城山キリスト教会 礼拝説教    
二〇二四年三月十日              関根弘興牧師
               ダニエル書七章一節〜一四節
 ダニエル書連続説教7
    「私は夢を見た」
 
 1 バビロンの王ベルシャツァルの元年に、ダニエルは寝床で、一つの夢、頭に浮かんだ幻を見て、その夢を書きしるし、そのあらましを語った。2 ダニエルは言った。「私が夜、幻を見ていると、突然、天の四方の風が大海をかき立て、3 四頭の大きな獣が海から上がって来た。その四頭はそれぞれ異なっていた。4 第一のものは獅子のようで、鷲の翼をつけていた。見ていると、その翼は抜き取られ、地から起こされ、人間のように二本の足で立たされて、人間の心が与えられた。5 また突然、熊に似たほかの第二の獣が現れた。その獣は横ざまに寝ていて、その口のきばの間には三本の肋骨があった。するとそれに、『起き上がって、多くの肉を食らえ』との声がかかった。6 この後、見ていると、また突然、ひょうのようなほかの獣が現れた。その背には四つの鳥の翼があり、その獣には四つの頭があった。そしてそれに主権が与えられた。7 その後また、私が夜の幻を見ていると、突然、第四の獣が現れた。それは恐ろしく、ものすごく、非常に強くて、大きな鉄のきばを持っており、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは前に現れたすべての獣と異なり、十本の角を持っていた。8 私がその角を注意して見ていると、その間から、もう一本の小さな角が出て来たが、その角のために、初めの角のうち三本が引き抜かれた。よく見ると、この角には、人間の目のような目があり、大きなことを語る口があった。9 私が見ていると、幾つかの御座が備えられ、年を経た方が座に着かれた。その衣は雪のように白く、頭の毛は混じりけのない羊の毛のようであった。御座は火の炎、その車輪は燃える火で、10 火の流れがこの方の前から流れ出ていた。幾千のものがこの方に仕え、幾万のものがその前に立っていた。さばく方が座に着き、幾つかの文書が開かれた。11 私は、あの角が語る大きなことばの声がするので、見ていると、そのとき、その獣は殺され、からだはそこなわれて、燃える火に投げ込まれるのを見た。12 残りの獣は、主権を奪われたが、いのちはその時と季節まで延ばされた。13 私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。14 この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。(新改訳聖書第三版)
 今日はダニエル書の後半の7章に入ります。これまで読んできたダニエル書の前半1章から6章までには、ダニエルと三人の仲間がバビロンの地で経験した出来事が記録されていましたね。彼らは、少年時代にバビロンに連れてこられ、特別な教育と訓練を受けて、バビロンの王に仕えることになりました。特にダニエルには優れた知恵が与えられ、誰も解くことの出来なかった王の夢を解き明かしたので、重要な地位に就くことになったのです。しかし、ダニエルも三人の仲間も、まことの神様への信仰だけは決して譲ることをしませんでした。異国の文化やルールに合わせながらも、自由に変えていいことと決してゆずることの出来ないことを明確に分けて生活していたのです。そのために、燃える炉の中に投げ込まれたり、獅子の穴に投げ込まることもありました。しかし、彼らは「私たちの仕えている神様は私たちを救い出すことができます。しかし、たとえそうでなくも、神様以外のものを礼拝することは決してしません」と力強く告白したのです。神様は彼らを燃える炉や獅子の穴から助け出し、御自分が生ける力ある神であることを示されました。その結果、絶対的権力を誇っていた王たちも神様をあがめ、ダニエルたちをますます信頼し、重用するようになったのです。そのようなことが書かれていましたね。
 さて、今日から読んでいく後半には、ダニエルの見た四つの夢や幻が年代順に記録されています。7章はバビロンのベルシャツァル王の元年、8章はベルシャツァル王の第三年、9章はメディヤのダリヨス王の元年、そして、10章ー12章はペルシヤのクロス王の第三年の記録です。いずれもこれから起こる出来事を示すものでした。
 ダニエルは、王様の見た夢を明確に解き明かすことができましたね。しかし、自分の見た夢や幻はダニエルの理解を超えるものでした。ですから、ダニエルは、これはどういう意味なのかと思い悩みました。御使いに尋ねても、すべての意味をはっきり説明してくれたわけではありません。ですから、ダニエル自身もよくわからないままのところもあるのです。ということは、私たちがよくわからないところがあっても当たり前なんですね。ただし、私たちにとって大切な内容は、はっきりわかるように書かれています。ですから、「今は、よくわからないままでもいいこと」と、「今、私たちが明確に理解すべきこと」を区別しながら学んでいくことにしましょう。
 
1 夢見る人
 
 夢や幻は、聖書が完成していない時代において、神様が真理を伝えるために用いられた重要な手段の一つでした。ですから、ダニエルは、自分の見た夢や幻を細かく書き記しました。
 「夢見る人」というと「とりとめなく空想にふける人」というような印象を受けるかもしれませんが、ここにおいてはそうではありません。「夢見る人」とは、「目の前に見えている現実を超えて、その向こうに真実を見る人」「事柄の背後に、さらに深い意味を見る人」「歴史の出来事の奥に、神様が勝利する未来の実現を見ることのできる人」のことなのです。
 ヨエル2章28節に神様の約束がこう書かれています。「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。」これは、信じる私たちに聖霊が与えられ、夢や幻を見ことができる者に変えられる、つまり、目の前に見えている現実の背後に神様の真実を見ることのできる者とされる、という約束です。私たちは、聖書のことばを通し、聖霊のみわざによって、神様の恵みと真実を見る者とされているのです。
 
2 ベルシャツァル王の元年にダニエルが見た夢
 
 さて、今日はダニエルが記録した最初の夢を見ていきましょう。ベルシャツァルは、5章に登場したバビロニヤ帝国最後の王でしたね。厳密には、バビロニヤの最後の王ナボニドスの息子で、父が国を離れているとき、父に代わって国を治めていた皇太子でした。このベルシャツァルの元年というのは、紀元前五四六年頃と言われています。その時、ダニエルが見た夢はどのようなものだったでしょうか。
 
(1)四頭の獣
 
 ダニエルの見た夢は奇妙なものでした。四頭の大きな獣が海から上がってきたのです。第一に、鷲の翼をつけた獅子のような獣、第二に三本の肋骨をくわえた熊に似た獣、第三に、四つの鳥の翼と四つの頭を持つひょうのような獣、そして、第四に、大きな鉄の牙と十本の角を持つ強くて恐ろしく獰猛な獣です。どれも異様な生き物ですね。しかし、当時の人にとっては見慣れた姿だったのではないかと思います。
 この写真をご覧ください。紀元前五世紀のペルシヤのスサの宮殿の壁にあったレリーフです。獅子のようですが、背中に翼があり、頭には山羊のような角があります。当時の世界では、動物をシンボルにして自分の強さを誇示することが当たり前に行われていました。ですから、当時の人々は、大海から次から次へと獣が現れるというのは、これからいろいろな国が登場するということだろうと、すぐにわかったでしょう。
 しかし、恐ろしい獣の姿に不安を感じたダニエルは、16節で「かたわらに立つ者のひとり」に近づき、幻の意味を確かめようとしました。この「かたわらに立つ者」というのは、「天の使い」を意味する特別な言葉なのだそうです。この天の使いも「これら四頭の大きな獣は、地から起こる四人の王である」と解き明かしました。
 では、その次々と興ってくる国々は、ダニエルの夢の中でどうなったのでしょうか。最初に現れた鷲のような翼をつけた獅子のような獣は、翼を抜き取られ、人間のように二本の足で立たされて、人間の心が与えられた、と書かれています。つまり、この国は世界の覇権を握っていたけれど、弱い無力な人間に戻ってしまった、つまり、第二の熊に似た獣によって骨抜きにされてしまったのです。すると、今度は、四つの翼と四つの頭のあるひょうのような獣が現れ、熊の時代は終り、ひょうに主権が与えられました。そして、次の第四の獣は、大きな鉄のきばで、ひょうをかみ砕いてしまいました。この第四の獣には十本の角があり、その角の中から小さな角があらわれ、その角のために、初めの角のうちの三本が引き抜かれてしまいました。こ小さな角には、人間の目のような目があり、大きなことを語る口がありました。
 この第四の獣については、19節からダニエルはさらに幻を見ました。人間の目と大きなことを語る口がある角は、小さい角なのに、ほかの角より大きく見えました。そして、21節には「その角は、聖徒たちに戦いを挑んで、彼らに打ち勝った」、25節には「彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼の手にゆだねられる」と書かれています。つまり、神様を信じる人々が、この角によって迫害され苦しめられ、彼らが大切にしていた定期的に時を定め行っていたさまざまな神殿の祭りや、大切な律法の教えさえも変えられてしまうということが起こるというのですね。
 
(2)年を経た方と人の子のような方
 
 しかし、9節ー10節にこう書かれています。「私が見ていると、幾つかの御座が備えられ、年を経た方が座に着かれた。その衣は雪のように白く、頭の毛は混じりけのない羊の毛のようであった。御座は火の炎、その車輪は燃える火で、火の流れがこの方の前から流れ出ていた。」この「年を経た方」というのは、「老人」という意味ではありません。「神様」のことです。この世界が始まる前からおられる永遠の存在者という意味で「年を経た方」なのです。そして「火の流れがこの方の前から流れ出ていた」とありますね。詩篇50篇3節に「われらの神は来て、黙ってはおられない。御前には食い尽くす火があり、その回りには激しいあらしがある」と書かれています。つまり、聖徒たちを苦しめる者をさばくために、神の火は必ず下されるというのです。11節には、神様を侮り、聖徒たちを迫害した第四の獣は、燃える火の中に投げ込まれてしまうと書かれています。また、26節にも「さばきが行われ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる」とあります。最終的に神様が正しいさばきを行ってくださると約束されているのですね。
 そして、13節-14節にこう書かれています。「見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。」この「人の子のような方」とは、「人の姿をしている方」ですね。これまで出てきた支配者たちは、獣のように貪欲で身勝手で、自分の力を誇示し、周りを威圧して支配しようとしてきました。自らを弱い人間ではなく全能の神であるかのように振る舞い、崇めさせたのです。しかし、そのような支配者たちは滅び、永遠の神の国では人の子のような方が支配してくださるというのです。それなら安心ですね。誰も「獣のような心を持った人」に人生を支配されてくありませんからね。
 このダニエル書の箇所から、「人の子のような方」「天の雲に乗ってこられる方」という言葉は、救い主を意味するようになりました。
 今、私たちは、この「人の子のような方」とはイエス・キリストのことだと知っていますね。イエス様は神である方なのに、人の姿をとって天から私たちのもとに下って来てくださいました。そして、イエス様自身が御自分を「人の子」と何度も呼んでおられます。また、「あなたは、ほむべき方の子、キリストですか」と質問されたとき、イエス様はこうお答えになりました。「わたしは、それです。人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗ってくるのを、あなたがたは見るはずです。」(マルコ14章62節)つまり、イエス様は、「ダニエルが夢に見たあの『天の雲に乗って来られる人の子のような方』とは、わたしのことなのだ」とはっきり宣言なさったのです。
 このイエス様は、獣のように力で強制的に支配するのではなく、私たちと同じ立場に立って私たちを深く理解し、ともに歩み、良い羊飼いとして、愛とまことと恵みによって導き、見守り、必要を満たしてくださる方です。この方の支配する永遠の御国に入れるというのは素晴らしい約束ですね。
 そして、さらにすばらしい約束があります。18節で御使いはこう解き明かしました。「しかし、いと高き方の聖徒たちが、国を受け継ぎ、永遠に、その国を保って世々限りなく続く。」また、27節には「国と、主権と、天下の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する」と書かれています。獣のような支配の中で苦難があるけれど、最終的には大逆転となっていくというのです。でもだからと言っても私たちは決して高慢にならないようにしましょうね。イエス様はこう言われましたね。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。・・・柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです」と。主の前に謙遜に、柔和な者として生きていくことは、終わりの時代に生きる大切な生き方なのです。
 
3 夢の意味
 
 さて、ダニエルのこの夢をまとめると、「獣のような国々の支配の下で私たちは苦しみを受けるけれど、最終的に神様が正しいさばきを行ってくださり、柔和な救い主が支配する永遠の御国が到来する」ということですね。しかし、意味がよくわからず、いろいろな解釈がされている部分があります。
 
(1)四頭の獣とは
 
@すでに歴史上に登場した国であるという解釈
 
 最も代表的な解釈は、第一の獣がバビロン、第二がメディア、第三がペルシヤ、そして第四がギリシアというものです。そして、第四の獣の十本の角の後に出てきたもう一本の角とは、紀元前二世紀にユダヤの人たちを大変苦しめたシリアのアンティオコス・エピファネス王を指すというのです。この人は、帰還したユダヤ人たちの地域にギリシア文化を強制しました。そして、バビロンから帰還した人たちが再建したエルサレムの神殿にギリシアの神々の祭壇を設けて礼拝を強要したのです。彼は尊大な口を利き、いと高き神様に逆らうことばを吐き、神様を信じる人たちを滅ぼしてしまおうと迫害した王でした。
 
A終末の時代に登場する国であるという解釈
 
 しかし、@の解釈では、こんな疑問が湧いてきます。最後に出てくる大口を叩く角がエピファネスだとすると、それは紀元前二世紀の出来事ですが、それなら、もう神の国が来てもいいのではないかという疑問です。
 ここで覚えておいていただきたいのは、聖書の預言や教えには、その時代や近い将来に起こることと、遠い将来に起こることを同時に示す重複した意味が含まれていることがよくあるということです。ダニエルの見た幻も、近い将来のことと、この世の終わりに起こる出来事を同時に示していると考えることができるのです。
 聖書は、この世の終わりには、この天地は滅びて永遠の神の国が到来すると教えています。ですから、最後に起こる第四の国というのは、神の国が到来する直前にこの世を支配する国ではないかと考えることもできるのです。
 たとえば、初代教会のクリスチャンたちは、第四の獣はローマ帝国であり、その角はローマ皇帝に違いないと考えました。そして、激しい迫害の中で、もうすぐローマは滅び、神の国が訪れるという希望を告白したのです。その後も、各時代時代に、第四の国を自分たちを苦しめる敵にあてはめて解釈することがたくさんありました。今も同じです。十本の角はヨーロッパ共同体だとか、あの横柄な角は共産主義国家だとか、具体的な国や人物にあてはめて解釈しようとすることがあるのです。
 しかし、私たちは、はっきりわからないことを無理矢理こじつけて解釈する必要はありません。「最終的に愛と真実の神様がすべてを治めてくださる」という約束を信頼して、どんなことがあっても希望を持ちながら、それぞれの生活を淡々と生きていけばいいのです。
 
(2)ひと時とふた時と半時の間とは
 
 25節で、聖徒たちが大口をたたく不遜な角に「ひと時とふた時と半時の間」ゆだねられるとありましたね。この「ひと時とふた時と半時の間」にも様々な解釈があります。合計すると三つ半の時ということですから、それを三年半と考え、エピファネスが支配した期間を表しているとか、キリスト再臨直前におきる苦難の三年半の意味だという解釈もあります。また、三つ半というのは、完全数七の半分ですから、永遠を表す七に対して、不完全な期間、限定的な期間を表しているという解釈もあります。迫害や苦しみの期間は限定的で、永遠に続くわけではない、という意味だというのです。でも、明確な答えは書かれていないのでわかりません。天国に行ったら質問したいですね。
 
(3)永遠の御国の到来の時期
 
 もう一つ、永遠の御国がいつ到来するかということについても重複した意味があると考えることができます。一つは、世の終わりにこの天地が滅びて永遠の御国が来るという意味ですね。
 しかし、別の意味では、永遠の御国はすでに到来したと解釈することもできるのです。
 ルカ17章20節ー21節で「神の国はいつ来るのか」と質問されたとき、イエス様はこうお答えになりました。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」また、マタイ12章28節ではこう言っておられます。「しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。」イエス様は、嵐をしずめ、病をいやし、悪霊を追い出し、死人を生き返らせました。また、今も私たちの人生の主として守り導いてくださっています。つまり、イエス様が人となって来られた時に、すでに神の国が到来したとも言えるわけですね。
 はっきりわかることは、私たちは、この人生においても、死んだ後にも、永遠の御国で愛と恵みとまことに満ちた王のもとで生きていくことができるということです。その幸いを改めて覚え、感謝しつつ歩んで行きましょう。