今日の聖書(1月26日月曜日)
「主はこう仰せられる。…ユダのすべての町の者に、わたしがあなたに語れと命じたことばを残らず語れ。一言も省くな。彼らがそれを聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。そうすれば、わたしは、彼らの悪い行いのために彼らに下そうと考えていたわざわいを思い直そう。」(エレミヤ書26章2節、3節)
神様は預言者エレミヤを通して南ユダの民に悔い改めのメッセージを語られます。
彼らは、主なる神様を信じているといいながら、同時に偶像礼拝を繰り返し、堕落した生活をしていました。それでも、主なる神様は何度も何度も預言者を興し、彼らを通して悔い改めのメッセージを続けて下さったのです。
そこから、主なる神様の愛と忍耐を知ることができますね。そして、今、主なる神様は同じように、イエス様を信じる私たちにも聖書を通してメッセージを送り続けて下さっています。
私たちががイエス様を通して主なる神様に立ち返る前から、神様は聖書を通して語り続けてくださいます。また、イエス様を信じクリスチャンとして歩み始めてからも、たとえ私たちが何度失敗したとしても、どんなに神様に背を向けたとしても、けして私たちをあきらめないのが聖書の神様です。その主なる神様の愛と忍耐に感謝しつつ、歩んでゆきましょう。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(1月27日火曜日)
「ソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女、すなわちモアブ人の女、アモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヘテ人の女を愛した。彼には七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあった。…その妻たちが彼の心を転じた。ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。」(列王記第一11章1節〜4節抜粋)
主なる神様から素晴らしい智恵が与えられ、主なる神様のことばに従って生きたソロモンですが、彼にも弱点がありました。それは女性です。沢山の妻とそばめをもち、彼女たち(特に外国出身の妻たち)の機嫌をとるために彼女たちが持ち込んだ偶像礼拝を取り入れてしまったのです。
主なる神様を信じなくなったのではありません。主なる神様を信じ礼拝しながら、同時に偶像礼拝を容認したのです。それが、「主と全く一つにはなっていなかった」ソロモンの姿です。
それが原因でソロモンの心は神様から離れてしまいました。主なる神様はソロモンと心一つでいたかったのです。そして、彼を祝福し続けたかったのです。でもソロモン自身が主なる神様から少しずつ離れていってしまったのです。
そして、そのことが影響してイスラエルの国は2つに分裂する道へと進んでゆくのです。
主なる神様は私たちを祝福したいと願っておられます。そして、いつも神様の祝福は降り注いでいます。でも、私たちの方から神様を離れ、心の窓を閉ざしてしまうなら、その恵みを受け取ることができないのです。だから、いつも心の窓を大きく開き、神様に心を向けて歩んでゆきたいですね。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(1月28日水曜日)
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。…助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネの福音書15章16節、 26節)
イエス様が十字架にかかられる前に、聖霊なる神様について語られたことばです。
1、聖霊は、「イエス様の願いによって父なる神様から送られた方」です。イエス様は私たち一人一人を愛し、いつも心にかけて下さっています。だから私たちの為に父なる神様に聖霊を送ってくださるようにお願いしてくださったのです。
2、聖霊は、「助け主」(ギリシャ語:パラクレートス)です。このことばは「傍ら(そば)にいて、いつも慰めて下さる」という意味です。聖霊は目には見えませんが、人格をもっておられ、私たちのそばにいて慰めてくださいます。
3、聖霊は、「すべてのことを教え、イエス様が話したすべてのことを思い起こさせてくださるお方」です。つまり、神様が何を願っておられるのかを教え、イエス様の事を思いおこさせて下さる方です。神様のみ思いは聖書にすべて記されています。でも、私たちはそれが分からないこともあります。また、イエス様の素晴らしさを忘れてしまったり、愛を感じられなくなる時もあります。そんなとき「聖霊様、神様の心を、イエス様が教えてくださったことを、教えてください。分かるように助けてください。」とお祈りしましょう。そして、聖書を読みましょう。
聖霊は私たちの内に実際に住んでくださっています。そして、励まし、助けて下さるお方です。聖書のことがわかるように導いて下さり、イエス様の愛と恵みを思い起こさせてくださるお方です。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(1月29日木曜日)
「そこで、王(ヤロブアム)は相談して、金の子牛を二つ造り、彼らに言った。『もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。』」(列王記第一12章28節)
列王記第一12章から、「イスラエル分裂王国時代」に突入します。
ソロモンの死後、国は北と南に分裂しました。家来だったヤロブアムという人物が北イスラエルの王になります。そして、南ユダはソロモンの子レバブアムが王になります。
国が南北に分裂し、いろいろな問題や争いが起こってゆくのですが、特に根深い問題となったのが、今日の箇所にでてくる「金の子牛」の問題(偶像礼拝)です。
この時、北イスラエルの王ヤロブアムには気がかりな事ありました。それは、神様を礼拝する神殿が南ユダの領地であるエルサレムにあるということです。やはり神殿がある所に人は集まりますね。
ヤロブアム王は考えました。「このままでは民の心が南になびいてしまう。」それで、北イスラエルの民からの「求心力」を高めるためも、大きな罪を犯すのです。「金の子牛」を作って「高き所」と呼ばれる場所におき「主なる神様はここにおられる!ここが礼拝の場所だ!もうエルサレムに行く必要はない」と告げたのです。主なる神様を礼拝しているようで、していない、自分勝手な「偶像礼拝」です。
残念ながらヤロブアムの考えは成功しました。北イスラエルの人々はこの後、何年も「高き所」での偶像礼拝を続けてしまうのです。
今日、私たちが心に留めたいのは、「高き所」での礼拝を北イスラエルの人々は偶像礼拝と自覚していなかったという点です。神様が定められた礼拝の場所(神殿)でなく、王が勝手に決めた「高き所」で「金の子牛」を通して、自分たちを導いて下さった主なる神様を礼拝していると思っていたのです。(ヤロブアムがうまくそう仕向けたとも言えます。)
神様がソロモンを通して建てられた神殿ではなく、自分たちの考えや感覚で勝手な礼拝の場所を作りだしてしまい、無自覚に本当の礼拝からずれていったのです。
今の私たちにも、主なる神様は聖書を通して礼拝の方法をはっきりと示してくださっています。それはイエス・キリストによる礼拝です。
自分の考えや感覚で礼拝するのでなく、イエス様の十字架を通して、イエス様によって罪贖われ、神様との関係が回復された者として、礼拝をささげるのです。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(1月30日金曜日)
「わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。…父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。」(ヨハネの福音書15章4 節、9節)
愛に溢れたイエス様のことばですね。
私は、忙しかったり、辛いことがあったり、体や心が疲れてしまったときや、また、神様のことがわからなくなってしまうようなとき、このことばを思い出すようにしています。
イエス様は、主なる神様がイエス様ご自身を愛されたように、私を(あなたを)愛して下さっています。同じヨハネの福音書15章には、「人がその友のために命を捨てる。これ以上に大きな愛はない」とあります。イエス様は十字架で尊い命を捨ててくださるほどに、言い換えるなら、ご自分の最も大切なものを差し出してくださるほどに、私を(あなたを)愛して下さいました。
そして、イエス様は、今日も「そのわたしの命がけの愛の中にとどまりなさい。」と語ってくださっているのです。だから、単純に「イエス様、あなたの愛をありがとうございます。受け取ります。その愛の中に留まります。」そのような告白をもって、歩んで生きましょう。それがクリスチャン生活の中心です。この愛の中にとどまりましょう。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(1月31日土曜日)
「イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。『エルサレムからバビロンへわたしが引いて行かせたすべての捕囚の民に。家を建てて住みつき、畑を作って、その実を食べよ。妻をめとって、息子、娘を産ませ、そこでふえよ。減ってはならない。わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために主に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから。』」(エレミヤ書29章4 節〜7節)
主なる神様に背を向け続けた南ユダの民は紀元前586年にバビロンによって滅ぼされ捕囚の民となります。でも、一度にすべての民がバビロンに連れ去られたのではありません。まずは、長老と呼ばれる指導者や国の重要人物たちが連れ去られました。
その時、預言者エレミヤは、まだエルサレムにいたのですが、捕囚にされた人々へ主なる神様からのメッセージを書き送ります。それが今日の箇所です。要点は以下の通りです。
1、あなたがたをバビロンへ連れていったのは主なる神様です。
2、捕囚の期間は決して短くはない。その場所で腰をすえて暮らしなさい。
3、神様が連れていった場所(バビロン)の繁栄のために祈りなさい。
このメッセージはイスラエルの民にとって信じられない内容でした。
「神様が捕囚を許されるはずはない」「神様はすぐに故郷エルサレムへ帰らせて下さる」「バビロンなんて滅んでしまえ」そう考えるのが普通だったからです。
私たちも、時々「どうして自分がこんな場所におかれるのですか?」と思うようなことがあるかもしれません。「こんなの神様の御心じゃない」と感じることもあります。
でも、聖書が教えていのは、神様は私たち一人一人の人生に大きなご計画を持って下さっていて、いつも最善に導びいて下さるということです。
だから、それぞれが置かれた場所(状況)に落ち着いて生活し、その場所の繁栄をお祈りしたいと思います。神様は必ず私たちを祝福してくださいます。
「わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために主に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから。」
今日も1日神様の祝福がありますように!