今日の聖書(9月22日月曜日)
「人の道は主の目の前にあり、主はその道筋のすべてに心を配っておられる。」(箴言5章21節)
 
 人生はよく道にたとえられます。また、人生は「選択の連続だ」とも言われます。 「今日、何を食べようか?」という日常の小さな選択から、「どの学校にいこうか?」「誰と結婚するのか?」「どこに住むのか?」など、人生を左右する選択まで沢山あります。
 時には、自分でどの選択が良いのかわからず、不安を感じるときもあるかもしれません。そんなとき、今日の言葉を思い出してください。
 「人の道(私たちの人生の歩み)は、神様の目の前にあって、神様は、その道筋(人生の選択)すべてに心を配っておられる。」
 私たちの日々の小さな選択から大きな選択にいたるまで、すべてを神様は愛のまなざしで見つめ、私たちの歩みを見守り、導いて下さっているのです。そんな神様のまなざしの中に私たちは生かされています。
 今日も1日神様の祝福がありますように!
 
 
今日の聖書(9月23日火曜日)
「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。」(コリント人への手紙8章1節)
 
 今日の箇所には、人を愛し、徳を高めること(「建物を建てる」ときに使われる表現で、「その人のためになることをする」という意味)の大切さが語られています。
 コリント教会の中には、知識があるがゆえに人を裁いたり傷つけてしまう人たちがいたようです。ですから、パウロは手紙の中で、何度も「知識」以上に「愛すること」が大切だと語っています。
 でも、「愛する」ことが大切だとわかってはいても、なかなか実践できないのが人間なのかもしれません。だからこそ、パウロはこの手紙の中で、主なる神様に目を向ける大切さを何度も語っています。
 神様は、私たちの全てを知って下さり無条件で愛して下さっています。全治全能の神様が私たちの知識や理解のペースにあわせて、人生を一緒に歩んでくださっています。
 そんな神様の愛を信頼しながら、自分自身も、他の人を愛するものに変えられて行きたいですね。
 今日も1日神様の祝福がありますように!
 
 
今日の聖書(9月24日水曜日)
「あなたがたに先立って行かれるあなたがたの神、主が…あなたがたのために戦われるのだ。また、荒野では、あなたがたがこの所に来るまでの、全道中、人がその子を抱くように、あなたの神、主が、あなたを抱かれたのを見ているのだ。」(申命記1章29-30節)
 
 「申命記」は、モーセが40年続いた荒野の旅の最後にイスラエルの民に語った告別説教(メッセージ)です。
 「申命記」と約されていることばには、「繰り返し言う」という意味があります。そして、モーセが民に繰り返し伝えたメッセージの中心は「主なる神様はどのようなお方か」ということと、その「主なる神様に従う素晴らしさ」です。
 今日の箇所でもそうですね。
 主なる神様は「私たちに先立って戦って下さるお方」だと告白されています。そして「いつもわたしたちと共にいて、まるで子どもを抱くように守って下さるお方」だと語られています。「そのことを忘れないで欲しい」とモーセは民に繰り返し語っているのです。
 そして、イスラエルの民の旅路は、私たちの人生の歩みにも重なります。主なる神様は、私たちに先立っていろんな問題や課題と戦って下さいます。そして、いつも共にいて私たちを抱きしめ守って下さっているのです。
 今日も1日神様の祝福がありますように!
 
 
今日の聖書(9月25日木曜日)
「憎しみは争いを引き起こし、愛はすべてのそむきの罪をおおう。」(箴言10章12節)
 
 今日の箇所は、ソロモンの箴言のなかで、とても有名なことばですね。
 ソロモンはダビデ王の息子です。母親は、ダビデと不倫をし、そのダビデの指示で夫を殺された、バテシェバという女性です。
 その不倫によって産まれた子どもは残念ながら亡くなったのですが、その後、産まれたのがソロモンでした。
 ダビデには他にも何人かの妻と子どもがいましたから、おそらく、ソロモンは小さい時から、ダビデ家の複雑な家庭環境の中で、また母親が違うゆえに起こる兄弟たちの問題や争いを肌で感じていたでしょう。もしかしたら、「あんな女の息子…」と陰口を言われたかも知れません。
 そんなソロモンが語った「憎しみは争いを引き起こし、愛はすべてのそむきの罪をおおう」ことばからは、彼の実体験に基づく真実さを感じます。
 「ソロモン」の名前には「平和」と言う意味があります。彼はきっと誰より平和をもとめていたでしょう。そして、そむきの罪をおおう愛を実感していたでしょう。
 そんな彼を通して語られた神様の御思いを受け取りたいと思います。
 今日も1日神様の祝福がありますように!
 
 
今日の聖書(9月26日金曜日)
「まことに、私たちの神、主は、私たちが呼ばわるとき、いつも、近くにおられる。このような神を持つ偉大な国民が、どこにあるだろうか。また…このみおしえのすべてのように、正しいおきてと定めとを持っている偉大な国民が、いったい、どこにあるだろう。」(申命記4章7-8節)
 
 今日の箇所でモーセは「主なる神様がどういう方か」ということを2つ紹介しています。
 1、「呼ばわるとき、いつも、近くにいてくださる方」…確かに神様はイスラエルの長い旅の中で、恐れや不平不満に満ちた彼らの近くにいてくださいました。神様は決して彼らを見捨てることなくいつも共にいて導びいてくださったのです。そして彼らが助けを求めるときいつもこたえて下さいました。
 2、「正しいおきてと定めを与えて下さる方」…神様はイスラエルの民を単に助けただけではありません。彼らが神様の御思いを具体的に知り、神様の目に正しく生きることができるように「みおしえ(十戒を中心とした旧約聖書)」をお与えになりました。
 そして、今の私たちにとっても神様は同じお方です。私たちが主を呼ばわる(祈る)とき、その声を聞き、いつもともにいて助けて下さいます。そして、変わらない神様のみおしえである聖書を与えて下さっています。神様は聖書を通していつも私たちに語りかけ、教えさとし、人生を導いて下さっています。
 そのような神様がともにおられるから、どんなことがあっても大丈夫です。
 今日も1日神様の祝福がありますように!
 
 
今日の聖書(9月27日土曜日)
「神の御霊によって語る者はだれも、『イエスはのろわれよ』と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です』ということはできません。」(コリント人への手紙第一12章3節)
 
 コリント人への手紙を読むとわかるのですが、どうやらコリント教会のクリスチャンたちの中には、聖霊なる神様とその働きについての混乱があったようです。ですから、パウロはこの手紙の12章で、「聖霊の働き」について基本的なことを語っています。
 まず、最初に「イエス様を自分の主として信じ告白すること」そのこと自体が、聖霊の働きだと語っています。もしかしたら、コリント教会の人たちにとって、「イエス様を主と告白する」ことは、あまりに自然すぎて、当たり前のようになっていたのかも知れません。ですから、パウロは改めて「イエスは主です」という告白の素晴らしさと、それは聖霊の働きなしにはありえないことだと語っているのです。
 それは今も同じです。私たちが「イエス様、あなたを私の救い主として信じます」と告白できていること自体が、聖霊が私たちのうちで豊かに働いて下さっている証拠です。聖書は、イエス様を信じる私たちのうちに聖霊が与えられ、そのお方がいつもともにいてくださると約束しています。そして、聖霊は、その時々にあった現れで豊かに働き、時には不思議な出来事もなしてくださいます。聖霊はいつも私たちを助け、慰め、励まし、私たちの人生を力強く導いておられるのです。そのお方に心を開き信頼しつつ歩んでゆきましょう。
 今日も1日神様の祝福がありますように!