城山キリスト教会 礼拝説教    
二〇二四年二月一八日             関根弘興牧師
                ダニエル書五章一節〜九節
 ダニエル書連続説教5
     「不気味な言葉」
 
 1 ベルシャツァル王は、千人の貴人たちのために大宴会を催し、その千人の前でぶどう酒を飲んでいた。2 ベルシャツァルは、ぶどう酒を飲みながら、父ネブカデネザルがエルサレムの宮から取って来た金、銀の器を持って来るように命じた。王とその貴人たち、および王の妻とそばめたちがその器で飲むためであった。3 そこで、エルサレムの神の宮の本堂から取って来た金の器が運ばれて来たので、王とその貴人たち、および王の妻とそばめたちはその器で飲んだ。4 彼らはぶどう酒を飲み、金、銀、青銅、鉄、木、石の神々を賛美した。5 すると突然、人間の手の指が現れ、王の宮殿の塗り壁の、燭台の向こう側の所に物を書いた。王が物を書くその手の先を見たとき、6 王の顔色は変わり、それにおびえて、腰の関節がゆるみ、ひざはがたがた震えた。7 王は、大声で叫び、呪文師、カルデヤ人、星占いたちを連れて来させた。王はバビロンの知者たちに言った。「この文字を読み、その解き明かしを示す者にはだれでも、紫の衣を着せ、首に金の鎖をかけ、この国の第三の権力を持たせよう。」8 その時、王の知者たちがみな入って来たが、彼らは、その文字を読むことも、王にその解き明かしを告げることもできなかった。(新改訳聖書第三版)
 前回の4章では、強大な帝国を築いて高慢になっていたネブカデネザル王が不思議な夢を見て動揺したことが書かれていましたね。どんな夢かというと、天に届くほどの大きな木があり、その下ですべての生き物が養われていたけれど、天から降りてきた者が大声で「その木を切り倒せ、獣の心をそれに与え、七つの時をその上にすごさせよ。それは、いと高き方が人間の国を支配しておられることを、知らせるためである」と叫んだという夢です。ダニエルは、その夢をこう解き明かしました。「あなたは人間の中から、追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べ、天の露に濡れます。こうして、七つの時が過ぎ、あなたは、いと高き方が人間の国を支配し、その国をみこころにかなう者にお与えになることを知るようになります。」そして、ダニエルは「神様の前にへりくだって神様を信頼して歩んでください」と勧めました。しかし、ネブカデネザルは高慢な思いや態度を変えることはありませんでした。すると、一年後にその夢の通りのことが起こったのです。王は突然人と一緒に暮らすことができない状態になり、社会から追い出され、ただ牛のように草を食べ、からだは天の露にぬれ、髪の毛は鷲の羽のようになり、爪は鳥の爪のようになってしまいました。これまで自分の力を誇っていたネブカデネザルが、今や自分ではどうすることも出来ない混乱した状態の中に陥ってしまったのです。しかし、しばらくの期間が過ぎたとき、王が目を上げて天を見ると、理性が戻って来ました。天を見上げて生きることが本来の人の心を取り戻す生き方なのだと聖書は教えているのですね。回復したネブカデネザルは言いました。「今、私、ネブカデネザルは、天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえる。そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義である。また、高ぶって歩む者をへりくだった者とされる。」
 ダニエル書のネブカデネザル王に関する記事はここで終わっています。今日の5章には、ネブカデネザルの時代より少し後の出来事が記録されています。
 
1 ペルシャツァル王
 
 今日の5章に登場するのはベルシャツァル王です。ダニエルがバビロンで付けられた名前はベルテシャツァルで、王の名前はベルシャツァルです。王の名前は「テ抜き」なんです。とてもまぎらわしいですね。
 ネブカデネザル王の後、三人の王が次々と即位しましたが、どれも短命に終わりました。そして、四人目の王がナボニドスです。ナボニドスはネブカデネザルの娘と結婚し、息子ベルシャツァルが生まれました。ですから、ベルシャツァルはネブカデネザルの孫ということですね。2節では「父ネブカデネザル」と書かれていますが、この「父」というのは「先祖」という意味で使われています。また、他の箇所でベルシャツァル王がネブカデネザルの「子」と言われていますが、それは「子孫」という意味になります。
 さて、当時、ナボニドス王は、アラビアのテマという地域の開発に全力を注ぐため、息子のベルシャツァルに国の統治を任せていました。その期間は十年にも及んだと言われています。ですから、ベルシャツァルは実質的に「バビロンの王」「カルデヤ人の王」と呼ばれたのです。
 今日の5章の出来事が起こったとき、ダニエルがエルサレムから連れて来られてから六十年以上経過していました。ダニエルは、八十歳ぐらいになっていて、すでに隠退生活を送っていたようです。これまで見てきたように、ダニエルの人生には不思議な出来事がいくつか起こりましたが、人生の大半は、ただ忠実に自分の仕事をこなしながら普通の生活を送っていました。その点では、私たちの人生とあまり変わりありませんね。私たちも、時には神様の不思議なみわざを経験することがあるかもしれませんが、それ以外は普通の生活を淡々と送っていくわけです。でも、それでいいのです。この前もお話ししたように、主が私たちに求めておられるのは、ミカ6章8節に書かれているとおり「ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むこと」なのです。奇跡を起こすか起こさないかは神様がお決めになることです。奇跡が起こっても起こらなくても、神様の前に誠実にへりくだって歩む人生の中に神様の祝福があるのですね。
 
2 大宴会
 
 さて、ベルシャツァルは、千人の貴人たちを集めて大宴会を催しました。自国の繁栄と権力を誇り、妻やそばめたちもはべらせ、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎです。酒が進み酔いが回ってくると、ベルシャツァルはとんでもないことを始めました。以前、ネブカデネザル王がエルサレムの神殿から略奪してきた金銀の器を持って来させ、それを宴会で使ったのです。
 エズラ記1章には、ネブカデネザルがエルサレムの神殿から略奪した品物は「金の皿三十、銀の皿一千、香炉二十九、金の鉢三十、二級品の銀の鉢四百十、その他の用具一千。金、銀の用具は全部で五千四百あった」と書かれています。この大量の金銀の器が宴会に運び込まれ、出席者は、それでぶどう酒を飲みながら、口々に「金、銀、青銅、鉄、木、石の神々」、つまり、人間が勝手に作った異教の神々を賛美しました。天地を造られたいと高き神様を侮り、自分たちの国の守り神の方が力があると言わんばかりに振る舞ったのです。ベルシャツァルは、ネブカデネザル王の時代に示された神様の奇跡的な力について聞き知っていました。しかし、「ダニエルたちの神は、南ユダを守れなかったではないか。たいしたことはない。恐れることはない」ということを見せつけたいと思ったのでしょう。神殿の器を酒盛りの道具にして神様を嘲ったのです。
 箴言21章24節に「高ぶった横柄な者──その名は『あざける者』、彼はいばって、横柄なふるまいをする」と書かれている通りのことを行ったわけですね。
 
3 不気味な文字
 
 しかし、突然、人間の手の指のようなものが現れ、壁の上に何かを書き始めました。それを見た王は、顔色が変わり、おびえ、震え出しました。さきほどまでの威勢はどこかに吹っ飛んでしまいました。その不気味な文字は読むこともできず、意味もわかりません。王は、すぐに呪文師、カルデヤ人、星占いたちを連れて来させましたが、誰も解き明かすことができません。王は「この文字を読み、その解き明かしを示す者にはだれでも、紫の衣を着せ、首に金の鎖をかけ、この国の第三の権力を持たせよう」と言いました。紫の衣や金の鎖は、その国の最高位にある者だけが身に付けることのできるものでした。また、第三の権力とは、ベルシャツァル王の父のナボニドス王、そして、ベルシャツァル王に次ぐ第三の権力者になるということです。王は、何としても不気味な文字の意味を知りたくて必死だったのでしょう。しかし、どんな褒美を与えても手に入れられないものはあるのですね。
 
4 王母の進言
 
 みなが途方に暮れていると、王母がやってきました。王母は、ネブカデネザル王の娘ですから、父の時代に起こった奇跡的な出来事やダニエルの働きを身近に見聞きしていたかもしれません。王母は、こう進言したのです。「王よ。・・・怯えてはなりません。・・・あなたの王国には、聖なる神の霊の宿るひとりの人がいます。あなたの父上の時代、彼のうちに、光と理解力と神々の知恵のような知恵のあることがわかりました。・・・ダニエルのうちに、すぐれた霊と、知識と、夢を解き明かし、なぞを解き、難問を解く理解力のあることがわかりましたから、今、ダニエルを召してください。そうすれば、彼がその解き明かしをいたしましょう。」
 そこで、隠居生活を送っていた八十歳近いダニエルが召し出されました。ダニエルがこうして表舞台に立つのは、何十年ぶりのことだったでしょう。
 しかし、考えてみてください。王は、先ほどまで、エルサレムの神殿から略奪してきた器で飲めや歌えのどんちゃん騒ぎをしていたのです。征服された国の神など、ものの数ではない、と言わんばかりの態度をとっていました。ですから、ダニエルのことを知っていても、そう簡単には召し出そうとは思わなかったでしょう。それなのに、今はダニエルに頼るしかなくなってしまったのです。
 王はダニエルに言いました。「あなたのうちには神の霊が宿り、また、あなたのうちに、光と理解力と、すぐれた知恵のあることがわかった、と聞いている。・・・あなたは解き明かしができ、難問を解くことができると聞いた。今、もしあなたが、その文字を読み、その解き明かしを私に知らせることができたなら、あなたに紫の衣を着せ、首に金の鎖をかけさせ、国の第三の権力を持たせよう。」
 すると、ダニエルはきっぱりと言いました。「あなたの贈り物はあなた自身で取っておき、あなたの報酬は他の人にお与えください。しかし、私はその文字を王のために読み、その解き明かしをお知らせしましょう。」ダニエルにとって、解き明かしをするのは、褒美を得るのが目的ではなかったからです。
 
5 ダニエルの解き明かし
 
(1)文字が書かれた理由
 
 ダニエルは、まず、ネブカデネザル王の身に起こった4章の出来事を語りました。「ネブカデネザル王は絶大な権力を持っていたけれど、心が高ぶり、高慢にふるまったので、王座から退けられ、栄光を奪われ、人の中から追い出され、心は獣と等しくなり、獣と同じような生活をするようになった。しかしついに、いと高き神が人間の国を支配し、みこころにかなう者をその上にお立てになることを知るようになった」と語ったのです。続けて、ダニエルは、ベルシャツァル王にきっぱりとこう宣告しました。「その子であるベルシャツァル。あなたはこれらの事をすべて知っていながら、心を低くしませんでした。それどころか、天の主に向かって高ぶり、主の宮の器をあなたの前に持って来させて、あなたも貴人たちもあなたの妻もそばめたちも、それを使ってぶどう酒を飲みました。あなたは、見ることも、聞くことも、知ることもできない銀、金、青銅、鉄、木、石の神々を賛美しましたが、あなたの息と、あなたのすべての道をその手に握っておられる神をほめたたえませんでした。それで、神の前から手の先が送られて、この文字が書かれたのです。」(5章22節-24節)
 
(2)文字の意味
 
 それから、ダニエルは、その文字が「メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン」という言葉だと説明しました。これは、アラム語で書かれたようです。もしアラム語なら、当時の国際語、公用語ですからバビロンの知者たちも読めたはずなのですが、単語の切れ目がなく繋がって書かれていて読むのが難しかったのかもしれません。また、読めたとしても、その意味を解き明かすのはさらに困難だったでしょう。
 それでは、「メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン」とはどのような意味なのでしょうか。
 この中には三つの異なった重さ、あるいは硬貨を表す言葉が出てきます。「メネ」とは「ミナ」という貨幣の単位です。「テケル」とは「シェケル」という単位で、ミナの六十分の一です。そして、「パルシン」は、「ペレス」の両数形(二つの物を表す形)で、「ペレス」はミナの半分ですから、「パルシン」は、ミナの半分が二つという意味です。そして、最初に「メネ、メネ」と二回繰り返されていますが、メネは動詞として使うと「数える」という意味になり、「ウ」は「そして」という意味ですから、「メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン」を直訳すると「数えよ、一ミナ、一シェケル、そして半ミナ二つ」となるわけです。日本語で言えば「数えよ、一万円、百六十六円、五千円二つ」みたいな感じです。バーゲンセールかと思ってしまいますね。これだけでは、まったく意味不明です。
 ところで、ユダヤの社会では、重さや貨幣の単位を人の価値を表すのに用いることがありました。たとえば、父親より二倍立派な息子に対して「半ミナの息子、一ミナ」という具合です。その逆で、父親が立派で息子が駄目な場合は「一ミナの息子、半ミナ」となるわけです。それを考えると、ネブカデネザルは一ミナ、ベルシャツァルは六十分の一の一シェケル、そして、次の王は半ミナ二つということですから、二つの国(メディアとペルシヤ)によって即位する王、というふうに理解することも出来るわけです。
 しかし、ダニエルはそれぞれの言葉を動詞としてとらえて、さらに明確な解き明かしをしました。動詞として使う時には「メネ」は「数える」、「テケル」は「量る」、「パルシン(単数形ペレス)」は「分割する」という意味です。ダニエルは説明しました。「『メネ』とは、神があなたの治世を数えて終わらせられたということです。『テケル』とは、あなたがはかりで量られて、目方の足りないことがわかったということです。『パルシン』とは、あなたの国が分割され、メディヤとペルシヤとに与えられるということです。」ダニエルは、「王様、あなたは王としてふさわしくないので、神様はあなたの治世を終わらせ、国を分割してメディヤとペルシヤにお与えになります」とはっきり宣告したわけですね。神様は「数え、量り、分ける」お方だというのです。
 
6 王の反応
 
 ダニエルの宣告を聞いて王がどのような態度を取ったのか、書かれていないのでよくわかりません。自分が王にふさわしくないとか自分の国が滅びるとかいう宣告を聞いて、怒り狂ったかというと、そうでもなさそうです。かといって、壁に文字が書かれたときにはあんなに震え上がっていたのに、解き明かしを聞いても真剣に悔い改め、神様の助けを涙ながらに祈り求めた様子もありません。王は、自分に自信があったのか、ダニエルの言ったようなことは起こるはずがないと思ったのかもしれません。ダニエルの言葉は王の心にはまったく響いていなかったようです。
 とにかく、王は、ダニエルに約束通りの褒美を与えました。どんなに気に入らない解き明かしだったとしても、大勢の前で約束した手前、面子にかけて褒美を与えるしかなかったでしょう。ダニエルは帝国の第三の地位を与えられたわけですね。それをダニエルは拒否しませんでした。最初は「要りません」と断っていたのになぜでしょうか。ダニエルは、王の面子に配慮したのかも知れません。あるいは、この国はすぐに滅びるとわかっていたので、その褒美に何の価値もないことを知っていたからかもしれませんね。いずれにせよ、ダニエルにとって、どんな褒美をもらえるかはどうでもいいことでした。ただ神様に示されたことを正確に伝えることに使命感を持っていたのです。
 
7 王の最後
 
 さて、30節ー31節にこう書かれています。「その夜、カルデヤ人の王ベルシャツァルは殺され、メディヤ人ダリヨスが、およそ六十二歳でその国を受け継いだ。」大宴会を開いて自分の権力を誇示していたベルシャツァルの最後は、あまりにも突然やってきました。繁栄を極めたバビロンは、わずか一夜の攻撃で陥落してしまったのです。壁に書かれた通りのことが瞬時に実現したわけですね。紀元前五三九年のことです。
 この説教を準備しているとき、私は、イエス様の例え話を思い起こしました。ルカ12章16節からのたとえ話です。
 「ある金持ちの畑が豊作であった。そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」
 ベルシャツァルはこの金持ちと同じでした。「この国も自分の王位も安泰だ、宝物倉にはあり余るほどのものがあるではないか、これから先何年も食べて、飲んで、楽しもう」と自分に言い聞かせるような人生でした。しかし、神様を無視した高慢な歩みをする者は「愚か者」だと聖書ははっきり教えています。「どうして永遠の人生を考えようとしないのか、主を認め、あがめて生きていこうとしないのか、いのちも主権もすべてを握っておられる方の前で謙遜に生きよ」と聖書は語り続けているのです。
 詩篇10篇4節には「悪者は高慢を顔に表して、神を尋ね求めない。その思いは『神はいない』の一言に尽きる」とあります。どんなに大きな富を手に入れても「あの人の顔を見ていると高慢の香りが漂ってきますね」と言われる人生ではあまににも寂しいではありませんか。
 また、箴言18章12節には「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ」と書かれています。高慢な姿がどのようなものか、歴代の王を見ればよくわかりますね。では、真の謙遜を学ぶためには誰を見ればいいのでしょう。ピリピ2章3節-5節にこう書かれています。「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」文語訳では「汝らキリスト・イエスの心を心とせよ。」と書かれています。イエス様は「わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」と語られました。イエス様は、私たちが人としてどのように生きるべきか模範を示してくださっています。イエス様は、私たちといつも共にいてくださり模範となってくださるお方です。そして、聖霊の働きによって、私たちはイエス様のような姿に変えられていくと約束されているのです。ですから、いつもイエス様の姿を仰ぎつつ歩んで行きましょう。