今日の聖書(11月03日月曜日)
「イエスは出て行き、収税所にすわっているレビという収税人に目を留めて『わたしについてきなさい』と言われた。するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った」(ルカの福音書5章27、28節)
収税人レビの別名は、マタイ(マタイの福音書を書いた人)です。
ある日のこと、レビが働いていた収税所の近くをイエス様が通り過ぎようとされました。この時すでにイエス様は有名人です。
レビは、いつものように「取税所にすわって」いました。イエス様が近づいても「自分には関係ない」と思っていたでしょう。でも、次の瞬間、なんとイエス様が彼の前で足をとめ、じっと見つめて「わたしについて来なさい」と声をかけられたのです。
レビはびっくりしました。「人々の注目を集めているイエスが自分の目の前に立ち止まり、『わたしについて来なさい』と声をかけるなんて、いったいどういうことだろう。」そして、聖書はレビの反応をこう記しています。
「するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った。」
なぜ、彼はこのゆな決断ができたのでしょう。おそらく、これまで彼は心の中で「自分の人生はこのままでいいのだろうか…」そのような思いを抱いていたのだと思います。取税人として経済的に満たされていましたし、生活も安定していたでしょう。でも、同胞のユダヤ人からは軽蔑されて、自分の仕事に誇りを持つこともできない。「この先、人生どうなるのか…」そんな思いを抱えながら仕事をしていたのかもしれません。
収税所は人通りの多い場所ですから、イエス様の噂は彼の耳に入っていたはずです。でも、「自分には関係ない」と、自分自身に語りかけられていることばとしては受け取ってこなかったのです。
でも、この時は違いました。彼の人生とイエス様のことばが結びつきました。なぜでしょうか。イエス様が彼のところきてくださったからです。イエス様が彼を見つめ「わたしについてきなさい」と、ことばをかけてくださったからです。
その瞬間、レビは「このイエス様についていこう」と決断し、立ち上がることができたのです。レビが決断するずっと以前から、すでにイエス様の方が彼を選んでくださっていたのです。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(11月4日火曜日)
「そこで、私(イザヤ)は言った。『ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる…』すると、私のもとにセラフィムのひとりが飛んで来たが、その手には… 燃えさかる炭があった。彼は、私の口に触れて言った。『見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪もあがなわれた。』」(イザヤ書6章5-7節抜粋)
イザヤ書6章には、イザヤが神様によって預言者として選ばれた時のことが書いてあります。
イザヤは神様に対して、「自分の口は汚れています…とても神様のメッセージを語ることは出来ません。」と正直に告白していますね。そのとき、なにが起こったでしょうか。そんなイザヤの唇にセラフィム(神様の使い)が燃える炭をつけ、「これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪もあがなわれた。」と語ったのです。
神様が御使いを通してイザヤに触れてくださり、イザヤを聖なるもの(神の専用品)としてくださったのです。
私たちも、イザヤのように自分の罪や足りなさを感じることがありますね。神様のことを伝えたり、イエス様を証するにはふさわしくないと思う時があるかもしれません。
でも、大丈夫です。神様はそんな私たちのありのままをご存じの上で、触れて下さいます。そして、私たちを聖め、神様の専用品としてくださるのです。
日々聖書のみことばを通して語りかけてくださり、また私たちのうちに住んで下さっている聖霊様によって、力強く導いてくださっているのです。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(11月5日水曜日)
「ときに、十二年の間長血をわずらった女がいた。だれにも直してもらえなかったこの女は、イエスのうしろに近寄って、イエスの着物のふさにさわった。するとたちどころに出血が止まった。…イエスは 彼女に言われた。『娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。』」(ルカの福音書8章44−48節抜粋)
12年という長い間、病気が直らず苦しんでいた女性は「この人なら直して下さる」と思い、イエス様の着物に触れました。その瞬間、彼女の病が癒されたのです。そして、そんな彼女にイエス様は「あなたの信仰があなたを直したのです」と言われました。
もちろん、癒してくださったのは100%イエス様です。でも、ある意味において、その力を引き出したのは彼女の信仰(イエス様にこっそり触れた行動)でした。
ちょうど、電源のコンセントにプラグを差し込むと電気が流れて、その力が機器に伝わってゆくように、イエス様に触れたことで彼女の中にイエス様の力が流れていったのです。
今日の箇所から教えられることは、イエス様への「信仰」は、私たちの努力でも、頑張りでもないということです。ただ、イエス様に触れること、言い換えるなら「イエス様、あなたを信頼します」と、小さな勇気をもって告白することです。その時、豊かなイエス様の恵みが私たちに流れてくるのです。
イエス様は私たちの小さな応答や、イエス様への信頼と告白を喜んでくだいます。「あなたの信仰があなたを救った」と最大限に評価し、私たちに触れて下さるお方なのです。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(11月6日木曜日)
「しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。…ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。」(イザヤ書9章1、6節抜粋)
イザヤは7章と8章で、北イスラエルがアッシリアによって滅ぼされることを預言します。そして、9章で、その苦しみと暗闇の地に光としての救い主が与えられると預言しています。
イザヤのことばは、近い将来のこと(イザヤがまだ生きている頃)、未来のこと(イエス様が誕生した頃)、遠い未来のこと(私たちにとっても未来のこと)を同時に重層的に預言しています。
だから時々、読んでいて「いったいこの言葉はいつのことを指しているのだろう?」と理解しづらいときがありますね。
ここでは、その当時の人々にとって近い将来に生まれる一人の人物のことを預言すると同時に、滅ぼされた北イスラエルのガリラヤ地方から、やがて「救い主」イエス様がお生まれになることが預言されています。
さらに、今、私たちが生活している現代の暗闇にも、イエス様が光として輝いて下さることも、イザヤは語りました。
二千数百年も前から預言されていた救い主イエス様は、時代と場所を越えてすべての暗闇と苦しみの中に輝いて下さるお方です。そして、今日も私たちの生活の真ん中で光となって照らしてくださるお方です。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(11月7日金曜日)
「まことに、主はヤコブをあわれみ、再びイスラエルを選び、彼らを自分たちの土地にいこわせる。」(イザヤ書14章1節)
イザヤは彼が生きていた当時のこと、彼にとっての近い将来のこと、そして遠い未来のことを同時に見つめながら、重層的に神様のことばを語っています。そのように旧約聖書の預言は重なり合う山を手前から見つめるよう語られることがあります。
イザヤ書13章と14章では、北イスラエルが滅んでしまい、これから先、南ユダもバビロンに滅ぼされるという、イザヤにとって未来の出来事が預言されています。
そして、イザヤはやがて「完全に自分たちの国が失われてしまった」と悲観にくれてしまうイスラエルに対して、神様が「わたしがあなたがたを必ず回復する」と、先取りのメッセージをも語っているのです。
そして、いま新約の時代においては、イエス様を信じる私たちも神様に選ばれた民「神のイスラエル」です。(パウロは、ガラテヤ書の中で、クリスチャンをそう呼んでいます。)
神様は私たちを愛をもって選び、神様の安息の中に生かして下さると約束されました。そして、その約束はイエス・キリストによって成就しているのです。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(11月8日土曜日)
「こうして主は、イスラエルの先祖たちに与えると誓った地をすべて、イスラエルに与えられたので、 彼らはそれを占領して、そこに住んだ。主がイスラエルの家に約束されたすべての良いことは、一つも たがわず、みな実現した。」(ヨシュア記21章43、45節)
ヨシュア記1章から21章には、イスラエルの民が神様の約束の地を勝ち取っていった経緯が書かれています。今日の箇所では、それを総括して「主がイスラエルの家に約束されたすべての良いことは、一つもたがわず、みな実現した。」と語られています。
神様は、イエス様を信じる私たち一人一人にも神様の祝福を用意し約束して下さっています。それは、漠然と天から降ってくるようなものではありません。私たちが日常生活を生きるなかで一つ一つ受け取って(実感して)ゆく側面があります。
大切なことは、神様の祝福は良いものであって、私たちがイエス様を信頼して生きてゆくとき、私たちの日々の歩み中で、神様ご自身がみことばの約束を実現してくださるということです。そこに信頼していきましょう。
今日も1日神様の祝福がありますように!