城山キリスト教会 礼拝説教          
 二〇二二年三月二七日             関根弘興牧師
              使徒の働き一七章一六節〜三四節
 使徒の働き連続説教23
   「知られない神に」
 
 16 さて、アテネでふたりを待っていたパウロは、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた。17 そこでパウロは、会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと論じ、広場では毎日そこに居合わせた人たちと論じた。18 エピクロス派とストア派の哲学者たちも幾人かいて、パウロと論じ合っていたが、その中のある者たちは、「このおしゃべりは、何を言うつもりなのか」と言い、ほかの者たちは、「彼は外国の神々を伝えているらしい」と言った。パウロがイエスと復活とを宣べ伝えたからである。19 そこで彼らは、パウロをアレオパゴスに連れて行ってこう言った。「あなたの語っているその新しい教えがどんなものであるか、知らせていただけませんか。20 私たちにとっては珍しいことを聞かせてくださるので、それがいったいどんなものか、私たちは知りたいのです。」21 アテネ人も、そこに住む外国人もみな、何か耳新しいことを話したり、聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。22 そこでパウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの人たち。あらゆる点から見て、私はあなたがたを宗教心にあつい方々だと見ております。
23 私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。24 この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。25 また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。26 神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。27 これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。28 私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である』と言ったとおりです。29 そのように私たちは神の子孫ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。30 神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。31 なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。」32 死者の復活のことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、ほかの者たちは、「このことについては、またいつか聞くことにしよう」と言った。
33 こうして、パウロは彼らの中から出て行った。34 しかし、彼につき従って信仰に入った人たちもいた。それは、アレオパゴスの裁判官デオヌシオ、ダマリスという女、その他の人々であった。(新改訳聖書第三版)
 
 パウロたちは、第二次伝道旅行で、まず、小アジア地方に向かいました。小アジアの各地を回って伝道しようと考えていたのです。しかし、主は、その道を閉ざし、ヨーロッパのマケドニアに行く道を開いてくださいました。パウロたちは、ヨーロッパにも福音を伝えることになったのです。その結果、ピリピ、テサロニケ、ベレヤなどマケドニヤ各地に次々と教会が生まれていきました。
 しかし、前回お話ししたように、すべてが順風満帆だったわけではありません。その地に住むユダヤ人たちにねたまれ、悪評を立てられ、命の危険にさらされたのです。そこで、パウロに同行していたシラスとテモテはベレヤに踏みとどまり、パウロだけが先にアカヤ地方のアテネに行って、シラスとテモテを待つことになりました。今日の箇所には、そのアテネでの出来事が記されています。
 当時のアテネは、世界に誇る文化都市でした。ソクラテスやプラトンなどの哲学者を輩出し、世界中から学問を追究する人々が集まる哲学の都であり、インテリ集団が住む学問の聖地だったのです。人々は、毎日のように集まっては議論していました。21節には、「アテネ人も、そこに住む外国人もみな、何か耳新しいことを話したり、聞いたりすることだけで、日を過ごしていた」とありますね。知識を得ることに熱心だったのです。
 しかし、その一方で、アテネは、神々が氾濫する場所でもありました。パルテノン神殿をはじめ、町中に神々の像が置かれていました。あるギリシャの歴史家は「われわれの地域は神々でいっぱいだから、諸君は人にあうより神にあうほうが多いだろう」と記し、またある人は「アテネはあらゆる様子のあらゆる材料の神と人の像が見られる」「アテネにはギリシャ全体を合わせたよりも多くの像がある」と記しているほどです。宗教的には、かなり混沌とした状態だったようですね。
 その状態を見たパウロは「心に憤りを感じた」と書かれていますね。まことの神様を知らずに混乱と混沌の中にいるアテネの人々に何とか福音を伝えなくてはと思ったことでしょう。
 そこで、ユダヤ人の会堂に行ってユダヤ人やユダヤ教に回心した異邦人たちに福音を語るとともに、毎日広場に行って町の人々にも福音を語っていたのです。
 
1 広場での議論
 
 さて、広場には、「エピクロス派とストア派の哲学者たちも幾人かいて、パウロと論じ合っていた」と18節に書かれていますね。
 このエピクロス派とストア派というのは、当時の哲学の二大学派でした。私は哲学には詳しくないのですが、簡単にまとめると、次のような説を唱えていたようです。
 
(1)エピクロス派の考え方
 
 エピクロス派の創始者は、哲学者エピクロス(前342-271年)です。彼は初め小アジヤで教えていましたが、後にアテネに移り、多くの弟子を集めました。彼は、神々の存在を信じますが、その神々はこの世界と人に対しては無関心であって、人の日常の雑事に煩わされない永遠の静寂にいる、と説きました。また、人は、死によってすべて終わると考えていました。すべての人にとっての人生の目的は「幸福」であり、幸福とは基本的に快楽であると言います。快楽こそ善であり、祝された生活の基盤であり、すべての判断基準であり、人間はできるだけ多くの快楽を得るような生き方をすべきであるというのです。この考え方から、後に、欲望のまま快楽を追い求める快楽主義が生まれてきましたが、エピクロス派が当初唱えていたのは、様々な欲望がある中でも「自然で必要な欲望」(友情、健康、衣食住を求める欲求)だけが満たされる生活を送ることによって、何事にも煩わされず、欲望に左右されない、独立した心の平和を得ることができる、それが、真の幸福である、という教えでした。
 
(2)ストア派の考え方
 
 一方、ストア派は、紀元前300年頃、ゼノンという哲学者が、アテネの壁面に絵の描かれた柱廊(ストア・ポイキレー)で講義したことから、ストア派と呼ばれるようになりました。ストア派の人たちは、汎神論の立場を取っていました。神と宇宙、世界、自然とを同一視する考え方です。ですから、木は神、石は神、動物も神、空は神、太陽も神、あなたも神ということになるのです。そして、人間にとって理性に従う生活こそ倫理的に正しい生活であると考え、理性による正義、洞察、勇気、また、感情と衝動を支配することなど、禁欲的道徳観を持つことが大切だと教えていました。ここから「ストイック」(禁欲的)という言葉も生まれました。
 
 さて、こういう考え方を持った哲学者たちに対して、パウロは、「神のもとから来られたイエスというお方こそ、すべての人のための救い主です。その証拠として、イエスは復活され、今も生きておられます」と語りました。
 それを聞いた人々の反応はどうだったでしょうか。18節に「ある者たちは、『このおしゃべりは、何を言うつもりなのか』と言い、ほかの者たちは、『彼は外国の神々を伝えているらしい』と言った」と書かれていますね。パウロの語ることは、彼らの哲学とはあまりにもかけ離れた内容で、よく理解できなかったようです。
 そこで、彼らは、パウロをアレオパゴスに連れて行って、さらに詳しい話を聞くことにしました。
 
2 アレオパゴスでの説教
 
 アレオパゴスは「アレス神の丘」という意味で、高さ百十三メートルの丘の名前です。また、アテネの評議会の名でもありました。この評議会は、刑事事件の法廷となったり、パウロがいたローマ時代には、宗教や教育道徳の監督に当たっていました。パウロがアテネにいた当時、この議会はアテネの市場にある柱廊で開かれていましたので、パウロが連れて行かれたのは、アレオパゴスという丘の上ではなく、この議会があった場所だったようです。そこに、パウロの話を聞いてみようと多くの人が集まってきました。パウロの公開講演会のような感じですね。
 ここでパウロは何を語ったのでしょう。以前にもお話しましたが、パウロはいつも相手に合わせた説教をしました。ユダヤ人たちに対しては、旧約聖書を引用して語りました。しかし、今回は、旧約聖書を読んだこともなく、聖書の神様のこともほとんど知らないアテネの人々が相手です。そこで、パウロは、彼らの身近にあるものを引き合いに出して語り始めました。「私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。」そして、パウロは、アテネの人々が知らなかったまことの神様について語ったのです。どのような内容だったでしょうか。
 
(1)天地万物をお造りになった神がおられる。
 
 まず、24節で、パウロはこう言いました。「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。」
想像してみてください。アレオパゴスのすぐそばには、豪華なパルテノン神殿がありました。しかし、そのパルテノン神殿も、天地を創造し、天地の主として治めておられる神様を入れることはできない、それほど偉大な神様がおられるのだ、とパウロは語ったのです。
 しばらく前にある教会に招かれて説教させていただいたとき、ある男性がクリスチャンになった経緯を話してくださいました。奥さんはクリスチャンで毎週日曜日に教会に通っていましたが、その方は、定年まで営業の仕事一筋でした。しかし、定年退職して時間がたくさんあるわけですね。そこで奥さんに言ったそうです。「今度、教会まで送っていってあげよう。」教会への送迎が始まって一月ほど経つと、今度は、こう言ったそうです。「お前、一度でいいから礼拝に出席してほしいって言ってたな。今度、礼拝に出てやってもいいぞ。」そして、次の礼拝に出席されたそうです。しかし、その日の礼拝の説教は、創世記、それも、1章1節の「初めに神が天と地を創造された」という箇所からだったのです。奥さんは、がっかりして、「夫は、理屈っぽい人だから、きっとこの説教では、『くだらん!』って言うに決まっている。牧師も、もっと別の箇所から説教してくれればいいのに」と思ったそうです。しかし、説教を聞いた御主人は、こう言いました。「お前、今日はとても良い話を聞いた。神様が世界を造り、俺にいのちを与えてくれているなら、俺の人生は生きる意味があるってことだな。これから教会に続けて行こう。」そして、御主人はクリスチャンになったのです。
 神様に造られたということは、生きる意味と目的が与えられているということなのですね。
 
(2)神様は、ひとりの人からすべての人を造り、住むべき時代と場所を与えられた。
 
 パウロは、続けて、26節でこう言いました。「神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。」
 当時、アテネ人は「アテネの人たち」と呼ばれることを誇りとしていました。この世界には、自分たちと野蛮人の二種類がいて、自分たちはゼウス神の子孫だと誇っていたのです。しかし、パウロは、「すべての人は、ひとりの人から造り出されたのだ」と教えたのです。肌の色や国によって自分たちの優位性を誇ることがどれほど愚かなことか、聖書は昔から教えているのですね。また、パウロは、「あなたがたがこの時代、この場所に生きているのは、神様がお決めになったことなのだ」と語りました。神様が世界の歴史のどの時代にあってもすべてを支配しておられるというのです。
 
(3)神はすぐ近くにおられ、私たちひとりひとりをよく知っておられる
 
 そして、27-28節にこうあります。「これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。」 
 詩篇139篇の作者はこう歌っています。「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。そのような知識は私にとってあまりにも不思議、あまりにも高くて、及びもつきません。私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。」
 神様は、ひとりひとりのすぐそばにいて、ひとりひとりに関心を持ち、ひとりひとりをよく知っておられます。だから、私たちが神様を探り求めるなら、神様を見いだすことができるとパウロは語ったのです。
 
(4)神様は、悔い改めを命じておられる。
 
 そして、パウロは28ー30節でこう言いました。「あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である』と言ったとおりです。そのように私たちは神の子孫ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。」
 パウロは、「あなたがたが尊敬する昔の詩人たちも『私たちは神の子孫である』と言いましたが、確かに私たちは神様に造られ、神様のいのちの息を吹き込まれた神の子孫なのです。それなのに、人間が造った金や銀や石の偶像を神のように拝むのはおかしいではありませんか。神様は、今までは、そんな愚かな行為を見過ごしてくださっていましたが、今では、悔い改めて、まことの神様に立ち返るようにと命じておられます」と語ったのです。
 このパウロの言葉を聞いて、人々はどう思ったでしょうね。誇り高き「アテネ人」も実は「無知な時代」を過ごしていた者たちの仲間であったということですからね。あなたが「無知な人ですね」と言われたら、どう思いますか。むかっとくるかも知れませんね。アテネの人々、特に哲学者は、パウロの言葉に気を悪くしたかもしれません。
 でも、もし迷子になった子供が近くにいる適当な大人を見つけて「お父さん」にしようと考えるなら、それはおかしなことですね。迷子の子供は、自分勝手にお父さんをつくるのではなく、本当のお父さんを捜し求めますね。本当のお父さんが必要だとわかっているからです。
 「悔い改める」とは、「方向転換をする」「向きを変える」ということです。今まで、「天地を創造された神様なんて知りません。必要ありません」と言って、自分に都合のいい神々を作っていた状態から方向転換して、まことの神様のほうに向きを変えることが、今、命じられているのだ、とパウロは語りました。なぜ、今なのでしょうか。
 
(5)世界をさばく方
 
 30ー31節でパウロはこう説明しました。「なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。」
 パウロは、「この世界がさばかれる日が来る」「神は義をもって世界をさばくひとりの人をお立てになった」「神はその方をよみがえらせることによって、その方こそ世界をさばく方であることを確証された」と言って、イエス・キリストのことを語ったのです。
 終末はあります。しかし、終末はすべての終わりではありません。イエス様が十字架で私たちの罪の贖いを成し遂げてくださり、よみがえって私たちに新しいいのちを与えてくださったので、私たちはさばきの日に神様の前に義とされ、死を乗り越えた永遠のいのちによって神様とともに生きることができるのです。
 神様は、イエス・キリストによって、その救いの道を完成させてくださいました。だから、今、悔い改めてまことの神様に立ち返るようにと命じておられるのです。
 
 さて、パウロの話を聞いて、アテネの人々はどんな反応をしたでしょう。残念ながら、死者の復活の話を聞いて、あざ笑ったり、「またいつか聞くことにしよう」という先延ばしの態度を取ったのです。前回登場したベレヤの人たちは、パウロの話に熱心に耳を傾け、大勢の人が信じましたね。しかし、アテネでは、真剣に耳を傾ける人はあまりいなかったようです。パウロにとってアテネは伝道の難しさを感じる場所だったでしょう。
 しかし、34節にこう書かれています。「しかし、彼につき従って信仰に入った人たちもいた。それは、アレオパゴスの裁判官デオヌシオ、ダマリスという女、その他の人々であった。」少数ですが、このアテネでもクリスチャンが生まれ、教会が誕生したのです。後に、エウセビオスという歴史家が、このアレオパゴスの裁判官デオヌシオについてこう書いています。「この裁判官がアテネ教会の初代監督となり、後に殉教した。」
 アテネという神々の像と人間主体の哲学が氾濫する町にも、福音が伝えられていったのですね。
 最後に、28節のパウロの言葉を改めて心に留めましょう。 「私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。」