城山キリスト教会 礼拝説教    
二〇二五年七月二七日              関根弘興牧師
                創世記三二章二一節ー三〇節
                   
 創世記から士師記まで16
   「故郷を離れて二十年」
 
 21 それで贈り物は彼より先を通って行き、彼は宿営地でその夜を過ごした。22 しかし、彼はその夜のうちに起きて、ふたりの妻と、ふたりの女奴隷と、十一人の子どもたちを連れて、ヤボクの渡しを渡った。23 彼らを連れて流れを渡らせ、自分の持ち物も渡らせた。24 ヤコブはひとりだけ、あとに残った。すると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。25 ところが、その人は、ヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた。26 するとその人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」しかし、ヤコブは答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコブです。」28 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」29 ヤコブが、「どうかあなたの名を教えてください」と尋ねると、その人は、「いったい、なぜ、あなたはわたしの名を尋ねるのか」と言って、その場で彼を祝福した。30 そこでヤコブは、その所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」という意味である。(新改訳聖書第三版)
 
 これまで見てきたとおり、神様はすべての人を救うためにまずアブラハムをお選びになり、「あなたの子孫は数え切れないほど増え、見渡す限りの土地を所有し、あなたの子孫を通してすべての国民が祝福される」と約束してくださいました。そして、その祝福の約束は息子イサクに受け継がれました。
 そのイサクには双子の息子エサウとヤコブが生まれました。神様の祝福の約束を受け継ぐ長子の権利は、兄のエサウが持っていました。ところが、エサウは、狩りから帰って腹ぺこだったときに、弟ヤコブの煮物を食べたいばかりに、大切な長子の権利をヤコブの煮物一杯と交換してしまったのです。一方のヤコブは、長子の権利を何とか自分のものにしたいとずっと考えていたのでしょう。兄の空腹につけ込んで、まんまと長子の権利を奪い取ってしまったのです。エサウも愚かですが、ヤコブもいけ好かない男ですね。
 その後、父イサクは、自分が高齢になり、目も見えなくなってきたので、長男エサウに長子の権利を譲る祝福の祈りをすることにしました。エサウはヤコブとの約束を忘れて、自分が長子の祝福を受けるつもりでした。しかし、それを知った母のリベカは、エサウではなくヤコブが祝福の祈りをしてもらうよう策略を練りました。ヤコブにエサウの着物を着せ、ヤコブの首と手に子ヤギの毛皮をかぶせて毛深いエサウのふりをさせ、イサクのもとに行かせたのです。イサクはまんまと騙されて、ヤコブに長子の祝福の祈りをしてしまいました。それを知ったエサウは怒り泣き叫びましたが後の祭りです。
 父のイサクは自分が騙されたことに気づきましたが、それも神様の御計画であることを悟りました。しかし、エサウの怒りは収まらず、ヤコブを恨み、父親が死んだらヤコブを殺してやろうと考えたのです。それを知った母親のリベカは、二人の息子が殺人の加害者と被害者になることを恐れて、ヤコブを自分の生まれ故郷にいる兄ラバンのもとに逃れさせることにしました。ラバンの娘たちの中から妻を見つけさせる、という口実でヤコブを送り出したのです。ずる賢い方法で長子の権利を得たヤコブでしたが、結局、両親の家から遠く離れたメサポタミヤの地に行かなければならなくなったわけですね。
 慣れ親しんだ地を離れて旅立ったヤコブは、将来に対する不安や孤独を感じていたことでしょう。しかし、石を枕に野宿をしているとき、不思議な夢を見ました。天に届くはしごの上を御使いたちが上り下りしていて、神様がこう語りかけてくださったのです。「わたしは、アブラハムとイサクに与えたのと同じ祝福の約束をあなたにも与える。わたしは、あなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」神様は、ヤコブが祝福の約束を受け継ぐこと、そして、神様がいつでもどこでもヤコブと共にいて守ってくださるということをはっきり示してくださったのです。ヤコブはその場所に石の柱を立て、その場所をベテル「神の家」と呼びました。
 今日は、その続きの29章から33章の内容を見ていきましょう。
 
1 ヤコブの結婚
 
 ヤコブは旅を続けて、伯父ラバンの家族が住んでいるパダン・アラムに到着しました。井戸のかたわらに羊飼いたちがいたので、ラバンを知っているかと尋ねると、「あそこにラバンの娘ラケルが来ましたよ」と言うではありませんか。ラケルは父の羊の群れに水を飲ませるためにやって来たのです。グッドタイミングですね。ヤコブはラケルに近づき、感極まって泣きながら自分がラバンの妹リベカの息子だと告げました。ヤコブは泣き虫なんですね。ラケルは驚き、急いで家に帰って父ラバンにそのことを知らせました。すると、ラバンはすぐにやって来て、ヤコブ自分の家に迎え入れたのです。
 ヤコブがラバンの家に滞在し始めてから一ヶ月経った時、ラバンは尋ねました。「あなたが私の家の仕事をしてくれる報酬として何がほしいか言ってください。」すると、ヤコブは即座に答えました。「あなたの下の娘ラケルと結婚させてください。そのかわりあなたに七年間仕えます。」ラバンにはレアとラケルという二人の娘がいましたが、ヤコブはラケルを愛していたので、花嫁料のかわりに七年間無償で仕えます、と申し出たわけですね。ラバンは承知しました。29章20節には「ヤコブはラケルのために七年間仕えた。ヤコブは彼女を愛していたので、それもほんの数日のように思われた」と書かれています。
 そして、七年が経ち、ラバンは人々を集めて婚礼の祝宴を催しました。しかし、夕方になると、ラケルではなく、長女のレアをヤコブのところに行かせたのです。暗い夜で、レアはベールを付けていたでしょうから、ヤコブは、それがレアだと気づかずに迎え入れました。そして、朝になってから、レアであることに気づいたのです。ヤコブはラバンに「なぜ私を騙したのですか」と抗議しました。すると、ラバンは平然と答えました。「われわれのところでは、長女より先に下の娘をとつがせるようなことはしないのです。それで、この婚礼の週を過ごしなさい。そうすれば、あの娘もあなたにあげましょう。その代わり、あなたはもう七年間、私に仕えなければなりません。」(29章27節)つまり、「長女のレアと正式に結婚すれば、ラケルも妻として与えよう、ただし、もう七年間、私に仕えなさい」というのですね。娘たちを利用して、ヤコブをただ働きさせる期間を延ばそうというわけですから、何て自分勝手なずる賢い親父なんだろうと思いますね。
 しかし、ヤコブ自身も以前、ずるい手段を使って兄から長子の権利を奪い取りましたね。今度は、逆の騙される立場になってしまったわけですが、ともかく、どうしようもありません。ヤコブはレアと結婚した一週間後、ラケルも妻に迎え、さらに七年間伯父に仕えることになったのです。
 
2 子供たちの誕生
 
 こうして、ヤコブは二人の妻を持つことになりましたが、一夫多妻はいろいろな軋轢や感情のもつれを引き起こします。しかも、ヤコブはレアよりもラケルを愛していたと書かれています。レアが不憫に思えますね。しかし、29章31節にこう書かれています。「主はレアがきらわれているのをご覧になって、彼女の胎を開かれた。しかしラケルは不妊の女であった。」ラケルには、なかなか子供が生まれないのに、レアは四人の息子を次々と産んでいったのです。そして、「ルベン(主が私の悩みをご覧になった)」「シメオン(主が私が嫌われているのを聞いてくださった)」「レビ(今度こそ、夫は私に結びつくだろう)」「ユダ(主をほめたたえよう)」と名付けました。
 一方、妹のラケルは、自分に子供がなかなかできないので、姉のレアを嫉妬し、ヤコブに文句を言いました。「私に子どもを下さい。でなければ、私は死んでしまいます。」ヤコブは怒って答えました。「私が神に代わることができようか。おまえの胎内に子を宿らせないのは神なのだ。」すると、ラケルは、自分の女奴隷ビルハに子供を産ませて自分の子にしようと考えました。ビルハは、二人の男の子を産み、ラケルはその子たちに「ダン(主は正しくさばいてくださった)」「ナフタリ(姉と死に物狂いの争いをして、ついに勝った)」と名づけたのです。子供を産むことは、勝ち負けとは関係ありませんね。しかし、レアもラケルも自分の夫に一人でも多くの子を残すことが競争に勝つことだと思っていたようですね。
 ラケルが女奴隷に子供を産ませて勝ち誇っているのを見たレアは心穏やかではありません。ラケルにさらに子供が生まれたら負けてしまうかもしれない、もっと子供を産んでおいたほうがいいと思ったようです。しかし、自分はもう産める状態ではない、ということで、今度は自分の女奴隷ジルパに産ませることにしました。ジルパは二人の男の子を産みました。レアはその二人を「ガド(幸運が来た)」「アシェル(幸せと思う)」と名付けました。それから、レア自身もまた身ごもり二人の男の子を産みました。「イッサカル(神が報酬を下さった)」「ゼブルン(神が良い賜物を下さった+夫は私を尊ぶだろう)」と名づけました。また、レアは女の子も生み、ディナと名づけました。
 こうして、レアの息子は八人になりましたが、ラケルの息子は女奴隷ビルハに産ませた二人だけでした。ラケルは、ずっと神様に願い続けていたようです。30章22節に「神は彼女の願いを聞き入れて、その胎を開かれた」とあります。ラケルはついに男の子を産み、「神は私の汚名を取り去ってくださった。主がもうひとりの子を私に加えてくださるように」と言って、その子を「ヨセフ(加える)」と名づけたのです。
 
3 故郷に帰る計画
 
 さて、ヤコブは結婚前に七年間、結婚後に七年間、合わせて十四年間もラバンの家で仕えてきましたが、約束の期間が終わったのでラバンにこう申し出ました。「私の妻たちや子どもたちと一緒に故郷に帰らせてください。私は彼らのためにあなたに忠実に仕えてきたのですから。」するとラバンは「私はあなたのおかげで、主が私を祝福してくださったことを、まじないで知っている」と言いました。ラバンは、主という言葉を使っていますが、まじない、占いなどにも頼っていたようですね。ラバンは、ヤコブの働きによって自分が豊かになったことを知っていましたから、ヤコブを手放したくありませんでした。それに、ヤコブの妻たちや子供たちも自分のものだと思っていました。そこで、ヤコブを引き止めるために、「今までただ働きをさせてきたけれど、これからはあなたが望む報酬をあげよう」と提案したのです。
 しかし、ヤコブはラバンを信用しませんでした。今まで何度も不当な扱いを受けてきたからです。そして、こう申し出ました。「何も下さるには及びません。あなたの群れの中から、羊の中では黒毛のもの全部、やぎの中ではまだら毛とぶち毛のものを私の報酬としてください。そうすれば、あなたの家畜と私の家畜とがはっきりと区別されますから。」この地方では、羊は白、山羊は黒が普通でした。ヤコブは、数の少ない黒毛の羊と、まだら毛とぶち毛の山羊をくださいと言ったのです。ラバンはすぐに承知しました。しかし、その日のうちに、黒毛の羊、まだら毛とぶち毛の山羊を取り分けて自分の息子たちに渡し、ヤコブのいる場所から歩いて三日もかかる遠い所に連れて行かせたのです。残された群れには、白い羊と黒いやぎしか残っておらず、この群れの中から黒い羊やまだら毛、ぶち毛の山羊が生まれる確率はとても低かったのです。つまり、ラバンはヤコブに一匹も渡すまいとしたわけですね。何とケチな男でしょう。しかし、ヤコブはめげませんでした。自分の世話している群れの中で、黒い羊やまだら毛とぶち毛の山羊を増やそうといろいろ工夫したのです。強い山羊がさかりがついたときには、皮を剥いでまだら模様にした木の枝を山羊たちの前に並べました。すると、黒い山羊からまだら毛とぶち毛の元気な子山羊たちが生まれたのです。また、強い羊がさかりがついた時には、黒い山羊を羊たちの目前に置きました。すると、白い羊から元気な黒い子羊がたくさん生まれたのです。ヤコブが取った方法は非科学的、迷信的なものでしたが、神様が助けてくださったのですね。こうして六年間でヤコブは多くの山羊と羊を自分のものにしました。30章43節には「それで、この人は大いに富み、多くの群れと、男女の奴隷、およびらくだと、ロバとを持つようになった」と書かれています。しかし、ラバンはヤコブの成功を苦々しく思い、冷たい態度をとるようになりました。ラバンの息子たちも「ヤコブは父のものを取って豊かになった」と批判しました。だんだん居心地が悪くなってきたのです。
 その時、主がヤコブに「あなたの生まれ故郷に帰りなさい。わたしはあなたとともにいる」と言われたので、ヤコブは、ラバンに告げずに密かに二人の妻、子どもたち、また多くの群れや財産とともに故郷へと旅立ちました。ラバンが知ったら、妻も子どもたちも財産もすべて奪われて一文無しで放り出されるだろうと思ったのです。三日目にヤコブが逃げたことを知ったラバンは、すぐにヤコブを追跡しました。しかし、ヤコブに追いつく直前の夜、神様が夢の中でラバンに「ヤコブをとがめてはならない」と警告なさったので、ラバンはヤコブが故郷に帰ることを認め、石の柱と石塚を立ててヤコブと平和の契約を結び、自分の家に帰っていきました。これで、後方の心配が無くなったわけですね。
 
4 ペヌエルの出来事
 
 しかし、前方には大きな懸念がありました。兄エサウです。今もヤコブを殺してやろうと思っているかも知れません。エサウの気持ちを探るために、ヤコブはまずエサウに使者を送り「あなたのしもべヤコブが戻ってきたので、あなたのご好意を得たいのです」と言わせました。帰って来た使者はこう報告しました。「お兄さんは、あなたを迎えに四百人を引き連れてやって来られます。」ヤコブは非常に恐れました。兄に復讐されるのではないかと思ったのです。そこで、ヤコブは宿営を二つにわけ、エサウが襲ってきても、どちらかは逃れられるようにしました。策略家のヤコブらしいですね。そして、ヤコブは必死に祈りました。「私の父アブラハムの神、私の父イサクの神よ。かつて私に『あなたの生まれ故郷に帰れ。わたしはあなたをしあわせにする』と仰せられた主よ。私はあなたがしもべに賜ったすべての恵みとまことを受けるに足りない者です。私は自分の杖一本だけを持って、このヨルダンを渡りましたが、今は、二つの宿営を持つようになったのです。どうか私の兄、エサウの手から私を救い出してください。」また、ヤコブは、何とかエサウをなだめようと作戦を立てました。兄への贈り物として選んだ様々な家畜の群れを一群れずつ距離を置いて進ませ、エサウのもとに送り出しました。そうすれば、次々と運ばれてく贈り物を見て、エサウも心を和らげるのではないかと期待したわけですね。
 ヤコブは、その夜、自分の家族や財産を連れてヤボク川を渡りましたが、ひとりだけあとに残りました。明日はエサウと対面しなければなりませんが、恐れと不安が消えません。自分が兄を騙したことの後悔にも苛まれていたかも知れません。もう神様の助けを祈り求めるしかありませんでした。すると、その時、闇の中にいきなり一人の人が現れ、ヤコブと格闘を始めたのです。夜明けまで格闘を続けましたが、その人はヤコブに勝てないのを見て取ると、ヤコブのもものつがいを打ったので、ヤコブのもものつがいが外れてしまいました。もものつがいは体を支える力のもとになる場所です。ですから、ヤコブは完全に負けているわけです。しかし、ヤコブはあきらめませんでした。その人が「わたしを去らせよ。夜が明けるから」と言っても、ヤコブは「私を祝福してくださるまでは、あなたを去らせません」と食い下がったのです。その人が御使いなのか神様御自身なのかわかりませんが、ヤコブは、「今、この方の祝福を得なければ明日はない」と感じたのでしょう。
 これまで見てきたように、ヤコブには自我が強く、図々しいところがありました。生まれる時にも兄のかかとをつかんでいましたし、故郷を離れて旅立つときにも「神様が必要のすべてを備えてくださったら、感謝をささげます」と祈ったり、この箇所でも「祝してくださるまで去らせません」、つまり「今の問題を解決してくださらなければ、去らせません」と要求したのです。しかし、ヤコブは、もものつがいが外されてしまったので、力が出ません。相手を引き止めて続ける握力にも限界がありますね。ここに信仰生活における大切な面があるのです。私たちは、「あなたが祝福してくださるまで離しません」という態度を持つことは大切です。でも、その一方で、自分が自分を支えることが出来ない弱い存在であることも自覚しなければならないのです。ヤコブのもものつがいが外されたことは、自分の知恵や力に頼ろうとする強い自我が砕かれたことの象徴でもありました。ヤコブは、自分の力で神様の祝福をつかみ取ろうとしました。しかし、神様は、そのヤコブの力を砕いてから、こう語りかけてくださったのです。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」イスラエルとは「神と戦う者」「神の王子」という意味です。ヤコブは祈りの中で神様と格闘し、祝福を勝ち取ったのですね。しかし、その祝福は、ヤコブが強かったからではなく、祈りの中で強い自我が砕かれた結果、神様から与えられたものなのです。ヤコブは「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」と言い、その場所を「ペヌエル(神の御顔)」と呼びました。この格闘の結果、ヤコブは足を引きずるようになりましたが、心には兄と対面する勇気と平安が与えられたのです。
 
5 エサウとの再会
 
 そして、ついにエサウとの再会の時が来ました。エサウは総勢四百人を連れてやって来ました。ヤコブは、妻と子どもたちの先頭に立ってエサウに近づいていき、七回も地に伏しておじぎをしました。すると、エサウはヤコブに走り寄って抱きしめ、口づけしたのです。二人は泣きながら再会を喜びました。二十年の歳月はエサウの心も変えていたのです。麗しい光景ですね。また、ヤコブの贈り物に対してエサウは言いました。「弟よ、私はたくさんに持っている。あなたのものは、あなたのものにしておきなさい。」神様は長子の権利を失ったエサウをも守り、支えてくださっていたのですね。こうして無事エサウとの対面を果たしたヤコブは、父イサクがいるヘブロンに向かって旅を続けていくのですが、その途中でとんでもない出来事や悲劇が起こります。それは次回見ていくことにしましょう。
 ヤコブはずる賢い、自我の強い人物でした。しかし、二十年間の様々な苦労の中で練られ、砕かれ、「神様がともにいて助けてくださる」ことを身をもって経験したのです。エサウと対面する前の祈りの中で、ヤコブは神様に「わたしはすべての恵みとまことを受けるに足りない者です」と告白していましたね。異国での二十年間は謙遜を学ぶ時でもあったわけです。そして、ペヌエルで、神様はヤコブの力を砕かれました。「ヤコブよ、お前を支えるのは、おまえではない、わたしだ」と示してくださったのです。
 神様は私たちにも様々な経験の中で謙遜を学ばせてくださいます。自分の力には限界がある、神様の祝福がなければ進んで行くことはできないということも教えてくださいます。「あなたが祝福してくださるまで、去らせません」と神様に求めつつ、期待しながら歩んで行きましょう。