城山キリスト教会 礼拝説教    
 二〇二二年八月七日             関根弘興牧師
              使徒の働き二六章一九節〜二七節
  使徒の働き連続説教36
   「この鎖は別にして」
 
 19 「こういうわけで、アグリッパ王よ、私は、この天からの啓示にそむかず、20 ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤの全地方に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えて来たのです。21 そのために、ユダヤ人たちは私を宮の中で捕らえ、殺そうとしたのです。22 こうして、私はこの日に至るまで神の助けを受け、堅く立って、小さい者にも大きい者にもあかしをしているのです。そして、預言者たちやモーセが、後に起こるはずだと語ったこと以外は何も話しませんでした。23 すなわち、キリストは苦しみを受けること、また、死者の中からの復活によって、この民と異邦人とに最初に光を宣べ伝える、ということです。」24 パウロがこのように弁明していると、フェストが大声で、「気が狂っているぞ。パウロ。博学があなたの気を狂わせている」と言った。25 するとパウロは次のように言った。「フェスト閣下。気は狂っておりません。私は、まじめな真理のことばを話しています。26 王はこれらのことをよく知っておられるので、王に対して私は率直に申し上げているのです。これらのことは片隅で起こった出来事ではありませんから、そのうちの一つでも王の目に留まらなかったものはないと信じます。27 アグリッパ王。あなたは預言者を信じておられますか。もちろん信じておられると思います。」28 するとアグリッパはパウロに、「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている」と言った。29 パウロはこう答えた。「ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。」30 ここで王と総督とベルニケ、および同席の人々が立ち上がった。31 彼らは退場してから、互いに話し合って言った。「あの人は、死や投獄に相当することは何もしていない。」32 またアグリッパはフェストに、「この人は、もしカイザルに上訴しなかったら、釈放されたであろうに」と言った。(新改訳聖書第三版)
 
 パウロは、第三回伝道旅行の後、エルサレムにやって来ました。そして、律法に従って供え物をささげるために神殿に行きました。それを見たユダヤ人たちが「パウロは異邦人を神殿の中庭に連れ込んだ」と誤解して騒ぎ立て、町中を巻き込む大騒動に発展したのです。当時はローマ帝国の支配下にありましたから、エルサレムにはローマの治安部隊が常駐していました。騒動を聞きつけたローマ軍の千人隊長が暴徒たちからパウロを引き出し、兵営に勾留し、騒動の原因を探るためにユダヤ人の議会を招集してパウロの審議をさせました。しかし、パウロへの対応について議員たちの間に激しい対立が起こり大混乱になってしまったので、千人隊長は仕方なくそこからパウロを強制的に連れ出して再び勾留しました。翌日、約四十名ほどのユダヤ人たちが一部の議員たちと結託して暗殺計画を立てました。しかし、その計画を知った千人隊長は、パウロを直ちにローマ総督のいるカイザリヤに移送したのです。
 その時の総督はペリクスでした。パウロがカイザリヤに移送された五日後、エルサレムからパウロを訴える大祭司たちがやって来たので、ペリクスの前で裁判が開かれました。ペリクスは、彼らの訴えに根拠がないことに気づきましたが、無罪判決を下すと、大祭司たちを怒らせ、騒動が起こる可能性がありました。そこで、ペリクスは、裁判を未決のまま延期し、パウロを二年間も牢に入れておいたのです。そこまでが、前回の内容でしたね。
 
1 総督フェストの裁判
 
 二年後、総督ペリクスは解任され、代わりにフェストが総督になりました。この総督フェストは、多くの盗賊を逮捕し、治安回復に大いに努力した人だったそうです。秩序を混乱させるような事件には、迅速に対応していました。
 フェストは総督に赴任して三日後にはエルサレムを視察しました。すると、ユダヤ議会の面々がやってきて、パウロの裁判をエルサレムで行って、自分たちに好意的な判決を出していただきたい、ついては、パウロをエルサレムに呼び寄せていただきたい、と願い出ました。彼らは、パウロがエルサレムに連れてこられる途中で待ち伏せして殺害する計画を企てていたのです。すでに二年も経過しているのに、彼らは今だに執念深くパウロを殺そうとしていたのですね。
 しかし、フェストは、もしかしたら彼らの陰謀をうすうす感づいていたのかもしれませんが、「私はもうカイザリヤに戻るから、あなたがたの代表者たちが私と一緒にカイザリヤに行ってパウロを告訴しなさい」と言い渡しました。
 フェストはエルサレムに一週間余り滞在した後、カイザリヤにもどり、翌日、裁判の席に着きました。前任のペリクス総督の任期中は二年間も延期されていたパウロの裁判が、フェスト総督就任から二週間も経たないうちに開かれたのです。
 エルサレムから来たユダヤ人たちは、パウロに対して多くの重い罪状を申し立てましたが、証拠を示すことができませんでした。パウロも「私は律法に対しても神殿に対してもローマ皇帝に対しても何の罪も犯していません」と断言しました。普通なら、無罪判決が出て当然のところです。
 しかし、25章9節に、フェストは「ユダヤ人の歓心を買おうとした」と書かれています。彼は、無罪を宣告するのではなく、パウロに向かってこう言ったのです。「あなたはエルサレムに上り、この事件について、私の前で裁判を受けることを願うか」と。パウロは、フェストは公正な裁判をしてくれないと感じたのでしょう。それに、エルサレムに連れて行かれれば、命の危険にさらされるでしょう。そこで、パウロは、「私はカエサルに上訴します」と答えました。パウロはローマ市民権を持っていたので、上訴権を行使することができたのです。それは、ローマに行って裁判を受けるということです。フェストは、パウロをローマに送ることを決定しました。ユダヤ人たちの思惑とは反対に、パウロは彼らの手の届かない方向へと向かって行くことになったのです。
 
2 アグリッパ王の前での弁明
 
(1)アグリッパ王とペルニケ
 
 数日後、アグリッパ王とベルニケが総督フェストの就任祝いにやって来ました。
 この二人は、前の総督ペリクスの妻ドルシラの兄と姉にあたる人物です。彼らの父であるヘロデ・アグリッパ一世は、使徒ヤコブを剣で殺し、カイザリヤで演説中に虫にかまれて死んでしまいました。
 今日登場するアグリッパ王は、その時十七歳だったようです。後にガリラヤ・ペレヤ地方を治め、アグリッパ王と名乗ることをローマ政府に許された人物でした。この地域では親ローマ派の有力者でした。
 一方、ベルニケは、おじのヘロデ・カルキスと結婚したのですが、彼が死んだ後、自分の兄のアグリッパ王と同棲し始めました。しかし、このスキャンダルが広がってしまったので、キリキヤの王ポレモンと結婚しました。しかし、結局、兄のアグリッパのところに戻ってきてしまったのです。
 こうした訳ありのアグリッパ王とベルニケが総督フェストのもとに表敬訪問してきたわけです。
 フェストは二人にパウロの話をしました。これから、パウロをローマに送るにあたって、どのような訴状を書くべきかわからないので、ユダヤ人の宗教に詳しいアグリッパ王に相談したわけですね。アグリッパ王がパウロに興味を示したので、翌日、アグリッパ王が直接パウロの話を聞く場を設けることになりました。
 25章23節にこう書かれています。「アグリッパ王とベルニケは、大いに威儀を整えて到着し、千人隊長や市の首脳者たちにつき添われて講堂に入った。」この「威儀」と訳される言葉は、ギリシャ語では「ファンタジア」です。英語の「ファンタジー」の語源です。ファンタジーというのは、夢とか幻を表しますね。アグリッパ王とベルニケのきらびかやかなショーが行われているような光景です。このアグリッパ王も、父と同様に、豪華な衣装に身を包み、人々の称賛を受けることに喜びを感じる人だったようです。しかし、それは、いつかは消え去っていく虚しい「ファンタジー、幻」に過ぎないのですね。
 パウロはこれまで二年間も監禁状態に置かれ、自由に福音を語る機会がありませんでした。しかし、今、王と総督、そして、軍隊の長や市の有力者たちが一堂に会する講堂で、福音を語る機会を与えられたわけですね。何を語ったのでしょうか。
 
(2)パウロの弁明
 
 パウロの弁明は、26章2節ー23節に詳しく記されています。パウロが語ったのは、要約すると次のような内容でした。
 「私は、律法を厳守するパリサイ派に属する正統派のユダヤ教徒でした。そして、イエスに敵対し、クリスチャンたちを激しく迫害していました。しかし、クリスチャン迫害のためにダマスコに向かう途中で、天からの光に照らされ、地に倒れてしまいました。そして、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。』という声を聞いたのです。私が『主よ。あなたはどなたですか』と尋ねると、主がこう言われました。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起き上がって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたが見たこと、また、これから後わたしがあなたに現れて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。私はあなたをユダヤ人と異邦人の中に遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』
 この時から、私は、神の助けを受けながら、ユダヤ人にも異邦人にも、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えています。悔い改めなければならないと私が語ったために、ユダヤ人たちは私を殺そうとしていますが、私の宣べ伝えている内容は、ユダヤ人たちが尊敬している預言者たちやモーセが預言したこととまったく同じです。神様が約束してくださったことであり、ユダヤ人たちも先祖代々待ち望んできたことです。それは、『キリストが苦しみを受け、死者の中から復活し、光を宣べ伝える』ということです。」
 パウロは、その場にいる人々に向かって、こう言いたかったわけですね。「あなた方も悔い改め、つまり、今までの生き方から方向転換して、新しい生き方を始める必要があります。自分の罪や過ちを認め、十字架にかかって復活されたキリスト・イエスを信じて罪の赦しを受け取り、神様の正しい支配と豊かな恵みと光の中で生きてください」と。
 
(3)総督フェストの反応
 
 しかし、この「死者の中から復活し」というパウロの言葉を聞くと、総督フェストは、「気が狂っているぞ。パウロ。博学があなたの気を狂わせている」と叫びました。死者が復活するなどということはフェストにとって到底受け入れがたいことだでした。しかし、パウロは、「気は狂っておりません。私は、まじめな真理のことばを話しています」と応答しました。「キリストの復活は事実なのです。まことの救い主がおられるのです」ときっぱり言ったわけですね。
 
(4)アグリッパ王の反応
 
 そして、パウロはアグリッパ王に「これらのことは片隅で起こった出来事ではありませんから、よくご存じですよね」と尋ねました。イエス・キリストが行った様々な奇跡や教えについてアグリッパ王は聞き知っていたはずです。また、イエスが十字架につけられて葬られたのに、墓が空になっていたこと、弟子たちがイエスがよみがえったと大胆に宣べ伝えていること、弟子たちを通して奇跡的なわざが行われていること、また、激しい迫害にあってもクリスチャンたちが急速に増え続けていることなども知っていたでしょう。
 そして、パウロは王にこう尋ねました。「あなたは預言者を信じておられますか。もちろん信じておられると思います。」これは、「あなたが聖書の預言者を信じているなら、その預言者たちが預言した救い主をなぜ受け入れないのですか」と問いかけているようですね。
 すると、アグリッパ王は「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている」と言いました。
 この「わずかなことばで」とは、「短い時間で」とも訳される言葉です。しかし、王は、たくさんのことばで長い時間話を聞いたら、クリスチャンになったでしょうか。
 先週もお話ししましたが、私は高校一年生の時、軽井沢の高校生バイブル・キャンプに友人と一緒に参加しました。私の友人はそれまで聖書の話など一度も聞いたことがありませんでした。キャンプでは毎晩、聖書の話を聞く時間があったのですが、初日は、彼は熟睡していました。しかし、二日目の夜、説教者が「今日、イエス様を救い主として信じ受け入れたいと願う人は手を上げてください」というと、彼が「はい」と手を上げたのです。私はとても驚きました。少し聖書の話を聞いただけなのに彼が信じる決心をしたからです。一方、私は牧師の息子ですから、聖書の話は幼い頃から嫌というほど聞かされていました。しかし、イエス様に背中を向けて、私とはまったく関係のない人としか考えていませんでした。しかし、感謝なことに、私もそのキャンプでイエス様を救い主として心に迎え入れ、新しい出発をしたのです。
 皆さん、不思議ですね。わずかな時間でクリスチャンになる人がいます。その一方で、長い時間をかけてクリスチャンになる人もいます。どちらがいいというわけではありません。それぞれにふさわしく神様が導いてくださるのです。ただ、どちらにも共通していることがあります。それは、どこかで勇気を持って一歩踏み出すという決断をするということです。
 アグリッパ王はまた、 「あなたは、私をキリスト者にしようとしている」といいましたね。この「キリスト者」というのは、「クリスチャン」という言葉です。当時は、キリストかぶれ、キリスト党員、というあだ名として使われる言葉でした。ですから、アグリッパ王は、少し軽蔑を込めて、「短時間で、この私をキリスト者にでもしようとするのか」とすこし軽蔑を込めて言ったのかもしれません。パウロの語る「悔い改め」という言葉を聞いて自分の人生を脅かされるような不安も感じていたのかもしれませんね。
 
(5)クリスチャンとしての自信
 
 すると、パウロは即座にこう答えました。「ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。」
 その場には、総督フェスト、きらびやかな王服をまとうアグリッパ王、千人隊長、市の首脳者たちなど、権力や財力をもった人々が居並んでいました。この世の成功者たちです。その人々に向かって、投獄された囚人の身であるパウロが「私のようになってください」と語ったのです。
 パウロは、ガラテヤ4章12節で、ガラテヤ教会の人々に対してもこう書き送っています。「お願いです。兄弟たち。私のようになってください。」
 私たちは、「私のようになってください」なんて、なかなか言えませんね。「私のようになってください」と言っている人を見ると、なんて自信過剰な人なんだろうと思ってしまいますね。
 しかし、パウロは、自信過剰だったわけではありません。別の箇所では、自分自身について、「私は罪人のかしらです」と告白していますし、「私は最も小さい者です」とも語っています。パウロは、イエス様に敵対し、クリスチャンたちを激しく迫害していた自分の弱さや罪深さをはっきり自覚していました。また、肉体には病を抱えていたようです。目が不自由だったとも、酷い頭痛持ちだったのではないかとも言われています。
 そんなパウロが大胆に「私のようになってください」と語ったのです。どういう意味でしょうか。
 これは、私と同じような性格になってくださいとか、同じ生活習慣を身につけてくださいとか、同じ話し方や行動や振る舞い方をしてくださいとかいう意味ではありません。パウロが言ったのは、「私は、主イエス様を知って罪を赦され、新しい豊かな人生を感謝と喜びを持って歩んでいます。あなたがたもそうなるように願っています」ということなのです。
 パウロは、ピリピ3章7節-8節でこう記しています。
「しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。」
 パウロは、家柄、学識、宗教的熱心など人間的に誇れるものがたくさんありました。しかし、キリスト・イエスを知っていることのすばらしさに比べたら、そのようなものは損としか思えないというのです。そんなすばらしいキリストとの出会いを誰もが経験してほしい、王様であろうが、総督であろうが、役人であろうが、奴隷であろうが、「私のようになってほしい」というのがパウロの心からの願いだったのです。
 パウロは、この時、鎖につながれていました。ですから、「この鎖は別として、私のようになってください」と語りました。
 私たちは、どうでしょうか。実際に鎖につながれているわけではありませんが、まるで鎖につながれているように感じる時があるでしょう。病や家庭の問題、人間関係の痛みなど、それぞれが背負っている重荷がありますね。しかし、私たちも、パウロと同じように「この鎖は別として、私のようになってください」と言うことができるのですね。私たちに与えられている救いの素晴らしさを、また、主の愛の深さを毎日の生活で味わいながら、「私のようになってください」と心から言えるようになっていきたいですね。
 
3 ローマへ
 
 パウロの話を聞いて、アグリッパ王たちもパウロに罪はないという結論を出しました。しかし、パウロがカイザルに上訴したため、まだしばらくは囚人のまま拘束される日々が続いていくことになりました。アグリッパ王は「この人は、もしカイザルに上訴しなかったら、釈放されたであろうに」と言っていますね。一日も早くパウロが釈放されるように祈り求めていた教会の仲間たちにとっては、ショックだったかもしれません。  しかし、結果的に、パウロはこれから兵士の護衛付きで、自分で旅費を出すことなく、ローマに行けることになったのです。神様は、エルサレムでの混乱、暗殺者たちの陰謀、総督たちのユダヤ人への忖度など、一見、不都合に見えるものもすべて用いて、ローマへの道を準備してくださったのです。