今日の聖書(1月19日月曜日)
「これはダビデの最後のことばである。…『まことにわが家は、このように神とともにある。とこしえの契約が私に備えられ、また守られる。まことに神は、私の救いと願いとを、すべて、育て上げてくださる。』」(サムエル記第二23章1、5節)
ダビデが亡くなる前に語った遺言のようなことばです。
旧約聖書の大きな流れは、神様が全人類を祝福するために、アブラハムという人を選び、その子孫であるイスラエルの民を通して、神様の祝福がすべての民族に及んでいくという歴史です。イスラエルの民を通して神様を信頼して生きる素晴らしさを、世界中の人が知ることができるのです。
そして、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申明記、サムエル記と聖書の歴史が進むにつれて、神様の祝福はイスラエルの中でも、特にダビデを通して与えられることがはっきりしてきます。
そして、およそ900年後にダビデの家系であるマリヤからイエス・キリストがお生まれになりました。イエス様を通して、アブラハムに約束された神様の祝福が、すべての人々に与えられるようになったのです。ただ、救い主キリストを通してです。
『とこしえの契約が私(ダビデ)に備えられ、また守られる。まことに神は、私の救いと願いとを、すべて、育て上げてくださる。』というのは、その預言です。
このダビデが語った「救いと願い」の中に、時代と空間を超えて、イエス様を信じる私たち1人1人も含まれています。
聖書は遠い昔の物語ではありません。神様は何千年も前から私たちを個人的に知って下さり、愛して下さり、神様の大きな恵みの計画の中に入れて下さっているのです。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(1月20日火曜日)
「ダビデの死ぬ日が近づいたとき、彼は息子のソロモンに次のように言いつけた。『…強く、男らしくありなさい。あなたの神、主の戒めを守り、モーセの律法に書かれているとおりに、主のおきてと、命令と、定めと、さとしとを守って主の道を歩まなければならない。あなたが何をしても、どこへ行っても、栄えるためである。』」(列王記第一2章1〜3節)
ダビデが亡くなる直前に息子ソロモンに語った言葉です。
「強く、男らしくありなさい。」ここでダビデが語った「強さ」は、私たちが一般的に考える「強さ」とは少し違うかもしれません。
その「強さ」がどこから来るのかというと、「あなたの神、主の戒めを守り、モーセの律法に書かれているとおりに、主のおきてと、命令と、定めと、さとしとを守って主の道を歩」むことからです。
つまり、「神様のことばに従って歩む」こと、それが真の「強さ」だと、ダビデは息子ソロモンに語ったのです。
体力でも、腕っぷしの強さでも、精神的な強さでもありません。私たちが、神様のみこころ(聖書)に従って生きるとき、「あなたが何をしても、どこへ行っても、栄える」と、ダビデのことばを通して聖書教えているのです。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(1月21日水曜日)
「マリヤは、イエスのおられた所に来て…言った。『主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。』そこでイエスは、彼女が泣き、彼女といっしょに来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて、言われた。『彼をどこに置きましたか。』彼らはイエスに言った。『主よ。来てご覧ください。』イエスは涙を流された。」(ヨハネの福音書11章32〜35節)
ベタニヤという村に住んでいたマルタとマリヤ、その兄弟ラザロの家に、イエス様は何度も立ち寄られました。聖書には「イエスは彼らを愛していた」と書いてあります。そのラザロが病気で死んでしまった時のイエス様の反応が今日の箇所です。
泣いているマリヤをみたイエス様は、「霊の憤りを覚え、心の動揺を感じ」られます。これはとても強く悲しまれたという表現です。そして、「イエスは涙を流され」ました。
イエス様は、私たちが感じる悲しみや苦しみに同情してくださるお方です。同じように感じて下さるのです。イエス様は大切な存在が亡くなったときには心から悲しみ涙を流して泣かれたのです。
そういう点においても、イエス様は私たちの気持ちを良く知って下さっています。だから、悲しい時は悲しい、苦しい時は苦しい、嬉しい時は嬉しいと、イエス様にぶつけて良いのです。イエス様は私たちのすべてを理解し受けとめて下さいます。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(1月22日木曜日)
「『わが神、主よ。今、あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし、私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分け る心をしもべに与えてください。』…この願い事は主の御心にかなった。」(列王記第一3章7〜10節抜粋)
ダビデの息子、ソロモン王の時代にイスラエルはものすごく繁栄しました。ペリシテやエジプトなどの外国を抑え込み、イスラエルの領土は広がります。地中海での貿易も行い、多くの富を得ました。ソロモン王の知恵と名声は当時の世界に響き渡ったのです。
その理由の1つが今日の箇所にあるソロモンの祈りです。
「神様、私にはこの国を治める力がありません。どうか知恵の心、善悪を判断する心をしもべに与えてください。」ソロモンは神様にお金や力や名声を求めたのでなく、神様からの知恵を求めました。そして、「この願い事は主の御心にかなった」のです。
神様から与えられる「知恵」は何ものにも勝るのです。お金はなくなります。力も弱ります。しかし、神様から与えられる「知恵」はどんな状況の中でもなくなりません。
そして、神様は私たちが「知恵」を求めることを喜んで下さるのです。新約聖書ヤコブの手紙1章5節にはこんなことばがあります。
「あなた方の中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、誰にでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(1月23日金曜日)
「マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。」(ヨハネの福音書12章3節)
今日の箇所に出てくるマリヤは、ベタニヤに住むマルタとマリヤの「マリヤ」です。イエス様が蘇らせてくださったラザロの姉妹です。
イエス様は、「過越しの祭り」の時に十字架に架けられたのですが、その少し前にマリヤたちの住むベタニヤ村に寄られました。その夕食時にマリヤが高価な香油を惜し気もなくイエス様に注いだのです。
ほんの少しでも良い香りがする香油を300グラムたっぷりと注いだのですから、家中に香りが広がったことでしょう。そこにいた弟子たちからは「なんともったいない…。なんと無駄なことして…。」そんな文句がでるほどでした。でも、イエス様は「マリヤはわたしのために葬りの準備をしてくれたのです」と感謝されたのです。
一見、人の目には無駄と思えるマリヤの行動はイエス様への愛の現れでした。マリヤにとっては、これまで何度も自分たちのところに立ち寄って下さったイエス様。いつも優しい眼差しを向けあたたかい言葉をかけて下さったイエス様。兄弟ラザロの死を悲しみ蘇らせてくださったイエス様。そんなイエス様の深い愛を経験していたからこそ、マリヤは気がつけば香油を注いでいたのでしょう。
そして、この香油はこの後イエス様がユダヤ当局に捕らえられたオリーブ山でも、不当な裁判を受けたピラトの官邸でも、39の鞭を受けた刑場でも、そして、十字架を背負い歩かれた道、ゴルゴタの丘に至るまで、ずっとずっと良い香りを残し続けたはずです。きっとイエス様にとって深い慰めになったことでしょう。
ナルドの香油の強い香りは、イエス様の愛を受け、その愛に応答したマリヤの証です。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(1月24日土曜日)
「(ソロモンは)言った。『イスラエルの神、主。上は天、下は地にも、あなたのような神はほかにありません。あなたは、心を尽くして御前に歩むあなたのしもべたちに対し、契約と愛とを守られる方です。あなたは、約束されたことを、あなたのしもべ、私の父ダビデのために守られました。それゆえ、あなたは御口をもって語られました。また、御手をもって、これを今日のように、成し遂げられました。』」(列王記第一8章23節、24節)
今日の箇所は、ソロモン王が神様を礼拝するための神殿を完成させた時に祈ったことばです。
神殿を建てることはソロモンの父ダビデの願いでした。そして、神様は、息子ソロモンが神殿を完成させると約束され、その約束が成就したのです。
ソロモンの喜びの祈りから、私たちが信じている神様がどのようなお方なのかを知ることができます。
1、「天にも地にもない、唯一の神様」…神様はこの世界の全てを作られた唯一の神様です。他の何者も勝るものはありません。
2、「愛の神様」…私たちひとりひとりに目を注ぎ愛してくださっている神様です。個人的に愛してくださる神様です。
3、「契約を守られる神様」…単に愛情やお情けをかける神様ではありません。ちゃんと契約(約束)を守ってくださる神様です。私たちを救うと約束してくださっています。神様の愛は聖書にはっきりと記されています。神様の約束は聖書そのものです。そして、その中心はイエス・キリストです。
私たちがイエス様を信じ、イエス様と共に歩む時、神様は「御口をもって語られ」「御手をもって」約束を成し遂げてくださるお方です。
今日も1日神様の祝福がありますように!