今日の聖書(9月1日月曜日)
「イエスは、言われた。『わたしに何をしてほしいのか。』すると、盲人は言った。『先生。目が見えるようになることです。』するとイエスは、彼に言われた。『さあ行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。』」(マルコ10章47-52節)
 
 イエス様がエリコの町に訪れたときのことです。バルテマイという一人の盲人に出会われました。彼は町の門に座り、人々から物をもらう生活をしていました。町の中には入ることができず、人々から邪魔者扱いされていたようです。
 そんな彼がイエス様が近くに来られたのを知り、「イエスさま!わたしをあわれんで下さい!」と大声で叫んだのです。イエス様の弟子たちは、そんな彼をうっとうしく感じたようです。大きな声で叫ぶ彼を黙らせようとしました。でも、イエス様は違いました。立ち止まって、彼をそばに呼びよせ、じっと見つめてこう言われたのです。「あなたはわたしに何をしてほしいのですか。」彼は言いました。「先生。目が見えるようになることです。」するとイエス様は言われました。「さあ行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」と。
 イエス様は、人々から嫌われ迷惑がられていたバルテマイをご自分のそばに引き寄せてくださいました。そして、彼の願いをきき、「あなたの信仰があなたを救った」と言われたのです。彼の「信仰」、それはただ必死に叫び、自分の必要をイエス様に伝えただけでした。イエス様はそのような彼の「叫び」を、「素直な求め」を、「信仰」と呼んでくださったのです。
 私たちに対してもイエス様は同じです。私たちのイエス様への「叫び」や「願い」を、「あなたの信仰」と呼び、私たちのありのままを受け入れて下さるのです。
 今日も1日神様の祝福がありますように!
 
 
今日の聖書(9月2日火曜日)
「主よあなたの恵みと、あなたの救いとが、みことばのとおりに、私にもたらされますように」(詩篇 119篇41節)
 
 聖書は全体を通して、主なる神様が、私たち一人一人を愛してくださっていると伝えています。主なる神様は、私たちに恵みと救いを与えたいといつも願っておられるのです。
 それでは、どうすれば、私たちはそのような神様の恵みと救いを受け取ることができるのでしょうか。
 今日の聖書の箇所には、「みことばのとおりに、私にもたらされますように」とありますね。つまり、「聖書に書いてあるとおりに、神様、あなたの恵みと救いが、私にもたらされますように。救いと恵み、そのものであるイエス様、あなたを信頼します。」と告白することです。
 そのような聖書のことばにそった、告白を、そして、素直な祈りを、神様は喜んで聞き入れてくださるのです。
 キーワードは「みことばのとおりに」です。
 今日も1日神様の祝福がありますように!
 
 
今日の聖書(9月3日水曜日)
「私の叫びが御前に近づきますように。主よ。みことばのとおりに私に悟りを与えてください。私の切なる願いが御前に届きますように。みことばのとおりに私を救い出してください。私のくちびるに賛美がわきあふれるようにしてください。」(詩篇119篇169-171節)
 
 今日の箇所で、詩篇の作者は自分の願いを神様にぶつけていますね。どんな願いでしょうか。
「神様にもっと近づきたいです。神様の救いもっと知りたいです。あなたをもっと賛美したいです。」そのような願いです。
 でも、逆を言えば、そう感じることのできない自分の状態に苦しんでいるようにも見えますね。
 私たちも、時々この詩人と同じように感じる時があるかもしれません。
 「聖書の話を聞いてはいるし、イエス様のことも知っている。でも、喜びを感じない。神様を心から賛美したいのに、賛美する気持ちにもなれない。」
 もしかしたらそんな時があるかもしれません。(私はよくあります。)
 でも、それでもいいのです。それが自分の正直な姿です。そして、この詩人のように、その自分が抱えている正直な思いを神様にお伝えすればよいのです。
 「神様!『みことば(聖書)に書いてあるとおりに』教えてください!もっとあなたの素晴らしさを味合わせてください。」そのような、まるで叫びのような祈りを、神様はちゃんと聞いてくださいます。そして、それぞれに応えてくださるお方です。 だから、「主よ。みことばのとおりに…私のくちびるに賛美がわきあふれるようにしてください。」そのような祈りをもって、今日も歩んでいきましょう。
 今日も1日神様の祝福がありますように!
 
 
今日の聖書(9月4日木曜日)
「二日でも、一月でも、あるいは一年でも、雲が幕屋の上にとどまって去らなければ、イスラエル人は宿営して旅立たなかった。ただ雲が上ったときだけ旅立った。」(民数記9章22節)
 
 旧約聖書の出エジプト記に詳しく書かれていますが、イスラエルの人たちは奴隷となっていたエジプトから、神様によって救い出されました。そして神様が示して下さったカナンという祝福の地を目指して旅をします。
 実はエジプトからカナンまではそんなに遠くはなかったのですが、いろんな事情で約40年旅をすることになります。その長い旅の中で、彼らはどうしたかというと、「雲が動いたとき」に旅をして、「雲が止まったとき」は、自分たちも止まったのです。
 「雲」は神様の「臨在(神様がおられるということ)」を表しています。神様はイスラエルの人たちといつも共にいて、彼らの旅を導いて下さいました。イスラエルの人たちは、この神様の「雲=臨在」とともに旅をしたのです。
 私たちの人生も旅のようですね。そして、神様はいつも私たちと共に歩んで下さいます。そして、私たちにとっての「雲(臨在)」は何でしょうか。
 一つは聖書のみことばです。そして、イエス様を信じる者の心に住んでくださる聖霊なる神様です。
 私たちが聖書のみことばを読むとき、そして、聖霊様が心にいてくださることを認めるとき、私たちの心に神様からの「愛、喜び、平安」が与えられます。その「愛、喜び、平安」に、とどまりながら歩んでゆけばよいのです。どんなに長く遠回りしているように感じても大丈夫です。
 「二日でも、一月でも、あるいは一年でも、雲が幕屋の上にとどまって去らなければ、イスラエル人 は宿営して旅立たなかった。ただ雲が上ったときだけ旅立った。」(民数記9章22節)
 今日も1日神様の祝福がありますように!
 
 
今日の聖書(9月5日金曜日)
「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。」(詩篇121篇1-4節)
 
 詩篇121篇には、「都上りの歌」という表題がついています。
 イスラエルの民がバビロン捕囚から解放された時に歌ったと考えられています。また、その後も、イスラエルの民はそれぞれが住んでいる場所から神殿がある都エルサレムへ礼拝するために旅をしました。その旅ごとに歌われた「都上りの歌」でしょう。
 先頭の人が「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうかー」と呼びかけると、後ろに続く人が「私の助けは、天地を造られた主から来るー」と返すのです。コール&レスポンスです。
 当時、長距離の旅は今よりも困難で時には命懸けでした。だから、「天地を造られた神様が私たちの助けなのだ」と、旅の安全を祈りながら歌ったのでしょう。
 また、「主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。」とあるように、「神様は、昼間移動している時も私たちの足を守って下さるのだ。そして、みんなが寝静まった真っ暗な夜の間も、神様はまどろまず、眠らずいつも守って下さる方なのだ。」そのように歌われています。
 私たちの人生も、神様が用意して下さった究極の礼拝の場所(天の御国のゴール)へ向かう旅のようなものですね。「天地を造られた」神様は、「まどろまず、眠らず」いつも私たちの人生の旅路を守って下さっています。私たちは、そのような神様に信頼しつつ1日1日を歩んで行くことができるのですね。
 今日も1日神様の祝福がありますように!
 
 
今日の聖書(9月6日土曜日)
「主に信頼する人々はシオンの山のようだ。ゆるぐことなく、とこしえにながらえる。山々がエルサレムを取り囲むように主は御民を今よりとこしえまでも囲まれる。」(詩篇125篇1-2節)
 
 今日の詩篇125篇も「都上りの歌」です。
 旅路が進み、神殿のあるエルサレムにいよいよ近づいた時に歌われたようですね。都を前に詩人の心もワクワクと盛り上がっているのでしょう。神様に信頼して生きる素晴らしさをエルサレムの町に譬えて歌っています。
 「主に信頼する人々はシオンの山のようだ。ゆるぐことなく、とこしえにながらえる。」
 「シオンの山」というのは、エルサレムの町の呼び名(ニックネーム)です。つまり神様に信頼する人は、神様に祝福された都エルサレムのように揺らぐことはないと告白し賛美しているのです。
 さらに、詩人は続けて歌います。
 「山々がエルサレムを取り囲むように主は御民を今よりとこしえまでも囲まれる。」
 当時のエルサレムは周囲を山に囲まれていました。敵が攻め込みにくい堅固な要塞都市でもありました。神様は、山に囲まれたエルサレムのように、私たちをしっかりと守ってくださる方だと賛美しているのです。
 そして、今、イエス様を信じる私たちも同じですね。神様は、山々が町をぐるりと取り囲むように私たちのことを大きな愛で取り囲みしっかりと守って下さいます。そして私たちの人生を豊かに祝福して下さるのです。
 今日も1日神様の祝福がありますように!