今日の聖書(11月10日月曜日)
「イエスがある村に入られると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。」(ルカの福音書10章38、39節)
有名なマルタとマリヤの話です。イエス様がベタニヤの村に住んでいた彼女たちの家に滞在されたときのことです。姉のマルタは一生懸命に給仕をし、妹のマリヤはイエス様の足下でじっと話を聞いていました。
ふとマリヤを見たマルタは「自分はこんなに忙しくしてるのに、ゆっくりと座ってお話を聞いて…」と腹が立ってきました。そして、そのようなマリヤを注意しないイエス様に対しても不満をいい始めるのです。
するとイエス様がマルタに言われました。「マルタ、どうしても必要なものはわずかです。マリヤからそれをとってはいけません。」
マルタとマリヤは始めは二人とも「喜んでイエス様をお迎えし」ました。もてなしが得意なマルタはせっせと給仕をしたのでしょう。おそらく人の話を聞くことが得意だったマリヤは、イエス様のそばにいたのだと思います。二人ともそれぞれにあったスタイルでイエス様をお迎えしていますね。素晴らしいことです。どちらの姿もイエス様は喜んで下さいました。
でも、マルタは途中でマリヤの姿が気になりはじめました。自分と比べて、動かない彼女に腹が立ってきました。そして、そんな気持ちを理解してくれてないように見えたイエス様にも不満がでてしまったのです。
マルタの気持ちわかりますね。時々、私たちも自分とは違うスタイルでイエス様に仕えている人を見て比べたり不満がでたりするかもしれません。そんなとき思い出したいと思います。イエス様が一番大切だとおっしゃったのは、イエス様の足もとでイエス様のことばに耳を傾けることです。
そして、イエス様のことばの中心は、「わたしはあなたを愛しているよ。わたしはあなたのありのままを喜んでいるよ。」という愛と恵みのメッセージです。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(11月11日火曜日)
「ただ、今日までしてきたように、あなたがたの神、主にすがらなければならない。あなたがたの神、主ご自身が、あなたがたに約束したとおり、あなたがたのために戦われるからである。」(ヨシュア記23章8-10節抜粋)
今日の箇所は、年をとったヨシュアがこれまでの長い戦いの日々を振り返ってイスラエルの民に語ったことばです。
「ただ神様にすがりなさい」ということばは印象的ですね。もしかしたら「すがる」ということばに対してあまり良い印象をもたない人がおられるかもしれません。「人にすがるなんていやだ。自分は自分で生きていく」。それも大切な考え方の一つかもしれません。
でも、以前、有名な大学教授がこんなことをいっていました。
「自立している人というのは、本当の意味で 自分が頼るべき存在を知っている人だ。」あえて今日のことばで表現するなら、「主にすがることが出来る人」こそ「自立している人」とも言えますね。
どんな人も自分の力だけで生きてゆくことはできません。誰にでも限界があります。だからこそ神様は私たちの人生を守り、私たちと共にいて様々な問題や課題にとりくむ力を与えて下さるお方です。だから、今日もそんな神様におすがりして、神様を頼って生きていきましょう。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(11月13日水曜日)
「あなたがたは、十分に気をつけて、あなたがたの神、主を愛しなさい。」(ヨシュア記23章11節)
今日のことばも晩年のヨシュアがこれまでの人生を振り返りながらイスラエルの民に語ったことばです。
「十分に気をつけて…愛しなさい」とありますね。確かに「愛する」ことは単に内側から自然に湧き上がってくる気持ちだけではないように思います。自分で意識して、意志を持って「愛する」という側面があります。
とくに結婚したらほとんどそうかもしれません。私も、結婚して20年以上経ちますが、かなり初期段階で、「自分の内側から湧いてくる愛情だけでは無理だ、努力なしに、自然に相手を愛し続けることは難しい」ということに気づかされました。意識的に相手のことを思い、相手の気持ちを想像することに「気をつける」。それが大切だと実感しています。(日々、反省ですが…)
そして、意識的に「愛する」ことの具体的な行動の1つは「相手の話を聞く」ことでもありますね。「伴侶を愛する」ことは「伴侶のことばに耳を傾けること」、ということは、「神様を愛する」ことも「神様のことばを聞くこと」(聖書のことばを読み理解すること)と言えますね。
私自身、どちらもまだまだ不十分で一生かけて学んでゆきたいと思っています。私たちのうちに住んでくださる聖霊の助けによって、神様のことも、妻のことも「十分に気をつけて愛する」者と変えられていきたいです。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(11月14日木曜日)
「そこでイエスは、彼らに言われた。『祈るときには、こう祈りなさい。「父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。」』」(ルカの福音書11章2節)
今日の箇所はイエス様が教えてくださった「主の祈り」の冒頭部分です。
私たちは時々「お祈りする気分になれないな」とか「どう祈っていいのか分からない」と思うときがありますね。イエス様はそんな私たちのことをご存じだからこそ、どう祈ったら良いのかを教えてくださいました。
ですから、祈りに迷ったときや、祈る気分になれないときでも、「主の祈り」をそのままお祈りしたらいいのです。2000年前にイエス様がご自身のことばで一言一言教えて下さったお祈りですよ。間違いありません。
そして、「主の祈り」のことばから最初に教えられるのは、自分の願いや必要よりも、まず始めに天の父なる神様をあがめること(賛美すること)から始まっていることです。天の父なる神様は私たちのことをよくご存じで、全ての必要を知ってくださっています。だから、まず最初に「神様あなたを賛美します。あなたの御名をほめたたえます。」と祈り始めるのです。そして「御国が来ますように」と祈る、言い換えるなら、「神様、あなたの願いと、あなたの素晴らしい力が私の生活の中に満ち溢れますように」という意味です。
神様は愛と恵みに満ちたお方です。私たちが祈るとき全ての必要や願いに最善の方法で応えてくださるお方です。そんな天の父なる神様に親しく祈るものでありたいですね。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(11月15日金曜日)
「わたしはあなたがたをエジプトから上らせて、あなたがたの先祖に誓った地に連れて来て言った。『わたしはあなたがたとの契約を決して破らない。あなたがたはこの地の住民と契約を結んではならない…』ところが、あなたがたはわたしの声に聞き従わなかった…」(士師記2章1節、2節)
士師記には、イスラエルの民が、神様が約束してくださった祝福の地(カナン)に入った後のことが書かれています。ヨシュアが亡くなってリーダー不在となったイスラエルは、周囲の国々の影響を受けて偶像礼拝を繰り返します。「この地の住民と契約を結ぶ」とは偶像礼拝のことです。
神様に背を向け自分勝手に生きはじめるわけですから、当然、様々な問題や困難に直面していきます。しかし、神様はそのようなイスラエルの民を決して突き放し諦めることはありませんでした。自分たちの罪が原因で苦しむ彼らに、何度も「士師」と呼ばれるリーダーを送って、何度も何度もイスラエルを助けるのです。
その理由は今日の箇所に出てくる「契約」にあります。
神様はイスラエルの民を「祝福する」と約束されました。そして一度結んだ「契約」は決して破られることはありません。神様は真実なお方、ご自分を否むことができないお方だからです。
そして、その真実は現代に生きる私たちに対しても同じです。神様は、私たちがたとえどんなに罪深くても、どんなに弱かったとしても、何度も何度も神様を裏切ってしまったとしても、聖書の約束にある通り、私たちが主イエス様を信じ、イエス様を呼び求めるなら、私たちを決して諦めず見捨てることはなさらないのです。
だからこそ、私たちは何度失敗したとしても、何度神様に背を向けてしまったとしても、イエス様によって父なる神様のもとに立ち返ることができるのです。天の父なる神様はいつも両手を広げて私たちをまってくださっています。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(11月16日土曜日)
「ヨアシュの子ギデオンはミデヤン人からのがれて、酒ぶねの中で小麦を打っていた。主の使いが彼に現れて言った。『勇士よ。主があなたといっしょにおられる。』…『あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか。』」(士師記6章11〜14節抜 粋)
士師記6章には、イスラエルの民がミデヤン人に苦しめられていた時のことが記されています。その時、活躍したのがギデオンという名の「士師」=「さばきつかさ」です。
ギデオンが神様の呼びかけを受けたとき、彼は「酒ぶねの中で麦を打って」いました。実はこの姿は普通ではない状態なのです。当時、「麦打ち」はもみ殻を吹き飛ばすために風通しが良くて見晴らしの良い場所で行われました。反対に「酒ぶね」は壁に覆われ周囲からは見えない低い場所でぶどうを搾るところでした。
つまり、ギデオンは本来は見晴らしが良く、風通しのよい場所で行う「麦打ち」にはふさわしくない場所、人々から目立たない低い場所にある「酒ぶね」で作業していたのです。
なぜでしょうか。それほどミデヤン人の攻撃を恐れて、見つかるのが怖かったからです。ギデオンは人々から隠れていたということなのです。
そんな風に怯えてこそこそと作業していた臆病なギデオンに神様は語られたのです。「勇士よ。主があなたといっしょにおられる!」と。神様はこの時のギデオンを「勇士」と呼んでいるのです。
考えてみれば、私たちもギデオンのように恐れや不安を抱えやすい存在ですね。「自分なんて…」と隠れてしまうようなときがあるかもしれません。でも、神様はそのような私たちのすべてをご存じです。その上で、私たち対しても「勇士よ。わたしがあなたと共にいる」と語ってくださるのです。
そして、さらに「あなたのその力(いま与えられているありのままの力)で歩んで行ったら良いのですよ。わたしがあなたと共にいて、あなたを遣わすのだから」と励まして下さるのです。
今日も1日神様の祝福がありますように!