城山キリスト教会 礼拝説教    
二〇二四年一月七日              関根弘興牧師
                ダニエル書一章一節〜九節
 ダニエル書連続説教1
  「従順と信念」
 
 1 ユダの王エホヤキムの治世の第三年に、バビロンの王ネブカデネザルがエルサレムに来て、これを包囲した。2 主がユダの王エホヤキムと神の宮の器具の一部とを彼の手に渡されたので、彼はそれをシヌアルの地にある彼の神の宮に持ち帰り、その器具を彼の神の宝物倉に納めた。3 王は宦官の長アシュペナズに命じて、イスラエル人の中から、王族か貴族を数人選んで連れて来させた。4 その少年たちは、身に何の欠陥もなく、容姿は美しく、あらゆる知恵に秀で、知識に富み、思慮深く、王の宮廷に仕えるにふさわしい者であり、また、カルデヤ人の文学とことばとを教えるにふさわしい者であった。5 王は、王の食べるごちそうと王の飲むぶどう酒から、毎日の分を彼らに割り当て、三年間、彼らを養育することにし、そのあとで彼らが王に仕えるようにした。6 彼らのうちには、ユダ部族のダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤがいた。7 宦官の長は彼らにほかの名をつけ、ダニエルにはベルテシャツァル、ハナヌヤにはシャデラク、ミシャエルにはメシャク、アザルヤにはアベデ・ネゴと名をつけた。8 ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願った。9 神は宦官の長に、ダニエルを愛しいつくしむ心を与えられた。(新改訳聖書第三版)
 
 昨年は、サムエル記、列王記、歴代誌から、イスラエルの歴代の王たちの姿を見てきました。サムエル記には、初代の王サウルとダビデの姿が、そして、列王記にはソロモン王、そして、ソロモンの死後分裂した北イスラエル王国と南ユダ王国の歴代の王たちの姿が書かれていましたね。また、列王記の次の歴代誌には、南ユダの王たちの歴史が詳しく書かれていました。
 北イスラエルの王たちは、最初から金の子牛を拝ませるなど、神様に背を向け続けていたため、何度もクーデターが起こって王朝が変わり、ついには紀元前七二二年にアッシリヤ帝国に滅ぼされてしまいました。一方、南ユダは、ダビデ王朝が続き、北イスラエル滅亡後も百年以上存続しましたが、末期の王たちや民が神様に逆らい続けたので、アッシリヤに代わって力を付けてきたバビロニヤ帝国によって滅ぼされてしまったのです。
 バビロニヤ帝国は、最初は、自分たちに逆らわない条件で南ユダの存続を認めていました。しかし、南ユダの王たちはバビロニヤにたびたび反旗を翻したので、そのたびにバビロニヤは南ユダを襲って神殿や王宮の財宝を奪うだけでなく、南ユダの優秀で利用価値の高いと思われる人々をごっそりバビロンに連れて行ってしまったのです。このバビロン捕囚は、三回行われました。一回目はエホヤキム王の時代で、ダニエルたちはこの時に王たちとともにバビロンへ連れて行かれました。二回目はエホヤキン王の時代で、エホヤキン王や多くの有力者や技術者、そして、預言者エゼキエルも連れて行かれました。そして、三回目はゼデキヤ王の時代で、この時、エルサレムの神殿も王宮も町も城壁も焼き尽くされて破壊され、南ユダ王国は滅亡してしまったのです。
 
1 捕囚生活
 
 さて、ダニエル書は、大きく二つの部分に分かれています。前半の1章から6章は、ダニエルがバビロニヤとペルシヤの王に仕えていた時に起こった歴史的出来事が記されています。そして、後半の7章から12章は、ダニエルの見た幻や預言が記されています。
 今日読んだ最初の部分は、第一回バビロン捕囚の出来事から始まります。エホヤキム王も有力者たちも捕らえられ、南ユダは衰退して、バビロニアの属国になってしまいました。しかも、エルサレム神殿の器具も奪われ、バビロニアの異教の神の宮に運び込まれてしまったのです。
 2節にその異教の神の宮は「シヌアルの地」にあったと書かれていますね。「シヌアル」というのは、バビロンの古い地名です。「シヌアル」と聞いて真っ先に思い出すのは、創世記11章に記されているバベルの塔の出来事でしょう。11章1節ー2節に「さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した」とあります。彼らは、「頂が天に届く塔を建て、名をあげよう」、つまり、自分たちが神のようになろうとしたのです。しかし、神様は、彼らの言葉が互いに通じないようになさいました。すると、彼らは、工事を中断し、全世界に散って行ってしまったのです。人は、高慢になったために互いに理解し合うことができなくなり、混乱に陥ってしまったというのですね。11章9節に「それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである」と書かれています。「バベル」は「神の門」という意味がある言葉ですが、「バーラル(混乱させる)」という単語と音が似ているところから、語呂合せとしてこの地名がつけられたというわけです。この「バベル」は「バビロン」とも呼ばれるようになりました。つまり、南ユダの人たちにとって、バビロンは「混乱、高慢」を連想させる言葉でした。そのバビロンに連れてこられてしまったわけですから混乱してしまいますね。
 ただ、バビロニヤ帝国は、捕虜として連れて来た人たちを、強制収容所に閉じ込めたり、奴隷としてひどい扱いをしたりはしなかったようです。少なくとも、初期に連れて来られた人たちは、かなり自由な行動が認められ、自分の家を建て、自分たちの同胞と共同体を作ることも許されていたようです。
 しかし、詩篇137篇には、こう歌われています。「バビロンの川のほとり、そこで、私たちはすわり、シオンを思い出して泣いた。その柳の木々に私たちは立琴を掛けた。それは、私たちを捕らえ移した者たちが、そこで、私たちに歌を求め、私たちを苦しめる者たちが、興を求めて、『シオンの歌を一つ歌え』と言ったからだ。私たちがどうして、異国の地にあって主の歌を歌えようか。」
 これは辛いですね。ある程度の自由は保障されているとはいえ、涙を流しながらの生活です。また、周りのバビロンの人たちは、酔っ払いながら「お前たち、シオンの歌をうたえ」と興をもとめて要求することもあったようです。
 南ユダ王国末期のこの時代に、南ユダでは預言者エレミヤが活動していました。エレミヤは、「南ユダはバビロニヤに滅ぼされ、多くの人々が捕らわれていく」と預言しました。そして、「バビロン王に仕えて生きよ」「あなたがたはこれから七十年間、バビロンに長期滞在することになる。だから、落ち着いて生活し、今住んでいる町の繁栄を祈れ。そこの、繁栄はあなたがたの繁栄になるのだから」と預言し、その内容を記した手紙をバビロンにいる同胞たちにも書き送りました。それを読んで反発を感じる人々も多くいました。「エレミヤは偽預言者だ。バビロニヤに従うなんてとんでもない。神様がまもなくバビロニヤを罰し、私たちを祖国に帰し、祖国を元通りに繁栄させてくださる」と考える人たちもいました。しかし、エレミヤの預言が次々と実現しているのを見て、エレミヤの預言を信頼すべきだと考える人もいたでしょう。皆、これからどう生きていったらよいのだろうと思い惑っていたのではないでしょうか。
 異教の世界のまったく異なった価値観の社会の中で、まことの神様を信じて生きていく時、判断や選択にまよったり、恐れや戸惑いを感じたりすることは多いでしょう。私たちも時々そういう経験をするのではないでしょうか。これから、ダニエルたちの姿を見ながら、生き方のヒントを得ていきましょう。
 
2 従順と信念 
 
 今日は、1章の内容を見ていきましょう。バビロンの王ネブカデネザルは、宦官の長に命じて、イスラエル人の王族や貴族の中から見目麗しく知恵に富んだ少年たちを選ばせ、王の宮廷に仕えるために三年間、特別に教育することにしました。その中にダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤがいました。彼らは、神様に与えられた状況の中で柔軟に対応する従順さと、決して妥協することのない信念を持っていました。
 
(1)改名を受け入れる
 
 宦官の長は、まず、少年たちにバビロニヤ風の名前を与えました。ダニエル(神さばきたもう)は「ベルテシャツァル」(ベルの神、命を守りたまえ)、ハナヌヤ(いつくしみ深い神)は「シャデラク」(バビロニヤの月の神アクの命令に)、ミシャエル(神であられるのは誰か)は「メシャク」(だれがアクのような神か)、そして、アザルヤ(神は私の助け)は「アベデ・ネゴ」(バビロンの国家神ネボに仕える者)と改名させられたのです。
 名前は単なる記号ではありません。特にユダヤ人たちは、名前に魂が宿っていると考えるほど名前を大切にしてきました。名前は、その人の人格、存在そのものを表す根源的なものだと考えていたのです。ですから、「神の御名」という言葉は神様御自身を表す表現として使われていました。また、彼らの先祖たちは、人生に大きな変化が起きたときに名前を変えました。例えば、アブラムは、神様から「あなたは多くの国民の父となる」という約束を与えられ、アブラハム(多くの国民の父)に改名しました。ヤコブ(押しのける者)は、神の御使いと格闘した後にイスラエル(神は勝ちたもう、神の王子)と改名しました。名前を変えることは、普通は栄誉なことだったのです。しかし、ダニエルたちは、異教の神々をたたえる名前で呼ばれることになってしまいました。しかし、彼らはそれを従順に受け入れたのです。
 
(2)カルデヤ人の文学とことばを学ぶ
 
 ダニエルたちが受けた教育は、「カルデヤ人の文学とことば」でした。カルデヤ人は、バビロニヤ帝国の中心的な民族ですが、ここで「カルデヤ人」というのは、バビロニヤの知恵者や祭司階級のことを指しています。天文学、占い、魔術、祭儀を扱い、王の助言者であり、賢者として見られていた人たちでした。ですから、「カルデヤ人の文学とことば」を学ぶというのは、バビロニヤの国を動かしている根幹の思想、宗教、考え方を学ぶことでした。ダニエルたちは、ユダにいるときは、聖書の神様について学び、モーセの律法を守って生きるよう教えられていました。しかし、バビロニヤでは、まったく違う思想や宗教の学びが始まったのです。
 
(3)野菜と水の食事
 
 バビロニヤの王は、王の食べるごちそうと王の飲むぶどう酒から、毎日の分を彼らに割り当てるように命じました。この時代のバビロニヤは世界の超大国です。王の食事は、一般庶民には想像もつかないような豪華なものでした。それを食べさせてもらえるというのですから、捕虜として連れてこられた少年たちにとっては破格の待遇ですね。もし、私がダニエルだったら、「王様のごちそうを毎日食べられるなんてラッキー」と思ったことでしょう。
 しかし、1章8節にこう書かれています。「ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願った。」ユダヤ人には、モーセの律法で食べるのを禁じられた食物がありました。また、バビロニヤ王の食卓の肉やぶどう酒は異教の神々にささげられたものでしたから、それを食べることは、ダニエルたちにとって自分の信仰を否定するほどの重大な問題だったのです。
 ダニエルの言葉を聞いた宦官の長は、怒っても当然でした。捕虜の若造が「王の食事で身を怪我したくない」などと生意気なことを言ったのですから。しかし、9節に「神は宦官の長に、ダニエルを愛しいつくしむ心を与えられた」とありますね。何気ないひと言ですが、ここからダニエルが宦官の長に対してどのような態度を取っていたのかがわかります。敵国の役人であり、敵国風の名前をダニエルたちに付けた宦官の長に対して、ダニエルは敬意をもって接していたのでしょう。ですから、宦官の長もダニエルに好意を持ったのでしょう。ただ、ダニエルの願いを聞いて、宦官の長は躊躇しました。もしダニエルたちが十分な食事をしないで体が弱っていったら、自分が王に罰せられるだろうと恐れたのです。
 そこで、ダニエルは、宦官の長が任命した世話役に「十日間、私たちに野菜と水だけ与えて、ためしてみてください」と提案しました。その結果は、どうだったでしょうか。15節ー16節にこう書かれています。「十日の終わりになると、彼らの顔色は、王の食べるごちそうを食べているどの少年よりも良く、からだも肥えていた。そこで世話役は、彼らの食べるはずだったごちそうと、飲むはずだったぶどう酒とを取りやめて、彼らに野菜を与えることにした。」もちろん世話役はこのことを宦官の長にも報告して許可を受けていたことでしょう。宦官の長も世話役も、この出来事を通して、ダニエルたちの信仰に基づく真摯な姿勢と、ダニエルたちを守る神様の存在を感じたのではないかと思います。
 ところで、誤解しないでいただきたいのですが、この箇所は、「肉やぶどう酒は良くない。野菜や水だけで生きるべきだ」とということを教えているわけではありません。ダニエルをベジタリアンやビーガンの元祖だと言う人もいますが、そういうことではないのです。
 旧約聖書の時代、神様は、人々に聖と汚れの概念を教えるために、きよいものと汚れたものの区別をするようお命じになりました。人々は日常生活の具体的な行動を通して、神様に対して聖であることの大切さを学んだのです。しかし、救い主イエスが来られ、すべてのものをきよくしてくださってからは、私たちはきよいものと汚れたものを区別する必要がなくなりました。今では、イエス・キリストを信頼し、いつもともにいてくださる聖霊の導きを信頼しながら、一人一人が自分で自由に判断して選んでいけばいいのです。肉をたくさん食べたほうがいいと考える人もいれば、肉や食べないでおこうという人もいます。どちらでもいいのです。ただ、神様に感謝し、自分にも人にも益となる生き方をしていく、ということを基本にしているなら、私たちは何をしても自由なのです。
 ですから、今、私たちは食物の規定に縛られることはありませんが、時には「この点はどうしても譲ることが出来ない」と思う事態が起こることがあります。ダニエルたちにとっては、王のごちそうを食べることは、当時の状況や自分たちの信仰の立場からしてどうしても受け入れられないことでした。そこで、勇気をもって食事を拒否したのです。「たとえ罰を受けても、神様の前できよい者として生きていきたい」というダニエルたちの思いが周りの人々に伝わり、神様もその思いに応えてくださったのです。私たちも、時には、こうした勇気が必要なときがあるのですね。
 
3 主のしもべとして
 
 さて、三年間の教育を受けた若者たちの中で、ダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤは特に優秀だったようです。1章17節ー20節にはこう書かれています。「神はこの四人の少年に、知識と、あらゆる文学を悟る力と知恵を与えられた。ダニエルは、すべての幻と夢とを解くことができた。・・・ 王が彼らと話してみると、みなのうちでだれもダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤに並ぶ者はなかった。そこで彼らは王に仕えることになった。王が彼らに尋ねてみると、知恵と悟りのあらゆる面で、彼らは国中のどんな呪法師、呪文師よりも十倍もまさっているということがわかった。」
 箴言1章7節に「主を恐れることは知識の初めである」と書かれています。ダニエルたちは、主なる神様を恐れ敬い、自分の信仰をしっかりと保ちながら、与えられた学びを続けていきました。バビロニヤの祭司たちが誇ってきた様々な秘術や呪術、バビロニヤの神々の神学や祭儀に関することも学んだはずです。学びの最中には矛盾を感じることもあったでしょう。同意できないこともたくさんあったと思います。普通の少年なら、このような三年間で飼い慣らされ、バビロニヤ王の意向のままに調教されていったかもしれません。しかし、ダニエル達は違いました。どのような知識の背後にも、まことの神様の存在を認め、神様を畏れ崇めつつ、与えられた環境の中で、精一杯の学びをしていったのです。そして、学んだことを異教のことだといって拒否するのではなく、有効に用いることも忘れませんでした。
 私たちは、さまざまな情報が錯綜する時代の中に生きています。だからこそ、「主を恐れることは知識の初めである」ということがどれほど大切なのかを、しっかりと心に留めいきたいのです。小さい子供たちも礼拝に来ていますが、大切なことです。なぜなら、これから様々なことを学んでいくときに、納得できないこともあるでしょう。うなずけないことも起こるかも知れません。しかし、そうした学びの中で、きちんとした判断と知恵を育んでいくためにも、主をあがめ、主に礼拝をささげていくことが大きな助けとなっていくのです。
 このあと、ダニエルたちは、バビロニヤの王に信頼されて、重要な役職に就くことになります。とくに、ダニエルは、バビロニヤ帝国滅亡までバビロニヤ王に仕えただけでなく、次のペルシャ帝国の時代にも重要な役割を任されることになります。十四、五歳でバビロンに来とするなら、八十歳近くまで王宮で仕えることになったのです。
 また、17節に「ダニエルは、すべての幻と夢とを解くことができた」と書かれています。次回の2章で見ていくことになりますが、ダニエルはバビロニヤの王が見た夢の内容を言い当て、その夢の意味を説き明かすことによって、偉大な神様がおられることを示し、王から絶大な信頼を得ることになるのです。
 さて、ダニエルたちがバビロンに捕囚として連れてこられた約二十年後に祖国は滅びてしまいました。しかし、彼らは、まことの神様に信頼し、従い続けました。その彼らを通して、神様は、絶大な権力を誇るバビロニヤの王に対しても、すべてにまさる知恵と力を現してくださったのです。神様は、祖国の滅亡と敵国への捕囚という困難な出来事の中でも、豊かなみわざを行ってくださったのですね。
 バビロニヤを憎み、攻撃したり反乱を起こしたりする方向に向かう人もいたかもしれません。しかし、ダニエルたちは、おそらくエレミヤの預言を神様のみこころとして受け止めていたのではないでしょうか。「南ユダは、自らの罪のために滅びたけれど、その荒れた地は、七十年の安息の後に主が回復してくださる。だから、今は、バビロンで落ち着いた生活をし、その町の繁栄を祈りなさい」という預言です。その約束を信頼し、今自分たちが置かれている地で、神様への揺るがない信仰と希望を保ちながら、与えられたことを従順に実行していこうとしたのではないでしょうか。
 私たちも、今置かれている場所で、神様を信頼しつつ、譲れないものは決して譲ることなく、しかし、一方では、まわりの状況に合わせ、まわりの人々を尊重し、自分のできることを着実に行っていきましょう。そんな私たちを通して、神様がみわざを現してくださるでしょう。
 ラインホルト・ニーバー(アメリカの神学者)の祈りの詩を紹介し閉じることにします。
 
 変えることのできるものについて、
 それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
 変えることのできないものについては、
 それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
 そして、
 変えることのできるものと、
 変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。