばれるヨハネも、パウロたちと一緒にキプロス島を回っていたのです。
 ところが、ヨハネは、伝道旅行の途中で一行から離れてエルサレムへ帰ってしまいました。理由は書かれていませんが、これは、パウロたちにとって喜ばしいことではなかったようです。
 その後、15章でエルサレムに行ったバルナバが、このヨハネを再びアンテオケへ連れて帰ったようですが、二回目の伝道旅行に出かけるときに、このヨハネを同行させるかどうかでバルナバとパウロの間で激しい反目が起こり、その結果、互いに別行動をとることになったと書かれています。15章38節を見ると「パウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かない方がよいと考えた」というのです。ですから、今日の箇所で「ヨハネが一行から離れて、エルサレムに帰った」というのは、初めて参加した伝道旅行の困難さに耐え切れず、勝手にエルサレムの実家に帰ってしまったということなのかもしれませんね。
 そんなヨハネでしたが、徐々に成長していったようです。バルナバの二回目の伝道旅行に同行した後、ヨハネがどのような行動をしたのか詳しい記録はありませんが、後に、パウロは、ローマの獄中からコロサイ教会やピレモンという人物に送った手紙の中で、このヨハネを「私の同労者」と呼んでいます。その頃、ヨハネはローマでパウロと共にいて、パウロはヨハネをコロサイ教会へ派遣する予定であったことがコロサイ4章10節に書かれています。また、第二テモテ4章11節で、パウロはテモテに宛ててこう書いています。「マルコを伴って、いっしょに来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。」最初は伝道旅行から脱落してしまったヨハネでしたが、後には、「彼は私の務めのために役に立つ」とパウロに言われるような良き働き人になったのです。
 第一ペテロ5章13節を見ると、このヨハネは、ペテロとも宣教の働きをしていた時期があったようです。伝承によると、ヨハネはペテロの通訳として異邦人にペテロの説教を伝え、ペテロから聞いたイエス様のみわざや言葉を記憶しているかぎり正確に記録して「マルコの福音書」を書いたと言われています。
 失敗のない人生などありません。時には、途中で挫折することもあります。思うようにいかない現実から逃げ出してしまうこともあります。しかし、神様は、「どんな時にも、何があってもあなたを見捨てない」と約束してくださる方です。
 また、人の評価は、その時々で変わります。お互いに意見が対立したり、共に行動するのが難しいこともあります。しかし、バルナバとパウロが反目した結果、伝道の働きが二倍になったように、神様はすべてを益にしてくださる方です。
 そして、神様は、マルコと呼ばれるヨハネを成長させてくださったように、私たち一人一人を忍耐強く導いて成長させてくださる方です。その神様に信頼し、自分のプライドやこだわりを捨てて、神様の恵みと真実の中でお互いを受け入れ理解していく者となっていきたいですね。
 
1 パウロの説教
 
 さて、パウロ一行はペルガから、ピシデヤのアンテオケに行きました。この町にも離散したユダヤ人たちが住んでいて、安息日ごとに会堂に集まっていました。
 パウロたちは、行った場所にユダヤ人の会堂がある場合は、まず、会堂に行ってイエス・キリストの福音を宣べ伝えることにしていました。ユダヤ人たちは、旧約聖書をよく知ってましたし、長い間、救い主の到来を待ち望んでいたからです。
 安息日に行われる会堂の礼拝では、まず聖書朗読があり、その後、聖書を教えることのできるラビと呼ばれる教師がいれば、その人が話をすることになっていました。会堂管理者たちは、バルナバやパウロをラビだと思ったのでしょう。「あなたがたのうちどなたが、奨励のことばがあったら、お話しください」と頼んだのです。そこで、パウロが立ち上がり語り始めました。
 パウロが、まず語ったのは、旧約聖書に記録されているイスラエル民族の歴史でした。
 神様は、御自分の救いと祝福のすばらしさを具体的に示すために、まずアブラハムとその子孫であるイスラエル民族をお選びになりました。そして、イスラエルの民がエジプトで奴隷状態になっていた時、モーセを遣わし、不思議なみわざによってエジプトから導き出してくださいました。また、その後の四十年間の荒野の生活の中で、神様に逆らい不平不満ばかり言っているようなイスラエルの民を、神様は忍耐深く守り、養い、約束の地カナンにまで導いてくださったのです。イスラエルの民は、カナンの地を占領し、部族ごとに土地を分割して定住することになりましたが、全体をまとめる指導者が必要でした。そこで、神様は、さばき人(さばきつかさ、士師)と呼ばれる指導者たちを与えてくださったのですが、そのひとりが預言者サムエルです。本来、イスラエルの王は、神様御自身でした。しかし、民は、周りの国と同じように目に見える王が欲しいと言い始めました。そこで、神様は、イスラエルの初代の王としてサウロ(ヘブル語では「サウル」)をお選びになりました。しかし、サウロが次第に神様に従わなくなったために、神様はサウロを退けて、ダビデを王に選ばれたのです。このダビデ王の時代にイスラエルの国が統一されました。ダビデ王は大きな失敗もしましたが、心から悔い改め、神様に従う生涯を送りました。そこで、神様は、このダビデの子孫の中から救い主が生まれると約束してくださったのです。
 こういう内容をパウロは語ったのですが、これは、ユダヤ人なら、大人から子供まで誰もが知っている常識中の常識の話です。聞いた人たちは、途中で眠くなってしまったかもしれません。そんな分かり切った話をわざわざ聞かせなくてもいいから、もっと別の話をしてくれないかな、と心の中でつぶやいていた人もいたかもしれませんね。
 しかし、パウロが語った次の言葉は、一気に眠気を吹き飛ばすような衝撃的なものでした。23節にあるように、パウロは「神は、このダビデの子孫から、約束に従って、イスラエルに救い主イエスをお送りになりました」と宣言したのです。これを聞いて、人々がどんな反応をしたかは書かれていませんが、長い間、救い主を待ち望んでいた彼らにとっては、驚くべき言葉でした。
 そして、パウロは、23節から39節にかけて、救い主イエスについて詳しく語り始めました。どのような内容でしょうか。
 
(1)イエス・キリストは旧約聖書の神様の約束に従って来られた救い主である。
 
 パウロは、まず、「イエスという方は、急にどこからともなく現れ、自分が救い主だと勝手に主張している怪しげな教祖などではなく、あなたがたがよく知っている旧約聖書の約束と預言に裏付けられたまことの救い主なのだ」と語りました。
 現代の私たちにとっても旧約聖書を読むことが大切な理由はここにあります。旧約聖書を読むことによって、神様が私たちのもとに救い主を遣わすためにどれほど壮大で入念な計画を立てておられたのかを知ることができ、また、確かにイエス様こそまことの救い主だということがより深く理解できるようになるからです。
 私は日本の神奈川県の小田原市に住んでいますが、「日本」だけ書いても郵便物は届きません。「神奈川県」とか「小田原市」まで書いても届きません。何町何丁目何番地まで書いて、やっと私だと特定できるわけですね。
 救い主についての情報もそれと似ています。聖書の最初の創世記を読むと、救い主は、まず、人の子孫から生まれるとわかります。そして、読み進めるにつれて、アブラハムの子孫、イサクの子孫、ヤコブの子孫、イスラエルの十二部族のうちのユダ部族の子孫から生まれると言うことがわかってくるのです。創世記でわかるのはそこまでです。その後、サムエル記や歴代誌に書かれているダビデ王の時代の記録を読むと、ダビデの子孫から救い主が生まれることがわかってきます。
 そして、旧約聖書後半にまとめられている各時代の預言者たちの書を読むと、救い主がベツレヘムで生まれること、闇を照らす光のような方であること、また、私たちのために大きな苦しみを受けることなどがわかってくるのです。また、旧約聖書の様々な出来事を通して、救い主がどのような方であるかが暗示されています。救い主は、いのちのパン、生ける水、闇の中の光のような方であり、獣ではなく人との子のように柔和な方、羊飼いのような方、神様の栄光に輝く方だというような様々なことがわかるのです。
 その旧約聖書の約束と預言をたどっていくとイエスという方にたどり着くのだ、とパウロは語りました。イエス様がまことの救い主であることについては、旧約聖書という確かな保証書があるということなのですね。
 
(2)指導者たちはイエスを十字架につけたが、それによって、旧約聖書の預言を成就させてしまった。
 
 次に、27節でパウロは、こう語っています。「エルサレムに住む人々とその指導者たちは、このイエスを認めず、また安息日ごとに読まれる預言者のことばを理解せず、イエスを罪に定めて、その預言を成就させてしまいました。」      
 当時、世界各地に離散していたユダヤ人たちにとって、エルサレムに住む指導者たちは、最も権威のある人たちでした。しかし、その人たちでさえ、旧約聖書を正しく理解できず、イエスが救い主だと認めず、ついには、救い主を十字架につけてしまった、とパウロは語ったのです。こんな話を聞いたら、エルサレムに向かって祈りを捧げ、指導者たちを尊敬している人々はおもしろくなかったでしょう。
 しかし、パウロは、続けてこう語りました。「指導者たちはイエスを十字架につけることによって、図らずも旧約聖書の預言を成就させてしまったのです」と。旧約聖書には、救い主が人々に罪の赦しをもたらすために苦しみを受けることが預言されていました。その預言どおりのことが起こったのです。
 では、イエス様の十字架は何のためだったのでしょうか。
 神様は、完全に聖なる方ですから、罪があるままの私たちを受け入れることはおできになりません。ですから、私たちを救うためには、まず罪の問題を解決する必要があったのです。そこで、御自分の御子であり罪のないイエス様を遣わしてくださいました。このイエス様が、私たちのすべての罪を背負って身代わりに罪の罰と呪いをすべて引き受けてくださったので、私たちは、罪のない者として神様に受け入れられることができるようになったのです。
 第二コリント5章21節に「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです」と書かれているとおりです。
 
(3)神は、イエスをよみがえらせて、救いと祝福の約束を果たされた。
 
 そして、33節でパウロはこう語っています。「神は、イエスをよみがえらせ、それによって、私たち子孫にその約束を果たされました。」
 イエス様は、死んで三日目によみがえられました。そのことによって、このイエス様こそ、神様の約束によって来られたまことの救い主、罪と死の力を打ち破って私たちを救うことのできる方、いつも私たちとともにいて守り導くことのできる方であることが証明されたのです。
 
(4)救い主イエスを信じる者はみな、罪が赦され、解放される。 
 そして、38節ー39節でパウロはこう言っています。「ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。」
 パウロは、ここで、イエス・キリストによってもたらされる二つのことを上げています。一つは「罪の赦し」、もう一つは「モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点についての解放」です。どういうことでしょうか。
 まず、「罪の赦し」ですが、聖書の「罪」という言葉には「的外れ」という意味があります。神様との関係がずれてしまったために、本来の生き方や正しい道からずれてしまった姿です。その結果、不安、虚しさ、憎しみ、恐怖、迷いなど様々な問題が起こってくるのです。
 その状態から救うために、神様はまず、モーセを通して律法をお与えになりました。それによって、人々に「私は自分の力では神様の律法を守ることのできない罪人なのだ」ということを自覚させ、救い主が必要だということを教えるためです。罪人は本来なら自分で神様の罰を受けなければなりません。しかし、救い主イエスが身代わりに罪の罰をすべて受けてくださったので、私たちは信じるだけで罪を赦された者として生きていくことができるのです。
 では、「モーセの律法によっては解放されることのできなかった点」とはどういうことでしょうか。この「解放される」という言葉は、直訳すると「義と認められる」ということです。
 「律法によって義と認められる」というのは、神様がモーセを通して与えてくださった律法を完全に守ることによって、正しいと認められ、神様に受け入れていただこうとする生き方です。しかし、それは人間の力では不可能です。律法を守ろうといくら頑張っても「お前は失格だ。落第」と烙印を押されるだけなのです。そこで、神様は別の道を用意してくださいました。律法を守ることによってではなく、救い主イエスを信じることによって義と認められる方法です。イエス様が私たちの代わりに律法の要求をすべて満たしてくださったので、そのイエス様を信じるだけで私たちは義と認められます。もはや律法に束縛されることがなくなったのです。「あなたはイエス様にあって、もう合格しているから安心しなさい。この合格は、決して無効になったり、取り消されることはないから、心配無用です」と言われているわけですね。
 
2 人々の反応
 
 パウロの説教を聞いた人々は、とても興味を持って、「次の安息日にも同じことを話してほしい」と頼んできました。また、集会が終わってからも、多くのユダヤ人や神を敬う改宗者(ユダヤ教に改宗した異邦人)がパウロとバルナバについてきて二人と話し合ったと書かれています。そして、次の安息日には、ほとんど町中の人が、神のことばを聞きに集まってきました。その結果、多くの人がイエス・キリストを信じ、49節には「主のみことばは、この地方全体に広まった」と書かれています。
 ところが、一部のユダヤ人たちが、ねたみに燃え、パウロたちをののしり、町の有力者たちを先導して、パウロたちを迫害させ、二人をその地方から追い出してしまいました。しかし、パウロとバルナバは、46節で、彼らに対してはっきりとこう宣言しました。「神のことばは、まずあなたがたに語られなければならなかったのです。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者と決めたのです。見なさい。私たちは、これからは異邦人のほうへ向かいます。」もちろん、この後も二人は行った先々でユダヤ人に対しても熱心に福音を語り、キリストを信じるユダヤ人たちが増えていきましたが、それにもまして、異邦人の中に福音が急速に広まっていくことになるのです。