今日の聖書(9月15日月曜日)
「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷ついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください」(詩篇139篇24節)
 
 139篇もダビデの詩篇です。彼の性格や神様への信頼がよく伝わってくる箇所ですね。(私も個人的に大好きな詩篇です。)
 ここでダビデは自分の気持ちを正直に神様にお伝えしています。
 「神様、私は自分が何に傷ついて、何に悩んでいるのかすらわかりません。あなたが調べてください」そのような、とても素直な祈りです。
 自分の状態をありのまま神様にぶつける祈り、そのようなダビデの祈りを神様は受けとめてくださっています。
 私たちも、時々、自分自身の気持ちや、自分が本当のところ何に問題を感じ、何に悩んでいるのかすら分からなくなるときがあるかもしれません。そんなとき、今日の詩篇にあるダビデの祈りに励まされますね。
 この祈りなら、私たちもそのまま真似することができます。
 「神様、私を知って下さい」「私の心を探って下さい」「私を調べて思い煩いを知ってください」「そして、傷ついた心を癒し、あなたのとこしえの道に導いて下さい」そのような私たちの正直でありのままの叫びを、神様は祈りとして喜んで受けいれてくださいます。
 今日も神様にお伝えしましょう。「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷ついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください」(詩篇139篇24節)
 今日も1日神様の祝福がありますように!
 
 
今日の聖書(9月16日火曜日)
「主はモーセに告げて仰せられた。『この人々に、その地は・・・相続地として割り当てられなければならない。大きい部族にはその相続地を多くし、小さい部族にはその相続地を少なくしなければならない。』」(民数記26章52-54節)
 
 エジプトを脱出したイスラエルの民は厳しい荒野を40年も旅しました。
 旅が終わりに近づいた頃、神様がモーセにイスラエルの民を数えるよう命じられます。モーセが数えてみると、20歳以上の男性だけで60万人以上いました。そして、民を数え終わった後に、神様がモーセに語られたのが今日の言葉です。
 「その地(これから入る祝福の地カナン)は・・・相続地として割り当てられなければならない。大きい部族にはその相続地を多くし、小さい部族にはその相続地を少なくしなければならない。」
 ここで神様はえこひいきをされているのではありません。全体のリーダーであるモーセに、それぞれの部族の現状(人数や力)を把握し、彼らのそれぞれの力に応じて、適切な場所を与えて、導くように指示されているのです。
 だから、この箇所から知ることができることは、神様は私たちそれぞれの現状を良く知ってくださっているということです。そして、私たちの力に応じて色んなものを任せて下さっているということです。
 時々、私たちは良くも悪くも自分と他人とを比べてしまうことがありますね。生活している環境や仕事、それぞれの立場など・・・。そして、優越感を持ったり、ときには劣等感に苛まれたりもします。
 神様は、そんな私たち一人一人のことをよく知ってくださっていて、私たちの力に応じて、私たちに一番あった場所や働きを与えてくださっているのです。
 ですから、神様が私たちを導き備えてくださっている場所にいることが、私にとって一番の幸せなのですね。
 今日も1日神様の祝福がありますように!
 
 
今日の聖書(9月17日水曜日)
「主はご自分のすべての道において正しく、またすべてのみわざにおいて恵み深い。主を呼び求める者 すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに主は近くあられる。」(詩篇145篇17-18節)
 
 今日の詩篇には、私たちが信じる主なる神様のご性質(どのようなお方なのか)がとてもよく表されていると思います。
 神様は、「すべての道において正しい(義なる)お方」です。絶対に間違うことはない、真実で、聖く、正しい唯一のお方です。だから、私たちの罪をそのまま見逃すことはなさいません。
 でも、同時に神様は、「すべてのみわざにおいて恵み深い(愛の)お方」です。私たちを愛し、私たちを恵みで覆ってくださるのです。そして、その神様の恵みの極みはイエス様です。
 イエス様は私たちを愛し、私たちが神様との関係を回復することができるように、すべての罪を背負って十字架にかかってくださいました。そして、聖なる神様が見逃すことのできない、すべての罪を完全に処理してくださったのです。
 そして、そのお方は、死んで葬られ、三日目によみがえられて、今も生きておられます。「主を呼び求める者すべてに主は近くあられる」お方なのです。
 愛と義の神様は、主なるイエス様は、私たちのすぐそばに、いつも共にいてくださいます。
 今日も1日神様の祝福がありますように!
 
 
今日の聖書(9月18日木曜日)
「神のみこころによってキリスト・イエスの使徒として召されたパウロ…から、コリントにある神の教会へ…聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ。」(コリント人への手紙第一1章1-3節)
 
 古代ギリシャの町コリントは、とても発展した町でした。当時ギリシャを南北に旅する時には、必ず通る交通の要所でした。東はエーゲ海、西はイオニア海に面した港町で、陸と海、東西南北、世界中から人々が集まる国際都市でした。
 そして、コリントは経済的に豊かであると同時に罪に乱れた誘惑の多い町でもあったのです。
 そんなコリントの町に住むクリスチャンたちへ、パウロが書いた手紙が「コリント人への手紙」です。実は、当時のコリント教会は決して良い状態とは言えませんでした。道徳的に乱れた町の影響を受け、不品行、性的な乱れ、分裂や分派、金銭トラブルからくる訴訟問題など問題だらけの教会でした。
 それなのにです!この手紙の書き出しはこうです。
 「コリントにある『神の教会』へ!キリスト・イエスにあって『聖なるものとされた方々』へ」!
 もちろん、罪は正されなければなりません。それでも、まずパウロは「あなたたちは神様のものです。イエス様によって聖なる(神によって区別された)存在なのです!」と呼びかけているのです。
 私たちも、いろんな問題や罪を抱えていますね。でも、イエス様を信じています。イエス様の十字架によって罪が赦され、神の子とされました。神様は、イエス様を通して私たちの存在を見てくださっているのです。だから、キリストの内にあるものとして、私たちは「神の教会」「聖なるもの」とされているのです。
 今日も1日神様の祝福がありますように!
 
 
今日の聖書(9月19日金曜日)
「イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言…主を恐れることは知識の初めである。」(箴言1章 1、7節)
 
 箴言では、神様が与えてくださる知恵の素晴らしさが歌われています。
 著者は、伝統的にイスラエルの王ソロモンだと考えられています。
 ソロモン王の時代にイスラエルの国はすごく栄えました。当時、世界中の人々が、その素晴らしさを見にきたほどです。有名なのはシェバの女王の訪問ですね。
 そしてイスラエルの国が栄えた秘訣は、ソロモン王に神様から与えられた知恵と知識でした。その彼が「主を恐れることは知識の初めである。」と言っているのです。
 ここで言われている「恐れる」は「怖がる」というより、「尊敬し、信頼する」という意味があります。ですから、「主を恐れることは知識の初めである」を言い換えるなら、「主なる神様を信頼し、敬い、自分の人生を導いて下さる主と認めること、それこそが知恵と知識の始まりだ」ということですね。
 神様は、ご自分のひとり子イエス様を与えて下さるほどに、私たちを愛して下さっています。また、私たちの為に最善の道を備え、私たちの人生を導いてくださいます。そして聖書のみことばを通して日々豊かな知恵と知識を与えてくださるお方です。
 今日も1日神様の祝福がありますように!
 
 
今日の聖書(9月20日土曜日)
「あなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、 神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。」(コリント人への手紙第一1章30節)
 
 「キリストにある」という言葉は、パウロがよく使う表現です。英語では“In Christ”=「キリストの中に」という意味です。
 とても不思議なことですが、私たちがイエス様を信じた瞬間から、「神様によって」私たちは「キリスト・ イエスの中に」入れられています。だからクリスチャンはみんな「キリストの内にある者」です。
 ちょうど、栞(しおり)が本にはさまれているような状態だと言えます。一度、栞を本にはさむと、その本が行くところどこにでも、栞は一緒について行きますね。
 同じように、神様は私たちが「イエス様を信じます」と告白した瞬間に、イエス様の中に、すっぽりとはさみ込んで下さいました。だから、私たちはいつもイエス様と一緒なのです。(過去も現在も未来も!)
 イエス様が、十字架で死なれたとき、私たちも一緒に死にました。イエス様が墓に葬られたとき、私たちも一緒に葬られました。イエス様が死から復活されたとき、私たちも一緒に復活しました。いまイエス様は、神様のそばで、神様の愛と祝福を受けておられますが、私たちも「イエス様にあって」、神様の愛と祝福を受けているのです。イエス様の代わりに、私たちのところにきてくださった「聖霊」はそのことの保証です。
 「…あなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。」
 今日も1日神様の祝福がありますように!