城山キリスト教会 礼拝説教
二〇二五年八月三一日 関根弘興牧師
創世記三九章一節ー二節
創世記から士師記まで19
「エジプトでのヨセフ」
1 ヨセフがエジプトへ連れて行かれたとき、パロの廷臣で侍従長のポティファルというひとりのエジプト人が、ヨセフをそこに連れて下って来たイシュマエル人の手からヨセフを買い取った。2 主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。(新改訳聖書第三版)
これまでずっと創世記の内容を見てきました。神様が天と地とすべてのものを創造されたこと、最初の人アダムとエバが神様のもとで満ち足りた生活をしていたのに、神様の警告を無視して高慢になった結果、神様から遠く離れ罪と死の力に支配されるようになってしまったこと、しかし、神様が人々を救うための壮大な御計画を開始されたことなどが書かれていましたね。 神様は、エバの子孫、つまり、人間の子孫の中から救い主が生まれると約束してくださいました。そして、創世記を読み進めていくうちに、人間の子孫の中でもアブラハム、その息子イサク、そして、イサクの息子ヤコブの子孫から救い主が生まれることが明らかになってきたのです。ヤコブには十二人の息子がいました。新約聖書のマタイの福音書1章の救い主の系図を見ると、ヤコブの十二人の息子のうちのユダの子孫から救い主が生まれたことがわかります。ですから、前回の箇所には、救い主の先祖となるユダの息子ペレツが生まれた経緯も書かれていましたね。しかし、創世記の37章から最後の50章は、ヤコブの十一番目の息子であるヨセフを中心に展開していきます。それは、ヨセフの働きによって、ヤコブとその一族がエジプトに移住することになるからです。
前回は、まずヨセフがなぜエジプトに行くことになったのかということをお話ししましたね。ヤコブには、二人の妻と二人のそばめが産んだ十二人の息子がいましたが、その中でも最愛の妻ラケルが待ちに待って産んだ最初の息子ヨセフを溺愛していました。ヨセフにだけ袖付きの長服を着せ、特別扱いしたのです。そこで、兄たちはヨセフを憎むようになりました。さらに、兄たちの憎しみを増幅させたのはヨセフが見た二つの夢です。ヨセフは言いました。「私は夢を見ました。畑で束をたばねていると、突然、私の束がまっすぐに立ち、兄さんたちの束が回りに来て、私の束におじぎをしたのです。また、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいる夢も見ました。」兄たちは「お前は私たちを治める王になろうとするのか」と憤慨しました。父ヤコブも「私や母上や兄さんたちがお前を伏し拝むとでもいうのか」と叱りました。ヨセフは自分の見た夢をそのまま話してしまったわけですが、無邪気を通り越して空気を読めない男としか思えませんね。
さて、ある時、ヤコブはヨセフに「兄さんたちや羊の群れが無事であるかを見に行っておくれ」と言って送り出しました。兄たちは、ヨセフが近づいてくるのを見ると、この時とばかり、ヨセフを捕らえ、長服をはぎ取り、穴に投げ込んでしまいました。ヨセフを殺してしまおうという者もいましたが、ちょうどその時、エジプトに向かう途中の隊商が通りかかったので、兄たちはヨセフを商人に売りとばしてしまったのです。そして、ヨセフの長服を山羊の血に浸して、父ヤコブのもとに持っていきました。それを見たヤコブは「これはわが子の長服だ。悪い獣にやられたのだ。ヨセフはかみ裂かれたのだ」と言って嘆き悲しみました。一方、ヨセフはエジプトに連れて行かれ、パロの侍従長ポティファルに買い取られ、ポティファルの家で奴隷として仕えることになったのです。今日は、その続きの39章から41章52節までを見ていきましょう。
1 侍従長ボティファルの家で
さて、ポティファルの家で奴隷として仕え始めたヨセフについて39章3節ー6節にこう書かれています。「彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。それでヨセフは主人にことのほか愛され、主人は彼を側近の者とし、その家を管理させ、彼の全財産をヨセフの手にゆだねた。主人が彼に、その家と全財産とを管理させた時から、主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を、祝福された。それで主の祝福が、家や野にある、全財産の上にあった。彼はヨセフの手に全財産をゆだね、自分の食べる食物以外には、何も気を使わなかった。」この「自分の食べる食物以には何も気を使わなかった」というのは、ヨセフとは食事の好みが違うので任せなかったということかもしれませんし、誰かに毒ををもられることを警戒したという意味にもとれるかもしれませんが、ここでは「いっさいを任せた」ことを表す当時の言い方だったと思われます。とにかくヨセフは主人の大きな信頼を得ていきました。頭が切れ、誠実に働くヨセフを見て、ポティファルは「主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださる」と感じたのです。ヨセフは、その背後に神様の助けがあると認めざるを得ないほどの働きをしたのですね。
ここに、ヨセフの生涯の鍵となる言葉があります。「主がヨセフとともにおられ」「主はヨセフのゆえに・・・祝福された」という言葉です。ヨセフは、兄たちに憎まれ、無理矢理エジプトに奴隷として売られてしまいました。しかし、ヨセフが自分の境遇を嘆き悲しんだとか、絶望して生きる気力を失ったとか、神様に文句を言ったなどとはまったく書かれていません。今の状況から何とか逃げ出そうとするのでもなく、自分の力で這い上がろうとするのでもなく、自暴自棄な生活に溺れるのでもなく、ただ自分の置かれた境遇の中で誠実に自分のできることをしていきました。主はそんなヨセフとともにおられ、成功と祝福を与えてくださったのです。「自分が」するのではなく「主が」してくださるという信頼がヨセフの生涯の特徴なのです。
2 誘惑と投獄
しかし、問題が起こりました。ヨセフは体格も良く、美男子だったので、主人の妻が毎日のように言い寄ってきたのです。しかし、ヨセフは「ご主人は、この家の中では私より大きな権威をふるおうとはされず、あなた以外には、何も私に差し止めてはおられません。あなたがご主人の奥さまだからです。どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょうか」と言って相手にしませんでした。
しかし、ある日、ヨセフが家の中に入ると、主人の妻しかいませんでした。主人の妻がヨセフの上着を掴んで「私と寝ておくれ」と迫ったので、ヨセフは上着を残して逃げ出しましたが、主人の妻は「奴隷の分際でなんと生意気な!」と逆恨みし、「ヨセフが私を襲おうとした」と言いふらしたのです。完全な濡れ衣です。
ヨセフはどうも上着によい思い出がありませんね。父親のヤコブからもらった長袖の上着で兄たちから妬まれ、その上着を剥がされてエジプトへ売り飛ばされましたが、今度は、ポティファルの妻に上着を奪われ、濡れ衣を着せられてしまうのですから。
ヨセフは死刑を覚悟したことでしょう。当時としては当然の処罰でした。しかし、主人ボティファルは、妻の訴えを聞いて、最初は激怒しましたが、証拠は上着だけです。「妻の日頃の行動を見ていたら、これはでっち上げの可能性もある」と考えたのかもしれません。ヨセフを死刑にすることなく、王宮関係の囚人が監禁されている監獄に入れたのです。
皆さんがもしヨセフだったら、どう思いますか。「今まで忠実に仕えてきたのに、無実の罪で監獄に放り込むなんてひどいじゃないか。神様、どうしてこんなことが起こるんですか」と文句を言いたくなりますよね。しかし、ヨセフは違いました。39章21節-23節にこう書かれています。「しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。それで監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手にゆだねた。ヨセフはそこでなされるすべてのことを管理するようになった。監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉しなかった。それは主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。」これから一生監獄生活が続くかもしれません。普通なら、落ち込んだり、やけになったりするところですね。しかし、ヨセフはここでも誠実に忠実に自分の出来ることをしていきました。そして、監獄の長に気に入られ、すべてを任されるようになったのです。主がともにいてくださったからなのですね。
3 献酌官長と調理官長の夢
しばらくして、大物の新入りが監獄に収容されてきました。献酌官長と調理官長です。献酌官長というのは、王の食卓で王に飲み物をつぐ役目ですが、王のすぐそばにいて相談役も務める重要な役職です。調理官長も王の食事を用意する責任者です。どちらも飲み物や食べ物に毒を盛って王を暗殺できるわけですから、王に信頼されている人物が登用されていました。しかし、今回、何らかの暗殺未遂事件がおきて、それに関連したという嫌疑がかけられ、投獄されたのでしょう。この監獄は、侍従長ポティファルの家にあったようです。非常に高い役職にある献酌官長と調理官長が投獄されたということで、ポティファルはヨセフを彼らの付き人にしました。
ある夜、献酌官長と調理官長はそれぞれ夢を見ました。しかし、夢の意味がわからず、イライラしていました。ヨセフが「どうしたのですか」と尋ねると、「私たちは夢を見たが、それを解き明かす人がいない」と言うので、ヨセフは「それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか。さあ、それを私に話してください」と促しました。
ここで、ヨセフは「夢の解き明かしなら私に任せてください。見事に解き明かしましょう」とは言いませんでした。「解き明かすことが出来るのは神様だけであり、もし自分が解き明かすことができるとしても、それは神様が知恵を備えてくださるからだ」という謙遜な思いを持っていたのです。
そこで、まず、献酌官長が自分の見た夢を話しました。「私の前に一本のぶどうの木があった。そのぶどうの木には三本のつるがあった。それが芽を出すと、すぐ花が咲き、ぶどうのふさが熟して、ぶどうになった。私の手にはパロの杯があったから、私はそのぶどうを摘んで、それをパロの杯の中にしぼって入れ、その杯をパロの手にささげた。」ヨセフはすぐに解き明かしました。「三本のつるは三日のことです。三日のうちに、パロはあなたを呼び出し、あなたをもとの地位に戻すでしょう。あなたは、パロの献酌官であったときの以前の規定に従って、パロの杯をその手にささげましょう。あなたがしあわせになったときには、きっと私を思い出してください。私に恵みを施してください。私のことをパロに話してください。この家から私が出られるようにしてください。実は私は、ヘブル人の国から、さらわれて来たのです。ここでも私は投獄されるようなことは何もしていないのです。」
次に、調理官長が自分の見た夢を説明しました。「私の頭の上に枝編みのかごが三つあった。一番上のかごには、パロのために調理官が作ったあらゆる食べ物が入っていたが、鳥が私の頭の上のかごの中から、それを食べてしまった。」すると、ヨセフは言いました。「その解き明かしはこうです。三つのかごは三日のことです。三日のうちに、パロはあなたを呼び出し、あなたを木につるし、鳥があなたの肉をむしり取って食うでしょう。」これを聞いた調理官長はショックを受けたことでしょう。この二人は正反対の夢を見たわけですね。ヨセフは、以前も空気を読まずに父や兄たちに夢の話をしましたが、ここでも調理官長の不吉な夢の解き明かしを何の躊躇もなくはっきりと語りました。神様が示されたという確信があったのでしょうね。
そして、その三日後、ヨセフの解き明かし通りのことが起こりました。その日はちょうどパロの誕生日で、パロはすべての家臣たちのために祝宴を張り、献酌官長と調理官長とを獄中から呼び出し、献酌官長をもとの役職に戻したのですが、調理官長は木につるして死刑にしてしまったのです。ヨセフの解き明かしの力が証明されたわけです。
ヨセフは献酌官長に「あなたがもとの役職に復帰したら、私のことをパロに話して監獄から出られるようにしてください」と頼んでいましたね。しかし、40章23節には「ところが献酌官長はヨセフのことを思い出さず、彼のことを忘れてしまった」と書かれています。あんまりではありませんか。献酌官長は喜びと安堵でヨセフの願いのことなどすっかり忘れてしまったようです。獄中の奴隷のことなどパロに申し上げることもなかろうと考えたのか、監獄のことなどもう二度と思い出したくないと思ったのかも知れません。
ヨセフは、どのような思いで過ごしていたことでしょう。一週間経っても、一ヶ月経っても、献酌官長から何の音沙汰もありません。一年が過ぎるころには、期待すら消えていったことでしょう。やっと監獄から出られるチャンスが来たと思ったのに、期待を裏切られ、さすがのヨセフもがっかりしたかも知れませんね。「結局、人は当てにならない。頼るべき方は、主以外にはない。主よ。あなただけです」と思わず心の中で叫んだのではないでしょうか。
4 大転換
そして、二年が経ったとき、今度はエジプトの王、パロが夢を見ました。こんな夢です。「見ると、彼はナイルのほとりに立っていた。ナイルから、つやつやした、肉づきの良い七頭の雌牛が上がって来て、葦の中で草をはんでいた。するとまた、そのあとを追ってほかの醜いやせ細った七頭の雌牛がナイルから上がって来て、その川岸にいる雌牛のそばに立った。そして醜いやせ細った雌牛が、つやつやした、よく肥えた七頭の雌牛を食い尽くした。」ここでいったん目が覚めたパロは、また眠ってまた夢を見ました。「見ると、肥えた良い七つの穂が、一本の茎に出て来た。すると、すぐそのあとから、東風に焼けた、しなびた七つの穂が出て来た。そして、しなびた穂が、あの肥えて豊かな七つの穂をのみこんでしまった。」どちらも奇妙な夢ですが、最初は良いことが起こるけれど、その後、その良いことを飲み込んでしまうような災いが来るという内容だとわかりますね。パロは心が騒いで、エジプト中のすべての呪法師と知恵ある者たちを呼び寄せて夢の解き明かしをさせようとしましたが、だれも解き明かすことができません。もし間違ったことを言ったら死刑になるかもしれませんから、生半可な答えを言うこともできません。
その時になってやっと、あの献酌官長がヨセフのことを思い出しました。「監獄にいるヘブル人の若者が調理官長と私の夢を解き明かし、その通りになりました。彼なら王様の夢を解き明かすことができるかもしれません。」それを聞いたパロはすぐにヨセフを呼び寄せました。ヨセフは髭を剃り、着物を着替え、パロの前に出ました。
パロが「あなたは夢を聞いて、それを解き明かすことができるのか」と尋ねると、ヨセフは「私ではありません。神がパロの繁栄を知らせてくださるのです」と答えました。そして、パロの夢の内容を聞くとすぐにこう解き明かしたのです。「神がなさろうとすることをパロに示されたのです。今すぐ、エジプト全土に七年間の大豊作が訪れます。それから、そのあと、七年間のききんが起こり、エジプトの地の豊作はみな忘れられます。ききんが地を荒れ果てさせ、この地の豊作は後に来るききんのため、跡もわからなくなります。そのききんは、非常にきびしいからです。夢が二度パロにくり返されたのは、このことが神によって定められ、神がすみやかにこれをなさるからです。それゆえ、今、パロは、さとくて知恵のある人を見つけ、その者をエジプトの国の上に置かれますように。パロは、国中に監督官を任命するよう行動を起こされ、豊作の七年間に、エジプトの地に、備えをなさいますように。彼らにこれからの豊作の年のすべての食糧を集めさせ、パロの権威のもとに、町々に穀物をたくわえ、保管させるためです。その食糧は、エジプトの国に起こる七年のききんのための、国のたくわえとなさいますように。この地がききんで滅びないためです。」ヨセフは夢の話をするときは、すっきり、はっきりですからね。とてもわかりやすいんです。
パロはこれを聞くと、えらく感心し、家臣たちに言いました。「神の霊の宿っているこのような人を、ほかに見つけることができようか。」そして、ヨセフに言いました。「神がこれらすべてのことをあなたに知らされたのであれば、あなたのように、さとくて知恵のある者はほかにいない。あなたは私の家を治めてくれ。私の民はみな、あなたの命令に従おう。私があなたにまさっているのは王位だけだ。さあ、私はあなたにエジプト全土を支配させよう。」そして、パロは自分の指輪を手からはずして、それをヨセフの手にはめ、亜麻布の衣服を着せ、その首に金の首飾りを掛け、自分の第二の車に彼を乗せ、彼にエジプト全土を支配させたのです。人々は彼の前にひざまずきました。ヨセフは獄中の奴隷から一夜にしてエジプト王に次ぐ権力の座に就くことになったのです。その時、ヨセフは三十歳でした。
ヨセフの解き明かしのとおり、すぐに豊作の七年が始まりました。ヨセフは食糧を集め、町々に蓄える備蓄政策を徹底的に行いました。毎年大豊作なのですから、これ以上の備蓄は不要ではないかという声も年々増えていったことでしょう。しかし、ヨセフは、頑なに着実にこの政策を実行していったのです。
パロは、ヨセフにツァフェナテ・パネアハという名を与えました。これは、「神語る、太陽の糧はいのち、生命のささえ手」という意味のあるエジプト名です。そして、オンの祭司ポティ・フェラの娘アセナテを彼の妻にしました。エジプトでは祭司は上流階級でしたから、王宮に出入りするのにふさわしい名門の娘を妻に与えたということでしょう。
ただ、唯一の神様を信じているヨセフが、どうして異教の祭司の娘と結婚したのだろうと疑問に思う人もいるでしょう。ヨセフ自身は、神様の導きによって今の自分があることを確信し、神様に信頼していました。そのヨセフがエジプトを支配するようになったわけですが、エジプトは異教の社会です。様々な偶像があふれ、夢判断や呪術が横行する世界です。そうした中でヨセフは孤立して生きていくのではなく、その社会の中で、決して譲れないものと譲ってもいいものを判断しながら生きていきました。エジプトの支配者に誠実に仕えつつ、悪や誘惑は退け、自分のできることを誠実に行い、人々の信頼を勝ち取り、神様がともにおられることを身をもって示していったのです。
そして、この豊作の七年間の間にヨセフは二人の子を授かりました。長子が生まれた時には、「神が私のすべての労苦と私の父の全家とを忘れさせた」と言って、マナセ(苦労を忘れる君)と名付け、二番目の子が生まれた時には、「神が私の苦しみの地で私を実り多い者とされた」と言ってエフライム(実り多い君)と名付けたのです。
ヨセフは、エジプトに来た時もその後も、様々な苦しみや労苦を味わいましたが、いつでもどこでも主がともにいてくださいました。私たちは、「主がいてくださるなら、もう少し苦労を減らして、楽に暮らせるようにしてくださいよ」と言いたくなるかもしれませんね。しかし、どうでしょう。兄たちに憎まれることがなければ、ヨセフはエジプトに来ませんでした。主人の妻の偽証がなければ、牢に入れられることはありませんでした。牢に入れられなければ、献酌官長に出会って夢の解き明かしをすることはありませんでした。そして、その解き明かしがなければ、パロの夢を解き明かしてエジプトの第二の権力の座に着くことはありませんでした。つまり、すべての苦しみに意味があったということなのですね。
さて、七年の豊作の後、七年の大飢饉がやって来るのですが、その中で、ヨセフがエジプトに来たことにはさらに深い意味があったことが明らかになっていきます。ヨセフだけでなく、ヤコブの一族全体の大転換が起こるのです。それを次回見ていきましょう。