城山キリスト教会 礼拝説教          
 二〇二二年三月一三日            関根弘興牧師
              使徒の働き一七章一節〜十五節
 使徒の働き連続説教22
   「迫害と退避」
 
1 彼らはアムピポリスとアポロニヤを通って、テサロニケへ行った。そこには、ユダヤ人の会堂があった。2 パウロはいつもしているように、会堂に入って行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。3 そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです」と言った。4 彼らのうちの幾人かはよくわかって、パウロとシラスに従った。またほかに、神を敬うギリシヤ人が大ぜいおり、貴婦人たちも少なくなかった。5 ところが、ねたみにかられたユダヤ人は、町のならず者をかり集め、暴動を起こして町を騒がせ、またヤソンの家を襲い、ふたりを人々の前に引き出そうとして捜した。6 しかし、見つからないので、ヤソンと兄弟たちの幾人かを、町の役人たちのところへひっぱって行き、大声でこう言った。「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにも入り込んでいます。7 それをヤソンが家に迎え入れたのです。彼らはみな、イエスという別の王がいると言って、カイザルの詔勅にそむく行いをしているのです。」8 こうして、それを聞いた群衆と町の役人たちとを不安に陥れた。9 彼らは、ヤソンとそのほかの者たちから保証金を取ったうえで釈放した。10 兄弟たちは、すぐさま、夜のうちにパウロとシラスをベレヤへ送り出した。ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂に入って行った。11 ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。12 そのため、彼らのうちの多くの者が信仰に入った。その中にはギリシヤの貴婦人や男子も少なくなかった。13 ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、パウロがベレヤでも神のことばを伝えていることを知り、ここにもやって来て、群衆を扇動して騒ぎを起こした。14 そこで兄弟たちは、ただちにパウロを送り出して海べまで行かせたが、シラスとテモテはベレヤに踏みとどまった。15 パウロを案内した人たちは、彼をアテネまで連れて行った。そしてシラスとテモテに一刻も早く来るように、という命令を受けて、帰って行った。(新改訳聖書第三版)
 
1 テサロニケにて
 
 前回、ギリシヤ北部のマケドニヤ地方にあるピリピの町でヨーロッパ最初の教会が誕生した出来事を見ましたね。
 そのピリピを後にして、パウロたちはこんどはテサロニケにやって来ました。そして、いつもの通り、まずユダヤ人の会堂に行って福音を語ったのです。
 「三つの安息日にわたり」と書かれているので、パウロたちがテサロニケにいたのは三週間ぐらいだっただろうと考える説もあれば、そうではなくて、三週間は会堂の集まりに参加して語ったけれど、そのあともしばらく滞在していたのではないかという説もあります。
 いずれにせよ、このテサロニケでパウロたちがどのように伝道生活を送っていたか、今日の箇所や別の箇所から知ることができます。
 
(1)ユダヤ人の会堂で
 
 まず、ユダヤ人の会堂で、パウロたちはどのようなことをしていたでしょうか。
 17章2節-3節にこう書かれていますね。「パウロはいつもしているように、会堂に入って行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。 そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、『私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです』と言った。」
 ユダヤ人たちは、聖書を神のことばとして大切にし、幼い頃から聖書に親しんでいました。当時はまだ新約聖書は編纂されていませんから、「聖書」とは旧約聖書のことですね。
 旧約聖書には、どんなことが書かれているでしょうか。人は神様に与えられた律法を守ろうとしても自分の力では守ることができず、自分勝手な生き方をしてしまう罪人であること、だから、神様のもとから来られる救い主が必要であること、そして、その救い主はすべての人に救いをもたらすことのできる方であることなどが書かれているのです。また、救い主がダビデ王の子孫から生まれること、ベツレヘムで生まれること、私たちのために苦しみを受けることなど、救い主に関する様々な情報も記されています。
 ですから、聖書をよく知っているユダヤ人に対しては、その聖書に基づいて救い主のことを語るのが最も説得力のある方法だったのです。
 では、パウロたちは聖書に基づいて何をしたでしょうか。
 
@聖書に基づいて彼らと論じた
 
 パウロたちは、聖書に基づいてユダヤ人たちと論じ合いました。一方的に語るのではなく、ユダヤ人たちの意見や質問を聞きながら話し合っていったのです。
 礼拝では、牧師が一方的に聖書のお話をしていますが、もし質問や疑問があれば、遠慮無く言いに来てください。聖書から論じ合っていきましょう。お互いに語り合う中で、理解が深まっていくからです。
 
Aキリストの十字架と復活について説明し、論証した
 
 この「説明する」と訳されている言葉は、「開く」という意味があります。
 この言葉は、ルカ24章でも遣われています。
 イエス様が十字架につけられた後、意気消沈した二人の弟子がエマオに帰っていく途上、復活したイエス様が近づいてこられました。二人はそれがイエス様だと気づきませんでした。イエス様は、二人が意気消沈している様子を見て、「『救い主は、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光に入る』と聖書に預言されていたではありませんか」と言い、旧約聖書全体から救い主について書いてある事柄を説明なさいました。エマオに着いて、食卓に着くと、イエス様はパンを取って祝福し、裂いて二人に渡しました。その時、やっと二人の目が開かれ、その人がイエス様であることに気づいたのです。するとイエス様は見えなくなってしまいましたが、二人はこう話し合いました。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」
 この「聖書を説明してくださった」の「説明して」という言葉も「開く」という意味です。聖書が伝えようとしていることを理解できるように説明するということですね。そして、聖書が開かれていくとき、つまり、聖書の言葉を理解できるようになっていくとき、私たちの心は燃えていくのですね。
 ユダヤ人たちは、聖書の内容をよく知ってはいましたが、聖書が伝えようとしている救い主のことを十分に理解できていませんでした。そこで、パウロたちは、キリストが罪と死の力に束縛されているすべての人を救うために苦しみを受け、死者の中からよみがえなければならないことを聖書に基づいて論証していったのです。
 
Bイエスこそキリストだと宣言した
 
 そして、パウロたちは「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです」とはっきり宣言しました。なぜなら、自分たちがイエス様に直接出会い、イエス様が旧約聖書の預言を成就するまことの救い主であることを証言できたからです。
 パウロたちの時代は、旧約聖書と弟子たちの目撃証言に基づいて、「イエスこそまことの救い主である」ということが宣べ伝えられていったわけですね。
 今、当時の弟子たちはいなくなってしまいましたが、その代わりに弟子たちが書き記した証言をまとめた新約聖書があります。ですから、今は、旧約聖書と新約聖書に基づいて論じ、説明し、論証し、宣言することが、教会にとってとても大切なことなのです。
(2)テサロニケ教会の誕生
 
 会堂でパウロたちの話を聞いた人々はどうしたでしょうか。
 4節にこう書かれていますね。「彼らのうちの幾人かはよくわかって、パウロとシラスに従った。またほかに、神を敬うギリシヤ人が大ぜいおり、貴婦人たちも少なくなかった。」
 前回も説明しましたが、「神を敬う」というのは、ユダヤ教に回心した異邦人に使われる表現です。会堂でパウロたちの話を聞いた人々の中で、ユダヤ人だけでなく異邦人もイエス・キリストを信じるようになったということですね。そして、テサロニケ教会が誕生したのです。
 
(3)パウロたちの労苦
 
 このテサロニケでパウロたちはどのような生活をしていたのでしょうか。
 第一テサロニケ2章9節で、パウロはテサロニケの教会にこう書き送っています。「兄弟たち。あなたがたは、私たちの労苦と苦闘を覚えているでしょう。私たちはあなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えました。」パウロたちはテサロニケで自ら働いて生計を立てていたようです。当時の律法の教師は手に職をつける習慣があり、パウロは天幕作りの技術をもっていましたから、テサロニケでも天幕作りをしたのかもしれません。
 そんなパウロたちを支援していたのが、前回の箇所で誕生したピリピの教会でした。ピリピ4章15節-16節にこう書かれています。「ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは一度ならず二度までも物を送って、私の乏しさを補ってくれました。」テサロニケ教会の誕生の陰には、パウロたちの労苦や他の教会の支援があったのですね。
 
(4)ユダヤ人たちのねたみ
 
 ユダヤ人の会堂でパウロたちが聖書に基づいて論じ語った結果、何人もの人たちがパウロたちに従い始めました。すると、ユダヤ人たちは、自分たちの仲間がパウロたちに奪われてしまったと思い、ねたみに駆られました。
 この「ねたみ」がとても大きな問題であることは、聖書の様々な箇所に書かれています。
 例えば、アダムの息子カインは、神様が弟アベルをえこひいきしていると思い込み、ねたみに駆られてアベルを殺してしまいました。
 また、イスラエルの最初の王となったサウルは、ダビデが巨人ゴリアテを倒してヒーローになり、人々にもてはやされるのを見て、日に日にねたみを深め、何度もダビデを殺そうとし、結局、精神に異常をきたし、自らに滅びを招いてしまいました。
 また、エルサレムの宗教指導者たちは、イエス様をねたんで、総督ピラトに訴え、ついには、イエス様を十字架につけてしまったのです。
 箴言27章4節に「憤りは残忍で、怒りはあふれ出る。しかし、ねたみの前にはだれが立ちはだかることができよう」とあります。憤りや怒りよりも、ねたみはさらに深刻な問題を引き起こすのです。ねたみによって正しい判断ができなくなり、理性を失い、あらゆる手段で相手を傷つけよう、抹殺しようとするまでになってしまうのですね。そんなねたみに支配されることのないよう、私たちも常に心の中を点検する必要がありますね。
 テサロニケのユダヤ人たちも、妬みに駆られて過激な行動に出ました。5節ー7節にこう書かれていますね。「ところが、ねたみにかられたユダヤ人は、町のならず者をかり集め、暴動を起こして町を騒がせ、またヤソンの家を襲い、ふたりを人々の前に引き出そうとして捜した。しかし、見つからないので、ヤソンと兄弟たちの幾人かを、町の役人たちのところへひっぱって行き、大声でこう言った。『世界中を騒がせて来た者たちが、ここにも入り込んでいます。それをヤソンが家に迎え入れたのです。彼らはみな、イエスという別の王がいると言って、カイザルの詔勅にそむく行いをしているのです。」
 ユダヤ人たちは、手段を選びませんでした。本当は、自分たちを支配しているローマ皇帝カイザルから解放してくれる救い主を求めていたはずなのに、「カイザルの王位を脅かす者たちがいるので罰してください」と訴え出たのです。これは、イエス様を訴えたエルサレムの宗教指導者たちの口実と同じですね。
 パウロたちは難を逃れましたが、代わりに捕らえられたヤソンという人物は、パウロたちに宿を提供していたようです。そのために逮捕され、保証金まで取られてしまいましたが、その後も教会のメンバーとして大切な働きをしていったようです。パウロがコリントからローマの教会に宛てた手紙の中にヤソンという名前が出てきますが、もし、これが同じ人物だとしたら、ヤソンはパウロに同行してコリントに行ったということになります。
 ところで、考えてみてください。この事件は、テサロニケ教会が誕生して間もないときに起こりました。福音は、人々に喜びをもたらすものですが、同時に、福音によって様々な問題が起こることがあるのですね。
 パウロは、ピリピ1章29節でこう書いています。「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。」
 また、イエス様はヨハネ16章33節でこう言っておられます。「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
 パウロたちは、イエス様のこのような言葉を事あるごとに思い出していたことでしょう。
 
2 ベレヤにて
 
 さてパウロたちは、兄弟たちに助けられてテサロニケを脱出し、ベレヤに向かいました。
 ここでも、まず、ユダヤ人の会堂に入っていきました。11節に「ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた」と書かれています。
 わざわざ「テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで」と書かれていますね。パウロたちは、テサロニケのユダヤ人たちに相当苦い思いを持っていたのでしょうね。
 この「良い人」というのは、もともとは「生まれが良い」という言葉ですが、それがだんだん「素直で、寛大で、偏見がない」という意味として用いられるようになったそうです。
 そういうベレヤの人々は、パウロたちに対してどのような態度を示したでしょうか。
 
(1)非常に熱心にみことばを聞いた
 
 ベレヤの人々は、熱心にみことばを聞きました。素直に、偏見を持たずに、心を傾けてみことばを聞いたのです。パウロは、ローマ10章17節で「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです」と書いています。熱心にみことばを聞いたベレヤの多くの人々が信仰を持つようになりました。
 
(2)毎日聖書を調べた 
 
 ベレヤの人々は、熱心に聞くだけでなく、「はたしてそのとおりかと毎日聖書を調べた」と書かれていますね。
 箴言19章2節に「熱心だけで知識のないのはよくない。急ぎ足の者はつまずく」と書かれています。正しい知識に基づかない熱心、間違った方向に向かう熱心は危険です。また、聞いただけでよく理解せずに信じていくと、間違った教えに振り回されてしまうこともあります。
 ですから、聞いたことが本当かどうか、聖書を調べることはとても大切です。礼拝で牧師が語る説教を聞くだけでなく、その牧師の語った内容が、本当に聖書の教えと合っているかどうか吟味することも大切なのです。
 牧師も人間ですから、間違っていたり、勘違いしていることもあるでしょう。もし、それに気づいたら、遠慮無く指摘してくださいね。
 ベレヤの人々は熱心にみことばを聞き、聖書を調べたので、多くの人が信仰を持つようになりました。これが、教会の基本です。みことばを聞き、聖書を読むことによって、確かな信仰の土台が築かれ、広がっていくのです。
 今、私たちは自由に聖書を手に入れて読むことができます。それは素晴らしい特権です。その特権を大いに使っていこうではありませんか。
 
3 アテネへ
 
 さて、ベレヤでの働きは順調に進んでいきましたが、また問題が起こりました。13節にあるように、テサロニケのユダヤ人たちが、パウロたちを追いかけてベレヤにもやって来て、群衆を扇動して騒ぎを起こしたのです。ねたみに駆られる姿は恐ろしいですね。なんとしてでもパウロたちを破滅させようと執拗に追いかけてきたのです。
 14節ー15節にこう書かれています。「そこで兄弟たちは、ただちにパウロを送り出して海べまで行かせたが、シラスとテモテはベレヤに踏みとどまった。パウロを案内した人たちは、彼をアテネまで連れて行った。そしてシラスとテモテに一刻も早く来るように、という命令を受けて、帰って行った。」
 パウロは、マケドニヤ地方のベレヤを脱出し、海辺に行って船に乗り、南のアカヤ地方にあるアテネに向かいました。そこで、シラスやテモテを待ちながら、しばらく一人でアテネに滞在することになりました。
 
 パウロたちは、この第二次伝道旅行で、最初は、もっと小アジア各地を回るつもりでした。しかし、主が小アジア各地への道を閉ざし、ヨーロッパのマケドニアに行く道を開いてくださいました。その結果、ピリピ、テサロニケ、ベレヤといったマケドニヤ各地に教会が生まれたのです。
 すべてが順風満帆ではなく、ねたまれ、悪評を立てられ、命の危険にさらされました。しかし、信仰の仲間たちの助けを受け、こんどは、南のアカヤ地方にまで福音が届けられるようになったのです。
 次回は、アカヤ地方最初の訪問地アテネでの出来事を見ていくことにしましょう。