城山キリスト教会 礼拝説教    
二〇二二年七月三一日            関根弘興牧師
               使徒の働き二四章一〜二七節
  使徒の働き連続説教35
   「やがて来る審判」
 
1 五日の後、大祭司アナニヤは、数人の長老およびテルトロという弁護士といっしょに下って来て、パウロを総督に訴えた。
2 パウロが呼び出されると、テルトロが訴えを始めてこう言った。「ペリクス閣下。閣下のおかげで、私たちはすばらしい平和を与えられ、また、閣下のご配慮で、この国の改革が進行しておりますが、3 その事実をあらゆる面において、また至る所で認めて、私たちは心から感謝しております。4 さて、あまりご迷惑をおかけしないように、ごく手短に申し上げますから、ご寛容をもってお聞きくださるようお願いいたします。5 この男は、まるでペストのような存在で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であり、ナザレ人という一派の首領でございます。6 この男は宮さえもけがそうとしましたので、私たちは彼を捕らえました。8 閣下ご自身で、これらすべてのことについて彼をお調べくださいますなら、私たちが彼を訴えております事がらを、おわかりになっていただけるはずです。」9 ユダヤ人たちも、この訴えに同調し、全くそのとおりだと言った。10 そのとき、総督がパウロに、話すようにと合図したので、パウロはこう答えた。「閣下が多年に渡り、この民の裁判をつかさどる方であることを存じておりますので、私は喜んで弁明いたします。11 お調べになればわかることですが、私が礼拝のためにエルサレムに上って来てから、まだ十二日しかたっておりません。12 そして、宮でも会堂でも、また市内でも、私がだれかと論争したり、群衆を騒がせたりするのを見た者はありません。13 いま私を訴えていることについて、彼らは証拠をあげることができないはずです。14 しかし、私は、彼らが異端と呼んでいるこの道に従って、私たちの先祖の神に仕えていることを、閣下の前で承認いたします。私は、律法にかなうことと、預言者たちが書いていることとを全部信じています。15 また、義人も悪人も必ず復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神にあって抱いております。16 そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています。17 さて私は、同胞に対して施しをし、また供え物をささげるために、幾年ぶりかで帰って来ました。18 その供え物のことで私は清めを受けて宮の中にいたのを彼らに見られたのですが、別に群衆もおらず、騒ぎもありませんでした。ただアジヤから来た幾人かのユダヤ人がおりました。19 もし彼らに、私について何か非難したいことがあるなら、自分で閣下の前に来て訴えるべきです。20 でなければ、今ここにいる人々に、議会の前に立っていたときの私にどんな不正を見つけたかを言わせてください。21 彼らの中に立っていたとき、私はただ一言、『死者の復活のことで、私はきょう、あなたがたの前でさばかれているのです』と叫んだにすぎません。」22 しかしペリクスは、この道について相当詳しい知識を持っていたので、「千人隊長ルシヤが下って来るとき、あなたがたの事件を解決することにしよう」と言って、裁判を延期した。23 そして百人隊長に、パウロを監禁するように命じたが、ある程度の自由を与え、友人たちが世話をすることを許した。24 数日後、ペリクスはユダヤ人である妻ドルシラを連れて来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスを信じる信仰について話を聞いた。25 しかし、パウロが正義と節制とやがて来る審判とを論じたので、ペリクスは恐れを感じ、「今は帰ってよい。おりを見て、また呼び出そう」と言った。26 それとともに、彼はパウロから金をもらいたい下心があったので、幾度もパウロを呼び出して話し合った。27 二年たって後、ポルキオ・フェストがペリクスの後任になったが、ペリクスはユダヤ人に恩を売ろうとして、パウロを牢につないだままにしておいた。(新改訳聖書第三版)
 
 前回は、パウロがエルサレムからカイザリヤにいるローマ総督のもとに護送されてくるまでの出来事を見ましたね。
 パウロは、第三回伝道旅行の後、エルサレムにやって来ました。そして、律法に従って供え物をささげるために神殿に行きました。すると、ユダヤ人たちが「パウロが異邦人を神殿の中庭に連れ込んだ」と誤解して、大騒動を起こしたのです。当時は、ローマ帝国の支配下にありましたから、エルサレムの治安を守るローマ軍の千人隊長ルシヤがその騒動を収めるために出動し、殺到するユダヤ人たちの中からパウロを連れ出して拘留しました。そして、なぜユダヤ人たちがパウロを訴えているのかを詳しく知るために、ユダヤの最高議会を招集し、そこにパウロを立たせたのです。その議会は、ユダヤ人の宗教指導者たちによって構成され、ユダヤ社会の宗教的政治的問題の最高議決機関であり最高裁判所の機能も担っていました。しかし、議長である大祭司アナニヤをはじめ多くの議員たちは、自分の地位や利権を守ることを第一に考えていたので、それを危うくするイエス・キリストの教えに脅威を感じ、クリスチャンたちを抹殺したいと思っていました。そこで、パウロは、議会で大祭司アナニヤに向かって「あなたは、白く縫った壁だ」、つまり、「外側は正しそうに取り繕っているが、内側は腐っている」と痛烈な批判の言葉を放ったのです。そして、パウロが「死者の復活のことで、私はきょう、あなたがたの前でさばかれているのです」というと、復活を信じないサドカイ人と復活を信じるパリサイ人の間に大論争が起こり、議会が混乱状態になってしまったので、千人隊長はパウロを議会から連れ出しました。
 翌日、約四十名ほどのユダヤ人たちが集まって、一部の議員たちと結託して暗殺計画を立てました。どういう計画かと言いますと、議員たちが千人隊長にパウロをもう一度尋問するため議会に連れてきてほしいと頼み、パウロが議会に連れて来られる途中で待ち伏せている刺客たちがパウロを殺してしまおうという計画でした。しかし、パウロの甥がその陰謀のことを耳にして、すぐにパウロと千人隊長に知らせたので、千人隊長は、ただちにパウロに多数の護衛をつけてカイザリヤに送り出しました。そして、議員たちがやってくると、「パウロはもうカイザリヤの総督のもとに送ったから、何か訴えたいならカイザリヤに行くように」と告げたのです。
 
1 総督ペリクスによる裁判
 
 そこで、五日の後、大祭司アナニヤが長老たちと弁護士テルトロといっしょにカイザリヤにやって来てパウロを総督に訴えました。
 
(1)弁護士テルトロの訴え
 
 弁護士テルトロは、まず、総督にお世辞を並べ立ててから、パウロについてこう訴えました。「この男は、まるでペストのような存在で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であり、ナザレ人という一派の首領でございます。この男は宮さえもけがそうとしましたので、私たちは彼を捕らえました。」 テルトロは、パウロを「まるでペストのような存在」だと言いましたが、これは裏を返せば、福音が急速に広まっていることに脅威を感じていたということでしょう。また、「世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者」だと言ったのは、ローマ帝国支配下のあちこちで騒動を起こしている者なら総督も無視できないだろうという期待を込めたのかもしれません。そして、「ナザレ人という一派の首領」と言っていますが、ナザレは、ガリラヤ地方のイエス様が育った町です。イエス様は、ナザレのイエスと呼ばれていました。当時、ナザレ人は、ユダヤの社会では決して評判は良くありませんでした。「ナザレから何の良きものが出ようか」と言われたほどです。その地方の人々は、気性が荒く、過激分子呼ばわりされることもありました。ですから、「ナザレ人という一派の首領」というのは、とんでもない危険きわまりない一派の首領だ」という意味があったわけです。ローマ帝国は、支配地域の中に騒動や混乱が起こることを特に警戒していましたから、弁護士テルトロは、パウロが騒動を起こす危険人物だから厳しく処罰すべきだと主張したのでしょう。そして、テルトロはパウロがユダヤ人が最も大切にしている神殿さえも汚そうとしたと訴えました。ユダヤ人全体を侮辱するようなことをしたのだと訴えたのです。
 
(2)パウロの弁明
 
 それに対してパウロはこう弁明しました。「私はエルサレムに来てから騒ぎを起こしたことはありません。証拠もないはずです。ただ救い主イエスを信じて従っていることは認めます。しかし、私も彼らと同じ神様に仕えているのであって、彼らと同じように聖書に書かれていることを全部信じており、神の前でも人の前でも良心に従って最善を尽くして生活しています。神殿に行ったときも、特に問題になることは何もしていません。神殿でのことで私を非難したいなら、神殿で実際に私を見た人々が自分でここに来て訴えるべきだし、今、ここにいる大祭司や長老たちは、私の議会での行動を見ていましたから、私が議会で訴えられるようなことをしたかどうかきちんと証言すべきです。私は、議会で、ただ死者の復活のことを語っただけです。」パウロは事実をひとつずつ語り弁明していきました。
 
(3)ペリクスの判断
 
 この時の総督はペリクスでした。妻がユダヤ人だったからかもしれませんが、ペリクスはユダヤ人たちの宗教やクリスチャンたちの宣べ伝える福音の内容についてある程度知っていたようです。ですから、大祭司たちのパウロへの糾弾は的外れに感じたかもしれません。しかし、ペリクスは自分が監督するユダヤ地方で混乱が起こることを何よりも恐れていました。自分がローマ政府から責任を問われることになるからです。ですから、パウロが無罪だとわかっていても、ユダヤ人たちを怒らせることをためらって無罪判決を下すのを躊躇したのかもしれません。「エルサレムでの騒動にかかわった千人隊長の証言も聞きたいから、千人隊長がカイザリヤに来るときにまた裁判をすることにしよう」という口実を使って裁判を延期してしまいました。そして、パウロにある程度の自由を与えましたが、その後、二年間も監禁状態のままにしておいたのです。
 
2 ペリクス夫妻との面談
 
(1)ペリクス夫妻
 
 数日後、総督ペリクスと妻のドルシラは、イエス・キリストを信じる信仰について話を聞きたいとパウロを呼び出したのです。
 ドルシラは、ユダヤ人で、ヘロデ・アグリッパ一世の三番目の娘です。新約聖書には、ヘロデと呼ばれる王が何人か登場しますが、ドルシラの父へロデ・アグリッパ一世は、使徒ヤコブを処刑し、ペテロを投獄し、最後は、このカイザリヤの地で演説中に虫にかまれて死んでしまった王です。その時、ドルシラはまだ子供でした。その後、ドルシラは、兄の世話でシリヤの小国エメサのアジザス王と結婚していたのですが、ローマ総督ペリクスがドルシラに一目惚れしてしまいました。そして、ペリクスは、なんとキプロス生まれの魔術師を使って離婚をそそのかし、ドルシラを自分の妻にしてしまったのです。
 ドルシラは、父によって殺された使徒ヤコブや投獄されたペテロ、そして、突然の父の死などのことから、イエス・キリストと弟子たちにかなり関心を寄せていたのかも知れません。ある写本には、「パウロに会ってその話を聞きたいと頼んだユダヤ人の妻ドルシラ」と書かれています。26節には、ペリクスが幾度もパウロを呼び出して話し合ったと書かれていますが、ドルシラも同席していたのかもしれませんね。
 一方、夫のペリクスのほうは、「パウロから金をもらいたい下心があった」と書かれています。パウロに有利な判決を出す代わりに賄賂を受け取ろうとしていたのですね。
 
(2)パウロが語ったこと
 
 そんなペリクスを前にして、パウロは忖度無く大胆に語りました。「正義と節制とやがて来る審判とを論じた」と書かれていますね。総督は、パウロを裁く立場にいました。しかし、その総督も、やがて神様の審判を受けることになるのだとパウロは語ったわけです。
 ヘブル9章27節には「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」と書かれています。「人は死んだら無になる」とか「死んだらすべてが終わる」と考える人も多いですね。しかし、聖書は、人は皆、神様のみまえで裁きを受けることになるというのです。その言葉だけ聞くと、恐ろしい感じがしますね。「裁き」という言葉に「罰」とか「厳しい叱責」とかを連想してしまうからです。しかし、この「裁きを受ける」というのは「罰を受ける」という意味ではありません。神様の前で正しい裁判を受けるという意味です。
 しかも、このヘブル書の言葉には続きがあります。「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられました。」私たちは、皆、罪人です。だから、神様の裁判では有罪判決を受けて罰を受けるしかありませんね。しかし、イエス・キリストが私たちの罪を身代わりに負って、御自分が有罪判決を受け、私たちが受けるべき罰をすべて受けてくださったのです。
 だから、私たちが、神様の裁きを受けるときに、神様からこう言われるはずです。「あなたの罪の代償はすべてイエス・キリストが支払ったから、あなたは無罪だ」と。ですから、私たちがやがて来る審判を恐れる必要はまったくありません。神様が「あなたを罪のないものと認める。永遠にわたしとともに生きなさい」という判決を下してくださるからです。
 私は、高校一年生の時、バイブル・キャンプでイエス様を心に受け入れました。人生に悩みがあったわけではありませんでした。でも、キャンプで牧師が「イエス様はあなたの罪のために十字架で死んでくださったのです」と何度も熱心に語るのを聞いて、こう思いました。「自分は他人のために死ぬことはできない。まして、他人の罪を負って死ぬなんてできるはずがないし、したくもない」と。そして、「もしイエス様が私の罪を負って十字架で死んでくださったということが本当なら、イエス様に背を向けているのは、とんでもないことだ」と思いました。そこで、私はイエス様を救い主としてお迎えする決心をしたのです。
 罪を負うということは、その罪のもたらす罰や呪いも負うということです。イエス様は、私たちの罪だけでなく、すべての罰や呪いを十字架で引き受けてくださったのです。ですから、私たちは何一つ恐れることはありません。
 ただ、だからといって、「どうせ赦されているなら、自分勝手に好き放題に生きていこう」と考えるなら、それは、イエス様の愛のみわざを踏みにじり、神様を侮ることになります。私たちは、神様に愛され、赦され、受け入れられた者として、神様を愛し、互いの最善を願いながら生きていくことが大切ですね。それが、パウロの論じた正義と節制の生き方なのです。
 
(3)ペリクスの反応
 
 しかし、パウロのやがて来る審判の話を聞いたペリクスは恐れを感じました。彼は、人の妻を横取りし、囚人からは賄賂を期待し、ユダヤ人に恩を売るためにパウロを監禁しておくような男でした。後ろめたいことがいろいろあったのです。
 ただ、パウロは同時に、イエス・キリストの十字架と罪の赦しについても語ったはずです。しかも、ペリクスはクリスチャンたちの信仰について相当な知識を持っていたようです。それなのに、ペリクスは、自分の状態を正直に認めることをせず、キリストによる救いを求めようとしませんでした。「今は帰ってよい。おりを見て、また呼び出そう」と言って、パウロを牢に送り返してしまいました。彼は、問題があるとは知っていながら、それを解決をしようとしませんでした。ただ自分に不都合な真実を遠ざけ、解決を先延ばしにしたのです。
 このような反応は、以前にもありましたね。17章でパウロがアテネに行って語ったとき、「ある者たちはあざ笑い、ほかの者たちは、『このことについては、またいつか聞くことにしよう』と言った」と書かれています。
 ヘブル3章15節には「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。」と書かれています。昔、イスラエルの民がエジプトの奴隷生活から救い出されて約束の地に向かって荒野を旅していた時、彼らは、心をかたくなにして、主の御声を聞こうとしませんでした。その結果、四十年間荒野を放浪し、彼らの世代は約束の地に入ることができなかったのです。「きょう、もし御声を聞くならば、心をかたくなにしてはならない」のです。今語りかけられている主の言葉を真剣に聞こうとせずに、いつかそのうち聞きましょうという態度では、いつか聞くことができなくなってしまう時が来るでしょう。
 こんな詩があります。「いつか そのうち 近いうち/やがて かならず おりをみて/ついに やっぱり だめだった」
 総督ペリクスも、幾度もパウロの話を聞く機会があったのに、問題の先送りを続けた結果、遂に総督の職も解任されてしまいました。せっかくの救いを受け取る機会を逃してしまったのです。
 パウロは、Uコリント6章1節ー2節でこう記しています。「神の恵みをむだに受けないようにしてください。神は言われます。『わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。』確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」せっかく神様が与えてくださった恵みをむだにしないように、今、受け取ることが大切なのですね。
 
3 パウロのカイザリヤでの二年間
 
 パウロは、これまで各地を回って福音を語る生活を続けていました。ゆっくり休めることはほとんどなかったことでしょう。しかし、カイザリヤでは二年間も監禁状態になってしまったのです。
 この二年間について詳しいことは何も記されていませんが、少なくとも暗殺者にいのちを狙われる心配はかなり減りました。また、ある程度の自由が与えられ、友人が世話をしたので、各地の情報を得たり手紙のやりとりなどもできたようです。しかし、伝道旅行をしたり、講演会で論じたり、街頭に立って人々と論ずることはできません。できないことを数え上げたら切りがありません。いつまでこの状態が続くのか、いつになったらローマに行くことができるのかもまったくわかりませんでした。ただ神様の導きを信じて待つことしかできなかったことでしょう。
 しかし、この二年間は、働きづめであったパウロにとって、落ち着いて静かにキリストの恵みの深さ、広さ、高さを味わう恵みの時となったのです。
 パウロが書いた手紙の中に獄中書簡と呼ばれるものがあります。その中の「ピリピ人への手紙」は、ローマの獄中で書かれたという説もありますが、このカイザリヤの獄中で書かれたのではないかとも言われています。
 いずれにしても、パウロの深遠な思想や神学体系は、このような獄中生活の中で練り上げられたのです。ペリクスの身勝手な判断で牢に入れられたパウロですが、この一見無駄と思える二年間が、福音を理論的にも体系的にもまとめていく絶好の機会となったのです。
 伝道者の書3章11節にあるように、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」のですね。