城山キリスト教会 礼拝説教    
二〇二五年七月二〇日              関根弘興牧師
                創世記二五章二七節ー三四節
                   
 創世記から士師記まで15
   「エサウとヤコブ」
 
 27 この子どもたちが成長したとき、エサウは巧みな猟師、野の人となり、ヤコブは穏やかな人となり、天幕に住んでいた。28 イサクはエサウを愛していた。それは彼が猟の獲物を好んでいたからである。リベカはヤコブを愛していた。29 さて、ヤコブが煮物を煮ているとき、エサウが飢え疲れて野から帰って来た。30 エサウはヤコブに言った。「どうか、その赤いのを、そこの赤い物を私に食べさせてくれ。私は飢え疲れているのだから。」それゆえ、彼の名はエドムと呼ばれた。31 するとヤコブは、「今すぐ、あなたの長子の権利を私に売りなさい」と言った。32 エサウは、「見てくれ。死にそうなのだ。長子の権利など、今の私に何になろう」と言った。33 それでヤコブは、「まず、私に誓いなさい」と言ったので、エサウはヤコブに誓った。こうして彼の長子の権利をヤコブに売った。34 ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えたので、エサウは食べたり、飲んだりして、立ち去った。こうしてエサウは長子の権利を軽蔑したのである。(新改訳聖書第三版)
 
 前回は、アブラハムの息子イサクの生涯を見ました。イサクは、滞在先の人々から理不尽な扱いを受けても復讐せず、奪われても奪い返さず、出て行けと言われれば素直に別の場所に移うような穏やかな人でした。自分から権力や土地や豊かさを求めようとするのではなく、与えられたもので満足し、その時々の状況に従って淡々と生活していました。「たとえ道が閉ざされても、神様が別のさらによい道を開いてくださる」「神様が必要なものをすべて備えてくださる」と信頼して歩んでいたのです。神様がイサクを祝福してくださったので、イサクは、多くの収穫を得、家畜もしもべたちも増え、どんどん豊かになっていきました。まわりの人々は、最初はイサクを妬み、嫌がらせをしていましたが、結局、イサクのもとにやって来て、こう言いました。「私たちは、主があなたとともにおられることを、はっきり見たのです。」そして、平和協定を結んでほしいと申し出たのです。神の祝福を受けているイサクと争っても無駄だとわかったのでしょうね。イサクはその後、平穏な生活を送ることができました。
 ところで、前に読みましたが、イサクは、父アブラハムの兄弟の孫娘リベカを妻に迎えましたね。しかし、なかなか子どもが生まれません。イサクは、リベカのために熱心に祈りました。そして、結婚二十年目にやっとリベカはみごもりました。しかも双子です。ただ、双子がリベカの中でぶつかり合うようになったので、リベカは心配になり主に祈りました。すると、主はこう言われたのです。「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。」不思議な言葉ですね。
 そして、出産の時が来ました。先に出てきた兄は、赤くて毛深かったので、エサウ(赤い、毛深い、の混合名)と名付けられました。次に出てきた弟は、兄のかかとをつかんで出ててきたので、ヤコブ(かかとをつかむ、という意味)と名付けられました。今日は、この二人のことを見ていきましょう。
 
1 長子の権利と一杯の煮物
 
 まず、先ほど読んでいただいた25章27節ー34節を見ましょう。
 エサウとヤコブは、双子ですが、外見も性格も違っていました。エサウはアウト・ドア派で、家の外で跳んだりはねたり、野性味のある猟師になりました。ヤコブは、イン・ドア派で、穏やかで天幕の中にいることを好みました。28節に「イサクはエサウを愛していた。それは彼が猟の獲物を好んでいたからである。リベカはヤコブを愛していた」と書かれていますね。
 この二人が成長したとき、彼らの姿を象徴的に表す出来事が起こりました。弟ヤコブが赤いレンズ豆を煮ているところに、エサウが野から帰って来ました。疲れて腹ぺこです。美味しそうな煮物の匂いがただよってきます。我慢できずにエサウはヤコブに言いました。「どうか、その赤いのを食べさせてくれ。腹が減って死にそうだ。」
 ちなみに、この「赤いの」いう言葉はヘブル語で「アードーム」といいます。そこから、エサウの子孫はエドム人と呼ばれるようになったわけですね。
 すると、ヤコブは「今すぐ、あなたの長子の権利を私に売りなさい」と答えたのです。ヤコブはなかなかの策略家ですね。本当なら、双子の兄なのですから「どうぞいっぱい食べてください」と言ってもいってもいいはずなのに、取引をもちかけたのです。なんだか、いけ好かない男ですね。
 この「長子の権利」とは、普通は家督の相続権を指します。長子は多くの財産を相続する代わりに、家を存続させ、他の兄弟たちの面倒を見るなどの責任を負います。
 ただ、アブラハムから代々受け継がれていくことになる長子の権利には、それ以上の内容が含まれているのです。神様は、アブラハム、そして、その息子のイサクに「わたしは、あなたの子孫を空の星のように増し加え、あなたの子孫に、これらの国々をみな与えよう。こうして地のすべての国々は、あなたの子孫によって祝福される」と約束し、永遠に変わることのない契約を結んでくださいました。その契約に由来する権利のすべてが長子の権利の中に含まれているのです。
 エサウはほんの少し先に生まれただけで長子の権利を与えられていました。そのことをヤコブは歯がゆく思っていたのでしょうね。ヤコブは長子の権利がどれほど大切なものかがわかっていました。何とかしてその権利を自分のものにできないかと日頃から考えていたのでしょう。ですから、この時とばかり、「煮豆をあげますから、長子の権利をください」と持ちかけたのです。一方、エサウはどうでしょうか。長子の権利の重要性をまったく理解していませんでした。それよりも、今の自分の飢えを満たしてくれる目の前の食べ物が欲しいと思ったのです。そこで、「長子の権利など、腹の足しにもならん」と言い放ち、パンと豆の煮物と引き換えに、あっさり長子の権利を手放してしまいました。
 ただ、これは、兄弟の間だけの口約束で、正式な権利譲渡契約を交わしたわけではありません。肝心の父親イサクもこのことをまったく知りません。エサウもその約束は一時しのぎの口先だけのつもりで、すぐに忘れてしまったのかもしれません。しかし、ヤコブはしっかり覚えていました。
2 長子の祝福
 
 時が経ち、27章に入ると、イサクは年をとり、ほとんど目が見えなくなっていました。自分の最期が近づいたことを自覚したイサクは、エサウを呼んで言いました。「見なさい。私は年老いて、いつ死ぬかわからない。だから今、おまえの道具の矢筒と弓を取って、野に出て行き、私のために獲物をしとめて来てくれないか。そして私の好きなおいしい料理を作り、ここに持って来て私に食べさせておくれ。私が死ぬ前に、私自身が、おまえを祝福できるために。」(27章2節-4節)つまり、自分がアブラハムから受け継いだ長子の権利を、今度はエサウにバトンタッチするため、祝福の祈りをしようと考えたわけです。エサウはすぐに野に出かけていきました。
 しかし、エサウは、跡継ぎとしては余り芳しい男ではありませんでした。エサウは、四十歳の時に現地人の妻を二人めとりましたが、「彼女たちは、イサクとリベカにとって悩みの種となった」と26章35節に書かれています。また、先ほど見ましたように、エサウは神様の祝福を受け継ぐことのできる長子の権利の大切さを理解できない思慮の浅い性格でした。そうはいっても、猟はうまく、長男なのだから、長子の権利を譲るならエサウだと父親のイサクは考えていたのですね。
 ところが、イサクがエサウに話しているのを聞いていた母親のリベカは、エサウが長子の権利を相続するなどとんでもないと考えたのです。リベカはヤコブをかわいがっていました。それに、以前、神様から言われた「兄が弟に仕える」という言葉を覚えていたでしょう。エサウが煮物と引き換えにヤコブに長子の権利を売ったことも、ヤコブから聞かされて知っていたかもしれません。そこで、何とかしてヤコブが長子の祝福を受けることができるようにと偽装工作を仕掛けたのです。
 リベカは、エサウが帰ってくる前に、事を済ませようと計画しました。急いでヤコブに最上の子やぎを持ってこさせ、美味しい料理を作りました。また、手元にあったエサウの晴れ着をヤコブに着せ、子やぎの毛皮をヤコブの手と首にかぶせました。晴れ着からはエサウの香りがするし、子やぎの毛皮は毛深いエサウに似ています。ほとんど目が見えなくなっているイサクを、臭覚と触覚でだまそうとしたわけですね。そして、「エサウ兄さんのふりをしてこの料理を持っていき、祝福してもらいなさい」とヤコブに命じたのです。
 ヤコブは、最初、躊躇しました。「もし私がエサウ兄さんではないとばれたら、祝福どころか、のろいをこの身に招くことになるでしょう。」すると、リベカは「わが子よ。あなたののろいは私が受けます。私の言うとおりにしなさい」ときっぱり言いました。いつの時代も母親は、いざとなると強いですね。
 そこで、ヤコブも自分から積極的に父親をだましにかかりました。料理を父イサクの所に持って行き、目の見えないイサクが「おお、わが子よ。だれだね、おまえは」と聞くと、「私は長男のエサウです。私はあなたが言われたとおりにしました。さあ、召し上がってください。そして、私を祝福してください」と嘘をついたのです。しかし、イサクは疑念を抱きました。声がエサウではなくヤコブの声のように聞こえたからです。もちろん、ヤコブはエサウの声や話し方を真似して話したのでしょうが、イサクは視力が衰えた分、聴力が鋭くなっていたのでしょう。そこで、「おまえが本当にエサウであるかどうか確かめるために触ってみたい」と言ってヤコブを近寄らせました。触るとエサウのように毛深く、着物からはエサウの香りがします。そこで、イサクは、料理を食べ終えると、エサウに成りすましたヤコブを長子として祝福しました。イサクは、「おまえは本当にエサウだね」と何度か確認しましたが、まんまとヤコブにだませれてしまったわけですね。
 さて、ヤコブがイサクのもとから出て行ってすぐ、兄のエサウが猟から帰って来て料理をこしらえ、父のところに持って来て言いました。「お父さん、獲物を召し上がって、私を祝福してください。」イサクは驚愕して言いました。「おまえの弟が私をだましたのだ。私は、ヤコブに長子の祝福をすべて与えてしまった。それゆえ彼は祝福されよう。」イサクは、自分が神様の御名によって祈った祝福は取り消すことのできないものであり、次の世代を担う役割がヤコブに与えられたことを悟りました。以前、神様がリベカに言われた「兄が弟に仕える」という預言をイサクも知っていたでしょう。それにもかかわらず、自分勝手な好みでエサウに長子の権利を与えようとしたけれど、結局は神様が言われたとおりになったことを悟ったのです。エサウは「祝福は一つしかないのですか。お父さん。私も祝福してください」と泣き叫びましたが、長子の権利と祝福は一つだけなのです。エサウは、「彼の名がヤコブというのも、このためか。二度までも私を押しのけてしまって。私の長子の権利を奪い取り、今また、私の祝福を奪い取ってしまった」と激怒しました。でも、思い出してください。一杯の煮物と長子の権利を交換してしまったのはエサウです。その軽はずみな約束がこのようにして現実になってしまったのです。
 
3 ヤコブの逃避行
 
 しかし、エサウは反省するどころか、ヤコブを恨み、父が死んだらヤコブを殺してやろうと考えました。そのことを知った母リベカは、今度は、兄弟間の殺人を阻止するために計略を立てました。ヤコブを呼んで、こう言ったのです。「今、私の言うことを聞いて、すぐ立って、ハランへ、私の兄ラバンのところへ逃げなさい。兄さんの憤りがおさまるまで、しばらくラバンのところにとどまっていなさい。兄さんの怒りがおさまり、あなたが兄さんにしたことを兄さんが忘れるようになったとき、私は使いをやり、あなたをそこから呼び戻しましょう。一日のうちに、あなたがたふたりを失うことなど、どうして私にできましょう。」(27章43節-46節)そして、夫イサクにはこう言いました。「私はエサウがめとったヘテ人の娘たちのことで、生きているのがいやになりました。ヤコブまでヘテ人の娘と結婚したらたまりません。ヤコブには私の故郷の兄の娘たちの中から結婚相手を見つけてほしいんです。」こうして、表向きは結婚相手を探すためということで、ヤコブは兄から逃れるために、母の故郷に向けて旅立つことになったのです。
 旅立つヤコブをイサクは祝福して言いました。「カナンの娘たちの中から妻をめとってはならない。さあ、立って、パダン・アラムの、おまえの母の父ベトエルの家に行き、そこで母の兄ラバンの娘たちの中から妻をめとりなさい。全能の神がおまえを祝福し、多くの子どもを与え、おまえをふえさせてくださるように。そして、おまえが多くの民のつどいとなるように。神はアブラハムの祝福を、おまえと、おまえとともにいるおまえの子孫とに授け、神がアブラハムに下さった地、おまえがいま寄留しているこの地を継がせてくださるように。」
 一方、エサウは、ヤコブが母の親戚から嫁を見つけるために送り出されたこと、また、自分がめとったカナンの娘たちが父の気に入らないことに気づき、父イサクの異母兄弟にあたるイシュマエルの娘を妻に迎えました。安易な解決策を取ろうとするエサウの性格が出ていますね。
 
4 人の弱さと神の計画
 
 さて、今日の箇所のイサクとリベカ、エサウとヤコブの姿をみると、それぞれに弱さや欠点があり、その報いを経験していることがわかりますね。
 イサクは、エサウへの偏愛が高じて神様のみこころに合わないことをしそうになり、妻と息子にだまされてしまいました。リベカは、ヤコブへの偏愛の結果、夫をだまし、兄弟の不和の原因を作り、結局、ヤコブと生き別れることになってしまいました。エサウは、短絡的で愚かだったために大切な長子の権利も祝福も失ってしまいました。また、ヤコブは狡猾で、兄の空腹に乗じて長子の権利を手に入れ、父をだまして長子の祝福を受けましたが、故郷から逃げ出して、これから約二十年間、遠い親戚の家で様々な苦労をすることになります。
 こんなヤコブが神様の祝福の計画を受け継ぐのはふさわしくないのではないかと思いませんか。皆さんがそう思ったなら、その通りなんです。しかし、私たちは誰一人として神の祝福を受けるにふさわしくありません。ふさわしい人など一人もいません。それなのに、ふさわしくない者が神様の祝福を受け、それが後の時代の祝福に繋がっていくということを、私たちはヤコブを通して見ることができるのです。
 ここで大切なのは、それぞれの登場人物が良いとか悪いとか、彼らの信仰がどうとかいうことではありません。神様が弱さも欠点もあるアブラハム、イサク、そしてヤコブと選び、その子孫の中から、すべての人に救いをもたらす救い主が来てくださるという歴史が旧約聖書の中に記されているのです。
 完璧な人など一人もいません。罪のない人など一人もいません。しかし、神様はその人々を用いながら、すべての人を救うための御計画を着実に勧めていかれるのです。
 
5 神の家
 
 さて、28章10節からは、故郷から旅立ったヤコブのことが書かれています。父と母の家を離れ、まだ見たこともない土地に一人で向かっていくのです。いつ故郷に戻れるか、まったくわかりません。この先どうなるのかまったくわかりません。ヤコブは、不安や孤独を感じていたことでしょう。
 ある所に着いた時、ちょうど日が沈んだので、ヤコブはそこで一夜を明かすことにして、石を枕に横になりました。その時、不思議な夢を見ました。28章12節-15節のこう書かれています。「見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている、そして、見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。『わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。』」
 神様は、アブラハム、そして、イサクに告げられたのと同じ祝福の約束をヤコブにも語ってくださったのです。それだけでなく、「わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない」と約束してくださったのです。孤独の旅だと思っていたのに、実は、主がともにいて、どこに行っても守ってくださるだけでなく、必ず故郷に連れ戻ってくださるというのです。
 ヤコブは眠りからさめると、思わずこう告白しました。「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった。」そして、「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ」と言って、自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その場所の名をベテルと呼んだのです。ベテルとは「神の家」という意味です。
 ヤコブがこの場所を「神の家」と呼んだことは、大切なことを私たちに教えています。それは、神の家とは特別な場所だけを指すのではなく、旅の途中の石だらけの野原にも、山にも谷にも、人生の旅路のどこにおいても神の家があるということなのです。そして、神様はどこにおいても「わたしはあなたとともにいて、あなたを守る、決してあなたを捨てない」と約束してくださるのです。家を出たヤコブが最初に知ったのは、神様がともにおられるということでした。
 そして、28章20節-22節で、ヤコブは主の前にこう誓いました。「神が私とともにおられ、私が行くこの旅路を守り、食べるパンと着る着物を賜り、無事に父の家に帰らせてくださり、こうして主が私の神となられるなら、石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜る物の十分の一を必ずささげます。」
 ヤコブは、神様にとても具体的に祈っていますね。「主が共にいてくださり、この旅を守り、日常生活に必要なパンと着物を与えて旅を守ってくださることを実際に経験したら、たしかに神様がおられるという現実を知ることができたら、あなたがくださる物の十分の一を感謝としてささげます」と誓ったのです。ヤコブらしい祈りですね。
 このようにしてヤコブは、主に励まされてメソポタミヤ地方にある伯父ラバンの家に向かっていきました。そこで、ヤコブは様々な苦労を重ねながら、生きていくことになるのです。次回は、その様子を見ていくことにしましょう。
 
 私たちは、自分の弱さや愚かさに気づいて失望することもあるし、孤独や不安に苦しむこともあるでしょう。しかし、神様は、ヤコブにお語りになったように、私たちにも語りかけてくださいます。「わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守る」と。