城山キリスト教会 礼拝説教    
二〇二四年三月三日             関根弘興牧師
                ダニエル書六章一節〜九節
 ダニエル書連続説教6
    「いつものように」
 
1 ダリヨスは、全国に任地を持つ百二十人の太守を任命して国を治めさせるのがよいと思った。2 彼はまた、彼らの上に三人の大臣を置いたが、ダニエルは、そのうちのひとりであった。太守たちはこの三人に報告を出すことにして、王が損害を受けないようにした。3 ときに、ダニエルは、他の大臣や太守よりも、きわだってすぐれていた。彼のうちにすぐれた霊が宿っていたからである。そこで王は、彼を任命して全国を治めさせようと思った。4 大臣や太守たちは、国政についてダニエルを訴える口実を見つけようと努めたが、何の口実も欠点も見つけることができなかった。彼は忠実で、彼には何の怠慢も欠点も見つけられなかったからである。5 そこでこの人たちは言った。「私たちは、彼の神の律法について口実を見つけるのでなければ、このダニエルを訴えるどんな口実も見つけられない。」6 それで、この大臣と太守たちは申し合わせて王のもとに来てこう言った。「ダリヨス王。永遠に生きられますように。7 国中の大臣、長官、太守、顧問、総督はみな、王が一つの法令を制定し、禁令として実施してくださることに同意しました。すなわち今から三十日間、王よ、あなた以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれると。8 王よ。今、その禁令を制定し、変更されることのないようにその文書に署名し、取り消しのできないメディヤとペルシヤの法律のようにしてください。」9 そこで、ダリヨス王はその禁令の文書に署名した。(新改訳聖書第三版)
 前回の5章では、バビロニヤ帝国最後の王となったベルシャツァルのことが記されていました。ベルシャツァルは、千人の貴人たちを集めて大宴会を催しました。自国の繁栄と権力を誇り、妻やそばめたちをはべらせ、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎです。酔いが回ってくると、ベルシャツァルはとんでもないことを始めました。以前、ネブカデネザル王がエルサレムの神殿から略奪してきた金銀の器を持って来させ、それを宴会に使ったのです。すると、突然、人間の手の指のようなものが現れ、壁の上に何かを書き始めました。それを見た王は、顔色が変わり、おびえ、震え出しました。さきほどまでの威勢はどこかに吹っ飛んでしまいました。すぐに知者たちを集めましたが、その不気味な文字を解読できる者が誰もいません。そこで、ダニエルが召し出されました。この時、ダニエルは八十歳近い後期高齢者でしたが、壁に書かれた文字を王に解き明かしました。「この文字は『メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン』と読みます。『メネ』とは、神があなたの治世を数えて終わらせられたということです。『テケル』とは、あなたがはかりで量られて、目方の足りないことがわかったということです。『パルシン』とは、あなたの国が分割され、メディヤとペルシヤとに与えられるということです。」つまり、ダニエルは「王様、あなたは王としてふさわしくないので、神様はあなたの治世を終わらせ、国を分割してメディヤとペルシヤにお与えになります」と宣告したわけです。しかし、そのダニエルの語った言葉は、ベルシャツァル王の心に響かなかったようです。そして、ダニエルの解き明かした通りのことがただちに起こりました。5章の最後にこう書かれています。「その夜、カルデヤ人の王ベルシャツァルは殺され、メディヤ人ダリヨスが、およそ六十二歳でその国を受け継いだ。」繁栄を極めたバビロニヤ帝国があっけなく滅びてしまったのです。紀元前五三九年のことでした。
 そして、今日の6章には、バビロニヤの次ぎに覇権を握ったペルシヤ帝国の時代の出来事が書かれています。
 
1 メディア人ダリヨス
 
 ところで、様々な歴史の資料を見ると、バビロニヤ帝国を滅ぼしたのは、ペルシャのクロス王であるとなっています。でも、5章の最後には「メディヤ人ダリヨスがおよそ六十二歳でその国を受け継いだ」と書かれていますね。
 このダリヨスが誰なのか、いろいろな説があります。一つは、このダリヨスとは、クロス王の下にある総指揮官でクロス王からバビロンの地を任された人物ではないかという説です。もう一つの説は、クロス王と同一人物ではないかという説です。当時は王は複数の呼び名を持つことが多かったからです。今日の6章の最後の28節に「このダニエルは、ダリヨスの治世とペルシヤ人クロスの治世に栄えた」と書かれているので、ダリヨスとクロスは別人ではないかと思うかもしれませんが、この文は「ダリヨスの治世、すなわち、ペルシヤ人クロスの治世」とも訳せるので、ダリヨスはクロス王のことだとも考えられるわけです。
 はっきりわかりませんが、とにかくダニエルは、まったく新たなペルシヤ帝国の支配の下で生きることになったのです。
 
2 ダニエルの地位
 
 ダリヨスは、全国を治めるために百二十人の太守を任命し、この百二十人の上に三人の大臣を置きました。その一人に抜擢されたのがダニエルです。
 5章でダニエルが壁に書かれた文字の解き明かしをしたとき、ベルシャツァル王は、褒美としてダニエルに第三の権力を与えましたね。バビロニヤ帝国はその夜に滅びてしまったので、その褒美には何の意味もなくなってしまいました。しかし、次のペルシヤ王のもとで、ダニエルは高い地位に就くことになったのです。ベルシャツァルとしては、自分の与えた約束が、自分たちを滅ぼした敵国ペルシヤの治世に皮肉な形で実現したような結果になってしまったわけですね。
 ダニエルは、与えられた務めを忠実に行い、すぐれた能力を発揮していきました。そこで、ダリヨスは、ダニエルを全国を治める長に据えようと考えたのです。
 
3 ダニエルの試練
 
(1)同僚の嫉妬と王の禁令
 
 ダニエルがダリヨス王の寵愛を受けているのを見て、面白くないのが他の大臣や太守たちでした。「もともとダニエルはユダから連れてこられた捕虜ではないか。そのダニエルが自分たちの上に立つなどとんでもない。何とかしてダニエルを陥れてやろう」と考えたのです。彼らは、ダニエルを訴える口実を見つけようと、必死でダニエルのあら探しをしました。しかし、何も見つかりません。ダニエルが与えられた職務を忠実に誠実に行っていたからです。
 そこで彼らは、ダニエルの私生活を監視して訴える口実を見つけようと考えました。嫉妬がエスカレートすると恐ろしいですね。ダニエルの私生活を監視していると、わかったことがありました。それは、ダニエルが一日三回、エルサレムの方を向いて神様に祈っているということです。
 彼らは、「これは訴える口実に使える」と考えました。そして、王にこう提案したのです。「ダリヨス王。永遠に生きられますように。国中の大臣、長官、太守、顧問、総督はみな、王が一つの法令を制定し、禁令として実施してくださることに同意しました。すなわち今から三十日間、王よ、あなた以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれると。王よ。今、その禁令を制定し、変更されることのないようにその文書に署名し、取り消しのできないメディヤとペルシヤの法律のようにしてください。」(6章6節-8節)
 ダリヨス王は、何の疑いもなくその法令に署名してしまいました。この法令を出せば、国中の民が自分への忠誠心を強めるだろうとしか思わなかったのでしょう。それに自分だけが民の礼拝の対象になるということに魅力を感じたのでしょう。権力者というのは、自分が神と同等に扱われるという誘惑に弱いのですね。しかし、安易に署名してしまったことで、ダリヨス王は自分の首を絞めることになってしまったのです。
 
(2)いつものように
 
 この禁令が発布されたことを知ったダニエルはどうしたでしょう。6章10節にこう書かれています。「ダニエルは、その文書の署名がされたことを知って自分の家に帰った。──彼の屋上の部屋の窓はエルサレムに向かってあいていた。──彼は、いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。」
 ダニエルは、この禁令が出されても、普段の生活を変えることはしませんでした。いつものように、日に三度、エルサレムの方向に向かって礼拝することを続けたのです。
 昔、ソロモン王は、エルサレムに神殿を建てたとき、奉献式で主に向かってこう祈りました。「神ははたして人間とともに地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。けれども、・・・この宮、すなわち、あなたが御名をそこに置くと仰せられたこの所に、昼も夜も御目を開いていてくださって、あなたのしもべがこの所に向かってささげる祈りを聞いてください。あなたのしもべとあなたの民イスラエルが、この所に向かってささげる願いを聞いてください。あなたご自身が、あなたのお住まいになる所、天からこれを聞いてください。」(第二歴代誌6章18節ー21節)さらに、こう祈りました。「彼らがあなたに対して罪を犯したため・・・あなたが彼らに対して怒り、彼らを敵に渡し、彼らが、遠くの地、あるいは近くの地に、捕虜として捕らわれていった場合、彼らがとらわれていった地で、みずから反省して悔い改め、・・・捕らわれていった捕囚の地で、心を尽くし、精神を尽くして、あなたに立ち返り、あなたが彼らの先祖に与えられた彼らの地、あなたが選ばれたこの町、私が御名のために建てたこの宮のほうに向いて祈るなら、あなたの御住まいの所である天から、彼らの祈りと願いを聞き、彼らの言い分を聞き入れ、あなたに対して罪を犯したあなたの民をお赦しください。」(第二歴代誌6章36節-38節)
 そして、第二歴代誌7章1節には「ソロモンが祈り終えると、火が天から下って来て、全焼のいけにえと、数々のいけにえとを焼き尽くした。そして、主の栄光がこの宮に満ちた」と書かれています。
 ソロモンは、「この町エルサレムも自分の作った神殿も神様をお入れするには小さすぎるけれど、誰でもどんなに遠く離れた場所からでもエルサレムと神殿に向かって祈るなら、その祈りを聞いてください」と祈りました。そして、神様は、その祈りに答えて神殿を栄光で満たしてくださったのです。エルサレムは神殿を建てるために神様によって選ばれた町であり、神殿は神様の臨在の象徴でした。
 ダニエルの時代には神殿は破壊されてしまっていましたが、ダニエルをはじめ神様を信じる人々は、エルサレムの方に向かって祈るなら、神様が必ず聞いてくださると信じて、毎日、エルサレムの方向に向かって礼拝していたのです。
 日に三度というのは、朝、昼、夕に祈りをささげたということですね。詩篇55篇17節には「夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく。すると、主は私の声を聞いてくださる」と書かれています。
 ダニエルは、日に三度、主を礼拝し、賛美し、心の思いを打ち明け、助けを願い求め、感謝をささげていました。ダニエルは、これまでの人生経験から主に祈り信頼することの大切さを知っていました。たびたび襲ってくる危機の中でも心の平安を保つ秘訣は主に祈ることでした。ですから、今回の危機の中でも、いつものように主に向かって祈り続けたのです。
 この「いつものように」という言葉は大切ですね。私たちは、何か特別なことが起こると、「いつもと違った」何かを求めようとしてしまうことが多いですね。奇跡的な出来事や特別なしるしが起こればいいのにと思ってしまうかも知れません。でも、皆さん、どうして毎週同じような礼拝がこうして繰り返し繰り返し行われていると思いますか。もし礼拝が一年に一度しかなければ、それは特別な日となるでしょう。しかし、毎週毎週ということは、決して特別ではありませんね。「いつものように」繰り返されていくのです。しかし、「いつものように」あるからこそ大切なのです。私たちの人生は何が起こるわかりません。でも、私たちは「いつものように」主を礼拝し祈ることができるのです。
 ただ、今、私たちは、エルサレムの方角に向かって祈ることはしません。なぜなら、イエス様が私たちの罪の贖いを成し遂げ、私たちを聖なる者としてくださったので、今では信じる一人一人のうちに聖霊が住んでくださり、一人一人が生ける神様の神殿とされているからです。ですから、今では、私たちは、いつでも、どの方向かを気にすることなく、神様のみまえで祈ることができるのです。
 さて、ダニエルは、王の署名した法律に従うか従わないかの選択を迫られましたが、迷うことなく、王に従うよりも神様に従うことを選びました。
 しかし、だからといって、私たちは極端にならないように気を付けなければなりません。ローマ13章1節には「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです」と書かれています。私たちは、この社会の中で法律やルールを守って生活する必要がありますね。「クリスチャンは税金を払う必要はない。神様にささげればいいのだ」という極端な態度は聖書の教えとは違います。ダニエルもペルシヤの法律やルールを守って忠実に職務を果たしていたのです。しかし、一方で、使徒5章29節には「人に従うより、神に従うべきです」とも書かれています。法律やルールがすべて神様の目に正しいかというと、そうでないときもあるわけです。ダニエルは国の要職に就いているので、王の命令に従うのは当たり前です。しかし、もし、それが信仰を否定するような法律であるなら、従うことはできませんね。ダニエルは断固として拒否したのです。これまで学んだように、ダニエルも仲間たちも、状況に合わせて自由に変えていいことと、決して譲ることの出来ないことを明確に分けながら異国での生活を続けていました。異国の文化やルールに合わせながらも、まことの神様への信仰だけは決して譲ることがなかったのです。
 
(3)獅子の穴
 
 ダニエルが個人の生活の中で祈ることをやめないのを知った大臣たちは、王に訴えました。「ユダからの捕虜のひとりダニエルは、王よ、あなたとあなたの署名された禁令とを無視して、日に三度、祈願をささげています。」このとき王はやっと大臣たちの陰謀に気づいたことでしょう。ダニエルはもっとも信頼できる王の片腕のような存在です。王は何とかダニエルを救おうと努めましたが、ペルシヤでは王が署名して制定された法律は、王であっても取り消すことができないのです。王は、日暮れまで抵抗しましたが、結局、大臣たちの圧力に屈して、ダニエルを獅子の穴に投げ込むよう命じました。大臣たちは、「これでダニエルも終わりだ」とほくそ笑んだことでしょう。獅子の穴に投げ込まれようとしているダニエルに、王はただこう言うしかありませんでした。「あなたがいつも仕えている神が、あなたをお救いになるように。」
 ダニエルは穴に投げ込まれ、穴の口は石で塞がれ、誰もダニエルを助け出せないように封印されました。絶体絶命のダニエルは、どんな思いだったでしょうか。以前、ダニエルの三人の仲間が金の像を拝むことを拒んだために燃える火の炉に投げ込まれようとするとき、バビロニヤの王にこう言いましたね。「私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。・・・しかし、もしそうでなくても、・・・私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」ダニエルも「私の仕える神は私を救い出すことができる。しかし、たとえそうでなくても、主の御手にすべてをゆだねよう」という思いだったに違いありません。
 ダリヨス王は、その夜、一晩中食べることも眠ることもできずにダニエルを案じていました。そして、夜が明けるとすぐに、獅子の穴に駆けつけ、悲痛な声で呼びかけました。「生ける神のしもべダニエル。あなたがいつも仕えている神は、あなたを獅子から救うことができたか。」すると、なんとダニエルの声が聞こえるではありませんか。「私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。それは私に罪のないことが神の前に認められたからです。王よ。私はあなたにも、何も悪いことをしていません。」王は、大喜びでダニエルを穴から出せと命じました。三人の仲間が燃える炉から無傷で助け出されたように、ダニエルも獅子の穴から無傷で助け出されたのです。
 王は、今回の陰謀を図った者たちを獅子の穴に投げ込むよう命じました。彼らは、穴の底に落ちないうちに獅子に食い殺されてしまったと書かれています。
 
4 王の書状
 
 そして、王は、国中にこのような文書を書き送りました。「あなたがたに平安が豊かにあるように。私は命令する。私の支配する国においてはどこででも、ダニエルの神の前に震え、おののけ。この方こそ生ける神。永遠に堅く立つ方。その国は滅びることなく、その主権はいつまでも続く。この方は人を救って解放し、天においても、地においてもしるしと奇蹟を行い、獅子の力からダニエルを救い出された。」(6章25節ー27節)
 自分が神と同等に扱われたいと思っていた王が、ダニエルに起こった奇跡的な出来事を通して、生ける神様の存在を実感し、あがめるようになったのですね。
 ダニエル書には記されていませんが、ちょうどのこの頃、ペルシャの王が王国中につぎのようなおふれを出したことが第二歴代誌の最後に書かれています。「天の神、主は、地のすべての王国を私に賜った。この方はユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた。あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神、主がその者とともにおられるように。その者は上って行くようにせよ。」つまり、捕囚としてバビロンに連れてこられたユダヤ人たちに対して、故郷に帰って神殿を再建する許可を与えたのです。失われた神の宮が再建される背後に、神様を礼拝し信頼し続けるダニエルの存在があったのですね。
 
 ダニエルは、実際に獅子の穴から助け出されましたが、聖書には、悪や危険を獅子に例えている箇所がいくつかあります。どの箇所でも、獅子に囲まれているような苦しい状況にあるとき、神様が守り、助け出してくださることを信頼し、感謝しているのです。
 たとえば、パウロは自分の人生の終わりが近づいていることを知って、テモテにこう書き送りました。「しかし、主は、私とともに立ち、私に力を与えてくださいました。それは、私を通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした。私は獅子の口から助け出されました。主は私を、すべての悪のわざから助け出し、天の御国に救い入れてくださいます。主に、御栄えがとこしえにありますように。アーメン。」(第二テモテ4章17節)
 私たちは、心配や思い煩いの中で「いつものように」という姿を失いかけてしまうこともあるでしょう。でも、知ってください。主は獅子の口を塞ぐことのできるお方であることを。
 そして、ダリヨス王が書き送った「この方こそ生ける神。永遠に堅く立つ方。その国は滅びることなく、その主権はいつまでも続く。この方は人を救って解放する」という言葉を信仰の告白として、心から告白していきましょう。