今日の聖書(10月13日月曜日)
「あなたに約束した通り、あなたは主の宝の民であり、あなたが主のすべての命令を守るなら、主は、賛美と名声と栄光を与えて、あなたを主が造られたすべての国々の上に高くあげる。」(申命記26 章18-19節)
 
 今日の箇所には、神様が「宝の民」と呼んでくださる私たちが「どのように生きたらよいのか」について書かれています。それは、「神様の命令を守って生きる」こと、言い換えるなら「聖書のみことばに従って生きること」です。
 「命令を守る」「みことばに従う」と聞くとなんだか厳しくて窮屈なイメージをもってしまうかもしれません。でも、ここで言われていることは、けしてそうではないのです。
 例えば、どんなスポーツでもルールがありますね。ルールなしで好き勝手にプレーしたらどうでしょう。試合は混乱しますし、プレーしている人も本来の力を発揮することが出来ず、全然楽しくありません。プレーしている人も、見ている人もきっとうんざりしてしまうでしょう。ルールや秩序があるからこそ、スポーツとして成立しますし、ゲームの魅力があり、プレーヤーも生き生きとプレーすることができるのです。
 私たちの人生もそれと似ていると思います。神様が与えて下さった「聖書」という適切な基準で生きるとき、人は本当の意味で人間らしく幸せに生きることができます。なぜなら、神様が私たち人間を、愛をもってお造りになり、人の最善をご存じだからです。
 もちろん、私たちは弱い存在です。間違いをしたり罪を犯してしまうこともあります。でも、そんな私たちの為に、救い主イエス様がきてくださいました。イエス様によって父なる神様は私たちを赦してくださいます。それだけでなく、「聖書のことばのとおりに生きる」ために、助け主である聖霊を与えてくださいました。
 聖書のことばに信頼して生きてゆくとき、神様は私たちを最善に導いてくださるお方です。
 今日も1日神様の祝福がありますように!
 
 
今日の聖書(10月14日火曜日)
「ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることのできる方です。」(コリント人への手紙第二9章7、8節)
 
 今日の箇所でパウロは献金について、いくつかの基本的なことを伝えています。
 1、「ひとりひとり」・・・献金はそれぞれ違って良いものです。「誰がいくらしているから、自分も同じように」などと考える必要は一切ありません。他の人と比べなくてよいのです。
 2、「いやいやながらでなく、強いられてでもなく」・・・献金は誰からも、何によっても強制されるものではありません。無理してささげる必要もありません。自分ができる金額をささげればよいのです。献金は自発的なものです。
 3、「心で決めたとおりに」・・・気まぐれに、その時の気分だけでするのものではありません。神様に祈りつつ、自分自身で、時や金額を決めてささげるものです。つまり、決心が伴う積極的なものです。
 最後に心にとめたい大前提は、神様は、私たちを「常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることのできる方」です。神様は溢れる恵みに満ちた気前の良いお方です。
 そんな神様を信頼しつつ自分にできる献金を感謝をもって捧げればよいのです。
 今日も1日神様の祝福がありますように!
 
 
今日の聖書(10月15日水曜日)
「自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受ける。」 (箴言28章13節)
 
 箴言の多くは、知恵に満ちたイスラエルの王ソロモンの言葉だと考えられています。今日のことばが、ソロモン王が直接語ったものかどうかは定かではありませんが、少なくとも彼に影響をうけた人物のことばでしょう。そして、私個人としてはソロモンのことばだと思っています。なぜなら、このことばからは、ソロモンの父ダビデの姿が思い起こされるからです。
 偉大な王ダビデも、知恵に満ちたソロモンも、決して完璧な人間ではありませんでした。何度も失敗し、多くの罪を犯しました。でも、彼らの素晴らしかったところは、どこかの段階で自分の罪を隠さず神様の前に正直に告白し、悔い改めた(方向転換をした)ことです。そして、そのような彼らを神様は赦してくださり、豊かに祝福されました。
 私たちも失敗をします。過ちも犯します。何度も何度も同じ罪を繰り返してしまうかもしれません。そして、そんな自分自身を隠そうとします。どうしても素直になれない自分に嫌気がさすようなときもあるかもしれません。
 だからこそ今日のことば、「それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受ける」が胸に響きます。ダビデやソロモンのように、いつも神様の前に心を開き、すべての罪を打ち明けて、その罪を手放しつづければよいのですね。
 愛とあわれみに満ちた神様は、私たちが正直に心を開くのをいつも待って下さっています。そして、すでに完成されたイエス様の十字架のみわざによって、いつだって、なんどでも、際限なく、赦して下さるのです。
 今日も1日神様の祝福がありますように!
 
 
今日の聖書(10月16日木曜日)
「私は、四十年の間、あなたがたに荒野を行かせたが、あなたがたが身に着けている着物はすり切れず、その足のくつもすり切れなかった。…それは、『わたしが、あなたの神、主である』と、あなたがたが知るためであった。」(申命記29章5、6節)
 
 旧約聖書に記録されているイスラエルの民が経験した荒野の旅は、私たちが、今、イエス様と共に生きる人生の歩みと重なります。「荒野」ですから、決して順風満帆で楽な旅とは言えません。いろんな困難がつきものですし、足りないものも多いでしょう。
 でも、今日の箇所からわかることは、神様は必ず必要なものを与えて下さるということです。「あなたがたが身に着けている着物はすり切れず、その足のくつもすり切れなかった。」とあるように、雨風や砂埃から体を守る着物、そして、歩く為に必要な靴など、神様は私たちが人生の旅を送る為に必要な物を必ず与えて下さる方です。
 そして、そのことを通して私たちは「神様が私たちの人生を共にあゆみ、守り導いて下さるお方だ」と知ることができます。
 私たちのこれまでの人生を振り返ってみて、どうでしょうか。もしかしたら、自分が願うもの、欲しいもの全てが与えられたわけではないかもしれません。でも、私たちが生きる為に本当の意味で必要なものは、すべて神様は与えて下さっているのではないでしょうか。私はそう感じています。
 今日も1日神様の祝福がありますように! 
 
 
今日の聖書(10月17日金曜日)
「自分の心にたよる者は愚かな者、知恵をもって歩む者は救われる。」(箴言28章26節)
 
 以前にも紹介しましたが、箴言の中には2つの文で1つの内容を表現する「平行法」が用いられている箇所があります。「平行法」にも種類があるのですが、今日のことばには「対比」(二つの相反することを述べて一つのことを強調する)の平行法が使われています。
 「自分の心にたよる者」と「知恵をもって歩む者」は反対の意味ですし、「愚かな者」と「救われる」も反対の意味になっています。両極端のことを述べて、伝えたいメッセージを強調しています。
 つまり、ここで言われているのは、「神様の存在を無視して、自分の思い(だけ)に頼って生きるのでなく、神様の存在を認め、神様から知恵をいただいて(それに信頼して)生きるとき、人生が守られ祝福される」というメッセージです。
 そして、神様からの「知恵」とはなんでしょうか。それは聖書の御言葉であり、究極的にはイエス様ご自身のことをさします。
 私たちイエス様を信じる者の内には、「知恵」そのものであられるイエス様の御霊(聖霊)が住んでくださいます。だから、私たちは「知恵をもって生きる者」です。ですから、私たちのうちに住んでくださり、私たちの思いと共に働いてくださる聖霊に信頼しながら、聖書のみことばを聞き、日々歩んでいきましょう。
 今日も1日神様の祝福がありますように!
 
 
今日の聖書(10月18日土曜日)
「まことに、私が、きょう、あなたに命じるこの命令は、あなたにとってむずかしすぎるものではなく、遠くかけ離れたものでもない…まことに、みことばは、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる。」(申命記30章11節、14節)
 
 神様は、イスラエルの民に「十戒」を中心とした「教え(律法)」を与えられました。そして、それを守って生きるとき、神様の祝福が与えられ、人は本当の意味で幸せに生きることが出来ると約束してくださいました。
 今日の箇所では、神様が与えてくださった「教え(律法)」は、「決してむずかしすぎるものではなく、遠くかけ離れたものでもない」と語られています。
 「教え(律法)」は、今の私たちにとっては「聖書全体」と理解して差し支えありません。そして、聖書は決してむずかしすぎるものではなく、私たちの生活から遠くかけ離れたものでもないということです。それでも、やっぱり自分の力では「むずかしい」し、「遠くはけ離れたもの」と感じてしまうことがあるかもしれません。
 だからこそ、イエス様が来て下さいました。イエス様は、人にはけして守ることのできない「律法」を成就してくださいました。そして、イエス様を信じる者の内に助け主なる聖霊(イエス様の御霊)が住んでくださいます。
 だから、自分の力では無理だけど、私たちの内に住んでくださる聖霊によって、「みことばは、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる」のですね。
 そして、聖霊はいつも私たちを励まし、慰め、力を与え、私たちの思い(意志)と共に働かれるお方です。だから、ほんの少しの勇気をもって「聖霊様どうか私の内で、私とともに働いてください」と祈りつつ、聖書のことばに信頼して歩んでいきましょう。
 主なる神様はいつも「みことばは、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にありって、 あなたはこれを行うことができる。」と励まして下さっています。
 今日も1日神様の祝福がありますように!