今日の聖書(8月18日月曜日)
「主よ。私の祈りを聞いてください。私の叫びが、あなたに届きますように。」(詩篇102篇1節)
 
 この詩篇の表題は、「悩む者の祈り。彼が気落ちして、自分の嘆きを主の前に注ぎだした時のもの」となっています。
 詩人は「祈り」の中で、自分の辛さ、心の不安や不満を神様に叫んでいますね。そして、そのような正直な祈りをする中で、次第に自分の気持ちが変化し、神様への賛美へと変えられていくのがわかります。
 「しかし、主よ。あなたはとこしえに御座に着き、あなたの御名は代々に及びます」(12節)とありますが、これは神様への賛美です。
 私たちも日々の生活の中で、悩んだり、落ち込んだりすることがありますね。そんな時、詩篇の作者のように「神様、私の祈りを聞いて下さい!」「私の叫びを受とめてください」と、自分の気持ちを正直に注ぎ出しましょう。
 神様への祈りに遠慮はいりません。神様は私たちの叫びを聞き、全て聞いて受け止めてくださるお方です。そして、私たちが正直で素直な祈りをささげる中で、私たちの内におられる聖霊が、私たちの思いを神様への賛美へと変えてくださるのです。だから、正直に、ありのままの私たちを、聖霊にゆだねていきましょう。
 今日も1日神様の祝福がありますように!
 
 
今日の聖書(8月19日火曜日)
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。わたしのうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。」詩篇103篇1節
 
 今日の箇所は、詩篇の中でも「横綱級」と呼ばれる103篇の冒頭です。1節から5節には、ダビデの思いが込められていますね。
 
1節:「わがたましいよ。主をほめたたえよ。わたしのうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめ たたえよ。」…心も体も、私の内側にある五臓六腑の全てで(腹の底から)神様を賛美しようという、自分自身への呼びかけです。
 
2節:「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」…神様がなさった全てのことを思い出す大切さが歌われています。
 
3節:「主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い」…神様が私にしてださった良いことの内容を告白しています。罪を赦し、病を癒し、死の穴からも救い出してくださったという告白です。
 
4節、5節:「あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。」…さらに、神様が私たちに愛と恵みを注ぎ良いもので満たしてくださることへの感謝と賛美です。ハレルヤ!
 この詩人のことばに、私たちの歌声を重ねていきましょう。
 今日も1日神様の祝福がありますように!
 
 
今日の聖書(8月20日水曜日)
「(イエスは)言われた。『神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。』」(マルコ4章26−27節)
 
 今日の箇所でイエス様が言われた「神の国」というのは、「神様がご支配される領域」という意味があります。
 昔は、今のように国境がはっきりとしていませんでした。その地方を治める王様の影響力が及ぶ領域までが、その王様が支配する国というイメージです。
 そして、今、聖書が教える「神様が支配される領域」、「神の国」は、「イエス様を信じる一人一人」、そして、その人を通して周りに広がっていく「イエス様の愛と平安」です。イエス様の「ご支配」であり「影響力」と言えますね。
 イエス様はそのような「神の国」は、まるで地に蒔かれた種のように自然に成長すると言われました。つまり、私たちが頑張ってクリスチャンでいようとしたり、「クリスチャンだから、ちゃんとした生活をして、周りの人に良く見られよう」とする必要はないのです。それによって「神の国」が広がるわけではないということです。
 イエス様を信じる思いは、神様が土地に種をまくように、私たちの心に与えて下さったものです。そして、クリスチャンとしての良い影響力も、神様が広げて下さるものです。
 ですから、「私が頑張って神の国を広げなければならない!」と焦る必要はありません。私たち、イエス様を信じる者の内に住んでくださっている聖霊なる神様に信頼して、父なる神様の大きな愛、イエス様の溢れる恵みを感謝し、それに安息しながら生活していきましょう。
 「夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。」とある通りです。
 今日も1日神様の祝福がありますように!
 
 
今日の聖書(8月21日木曜日)
「彼らは荒野や荒れ地をさまよい、住むべき町へ行く道を見つけなかった。飢えと渇きに彼らのたましいは衰え果てた。この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救い出された。また彼らをまっすぐな道に導き、住むべき町へ行かせられた。」(詩篇103篇1〜6節)
 
 私たちが毎日の生活を送る中で、時々、まるで自分が「荒れ地をさまよい」「飢えと渇き」の中を歩んでいるように感じることがあるかもしれません。そんな時はとても辛いし、苦しいですね。
 詩篇の作者も、私たちと同じような経験をしたようです。そして、そのような苦しみのときに、主なる神様に祈り叫んだのです。
 祈りにはいろんなスタイルがあります。私たちが静かに心の中で祈ることも祈りです。また、大声で叫ぶ祈りも祈りです。もちろん、時と場所は選ぶ必要はありますが、私たちが神様に祈るとき、何か遠慮をする必要は一切ありません。
 だから、時には、一人部屋にこもって大声を出せる場所をみつけて、この詩篇の作者のように「主(神様)に叫ぶ」ように祈ることも良いことですね。神様は私たちの祈りをすべて聞いてくださっています。
 そして、神様のときに、神様の方法で祈りに応えてくださいます。神様は、私たちを「救い出し」、「まっすぐな道」を示し、「住むべき町(場所)」に導いて下さるお方です。
 私たちは苦しみの中で、迷ってもいいし、疲れてもいいのです。神様に叫んびつつ、歩んで行きましょう。
 今日も1日神様の祝福がありますように!
 
 
今日の聖書(8月22日金曜日)
「わたしが与えようとしている地にあなたがたが入ったとき、その地は主の安息を守らなければならない。」(レビ記25章2節)
 
 今日の箇所は、神様が約束された祝福の地カナンにイスラエルの民が入る前、神様が語られたことばです。
 「主の安息を守る」とありますが、具体的には、「その土地で6年間は畑から収穫しても良いが、7年目は、何も作らずに土地を休ませなさい」という内容でした。
 「安息」の目的は、いろいろとあるのですが、大切なことは「この世界も人も酷使しすぎてはいけない」ということです。神様が定めてくださった「安息」を守ることは、神様が人に備えてくださった豊かな祝福を受けとることにも繋がっていくのです。
 実際に、畑や土地は一定の期間ごとに休ませた方が結果的に収穫が多くなるそうです。人も同じかもしれません。どんなに忙しくても、全く休まずに続けて働くと効率が落ちます。人の生活からも、神様が備えてくださった「安息」のリズムがどれほど大切なことかをしることができます。
 1週間のうち1日、日常の仕事やさまざまな働きの手をとめて、体と心を休めて、主なる神様を礼拝する。そこに、人としての健全な姿があるのです。
 今日も1日神様の祝福がありますように!
 
 
今日の聖書(8月23日土曜日)
「どうか敵から私たちを助けてください。まことに、人の救いはむなしいものです。神によって、私たちは力ある働きをします。神が私たちの敵を踏みつけられます。」(詩篇108篇12-13節)
 
 この詩篇もダビデが歌ったものです。
 ダビデは若い時から優れた戦士でした。王になってからも数々の戦いで敵を倒して国を守りました。そんなダビデがこう告白しているのです。
 「まことに、人の救いはむなしいものです。」
 ダビデは自分も含め人間の弱さや限界を良く知っていたのですね。
 そして、続けてこう告白します。
 「神によって、私たちは力ある働きをします。神が私たちの敵を踏みつけられます。」
 自分には弱さがあるし、人を100%信頼して頼ることもできない。でも、主なる神様がともにいてくださり、主なる神様によって力ある働きをする(勝利することができる)。この告白に、ダビデの素晴らしさを見ることができますね。
 そして、今、私たちもダビデの告白に自分自身を合わせることができます。
 私たちも、自分の弱さや人に頼ることの限界を感じることがありますね。でも、その中にあって、「神様の力によって」歩んでゆくことができます。
 「神によって、私たちは力ある働きをします。神が私たちの敵を踏みつけられます。」この告白をもって歩んで行きましょう。
 今日も1日神様の祝福がありますように!