城山キリスト教会 礼拝説教    
二〇二四年二月一一日             関根弘興牧師
                ダニエル書四章四節〜九節
 ダニエル書連続説教4
     「獣の心」
 
 4 私、ネブカデネザルが私の家で気楽にしており、私の宮殿で栄えていたとき、5 私は一つの夢を見たが、それが私を恐れさせた。私の寝床での様々な幻想と頭に浮かんだ幻が、私を脅かした。6 それで、私は命令を下し、バビロンの知者をことごとく私の前に連れて来させて、その夢の解き明かしをさせようとした。7 そこで、呪法師、呪文師、カルデヤ人、星占いたちが来たとき、私は彼らにその夢を告げたが、彼らはその解き明かしを私に知らせることができなかった。8 しかし最後に、ダニエルが私の前に来た。──彼の名は私の神の名にちなんでベルテシャツァルと呼ばれ、彼には聖なる神の霊があった。──私はその夢を彼に告げた。9 「呪法師の長ベルテシャツァル。私は、聖なる神の霊があなたにあり、どんな秘密もあなたにはむずかしくないことを知っている。私の見た夢の幻はこうだ。その解き明かしをしてもらいたい。(新改訳聖書第三版)
 前回は、ネブカデネザル王が、大きな金の像を建て、全国の高官たちや役人たちを招集し、「この像をひれ伏して拝め。拝まない者は、火の燃える炉の中に投げ込まれる」と命じた出来事を読みました。この像は、ネブカデネザル王の権威と偉大さの象徴であり、この像を拝むことには、王を崇拝し、絶対的な服従を誓うという意味がありました。王は、自分への忠誠を強制し、拒否する者は恐怖で屈服させようとしたのです。しかし、ダニエルの同僚であるハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤは、その像を拝もうとはしませんでした。まことの神様以外のものを礼拝することはしないという決して譲ることの出来ない信念があったからです。彼らは、王に脅されても怯まずに、はっきりと宣言しました。「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」
 これを聞いた王は、怒り狂い、三人を燃える炉に投げ入れよ、と命じました。ところが王は、驚くべき光景を見ました。燃えさかる火の中で四人の者が歩いていたのです。第四の人物が誰だったのか聖書には書かれていませんが、神様が三人を守るために遣わしてくださった御使いだったのかもしれません。あるいは、この世に肉体を持って下って来られる以前の御子イエスであったのかもしれないと考える人もいます。いずれにせよ、神様は、燃える炉の中でも三人とともにいて、何の害も受けないように守ってくださったのです。三人は無事に炉の中から出て来ました。
 王は、この出来事に大きな衝撃を受け、三人を「いと高き神のしもべたち」と呼び、三人の信じる神様をほめたたえました。しかし同時に「彼らの信じる神を侮る者は、手足を切り離し、家をごみの山とする。このように救い出すことのできる神は、ほかにないからだ」と国中に命令したのです。強制と恐怖で従わせようとする王様の姿はあまり変わっていませんね。
 
1 王の書状
 
 炉の中に投げ込んだ三人を奇跡的な方法で守ってくださった神様の力を目の当たりにしたネブカデネザル王は、その時から、神様を信じ、謙虚な歩みをするようになったかというと、そうではありませんでした。偉大な神様がおられることは認めたものの、その神様に心から信頼し、仕えようとはしなかったのです。そんなネブカデネザルに今日の4章の出来事が起こりました。
 ところで、聖書の章や節というのは、原文にはありません。後の時代の人が便宜的に区切ったものです。ですから、区切り方について意見が分かれる箇所もあるのです。
 今日の4章1節ー3節についても二つの意見があります。こう書かれています。「ネブカデネザル王が、全土に住むすべての諸民、諸国、諸国語の者たちに書き送る。あなたがたに平安が豊かにあるように。いと高き神が私に行われたしるしと奇蹟とを知らせることは、私の喜びとするところである。そのしるしのなんと偉大なことよ。その奇蹟のなんと力強いことよ。その国は永遠にわたる国、その主権は代々限りなく続く。」
 この部分を3章の続きと考えて、「王が燃える炉の中から三人を救い出した神様をほめたたえて全国に書き送った」と解釈する人もいます。また、「4章全体が一つの書状で、1節ー3節はその書き出しの部分だ」と解釈する人もいます。
 いずれにせよ、4章4節からは、ネブカデネザル王自身が体験した神様のみわざが詳しく記されています。それはどのようなものだったでしょうか。見ていきましょう。
 
2 王の夢
 
 4節ー5節にこう書かれています。「私、ネブカデネザルが私の家で気楽にしており、私の宮殿で栄えていたとき、私は一つの夢を見たが、それが私を恐れさせた。私の寝床での様々な幻想と頭に浮かんだ幻が、私を脅かした。」王は以前、2章でも不思議な夢を見て不安になり、ダニエルに夢の解き明かしをさせましたね。その後、王国は順調に繁栄していったのですが、王が家で気楽に過ごしていたときに、またしても不思議な夢を見て、恐れと不安を感じたのです。
 王は、バビロンの知者たちに夢の解き明かしをさせようとしました。しかし、誰も王の夢を解き明かすことが出来なかったので、ダニエルが呼ばれたのです。
 でも「あれ?」と思いませんか。2章で、バビロンの知者たちは誰も王の夢を解き明かすことができず、ダニエルだけが夢を解き明かすことができました。ですから、今回、なぜ最初からダニエルを呼ばなかったのだろうかと思いますよね。王は、ダニエルの信じる神様の偉大さを認めているのですから、まず、その神様に助けを求めればいいではありませんか。
 理由は書かれていないのでわかりませんが、もしかしたら、王は、ダニエルの信じている神様とはなるべくかかわりたくないと思っていたのかも知れません。「従うことは良いとはわかってはいるけれど、できれば近寄りたくない、避けたい」というような思いです。そのような思いは、今でも時々見かけますね。「聖書は良いことが書いてあると思いますが、自分は読もうとは思いません」「娘をキリスト教主義の学校に入学させたいと思いますが、クリスチャンにはなってほしくありません」ということなどよくありますね。人は、良いとわかっていることを最優先にするとは限らないのですね。
 世界の覇権を握り、大きな権力と富を持っていたネブカデネザルは、まずはバビロンの呪法師たちが解き明かせるものなら、そちらを優先しようと考えたのかもしれません。そうすれば、自分がコントロールできますからね。しかし、呪法師たちはどうにも解き明かすことができませんでした。そこで、王はやむを得ず最後にダニエルを呼び出したのかもしれません。
 今回は、前回と違って、王は自分が見た夢の内容を言い当ることは要求しませんでした。自分の見た夢をそのままダニエルに告げ、その夢の解き明かしを求めたのです。どんな夢だったのでしょう。10節-17節に書かれています。「私の寝床で頭に浮かんだ幻、私の見た幻はこうだ。見ると、地の中央に木があった。それは非常に高かった。 その木は生長して強くなり、その高さは天に届いて、地の果てのどこからもそれが見えた。葉は美しく、実も豊かで、それにはすべてのものの食糧があった。その下では野の獣がいこい、その枝には空の鳥が住み、すべての肉なるものはそれによって養われた。私が見た幻、寝床で頭に浮かんだ幻の中に、見ると、ひとりの見張りの者、聖なる者が天から降りて来た。 彼は大声で叫んで、こう言った。『その木を切り倒し、枝を切り払え。その葉を振り落とし、実を投げ散らせ。獣をその下から、鳥をその枝から追い払え。ただし、その根株を地に残し、これに鉄と青銅の鎖をかけて、野の若草の中に置き、天の露にぬれさせて、地の草を獣と分け合うようにせよ。その心を、人間の心から変えて、獣の心をそれに与え、七つの時をその上に過ごさせよ。この宣言は見張りの者たちの布告によるもの、この決定は聖なる者たちの命令によるものだ。それは、いと高き方が人間の国を支配し、これをみこころにかなう者に与え、また人間の中の最もへりくだった者をその上に立てることを、生ける者が知るためである。』」
 王の夢は、「この木なんの木、気になる木♪」の夢だったのですね。
 
3 ダニエルの解き明かし
 
 しかし、この夢を聞いたダニエルは、「しばらくの間、驚きすくみ、おびえた」と書かれています。つまり、この夢が王にとって大きな試練となるものだということが、ダニエルにはすぐにわかったからです。しかし、王が「ベルテシャツァル(ダニエル)。あなたはこの夢と解き明かしを恐れることはない」と言うので、ダニエルは解き明かしを語り始めました。
 
(1)夢の意味
 
@大きく生長した木
 
 聖書では、国を大きな木に例えている箇所が度々出て来ます。たとえば、エゼキエル31章3節-4節に「見よ。アッシリヤはレバノンの杉。美しい枝、茂った木陰、そのたけは高く、そのこずえは雲の中にある。・・・その小枝には空のあらゆる鳥が巣を作り、大枝の下では野のすべての獣が子を産み、その木陰には多くの国々がみな住んだ」とあります。アッシリヤ帝国を大きなレバノン杉に例えたわけです。
 ネブカデネザルが夢に見た大きな木について、ダニエルは、「王さま、その木はあなたです。あなたは大きくなって強くなり、あなたの偉大さは増し加わって天に達し、あなたの主権は地の果てにまで及んでいます」と解き明かしました。ここまでなら、王もまだ安心ですね。
 
A木が切り倒される時が来る
 
 しかし、その大きな木は切り倒されてしまいます。つまり、繁栄を極めたネブカデネザルも突如として切り倒される時がくるというのです。
 
B獣の心
 
 また、ダニエルは続けて25節でこう語りました。「あなたは人間の中から追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べ、天の露にぬれます。こうして、七つの時が過ぎ、あなたは、いと高き方が人間の国を支配し、その国をみこころにかなう者にお与えになることを知るようになります。」王は、一定期間、人の心ではなく獣の心を与えられ、野の獣のようになってしまうが、それは、いと高き方である主が、すべての支配と主権を握っておられるということを知るためなのだ、というのです。
 
C根株が残される
 
 解き明かしの最後にダニエルは26節でこう説明しました。「ただし、木の根株は残しておけと命じられていますから、天が支配するということをあなたが知るようになれば、あなたの国はあなたのために堅く立ちましょう。」つまり、ネブカデネザルの態度次第で再建のチャンスがあるということですね。 
 
(2)ダニエルの勧告
 
 そして、ダニエルは、27節で王にこう勧めました。「それゆえ、王さま、私の勧告を快く受け入れて、正しい行いによってあなたの罪を除き、貧しい者をあわれんであなたの咎を除いてください。そうすれば、あなたの繁栄は長く続くでしょう。」
 ここで、ダニエルは「正しい行いによって罪を除き、貧しい者をあわれんであなたの咎を除いてください」と言っていますが、これは「罪や咎を取り除くためには、正しい行いや善行をしなければならない」という意味にも読めますね。
 こういう箇所を読むと、私たちは途端に混乱するわけです。「あれ。牧師はいつも『罪の赦しや救いは人の行いによるのではなく、神様の恵みによるのだ』と説教で言っているではないか。でもダニエルは違うことを言っているのではないか。やはり救われるためには正しい行いや善行が必要なのだろうか」と。
 以前にもお話ししたとおり、聖書は、ただ読むだけでなく、正しい解釈をすることが大切です。そのためには、聖書全体からバランスよく、背景や文脈を考慮しながら理解することが大切なのです。
 聖書が一貫して教えている中心的な教えは「人は、自分の行いによって救いを得ることは決してできない。だから、神様御自身が遣わしてくださる救い主が必要なのだ」ということです。 まず、旧約聖書は、神様の律法をどうしても守ることができない人間の弱さや罪の姿を明らかにし、救い主が必要であることを繰り返し教えています。そして、新約聖書は、その待ち望んでいた救い主がどのような方なのかを明確に示し、その救い主を信じることによってのみ罪が赦され、永遠のいのちを与えられ、神の子とされる特権が与えられると教えているのです。つまり、罪の赦しや救いは、人の頑張りや修行や善行によって得られるのではなく、神様が私たちを愛するがゆえに与えてくださる恵みの贈り物だということなのです。
 それに対して、今日の箇所は「罪が赦され、救われるためにはどうすればいいか」ということをテーマにしているのではありません。ダニエルが語っているのは、「神様が私たちにどのような生き方を望んでおられるのか」ということなのです。例えば、ミカ6章8節にはこう書かれています。「主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」つまり、神様が私たちに求めておられるのは、正しいことが行われるように心を配り、神様の前に誠実、謙遜に歩んでいくことなのです。それが、本来の人の心を持って生きる生き方です。そして、そのような生き方は、主なる神様をあがめ、敬い、信頼していくことなしには不可能です。ですから、今日の箇所で、ダニエルが王に勧めているのは、「神様の御前にへりくだって、主を信頼し、主とともに歩んでください」ということなのです。
 
4 ネブカデネザルの応答
 
 ダニエルの夢の解きあかしを聞いた王は、その後、どうしたでしょう。29節ー32節にこう記されています。「十二か月の後、彼がバビロンの王の宮殿の屋上を歩いていたとき、王はこう言っていた。『この大バビロンは、私の権力によって、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が建てたものではないか。』」王は、ダニエルの夢の解きあかしを聞いても、生き方を変えようとはしなかったようですね。
 当時のバビロンの宮殿は、技術の粋を集めた建物でした。世界の七不思議の一つに数えられるほどのもので、空中庭園があったとされています。王が建てた碑文の中に、枝を広げる巨大な木が描かれているものがあるそうです。まるで、自分の繁栄を誇示するかのような碑文です。天にも届く大きな木は自分だ、この宮殿を見てみろ、これほどの権力をもっている王は私の他にどこにもいない、とでもいうかのように、王の高慢は大きくなっていきました。また、世界中の人たちがネブカデネザルを賞賛し、その偉大さをたたえたことでしょう。
 王は、自分の業績を見、回りから聞こえてくる賞賛を聞いて、「ダニエルの解き明かしたことはただの夢に過ぎない、この巨大な木が切り倒されるはずがない」と考えていたのかもしれません。ダニエルが勧めた誠実で謙遜な人としての心を失い、欲望のままに生きる獣のような心になっていたのです。
 
5 夢の実現
 
 そんな王が自分の偉業を誇っていたちょうどそのとき、天からの声があったのです。「ネブカデネザル王。あなたに告げる。国はあなたから取り去られた。あなたは人間の中から追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べ、こうして七つの時があなたの上を過ぎ、ついに、あなたは、いと高き方が人間の国を支配し、その国をみこころにかなう者にお与えになることを知るようになる。」(31節-32節)
 権力と栄華を誇ってた王の生活が一変してしまいました。突然、人と一緒に暮らすことが出来なくなってしまい、社会から追い出されてしまったというのです。彼はそれまで自分の国をまとめる統治能力を誇っていました。自分はなんでも出来る、自分は天にも届く存在だと言わんばかりの振る舞いをしてきました。しかし今は、何も出来ないどころか、ただ牛のように草を食べ、からだは天の露にぬれて、ついに、髪の毛は鷲の羽のようになり、爪は鳥の爪のようになってしまったのです。
 これまで、自分の力を誇っていたネブカデネザルが、今や自分ではどうすることも出来ない混乱した状態の中に陥ってしまいました。しかし、彼にとって、何も出来なくなってしまったこの時こそ、人の心を取り戻す機会となったのです。
 
6 ネブカデネザルの回復
 
 ネブカデネザルのこの状態は、七つの時が過ぎるまで続いたとあります。七つの時というのがどれくらいの期間なのか、はっきりわかりません。七年なのか、七ヶ月なのか、または、ある一定の長い期間と考えることも出来ます。しかし、期間の長さが問題なのではありません。34節にこう書かれています。「その期間が終わったとき、私、ネブカデネザルは目を上げて天を見た。すると私に理性が戻って来た。」目をあげて天を見る、これが回復の鍵となったのです。
 日野原重明先生が、末期患者さんからこんな質問されたことがあるそうです。「末期の状態の私が笑って過ごし死んでいくためには、どうしたらよいですか」と。先生は、「坂本九の『上を向いて歩こう』を知ってるだろう。人は上を向いて生きていけばいいんだよ」、そう答えられたそうです。上を見上げ、天を見上げて生きること、これは聖書が教える本来の人としての生き方です。
 
 獣の状態から回復したネブカデネザルは、上を見上げて、主をほめたたえ、この章をこう締めくくっています。「今、私、ネブカデネザルは、天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえる。そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義である。また、高ぶって歩む者をへりくだった者とされる。」
 私たちも、これをお互いの告白として歩んでいきましょう。