城山キリスト教会 礼拝説教
二〇二五年六月二九日 関根弘興牧師
創世記二六章一二節ー二五節
創世記から士師記まで14
「イサクの生涯」
12 イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである。13 こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった。14 彼が羊の群れや、牛の群れ、それに多くのしもべたちを持つようになったので、ペリシテ人は彼をねたんだ。15 それでペリシテ人は、イサクの父アブラハムの時代に、父のしもべたちが掘ったすべての井戸に土を満たしてこれをふさいだ。16 そうしてアビメレクはイサクに言った。「あなたは、われわれよりはるかに強くなったから、われわれのところから出て行ってくれ。」17 イサクはそこを去って、ゲラルの谷間に天幕を張り、そこに住んだ。18 イサクは、彼の父アブラハムの時代に掘ってあった井戸を、再び掘った。それらはペリシテ人がアブラハムの死後、ふさいでいたものである。イサクは、父がそれらにつけていた名と同じ名をそれらにつけた。19 イサクのしもべたちが谷間を掘っているとき、そこに湧き水の出る井戸を見つけた。20 ところが、ゲラルの羊飼いたちは「この水はわれわれのものだ」と言って、イサクの羊飼いたちと争った。それで、イサクはその井戸の名をエセクと呼んだ。それは彼らがイサクと争ったからである。21 しもべたちは、もう一つの井戸を掘った。ところが、それについても彼らが争ったので、その名をシテナと呼んだ。22 イサクはそこから移って、ほかの井戸を掘った。その井戸については争いがなかったので、その名をレホボテと呼んだ。そして彼は言った。「今や、主は私たちに広い所を与えて、私たちがこの地でふえるようにしてくださった。」23 彼はそこからベエル・シェバに上った。24 主はその夜、彼に現れて仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいる。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加えよう。わたしのしもべアブラハムのゆえに。」25 イサクはそこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。彼はそこに天幕を張り、イサクのしもべらは、そこに井戸を掘った。(新改訳聖書第三版)
前回まで数回に分けて、アブラハムの生涯を見てきました。 アブラハムは、自分の生まれ故郷を出て、神様の示すカナンの地にやって来ました。神様は、「あなたに数え切れないほどの子孫と、見渡す限りの土地を与える。あなたによってすべての国々の民が祝福されるようになる」と約束してくださいました。しかし、アブラハム夫妻にはなかなか子どもができません。仕方なく妻サラの女奴隷ハガルにアブラハムの子どもを産ませ、イシュマエルと名づけましたが、神様は「いや、イシュマエルではなく、サラから生まれる息子があなたの祝福の約束を受け継ぐのだ」と言われたのです。そして、アブラハム夫妻が高齢になって、もう子どもを産むのは不可能だと思われたときに、待望の息子イサクが生まれました。
ところが、前回見たとおり、この大切な息子イサクが十代になったころ、神様は、アブラハムに最大の試練をお与えになりました。「イサクを連れてモリヤの地に行き、山の上で全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい」とお命じになったのです。全焼のいけにえとは、その名の通り、全てを焼き尽くすいけにえです。最愛の息子を殺して焼き尽くせ、というのですから、こんな理不尽で恐ろしい命令はありませんね。しかし、イサクは、アブラハムの所有物ではありません。イサクは、神様が与えてくださった息子であり、神様のものなのです。これから、アブラハムの時代からイサクの時代へ移っていくときに、アブラハムは、神様を信頼して、イサクを手放し、神様にささげ、お委ねすることの大切さを知る必要があったのです。 アブラハムは、「イサクが祝福の約束を受け継ぐ者となる」という神様の約束が必ず実現すると信じていました。ですから、もしイサクをささげても、神様は、イサクを死者の中からよみがえらせてくださると信じたのです。そして、刀を取ってイサクをほふろうとした時、神様がアブラハムに言われました。「イサクに手を下してはならない。あなたがわたしを畏れ敬い、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげようとしたことがよくわかった」と。そして、イサクの代わりに全焼のいけにえとしてささげる雄羊を備えてくださったのです。この出来事を通して、アブラハムは、神様がすべての必要を備えてくださる方であることを知りました。
さて、その後、しばらくして、サラが亡くなりました。アブラハムはヘブロンにある畑地を買い取り、その畑地の中にあるマクペラのほら穴にサラを葬りました。アブラハムがその生涯の中で自分のものとした土地は、そのわずかな畑地だけでした。サラとの間に生まれた息子もイサク一人だけでした。しかし、神様のアブラハムへの約束は、次のイサクに受け継がれていくことになるのです。
さて、今日は、その続きで、創世記24章から26章の内容を見ていきましょう。
1 イサクのための嫁探し
アブラハムの時代、息子にふさわしい結婚相手を見つけるのは親の務めでした。一昔前の日本でもそうでしたね。24章には、イサクの嫁探しのことが記録されています。イサクが四十歳になったとき、アブラハムは全財産の管理を任せている最年長のしもべを呼び寄せ、「私の生まれ故郷に行き、私の息子イサクのために妻を迎えてくれ」と頼みました。今住んでいるカナンの地の娘たちは異教の風習を身につけており、イサクの嫁としてふさわしくない、故郷の親族の中から嫁を見つけたい、と思ったのですね。アブラハムの親族は、漠然とではありますが、アブラハムが信じる神様の存在を知っていたからでしょう。
アブラハムの生まれ故郷は、メソポタミア地方です。そこには、アブラハムの兄弟ナホルがいましたが、22章20節ー23節を見ると、ナホルが姪のミルカを妻にして、そのミルカに息子たちが生まれたという知らせがアブラハムに伝わっていました。といっても、アブラハムが故郷を離れてから長い年月が経っていましたから、詳しい状況はまったくわかりません。また、「もし相応しい女性が見つかっても、肥沃なメソポタミヤ地方を離れて、飢饉が度々起こるような見知らぬ土地に来てくれるだろうか」という懸念もあります。そこで、しもべは、アブラハムにこう尋ねました。「もしその女性がこちらに来ようとしなかったら、イサクさんを故郷に連れて行って結婚させることにしますか。」すると、アブラハムは答えました。「私の息子をあそこへ連れ帰らないように気をつけなさい。私を、私の父の家、私の生まれ故郷から連れ出し、私に誓って、『あなたの子孫にこの地を与える』と約束して仰せられた天の神、主は、御使いをあなたの前に遣わされる。あなたは、あそこで私の息子のために妻を迎えなさい。もし、その女があなたについて来ようとしないなら、あなたはこの私との誓いから解かれる。」
そこで、しもべは、十頭のらくだと貴重な品々を持って旅立ちました。そして、二十日ほどかかったのではないかと思われますが、アブラハムの兄弟ナホルの住むアラム・ナハライムの町に到着し、町の外の井戸のところにらくだを伏させ、休んでいました。ちょうど夕暮れ時で、女たちが水を汲みに出て来る頃でした。しもべは、こう祈りました。「私の主人アブラハムの神、主よ。きょう、私のためにどうか取り計らってください。私の主人アブラハムに恵みを施してください。ご覧ください。私は泉のほとりに立っています。この町の人々の娘たちが、水を汲みに出てまいりましょう。私が娘に『どうかあなたの水がめを傾けて私に飲ませてください』と言い、その娘が『お飲みください。私はあなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言ったなら、その娘こそ、あなたがしもべイサクのために定めておられたのです。このことで私は、あなたが私の主人に恵みを施されたことを知ることができますように。」(24章12節-14節)その祈りがまだ終わらないうちに、一人の美しい娘が水がめを肩に載せて出て来ました。そして、泉に降りていき、水がめに水を満たして上がってきたのです。しもべは、走り寄って「どうかその水がめから水を飲ませてください」と頼みました。すると、その娘は、快く飲ませてくれただけでなく、「あなたのらくだのためにも、水を汲んで差し上げましょう」と言って、全部のらくだのために水を汲んでくれたのです。皆さん、らくだが一度にどれくらい水を飲むかご存知ですか。七十リットルとも百リットルとも言われます。それが10頭ですよ。井戸から何度も水を汲んで来なければなりません。時間も体力も必要な重労働です。しかし、彼女は見ず知らずの人のためにも労力を厭わないかったのです。しもべは、すぐに「この女性こそ祈りの答に違いない」と確信し、彼女に高価な金の飾り輪と腕輪を与え、「あなたは、どなたの娘さんですか。あなたの父上の家には私どもが泊めていただく場所があるでしょうか」と尋ねました。すると、娘は「私はナホルの妻ミルカの子ベトエルの娘です。私たちのところには、わらも飼料もたくさんあります。お泊まりになる場所もあります」と答えたのです。その娘はアブラハムの最も近い親戚である兄弟ナホルの孫娘リベカだったのです。それを聞くと、しもべは、ひざまずいて主を礼拝して言いました。「私の主人アブラハムの神、主がほめたたえられますように。主は私の主人に対する恵みとまこととをお捨てにならなかった。主はこの私をも途中つつがなく、私の主人の兄弟の家に導かれた。」
驚いたリベカは、走って帰り、家族にこの出来事を報告しました。リベカにはラバンという兄がいました。当時、この地方では、長兄が弟や妹たちについての権限を持っていたようです。このラバンは、なかなか抜け目のない人でした。リベカの報告を聞き、リベカが持ち帰った金の飾り輪と腕輪を見て、裕福な親戚の存在がいることに気づき、すぐに井戸のところに行って、アブラハムのしもべに丁寧に挨拶し、自分の家に招いて、もてなそうとしました。しかし、アブラハムのしもべは、もてなしを受けるまえに自分の旅の目的と経緯を詳しく説明し、「主は私の主人の娘を、主人の息子にめとるために、私を正しい道に導いてくださったのです」と言って、リベカをイサクの嫁にする許可を求めたのです。兄のラバンと父のベトエルは、「このことは主から出たことですから、私たちはあなたによしあしを言うことはできません」と言ってすぐに承諾しました。すると、アブラハムのしもべは、地にひれ伏して主を礼拝し、リベカにも家族にも貴重な品々を贈ったのです。
しかし、問題がありました。リベカがカナンの地に行くことを承知するでしょうか。「行きたくありません」と言われれば、この話はなかったことになってしまいます。しかし、リベカは、「はい、まいります」と即答して、翌日、しもべと一緒にカナンに旅立ちました。まさに、行くところ知らずして出て行ったわけですね。リベカは女性版アブラハムだと言った人がいましたが、それも頷けますね。
さて、イサクは、夕暮れ近く野に散歩に出かけていました。ふと目を上げると、らくだが近づいてきます。しもべがイサクのもとにリベカを連れて来たのです。ここでイサクとリベカは出会い、結ばれることになりました。目が合ったその日から、てな具合ですね。「彼は彼女を愛した。イサクは、母のなきあと、慰めを得た」と書かれています。めでたし、めでたし。 アブラハムも安心したことでしょう。
2 アブラハムの最期と子孫たち
25章7節-10節には、アブラハムの死と埋葬について記録されています。アブラハムは、平安な老年を迎え、長寿を全うして百七十五歳で亡くなりました。妻サラから生まれたイサクと、そばめハガルから生まれたイシュマエルが、アブラハムの遺体をマクペラのほら穴に葬りました。そこは、以前、アブラハムが妻サラを葬った所です。
こうしてアブラハムは生涯を閉じ、次のイサクの時代に移るわけですが、その前に、まず、イサク以外のアブラハムの息子たちの記録が25章1節-6節と12節ー18節に記録されています。
25章1節に「アブラハムは、もうひとりの妻をめとった。その名はケトラといった」とあり、2節ー4節にケトラの六人の息子とその子孫の名前が書かれています。このケトラは、サラの死後に妻になったと考える人もいますが、別の箇所では「そばめ」とあるので、サラの生存中にアブラハムの息子たちを産んだのかも知れません。5節ー6節には「アブラハムは自分の全財産をイサクに与えた。しかしアブラハムのそばめたちの子らには、アブラハムは贈り物を与え、彼の生存中に、彼らを東のほう、東方の国にやって、自分の子イサクから遠ざけた」とあります。神様がアブラハムに与えてくださった契約を受け継ぐのはイサクだということがはっきり示されていましたから、アブラハムは、他の息子たちには贈り物与えて、イサクが受け継ぐ地域から遠ざけたのです。その子孫は増えて、アラビヤの地域に住むようになりました。
それから、25章12節ー18節には、サラの女奴隷ハガルがアブラハムに産んだイシュマエルの子孫のことが書かれています。イシュマエルは、17歳頃に母のハガルと共にアブラハムの家から出され、荒野で生活し、その子孫から十二人の族長が生まれました。神様が「イシュマエルにも多くの子孫を与える」と約束してくださった通りです。彼らは、西南アラビアからエジプトに近い地域に住み着いたようです。
このようにアブラハムの息子たちの系図を見ていくと、今、中東地域で紛争が絶えませんが、ルーツをたどれば、みなアブラハムに行き着くのですね。さらにたどれば、全人類がアダムの子孫です。その全人類に救いをもたらすために、神様は、アブラハム、そして、イサクを選ばれ、その子孫の中から全人類に祝福をもたらす救い主が誕生することになるのです。
3 イサクの息子たち
次の25章19節ー26節には、イサクの息子たちの誕生の経緯が書かれています。イサクは四十歳でリベカをめとりましたが、その後二十年間子どもができませんでした。しかし、イサクは、父アブラハムと違い、女奴隷に子を産ませることはせず、リベカのために主に祈り求めました。主はその祈りに答え、リベカをみごもらせてくださいました。しかも、双子です。子どもたちがリベカのお腹の中でぶつかり合うようになったので、リベカは「今から、ぶつかり合っているなら、生まれた後はどうなるだろう」と心配して、主のみこころを求めました。すると、主は、25章23節で不思議なことを言われたのです。「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。」
出産の時になり、最初に出て来たのは赤くて毛深い子だったので、エサウ(「赤い」と「毛深い」の混合名)と名づけられました。次ぎに出て来た弟は、兄のかかとをつかんでいたので、ヤコブ(「かかとをつかむ」という意味)と名づけられました。この二人の息子については次回お話ししますので、お楽しみに。
4 イサクの生き方
イサクがどのような生涯を送ったのか、アブラハムほど詳しく書かれていませんが、26章を見ると、ある程度知ることができます。
イサクが住む地域にはたびたび飢饉が起こりました。父アブラハムは、最初の飢饉の時にはエジプトに下って行きましたね。二回目の飢饉の時にはネゲブ地方のペリシテ人の王アビメレクが支配するゲラルに行きました。ゲラルは、神様がアブラハムの子孫に与えると約束してくださった土地の中に含まれている場所です。アブラハムは、エジプトでもゲラルでも、現地の人々が美しいサラを奪うために自分を殺すのではないかと恐れて、サラは妻ではなく妹だと嘘をつきましたね。その結果、サラはエジプト王やゲラルの王アビメレクに召し入れられてしまいましたが、神様が守ってくださり、サラは無事にアブラハムのもとに帰ることができたのでした。
では、イサクは、飢饉が起こった時、どうしたでしょうか。イサクもゲラルの王アビメレクのところに下って行きました。このアビメレクは、アブラハムの時代のアビメレクとは別人です。アビメレクというのは、おそらく王の称号として使われていたのでしょう。神様はイサクにこう言われました。「エジプトへは下るな。あなたはこの地に、滞在しなさい。わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福しよう。・・・これはアブラハムがわたしの声に聞き従い、わたしの戒めと命令とおきてとおしえを守ったからである。」しかし、イサクは、ゲラルの人々が妻リベカを奪うために自分を殺すかもしれないと恐れて、リベカは妹だと嘘をついてしまいました。アブラハムと同じ失敗をしたのです。しかし、アビメレクはリベカがイサクの妻であることを知り、イサクに抗議しました。「何ということをしてくれたのだ。もう少しで、民のひとりがあなたの妻と寝て、あなたはわれわれに罪を負わせるところだった。」そして「この人と、この人の妻に触れる者は、必ず殺される」という命令を出したのです。このアビメレクもかなり良い王様ですね。
さて、イサクがその地に種を蒔くと百倍の収穫を得ました。神様が祝福してくださったので、家畜もしもべたちも増え、非常に裕福になっていったのです。すると、ペリシテ人たちはイサクを妬み、以前、アブラハムのしもべたちが掘ったすべての井戸に土を満たしてふさいでしまいました。そして、アビメレク自身も「あなたはわれわれよりはるかに強くなったから、ここから出て行ってくれ」と強制退去命令を出したのです。
イサクは争うことなく素直に従い、ゲラルの谷間に移りました。そこで、アブラハムの時代に掘られたけれども塞がれていた井戸を掘り返し、同じ名をつけました。また、湧き水が出る井戸も見つけたのですが、その井戸をゲラルの羊飼いたちに奪われてしまいました。そこで、もう一つ井戸を掘ると、それも奪われてしまいました。別の井戸を掘るとその井戸については争いがなかったので、イサクは「レホボテ(広々とした所)」という名を付け、「主は私たちに広い所を与えて、私たちがこの地でふえるようにしてくださった」と言いました。
このように、イサクは、理不尽なことがあっても争わず、たとえ道が閉ざされても神様が別の道を開いてくださると信じて、従順に歩んでいったのです。
イサクの心には、父アブラハムとモリヤの山に行ったときのことが鮮明に記憶されていたのでしょう。山に上る途中、イサクがアブラハムに「全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか」と尋ねると、アブラハムは「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ」と答えましたね。イサクは、この経験から、必要なものはすべて神様が備えてくださると信頼することができたのでしょう。
その後、イサクはベエル・シェバに移りました。以前、父はブラハムがアビメレクと平和協定を結んだ場所です。そこで、主は再びイサクに現れて言われました。「わたしはあなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいる。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加えよう。わたしのしもべアブラハムのゆえに。」イサクはそこに祭壇を築き、主の御名によって祈り、天幕を張り、井戸を掘りました。そのイサクのもとにアビメレクが将軍たちとともにやって来て、「私たちは、主があなたとともにおられることを、はっきり見ました」と言い、平和協定を結んでほしいと申し出たのです。
この世界には、「やられたらやりかえせ」という風潮が蔓延していますね。しかし、私たちは、「主があなたとともにおられることがはっきりわかりました」と言われるような人生を送りたいですね。主は、いつもともにいて、私たちの内側を栄光から栄光へとキリストと同じ姿に変えていってくださいます。与えられた環境の中で、不要な争いを避け、主に信頼して歩んでいくときに、主が不思議なみわざによって道を開き、必要のすべてを備えてくださることを経験させていただきましょう。「主の素晴らしさを味わい、これを見つめよ」と詩篇にあるとおり、今週も主の祝福と恵みを様々な出来の中で見せていただきましょう。