城山キリスト教会 礼拝説教          
 二〇二二年四月三日             関根弘興牧師
              使徒の働き一八章一節〜一七節
 使徒の働き連続説教24
   「恐れず語り続けよ」
 
 1 その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った。2 ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、3 自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。4 パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシヤ人を承服させようとした。5 そして、シラスとテモテがマケドニヤから下って来ると、パウロはみことばを教えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちにはっきりと宣言した。6 しかし、彼らが反抗して暴言を吐いたので、パウロは着物を振り払って、「あなたがたの血は、あなたがたの頭上にふりかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のほうに行く」と言った。7 そして、そこを去って、神を敬うテテオ・ユストという人の家に行った。その家は会堂の隣であった。8 会堂管理者クリスポは、一家をあげて主を信じた。また、多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた。9 ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。10 わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」と言われた。11 そこでパウロは、一年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。12 ところが、ガリオがアカヤの地方総督であったとき、ユダヤ人たちはこぞってパウロに反抗し、彼を法廷に引いて行って、13 「この人は、律法にそむいて神を拝むことを、人々に説き勧めています」と訴えた。14 パウロが口を開こうとすると、ガリオはユダヤ人に向かってこう言った。「ユダヤ人の諸君。不正事件や悪質な犯罪のことであれば、私は当然、あなたがたの訴えを取り上げもしようが、15 あなたがたの、ことばや名称や律法に関する問題であるなら、自分たちで始末をつけるのがよかろう。私はそのようなことの裁判官にはなりたくない。」16 こうして、彼らを法廷から追い出した。17 そこで、みなの者は、会堂管理者ソステネを捕らえ、法廷の前で打ちたたいた。ガリオは、そのようなことは少しも気にしなかった。(新改訳聖書第三版)
 
 前回に引き続き、パウロの第二回目の伝道旅行の記録を読んでいきましょう。
 パウロは、シラスとテモテとともにマケドニヤ地方の各都市を回り、その結果、各都市にクリスチャンたちが起こり、教会が生まれていきました。しかし、妬みにかられたユダヤ人たちの激しい迫害が起こったので、シラスとテモテだけがマケドニヤに踏みとどまり、パウロは一人で先にアカヤ地方のアテネに行くことになりました。
 アテネは、パルテノン神殿があり、町中に多くの神々の像が溢れる町でした。また、学問と哲学の中心地で、多くの人が新しい知識を得たり議論することで日々を過ごしていました。もちろんパウロは、アテネでも福音を熱心に語りました。ユダヤ人の会堂で語り、また、人々が集まる広場に行って議論し、アレオパゴスの議場にも呼ばれて福音を語ったのです。パウロは、こう語りました。「この世界のすべてを造られた神がおられます。その神は、あなたがたから遠く離れたところにおられるのではありません。あなたがたは、神の中に生き、動き、存在しているのです。だから、悔い改めて、神様のほうに向きを変えて、神様を求めなさい。神様は、最終的に義をもってこの世界をさばく方をお立てになりました。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、その方がまことのさばき主であることの確証を与えてくださったのです。」
 このパウロの話を聞いて、アレオパゴスの裁判官デオヌシオをはじめ、何人かの人々が信じて、小さいながらもアテネに教会が誕生しました。
 しかし、ほとんどの人がパウロの話を真剣に受け取ろうとしませんでした。「このおしゃべりは何を言っているのか」とあざわらったり、「またいつか聞くことにしよう」と聞き流すだけだったのです。真剣に興味を示したり、反対する人はほとんどいませんでした。つまり、まったくの「無関心」だったわけです。アテネの人々は、神々の像や「知られない神に」と刻んだ祭壇を造る熱心はありました。また、自分の知識を増やそうとする熱心はありました。しかし、イエス様に無関心、永遠の救いの福音に無関心、すべてを治めておられる神様に無関心だったのです。
 「説教者殺すにゃ刃物はいらぬ!あくび三つでことが済む」と言った人がいますが、賛成も反対もされず、ただただ無関心な態度を示されるのが、語る側にはもっとも辛いことなのです。「ああ、牧師は、今日も私と関係ないことを語っている」と思われていると思うと失望してしまうのですね。
 パウロも、このアテネの経験で意気消沈してしまったようです。彼は、これまでどんな迫害にも耐えてきました。暴徒たちによって石を投げつけられたり、投獄されたり、むち打ちにされたこともありました。しかし、それよりもさらにアテネの人々の無関心はパウロにとって辛い経験だったのかもしれません。
 この後、パウロは、コリントに行きましたが、その時の心証を第一コリント2章1節ー5節にこう記しています。「さて兄弟たち。私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。」
 アテネからコリントに行った時、パウロは自信を失い、弱く、恐れおののいていたというのです。アテネで福音があまり受け入れられなかったことに失望していたのでしょう。しかし、同時に、「自分の知恵を用いて説得力のあることばで人々を信じさせようとするのではなく、神様の力に期待して、ただ単純にイエス・キリストの十字架と復活の話を語っていこう」と改めて心に決めたようですね。アテネの経験から、人は、人間的な知恵に満ちた巧みな言葉によってではなく、ただ神様のみわざによって救われるのだということを改めて感じたのかもしれません。
 
1 コリントでのパウロの生活
 
 さて、コリントは、アテネの西八十キロのところにある交通の要衝
で、貿易と商業が発達し、ローマ、アレキサンドリヤ、エペソに次ぐ重要な都市でした。人口六十万人にも達する大都市で経済的に繁栄していました。同時に、偶像礼拝が盛んで、街の中央にアポロンの神殿があり、南側の丘の上にはアフロディーテの大神殿がありました。巡礼者に安産を賜る祭りが行われ、千人もの神殿娼婦が巡礼者を迎え入れたと言われます。そのため、コリントの町は道徳的に退廃し、「コリント人のように振る舞う」という言葉が「不道徳を行う」という意味になったほどです。そんな町で、パウロは一年半の間、神のことばを教え続けることになりました。大都会で生活するためには、それなりの費用がかかります。パウロは、生活費や活動のための費用をどのようにしてまかなっていたのでしょうか。
 
(1)天幕作り
 
 当時のユダヤ教の教師は他人に厄介をかけないように手に職をつける慣習がありました。パウロも、以前はユダヤ教の教師でしたから、天幕作りの技術を身につけていました。パウロの出身地タルソでは、キリキヤ産のやぎの毛で織った布地や動物の皮で天幕を造っていたそうです。
 パウロがコリントに行った時、ちょうどアクラとプリスキラの夫婦もローマからコリントに来ていました。神様の不思議なタイミングですね。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである」とありますが、この「クラウデオ帝の追放令」はキリスト教を巡ってローマのユダヤ人たちの間に起こった騒動をきっかけに出されたもののようです。ですから、この夫妻は、ローマですでにクリスチャンになっていて、追放されてコリントに来たのではないかと考えられます。この夫婦は、この後、パウロを大いに助け、教会の中で大きな役割を果たす存在になります。パウロは、アテネで意気消沈し、仲間と離れて孤独を感じていたでしょうが、コリントでこの夫婦と出会い、大いに励まされたことでしょう。
 パウロはこの夫婦の家に住んで、一緒に天幕作りの仕事をしながら伝道活動をすることになりました。普段の日は天幕を造り、安息日にはユダヤ教の会堂に行って福音を語ったのです。 ちなみに、このことから、何か職業を持って自活しながら伝道する人のことを「テントメーカー」と呼ぶようになりました。
 以前、ピリピの町では、紫布商人のルデヤの家が提供されました。テサロニケにでは、ヤソンの家が備えられていました。そして、コリントではアクラ夫婦の家が備えられていたのです。神様はいつも必要を備えてくださるのですね。
 
(2)ピリピ教会の支援
 
 5節に「そして、シラスとテモテがマケドニヤから下って来ると、パウロはみことばを教えることに専念し」と書かれています。パウロは、シラスとテモテが来てからは、みことばを教えることに専念することができるようになりました。これは、シラスとテモテがパウロの代わりに何かの仕事をしたということではないでしょう。
 第二コリント11章9節にはこう記されています。「あなたがたのところ(コリント)にいて困窮していたときも、私はだれにも負担をかけませんでした。マケドニヤから来た兄弟たちが、私の欠乏を十分に補ってくれたのです。」この「マケドニヤから来た兄弟たち」とは、シラスやテモテたちのことです。彼らが欠乏を補う十分な献金を持ってきてくれたのです。
 そして、ピリピ4章15節にはこう書かれています。「ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。」つまり、ピリピ教会が献金によってパウロたちの働きを支えていたのですね。ピリピ教会は、テサロニケ伝道の時もそうでしたが、この後もパウロの伝道の働きを支援していくことになります。
 
 私たちは、時々、主が必要を備えてくださっていることに気づかずに、「何も備えられていない」「何もない」と考えてしまうことがあります。しかし、気落ちしてコリントに行ったパウロのために必要な人や物を備えてくださった主は、私たちにも同じようにしてくださるのです。
 
2 コリント伝道の成果
 
 パウロは、最初は天幕作りをしながら安息日ごとに会堂で論じ、シラスとテモテが来てからは仕事をやめて、イエス様こそキリストであると宣べ伝えることに専念するようになりました。
 しかし、ユダヤ人たちが反抗して暴言を吐いたので、パウロは6節で彼らにこう宣言しました。「あなたがの血は、あなたがたの頭上にふりかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のほうに行く。」
 といっても、パウロがユダヤ人たちを見限ってしまったということではありません。パウロはローマ10章1節で「私が心の望みとし、また彼ら(ユダヤ人)のために神に願い求めているのは、彼らの救われることです」と書いています。また、ローマ9章3節では「ユダヤ人が救われるためなら、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたい」と書いているのです。
 しかし、今、キリストを拒絶しているユダヤ人たちに何を言っても無駄だと判断したパウロは、もっぱら異邦人たちに福音を語ることにしました。しかし、少しでもユダヤ人に福音が届くことを願ったのでしょう。ユダヤ人の会堂の隣に住む神を敬うテテオ・ユストという人の家で集会を持つことにしたのです。このテテオ家は、コリントの陶工として名をはせた名門として知られていたそうです。また「神を敬う」という表現はユダヤ教に改宗した異邦人を表す言葉ですから、テテオ・ユストは、ローマ市民権をもったユダヤ教の改宗者だったのです。その家がコリント伝道の拠点となりました。そして、なんと、ユダヤ教の会堂管理者クリスポが一家をあげて主を信じたのです。また、多くのコリント人が信じて洗礼を受けたと書かれていますね。コリントでは、アテネと違って目を見張る結果が得られたのです。
 
3 主の励まし
 
 しかし、9節-10節で、主が幻の中でパウロにこう言われたとありますね。「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。」主はなぜこう言われたのでしょうか。
 
(1)恐れるな
 
 主が「恐れないで、語り続けなさい」と励まされたのは、パウロの中に恐れがあったからでしょう。一見成功しているようなコリントでの伝道生活の中でパウロはどんな恐れを持っていたと考えられるでしょうか。
 
@成功と不安
 
 パウロは第二コリント11章29節に「だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか」と書いています。パウロというと、何事にもへこたれず弱音を吐かない強い人というイメージがありますが、パウロも私たちも同じように落ち込みもするし、不安を持つことがあるのです。
 人はときどき、すべてが順調に思えるときに突如として不安に襲われるということがあるものです。
 旧約聖書の預言者エリヤもそうでした。自分を迫害しようとする王の前でも大胆に神のことばを語り、何百人もの異教の預言者たちにたった一人で勇敢に立ち向かって大勝利を収め、主こそまことの神であることを知らしめました。しかし、その直後、王妃が自分を殺そうとしていることを知ると、急に恐れを感じて逃げ出してしまったのです。そして、「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから」と弱音を吐きました。命がけで主のことばを大胆に宣べ伝えていたエリヤが、燃え尽き症候群のようになってしまったのです。主は、そんなエリヤに食べ物と水を与え、ゆっくりと休む時間を与えました。そして、「あなたは、孤軍奮闘しているように思っているかもしれないが、わたしを信じるあなたの仲間が七千人残っている。また、あなたの仕事を引き継ぐ後継者も準備しているのだ」と言って励ましてくださったのです。
 パウロはどうだったでしょう。天幕作りをしなくてもすむ環境となり、自由に福音を語ることができ、ユダヤの会堂管理者をはじめ多くの人々がクリスチャン信じて洗礼を受けるようになりました。素晴らしいことですね。恐れるものなど何もなし、という感じですね。しかし、パウロは、もしかすると、エリヤと同じような思いをもったのかもしれません。先ほども言いましたように、人は最も順調に思われるとき、突如として不安に襲われることがあるからです。
 また、コリントの教会は大きく成長していきましたが、問題の多い教会でもありました。道徳的な問題もあれば、パウロに対しての誤解や中傷もありました。多くの人が集まるにつれて、教会内での問題も増えていきました。そうした中で、パウロは、自分が教会を適切に指導していけるだろうか、このまま語り続けていけるだろうか、と不安を感じたのかもしまれせん。
 
Aユダヤ人たちの嫌がらせ
 
 もう一つは、ユダヤ人たちの問題です。パウロはこれまでも、何度もユダヤ人からの嫌がらせや迫害を経験してきました。何度も経験したパウロなら迫害など恐れないのではないか、と思う人もいるかもしれませんが、怖いものは、何度襲ってきても怖いですね。
 パウロは、コリントでのユダヤ人たちの嫌がらせがこれからどのようにエスカレートしていくのかと考えると心配になったことでしょう。以前もユダヤ人に迫害されたために別の場所に行かざるを得なくなったことがありましたから、このコリントにもいつまでいられるかと憂慮していたかもしれません。
 実際、コリントに住むユダヤ人たちは、会堂管理者までもがクリスチャンになってしまったので、黙っていられなくなりました。パウロを法廷に引いて行って「この人は、律法にそむいて神を拝むことを、人々に説き勧めています」と訴えたのです。 この時の地方総督ガリオは、後に皇帝ネロの家庭教師となったセネカの兄で、学識の高い人物でした。ガリオは、「それは、ユダヤ教の内部の問題で、ユダヤ人たちが自分たちで始末をつけるべきだ」と判断して、彼らの訴えをあっさり退けてしまいました。
 ユダヤ人たちはその腹いせに、会堂管理者ソステネを打ちたたいたと書かれていますね。以前の会堂管理者クリスポがクリスチャンになったので、ソステネが後を引き継いだのでしょうが、なぜソステネが打ちたたかれたのかはよくわかりません。パウロたちの働きを放置していたということでユダヤ人たちの怒りを買ったのかもしれませんし、もし、第一コリント1章1節に出てくるソステネと同一人物だとしたら、ソステネもクリスチャンになっていたか、または、なろうとしていたか、あるいは、パウロたちの味方になっていたのかもしれませんね。
 とにかく、パウロは、法廷に訴えられたのにもかかわらず無事に解放されました。主が「だれもあなたを襲って、危害を加える者はない」と約束してくださったとおりですね。
 
(2)語り続けなさい
 
 主は、幻の中で、「語り続けなさい。だまってはいけない」とパウロを励まされました。そして、「この町には、わたしの民がたくさんいるから」と言われたのです。
 「わたしの民」というのは、旧約聖書では「神に選ばれた民、イスラエルの民」を表す言葉です。でも新約聖書では、ユダヤ人か異邦人かに関係なく、「イエス・キリストを信じて神の民とされたクリスチャンたち」、そして、「これからクリスチャンになる人たち」を指しています。「コリントには、福音を信じる人、また、これから信じようとする人がたくさんいるのだから、語り続けなさい」と主は言われたのですね。
 イエス様は、ヨハネ10章16節で「わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです」と言われました。
 私たちが住んでいるこの地においても、主が「わたしの民」と呼ぶ人々がたくさんいます。だからこそ、私たちは、こうして礼拝をささげ、福音を語り続けていきましょう。