今日の聖書(10月6日月曜日)
「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。」(コリント人への手紙第二1章4-5節)
私たちの人生には苦しみがあります。苦労もあります。イエス様を信じてクリスチャンになったからといって、それらが全てなくなるわけではありませんね。
では、イエス様を信じると何が違うのでしょうか。それは苦しみを理解し慰めてくださる主なる神様(イエス様)を知っているということです。
人は自分と同じ境遇や体験をした人と出会うとき慰めや励ましを感じます。たとえ直接的な解決が与えられなくても、ただ自分の話をきいてもらったり、相手の話をきくことを通して励まされることがあります。
イエス様はどのようなお方だったでしょうか。人としては貧しい大工の家庭に生まれました。父親のヨセフは早くに亡くなったようです。沢山の兄弟の長男として家族を支えました。またイエス様は人々から誤解され、時には自分の家族からも疑われました。ユダヤの指導者から嫌われ、いのちを狙われました。身近にいた弟子たちにさえ理解されず、最終的には裏切られました。ユダヤ当局に捉えられ苦しめられ、当時、最も残酷といわれた十字架刑で処刑されました。そして、十字架においては、父なる神様からも見捨てられたのです。全ての罪の裁きをその身に受けてくださったのです。
聖書を読むと、イエス様が私たち人間が体験する全ての苦しみを経験されたことがわかります。
だから、もし仮に私たちが誰にも理解されない苦しみや悲しみや問題の中に置かれたとしても、イエス様だけは全てご存じです。私たちの苦しみの全てを経験した上で、イエス様は私たちのそばに共にいてくださっているのです。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(10月7日火曜日)
「あなたが敵と戦うために出て行くとき、馬や戦車や、あなたよりも多い軍勢を見ても、彼らを恐れてはならない。あなたをエジプトの地から導き上られたあなたの神、主が、あなたとともにおられる。」(申命記20章1節)
申命記の内容は、イスラエルの民が約束の地カナンに入る前に、モーセを通して神様が語られたメッセージです。
今日の箇所では、「約束の地に入っても戦いは多い。しかし、エジプトから救い出して下さった神様がともにいてくださる」と語られています。
私たちがイエス様を信じて生きる人生においても、いろいろな「敵」や「戦い」と呼べる出来事があります。迫害や反対といった外側からの戦いがあるかもしれません。罪の誘惑など自分の内側から湧き上がる戦いがあるかもしれません。そのような歩みの中で、時々クリスチャン生活がしんどく感じる時があるかもしれません。
そんな時、今日のことばを思い出したいですね。私たちを「エジプト」(神様に背を向け、神なしとする世界)から救い出して下さったお方が、いつも私たちと一緒にいて、日々の戦いをともに戦いってくださいます。時に励まし、力を与え、人生を導いて下さるイエス様、そして、私たちのうちに住んでくださる聖霊なる神様です。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(10月8日水曜日)
「銀から、かなかすを除け。そうすれば、練られて良い器ができる。」(箴言25章4節)
銀や金は余分な成分が入っていないほど丈夫で高価です。だから、火で熱して槌で打って純度を高める作業をします。「かなかすを除く」作業です。
私たちの内にも「かなかす」のような「罪」があります。ときどき神様はいろいろな出来事を通して、それを示して下さいます。だから、もし「罪」が示されたときは、「イエス様ごめんなさい」と素直に祈り悔い改めましょう。
でも、「悔い改め」は単に後悔したり、自分を責めることではありません。聖書が教える「悔い改め」は、「神様の方に向くこと」です。「生き方の方法転換」です。「神様、あなたと共にいきてきます。あなたが聖書で教えてくださっていることに、自分を重ねて生きていきます」そのような告白に生きていくことです。
神様は、私たちから「かなかす」を取り除き、聖霊の助けによって「良い器」として、少しずつ少しずつ造りかえて下さいます。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(10月9日木曜日)
「キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。」(コリント人への手紙第二5章14節)
今日のことばは、パウロがコリントのクリスチャンたちに語った有名なことばです。
ここで言われている「取り囲む」は、大きな盾で体全体をおおってしまうイメージです。当時の軍隊には、片手で持って体の上半身を守る盾(小盾)と、体全体を覆い隠す(大盾)がありました。この箇所で言われている「取り囲む」は、大盾で、しかも、一枚の盾でなく、前も後ろも上も360度すべてをしっかりと安全におおうイメージです。
パウロはそのような安全で確かな大盾のように、イエス様の確かな愛が私たちを取り囲んでいると語っているのです。それほど、イエス様の愛は大きく確かで私たちに安心を与えるものです。パウロはこの素晴らしい愛にいつもとどまっていたのですね。
私たちも、私たちをぐるりと取り囲んでくださるイエス様の大きな愛に信頼し歩んでいきましょう。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(10月10日金曜日)
「神は、罪を知らない方(イエス・キリスト)を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」(コリント人への手紙第二5章21節)
時々、テレビや新聞で「えん罪」について報道されます。無実の人が裁判で有罪にされ、何年も何十年も拘置所や刑務所に入れられる。(最近もニュースでありました)そのような話を耳にすると腹がたったり、本当に気の毒に感じます。
でも、今日のみことばはどうでしょう。
罪のないイエス様が罪人とされたのです。えん罪で刑務所に入るどころか、十字架刑という当時の人々が最も恐れ忌み嫌ったむごたらしい刑罰で殺されたのです。人の常識で考えれば、まさに最悪のえん罪事件とも呼べる出来事です。
イエス様は私たちの罪のために、私たちが神様の前に義(正しい)とされるためにそれを受けてくださいました。誰が自ら進んで罪人のために命を捨てるでしょうか。そんな考えられないことをイエス様はしてくださったのです。それぼどまでに私たちを愛して下さっているのです。
世界で「最悪のえん罪事件」とも呼べる出来事は、世界で「最高の愛の証」です。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(10月11日土曜日)
「マケドニヤに着いたとき、私たちの身には少しの安らぎもなく、さまざまの苦しみに会って、外には戦い、うちには恐れがありました。しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことによって、私たちを慰めてくださいました。」(コリント人への手紙第二7章5節、6節)
パウロは、マケドニヤという場所からコリントの教会に手紙を書いたと考えられます。
今日の箇所からわかるのは、熱血漢でとってもパワフルに思えるパウロも、いろんな苦労や戦いの中で落ち込んだり疲れてしまうことがあったということです。
そして、そんなパウロを、神様はテトスという人(パウロの弟子で良き理解者)の存在を通して慰めて下さったということがわかります。
私たちも、日々の生活の中で、外側からの問題や心の内側の悩みなどを感じることがあります。元気が出なくてしんどいときもあります。そんなとき、パウロのように、ありのままの自分の思いを神様にぶつけてお祈りしましょう。
神様は、パウロにテトスを送って励まして下さいましたね。ですから、私たちに対しても、その時々の方法で慰め励まして下さるお方です。神様は「気落ちした者を慰めてくださる方」です。
今日も1日神様の祝福がありますように!