今日の聖書(2月16日月曜日)
「ホセアの第九年に、アッシリヤの王はサマリヤを取り、イスラエル人をアッシリヤに捕らえ移し、彼をハラフと、ハボル、すなわちゴザンの川のほとり、メディヤの町々に住ませた。」(列王記第二17章6節)
およそ200年続いた北イスラエル王国は、ダビデから数えて21代目の王ホセアの時代に、ついにアッシリア帝国に占領され滅ぼされてしまいます。紀元前721年のことです。
アッシリア帝国は当時、最強最悪の国でした。北イスラエルを攻撃し、そこに住む人々をアッシリヤの領地に連れ去ったのです。何度警告しても悔い改めない北イスラエルに対して神様はアッシリアという国を用いられました。次のことばの通りです。
「主はすべての預言者を通して…警告して仰せられた。『あなたがたは悪の道から立ち返れ。わたしがあなたがたの先祖たちに命じ、また、わたしのしもべである預言者たちを通して、あなたがたに伝えた律法全体に従って、わたしの命令とおきてとを守れ。』しかし、彼らはこれを聞き入れず、彼らの神を信じなかった」(17章13節、14節)
今日の箇所を読むとき、北イスラエルの姿に自分の姿が重なる部分があります。何度も同じ過ちを繰り返し、神様の警告になかなか気づく事ができない自分。自分の力で神様に立ち帰ることができない自分。そんな姿です。
でも、それ以上に感じるのは、そんな私を決してあきらめず、何度も語りかけてくださり、神様の方法で最善をなし、最終的には救いの手を差し伸べてくださる神様の姿です。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(2月17日火曜日)
「私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。」(テモテへの手紙第一1章12節、15節抜粋)
「テモテへの手紙」は、パウロが愛弟子・テモテに送った手紙です。
テモテは現在のトルコに位置するルステラという町で生まれました。父親がユダヤ人、母親がギリシャ人で、信仰面においては母親がクリスチャンの家庭でした。
テモテはパウロの第二回と第三回の伝道旅行に同行しました。パウロの良き協力者でした。聖書を読むと彼は少し内気で臆病、しかも体が弱い人だったようです。(そんなテモテに親近感がわくのは私だけでしょうか…)
この手紙は、当時エペソ教会の牧会者だったテモテに対して送られたパウロのアドバイスと励ましの手紙です。
ある資料によるとエペソの教会には数百人の信徒がいて、その中に「長老」と呼ばれるリーダーたちがいる大教会だったようです。若いテモテはそんなベテランリーダーたちをまとめて教会を導く重責を担っていたのかもしれません。(確かに胃が痛くなりそうです…。)
しかも、他の教会と同様にエペソの教会にも偶像礼拝や異端(聖書のメッセージを正しく理解してない教え)などの問題が山積みでした。テモテの悩みも大きかったでしょう。
そんな彼にパウロが語ったことは「基本中の基本」でした。
「私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。」イエス様が私を強くしてくださるから大丈夫と語り、さらに「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。」と福音の中心を語ったのです。
もちろん、パウロは手紙の中でいろんな問題に対する具体的な指示も語っています。でも、まず始めに語ったのは「私たち罪人を救うためにイエス様がこられた。それをそのまま信じること」という福音の原点でした。
困ったときや迷ったときはまず原点に帰ること、そして、しっかりした足場に身をおくこと、そこから問題に立ち向かえば良いとパウロは伝えているようですね。
そんなパウロのテモテへの励ましは、私たちにも届けられています。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(2月18日水曜日)
「ユダの王アハズの子ヒゼキヤが王となった。…彼はすべて父祖ダビデが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った。彼は高き所を取り除き、石の柱を打ちこわし、アシェラ像を切り倒し…彼はイスラエルの神、主に信頼していた。…彼は主に堅くすがって離れることなく、主がモーセに命じられた命令を守った。主は彼とともにおられた。彼はどこへ出陣しても勝利を収めた。」(列王記第二18章1節 〜8節抜粋)
ダビデから数えて15代目の南ユダの王ヒゼキヤの登場です。
列王記には沢山の王が出てきますが、北も南もいつも「主の目にかなわない(従わない)王」ばかりでした。そんな中でヒゼキヤは希に見る素晴らしい王でした。
「彼はすべて父祖ダビデが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った。」とありますが、「主の目にかなうこと」とは具体的にどういうことでしょう。
1、「偶像を取り除いた」…高き所、アシェラ像などを打ち砕き宗教改革を行いました。唯一の主なる神様だけを礼拝したのです。
2、「神様に信頼した」…当時、北イスラエルはアッシリアに支配されていました。そして西側に位置するペリシテも脅威でした。南には大国エジプトがありました。これまで多くの王たちは、その時々に実際の助けになりそうな周辺諸国に頼りました。それ自体は悪くはないかもしれませんが、主なる神様を信頼する以上に、目に見える国や人の力頼っていたのです。
でもヒゼキヤは違いました。彼は「主に堅くすがって離れることなく、主がモーセに命じられた命令を守った。」とあるように、主なる神様だけに頼ったのです。その結果、「主は彼とともにおられた。彼はどこへ出陣しても勝利を収めた」のです。
私たちも、周囲の助けや人の助けは大切です。でも、ときどき神様よりも人に頼ることばかりになってしまうことがあるかもしれません。まず、神様の言葉(聖書)に励まされ、主なる神様に頼って生きる者でありたいですね。神様は、いつも共にいて私たちを守り支えて下さいます。そして、必要な人の助けも備えてくださるお方です。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(2月19日木曜日)
「主よ。アッシリアの王たちが、国々と、その国土とを廃墟としたのは事実です。…私たちの神、主よ。どうか今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地の全ての王国は、主よ、あなただけが神であることを知りましょう。」(列王記第二19章17節、19節)
紀元前721年に北イスラエルを滅ぼしたアッシリアは、その後、南ユダ王国にも手を伸ばします。首都エルサレムを包囲しました。この時の南ユダの王は、先日紹介した、神様のみこころにかなった王のヒゼキヤです。
今日の箇所は、今まさにアッシリアの攻撃を受けるという緊迫した状況下でヒゼキヤがささげた祈りです。
「主よ。アッシリアの王たちが、国々と、その国土とを廃墟としたのは事実です。」
ヒゼキヤは厳しい状況を無視して盲目的に祈ったのではありませんでした。現実の危機をしっかりと見据えました。アッシリアの強さ、自分たちの弱さを認め、その上で神様に助けを求めました。
「どうか今、私たちを彼の手から救ってください。」
それは、何のためにでしょうか?もちろん、自分たちを救ってもらうためにです。でも、究極的には、救いを通して「地の全ての王国が、主よ、あなただけが神であることを知るために」と祈ったのです。つまり、神様の力が証されること、神様の栄光が現されることを求めたのです。
この祈りに神様は応えてくださいました。御使いによってアッシリア軍に大きなダメージを与え退却させたのです。
私たちもヒゼキヤの祈りから教えられますね。現実を見つめて問題としっかりと向き合い、自分の限界を認め、その上で神様の助けを求める。そして自分が直面している出来事を通して神様の素晴らしさが表されますようにと祈りましょう。神様はそんな私たちを放ってはかれません。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(2月20日金曜日)
「すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは・・・神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。」 (テモテへの手紙第一2章1節〜3節抜粋)
今日の箇所でパウロは、王や政治家など国を動かす高い地位にいる人々の為に祈りなさいと勧めていますね。なぜでしょうか。「それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。」とあります。
日本語の辞書で調べると「敬虔」は「うやまい、つつしむさま」、「威厳」は「堂々としておごそかなこと」とありました。
つまり、「神様を敬い、つつしみ深く、堂々と、心穏やかに日々の生活を過ごすため」ということですね。神様は私たちがそのような生涯を送ることを望んでおられるのです。
ですから、今、私たちが生きている時代や国の政治に関心を持ち、政治の為に、リーダーの為に祈ることはとても大切なことなのです。
聖書にはどのような政治家や政党を支持しなさいとは書いてありません。でも、共通しているのはこの国のリーダーのために、彼らが神様の前に正しく歩むことができるように、祈りなさいということです。このパウロの言葉を心にとめて祈っていきましょう。
今日も1日神様の祝福がありますように!
今日の聖書(2月21日土曜日)
「わたしのしもべヤコブよ。恐れるな。イスラエルよ。おののくな。見よ。わたしが、あなたを遠くから、あなたの子孫を捕囚の地から、救うからだ。・・・わたしのしもべヤコブよ。恐れるな。−主の御告げ−わたしがあなたとともにいるからだ。・・・わたしはあなたを滅ぼし尽くさない。公義によって、あなたを懲らしめ、あなたを罰せずにおくことは決してないが。」(エレミヤ書46章27節、28節抜粋)
預言者エレミヤを通して語られたイスラエルの民への神様のメッセージです。神様の愛と義が語られています。
「わたしはあなたを滅ぼし尽くさない。公義によって、あなたを懲らしめ、あなたを罰せずにおくことは決してないが。」・・・どんなにイスラエルの民が罪深く、神様に背いても、神様の愛は変わりません。でも、神様がどんなに彼らを愛したくても、罪があるかぎり、そのまま彼らを受け入れることも出来ません。
だから、神様は何度も何度も「悔い改めなさい」「罪を捨てなさい」と警告されました。それでも罪に気づかないイスラエルをアッシリアやバビロンという国を用いて裁かれました。でも、神様は決して滅ぼし尽くすことはありませんでした。神様の愛のゆえにです。
そして、究極的な解決はイエス様の十字架です。もうどうしようもない罪を持った私たち人間を、どうしようもなく愛し、なんとか受け入れるために、全ての裁きを神の御子イエス様に負わされたのです。
ですから、私たちは自分の努力も、条件もなしに、だだキリストにあって神様に受け入れられているのです。
神様の愛と義のしるしである、イエス様の十字架を感謝し受け入れましょう。
今日も1日神様の祝福がありますように!