今日の聖書(2月9日月曜日)
「エリシャは彼女に言った。『何をしてあげようか。あなたには、家にどんな物があるか、言いなさい。』彼女は答えた。『はしための家には何もありません。ただ、油のつぼ一つしかありません。』すると、彼は言った。『外に出て行って、隣の人みなから、器を借りて来なさい。からの器を…そのすべての器に油をつぎなさい。』」(列王記第二4章2節〜4節抜粋)
預言者エリヤの後継者エリシャは、エリヤと同じように神様の召しと力によって沢山の奇跡を行いました。
今日の箇所には、預言者仲間の妻にエリシャがおこなった奇跡が紹介されています。
彼女は早くに夫が亡くなり負債を抱えて生活に困っていました。「エリシャさん、何とか助けてもらえないでしょうか?」と願う彼女にエリシャはいいました。
「空の器を持ってきなさい。一つ二つではなく、みんなから借りれるだけ借りてきなさい。」
エリシャに言われた通り彼女が器を用意して、そこ油を注ぐと、なんと器がなくなるまで油は途切れなかったのです。そして、彼女はその油を売って負債を返済することができたのです。
今日の箇所から三つのことを教えられるます。
1、神様には限界がないということ…神様は私たちを祝福したいと願っておられます。私たちが生きるための様々な必要を満たしてくださるお方です。
2、私たちが用意する器の分を満たして下さるということ。…神様は、私たちに決して無理強いはなさいません。私たちが用意できる分に合わせて、神様の祝福を注いでくださるお方です。
3、空っぽの器を用意するということ。…私たちがゼロになる。つまり自分の限界を知り、神様に頼るということです。その空っぽの器(状態)に、神様は豊かに油(力)を注いで下さるお方です。
何よりも、イエス様によって与えられた救いがそうですね。誰一人として、自分で自分を救うことはできません。だからこそ、自分ではお手上げ(空っぽ)という状態で、イエス様をお迎えする時、聖霊が救いを成してくださったのです。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(2月10日火曜日)
「エレミヤは言った。『…どうぞ、主の声、私があなたに語っていることに聞き従ってください。そうすれば、あなたはしあわせになり、あなたのいのちは助かるのです。』」(エレミヤ書38章20節)
南ユダ王国は紀元前586年、ゼデキヤという王の時に、バビロン帝国によって滅ぼされてします。首都エルサレムにいよいよバビロン軍が侵入するという時、エレミヤがヒゼキヤ王に語ったのが今日の箇所です。
「…どうぞ、主の声、私があなたに語っていること(バビロンに降伏すること)に聞き従ってください。そうすれば、あなたはしあわせになり、あなたのいのちは助かるのです。」
しかし、ゼデキヤ王はこの言葉に従いませんでした。その頑なさ故にバビロン帝国の軍に攻め込まれ、彼の家族は殺され、自分自身も目をつぶされて悲惨な状態で捕えられたのです。(必要以上に苦しめられたのです。)
聖書のことばは、このゼデキヤの時代から3000年近くたった今も同じ神様のことばです。
私たちがどんな状況にあったとしても、神様のことば(聖書のメッセージ)に信頼するなら、「しあわせになり、いのちがあたえられます。」今も昔も変わりません。
同時に心に留めるべき大切なことは、神様が用意し与えてくださる「しあわせ」はときとして、私たちが考える「しあわせ」とは違う形で、違うタイミングであたえられることも多いということです。
それでも、神様は私たちの最善をご存じで、「しあわせ」を与えてくださるお方です。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(2月11日水曜日)
「私たちが命じたように、落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。外の人々に対してもりっぱにふるまうことができ、また乏しいことがないようにするためです。」(テサロニケ人への手紙4章11節、12節)
テサロニケの町は、現在のギリシャに位置しヨーロッパ地域においても活気に満ちた町でした。
新約聖書「使徒の働き」を読むと詳しく書いてありますが、パウロが第2回伝道旅行の時に建てた教会です。
その後、パウロはいろんな場所で伝道したのですが、テサロニケより少し南に位置するコリントという町から、この手紙を書きました。
手紙の目的は主に2つです。「テサロニケのクリスチャンたちの信仰を褒めて励ます」こと。それから「テサロニケのクリスチャンたちの間違った信仰理解を正す」ことでした。
彼らの間違いが何だったかというと、イエス様の再臨(イエス様がもう一度地上にこられること)についての理解でした。
「すぐにイエス様が来られるのだから、今の生活はもうどうでもいいじゃないか。」「仕事も勉強も意味がない。」「ただ、賛美して礼拝してお祈りしてイエス様を待っていればよい。」そう極端に考えたのです。
そんな彼らにパウロは大切なメッセージを伝えています。
「落ち着いた生活をしなさい、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。外の人々(クリスチャンではない人)に対しても立派にふるまうことができ、乏しいことがないように」と。
イエス様の再臨を待ち望む事は素晴らしいことです。でもそれがいつになるのかはわかりません。聖書にはっきりと時期が書いていないからです。でも、イエス様がもう一度来られることははっきりと書いてあります。いつかわからないのですから、それまで自分が置かれた場所で、与えられた役目をしっかりと果たしなさい、落ち着いた普通の生活を送りなさいと、パウロは語ったのです。
このメッセージは、今の私たちにも当てはまりますね。イエス様の再臨を待ち望みつつ、この地上で与えられた毎日の生活(勉強や仕事、それぞれの役割)を落ちついて送ってゆきたいです。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(2月12日木曜日)
「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。」(テサロニケ人への手紙4章16節、18節)
昨日の箇所で、パウロはテサロニケのクリスチャンたちに、「イエス様の再臨を待ち望みつつ、この地上で落ち着いてしっかりと普通の生活を送りなさい。」と勧めました。
そして、そのすぐ後の今日の箇所では、イエス様がどのように再臨されるのかを語っています。
1、まず、「天からイエス様がこられます。」みつかいの声!ラッパの響き!どんな音なのでしょうか。楽しみですね。イエス様は天から私たちがイエス様とわかる姿で戻ってこられます。
2、次に、「キリストにある死者(イエス様を信じて亡くなった人々)がよみがえる」とあります。どこから、どんな風にやってくるのでしょうか。確かなことは神様によって私たちにも分かる形で地上でお別れしてしまった人々と再会することが出来るのです。
3、そして、「みんな一緒に天に引き上げられ、イエス様と顔を会わせます。」神様はすごいことをされるお方ですね。私たちの想像を超えた素晴らしい方法でイエス様と顔と顔を合わせることができるのです。(イエス様はどんなお顔をしておられるのでしょう。それも楽しみです。)
そして、私たちはいつまでもイエス様とともに生きることができます。その時は、もう苦しみも悲しみも涙もありません。喜びと感謝に満ちあふれた私たちの想像を越える最高の場所で、イエスと共に永遠の喜びの中を生き続けるのです。
だからパウロはこう語ります。「このことばをもって(再臨の希望をかたりながら)互いに慰め合いなさい。」
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(2月13日金曜日)
「アラムの王ハザエルは、エホアハズの生きている間中、イスラエル人をしいたげたが、主は、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約のために、彼らを恵み、あわれみ、顧みて、彼らを滅ぼし尽くすことは望まず、今日まで彼らから御顔をそむけられなかった。」(列王記第二13章22節、23節)
エホアハズ、ヨアシュ、ヤロブアム2世という王の頃、北イスラエル王国は外面的にはどんどん領土を拡大して繁栄していきます。しかし、内面的(信仰的)には、ますます神様から離れて偶像礼拝に没頭していきます。そんなイスラエルに、主なる神様が時には外敵を送ることで彼らの罪に気づかせようとなさいました。
今日の箇所に出てくるアラムの王ハザエルの存在も、そのように理解することができます。アラムはイスラエルを攻撃して苦しめました。しかし、神様は、イスラエルを決定的に滅ぼすことはなさいませんでした。ぎりぎりのところでイスラエルを助け守られたのです。
なぜでしょうか?こう書いてあります。
「アブラハム、イサク、ヤコブとの契約のために、彼らを恵み、あわれみ、顧みて、彼らを滅ぼし尽くすことは望まず、今日まで彼らから御顔をそむけられなかった。」
これまでも何度も紹介してきたように、聖書の主なる神様は契約(約束)を守ってくださるお方です。愛だけではない。情で赦すのでもない。ご自身が民と結んでくださった約束を誠実に守って下さる、主のご自身の真実さのゆえにです。
それは私たち一人一人に対しても同じです。
「アブラハム、イサク、ヤコブとの契約」「ダビデとの契約」そして、「イエス・キリストの十字架の血による新しい契約」の故に、主なる神様は私たちを「恵み、あわれみ、顧みて、滅ぼし尽くすことは望まず、今日まで御顔をそむけられない」のです。私たちの救いはただ神様の真実さのゆえに保証されているのです。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(2月14日土曜日)
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケ人への手紙5章16節〜18節)
テサロニケ教会のクリスチャンたちに語ったパウロの言葉です。今の私たちにも語られていることばです。でも、このことばを聞いてどう思われるでしょうか。
1、「いつも喜んでいなさい。」といわれても、喜べない時がありますね。むしろ喜ぶことのできない時の方が多いかもしれません。
2、「絶えず祈りなさい。」と言われても、5分祈るのも大変、いつも祈るなんて無理だと思ってしまうかもしれません。
3、「すべての事について、感謝しなさい。」と言われても、むしろ不満をいうことの方が多いかもしれません。
でも、このことばを語ったパウロ自身もそうだったようです。
パウロの書いた手紙を読むとよくわかるのですが、パウロは単なる理想家ではなくて、とても現実主義者です。人間の現実(弱さや罪の性質)を無視してはいません。だから、パウロはこう続けるのです。
「これが、『キリスト・イエスにあって』神があなたがたに望んでおられることです。」でました!パウロの大好きなことば「キリスト・イエスにあって」です。
自分の内側から自然に喜ぶことはできない。でも、それでいいのです。そんな自分を正直に認めて、その私の心の中に住んで下さるイエス様がおられることを信頼し告白していくのです。
また、自分の言葉で祈り続けるのは無理かもしれません。そんなときは心の中におられるイエス様(聖霊様)に「祈れません」と投げかける。どんなことでもありのままを語りかける。それがもう立派な祈りです。
すべての事について感謝できなくても、そんな自分とともにいてくださるイエス様に「感謝します」と言葉にしてみる。そこにきっと聖霊様が働いて感謝の気持ちを与えて下さると信じます。キーワードは「キリストにあって」です。
今日も1日神様の祝福がありますように!