城山キリスト教会 礼拝説教    
二〇二五年九月二八日             関根弘興牧師
                創世記五〇章一三節ー二二節
                   
 創世記から士師記まで21
   「神の計らい」
 
 13 その子らは彼(ヤコブ)をカナンの地に運び、マクペラの畑地のほら穴に彼を葬った。そこはアブラハムがヘテ人エフロンから私有の墓地とするために、畑地とともに買ったもので、マムレに面している。14 ヨセフは父を葬って後、その兄弟たちおよび、父を葬るために彼といっしょに上って行ったすべての者とともに、エジプトに帰った。15 ヨセフの兄弟たちが、彼らの父が死んだのを見たとき、彼らは、「ヨセフはわれわれを恨んで、われわれが彼に犯したすべての悪の仕返しをするかもしれない」と言った。16 そこで彼らはことづけしてヨセフに言った。「あなたの父は死ぬ前に命じて言われました。17 『ヨセフにこう言いなさい。あなたの兄弟たちは実に、あなたに悪いことをしたが、どうか、あなたの兄弟たちのそむきと彼らの罪を赦してやりなさい、と。』今、どうか、あなたの父の神のしもべたちのそむきを赦してください。」ヨセフは彼らのこのことばを聞いて泣いた。18 彼の兄弟たちも来て、彼の前にひれ伏して言った。「私たちはあなたの奴隷です。」19 ヨセフは彼らに言った。「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。20 あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。21 ですから、もう恐れることはありません。私は、あなたがたや、あなたがたの子どもたちを養いましょう。」こうして彼は彼らを慰め、優しく語りかけた。22 ヨセフとその父の家族とはエジプトに住み、ヨセフは百十歳まで生きた。(新改訳聖書第三版)
 
 いよいよ今回が創世記の最終回です。これまで見てきたように、この書には、神様が天地を創造された経緯から始まり、さまざまなルーツ(はじめ)が記されています。神様は、神様を離れて本来の生き方を見失っているすべて人々を救うために、まずアブラハムをお選びになり、「あなたの子孫によってすべての人が祝福を受けるようになる」と約束してくださいました。その約束は息子のイサク、ヤコブに受け継がれ、ヤコブの十二人の息子たちを通して神様の救いの御計画が進められていくことになりました。その十二人の息子の中で、創世記の最後の部分では、十一番目の息子ヨセフを中心に話が展開していきます。
 まず、前回までのヨセフの話を振り返ってみましょう。ヨセフは父親に溺愛されていました。それで、兄たちはヨセフを妬み、ヨセフを捕らえてエジプトに奴隷として売り払ってしまいました。そして、ヨセフの上着に山羊の血を付けて父ヤコブに持っていき、ヨセフは野獣に殺されてしまったようだと報告したのです。一方、ヨセフはエジプトで奴隷生活をすることになりましたが、自分の役割を誠実に果たしていきました。濡れ衣を着せられて投獄されることもありましたが、主がいつもヨセフと共にいて、彼のすることすべてを成功させてくださったので、ヨセフはどこにいても人々の信頼を得て、大切な仕事を任されたのです。あるとき、エジプト王が不思議な夢を見たのですが、ヨセフは、神様に与えられた力によって王の夢を見事に解き明かし、一夜にして王に次ぐ第二の権力の座に着くことになりました。王の見た夢は、七年の大豊作の後に七年の大飢饉がやってくるというものでした。ヨセフは、大豊作の七年間に国中の町々に食糧を蓄えました。それで、その後の七年間の大飢饉の間もエジプトには十分な食糧があったのです。それを知って近隣の国々から多くの人々が食糧を買い付けにエジプトにやって来ました。カナンの地に住んでいたヨセフの父ヤコブもヨセフの十人の兄たちにエジプトに食糧を買いに行かせました。兄たちはエジプトに着くと、ヨセフの前に出て伏し拝みました。目の前にいるのがヨセフだとはまったく気づいていません。一方のヨセフは、すぐに兄たちだと気づきましたが、兄たちの心を試すことにしました。わざと兄たちに荒々しい態度をとり、彼らをスパイ呼ばわりしたり、泥棒呼ばわりしたりして追い詰め、考えさせ、どのような行動をとるのかを試したのです。兄たちは、ヨセフにした自分たちの行いを後悔し、また、年老いた父や末の弟ベニヤミンを気遣っていました。また、以前ヨセフをエジプトに売ることを提案したユダが、今では家族を守るために自分が犠牲になってもかまわないと言うほどになっている姿を見て、ヨセフもついに自分がヨセフであることを明かし、兄たちと和解したのです。ヨセフは言いました。「神は私をあなたがたより先にお遣わしになりました。それは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。」ヨセフは様々な困難を味わいましたが、その背後に神様の壮大な救いの御計画があったことをはっきりと悟ったのです。そして、兄たちに父ヤコブや全家族とともにエジプトに移住してくるよう勧めました。こうして、ヤコブとその一族はエジプトに行くことになったのです。今日は、その続きで、創世記の45章25節から最後の50章までを見ていきましょう。
 
1 ヤコブ家族の移住
 
 兄たちは、父ヤコブのもとに帰って、ヨセフが生きていること、しかもエジプト全土を支配していることを報告しました。ヤコブは、最初は信じられずに呆然としていましたが、ヨセフが自分を乗せるために送ってくれた車を見て元気づき、自分が死なないうちにヨセフに会いに行こうと決心して、一族とともにエジプトに旅立ちました。
 そして、カナンの地の南の端のベエル・シェバに来たとき、ヤコブは神様にいけにえをささげて祈りました。ヤコブの心には、エジプトに下って行くことに少し不安や迷いがあったのかもしれません。今まで住んでいたカナンの地は、神様が祖父アブラハム、父イサク、そしてヤコブにも「この地をあなたとあなたの子孫に与える」と約束してくださった場所です。それなのに、その約束の地を離れてエジプトに下って行くのは、神様のみこころに逆らうのではないだろうかと思ったことでしょう。以前、祖父アブラハムは、飢饉が起こったときに安易にエジプトに下って行きましたが、自分が殺されることを恐れて妻のサラを自分の妹だと偽った結果、サラがエジプト王に召されてしまうという危機を招きましたね。このエジプト行きはアブラハムの弱さを象徴する出来事でした。また、父イサクも飢饉のときにエジプトに下っていこうとしましたが、神様から「エジプトへは下るな。わたしがあなたに示す地に住みなさい。わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福しよう」と言われ、エジプトへ行くのを止めました。そういう祖父や父の話をヤコブは知っていたでしょうから、なおさらエジプト行きに迷いを感じたのではないかと思います。そこで、カナンの地の南の端まで来た時、神様に祈らずにはいられなかったのでしょう。そのヤコブに、神様は夜の幻の中でこう言われました。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民にするから。わたし自身があなたといっしょにエジプトに下り、また、わたし自身が必ずあなたを再び導き上る。ヨセフの手はあなたの目を閉じてくれるであろう。」神様は「エジプトに下ることを恐れるな。わたしがあなたとともにいる」と励ましてくださったのです。
 このようにアブラハム、イサク、ヤコブの生涯を見ていくと、信仰生活において臨機応変さを持つことが大切だと思わされますね。神様はイサクには「エジプトへは下るな」と言われましたが、ヤコブには「エジプトに下れ」と言われましたね。ですから、私たちが勝手に「エジプトに下ることは神様に逆らうことだ。信仰を捨てることだ。絶対に行ってはならない」と決めつけるのは良くないということなのです。自分勝手なルールを作ってそれに縛られて生活するのではなく、いつも神様の導きを求めながら、周りの状況や心の中に与えられた思いや様々な情報に基づいてどうすべきかを柔軟に判断していくことが大切なのです。「もし判断を間違ったらどうしよう」と過度に心配する必要はありません。もし間違ったら、神様は何らかの方法でそれを教えて本来の道に戻してくださり、また、その間違いさえも益としてくださるからです。
 さて、46章8節ー27節には、エジプトに移住したヤコブ一族のリストが記されています。エジプトに行ったのが六十六名で、すでにエジプトにいたヨセフの妻と子供二人を合わせて七十名です。ヨセフは一族がゴシェンの地に住めるように配慮しました。牧畜に適した地で、多くの羊や牛を持つヤコブたちには住みやすい場所です。また、当時のエジプト人は羊を飼う者を忌みきらっていたようです。おそらく宗教上の理由でしょう。羊を飼う者を市街地に住ませるわけにはいきませんから、ヤコブ一族は町から離れた場所に住むことになり、結果的に、エジプトの習慣や道徳、異教の神々から離れて暮らすことができるというわけです。
 ヨセフは、父ヤコブを迎えるためにゴシェンの地で待っていました。数十年ぶりの再会です。ヨセフは父に会うなり、その首に抱きついて泣き続けました。年老いたヤコブはヨセフに言いました。「もう今、私は死んでもよい。この目であなたが生きているのを見たからには。」ヤコブにとってヨセフとの再会はどれほど大きな喜びとなったことでしょう。
 
2 エジプト王への謁見
 
 ヨセフは、まず兄弟の中から五人を選び王に引き合わせ、彼らが羊飼いであることを説明してゴシェンの地に住む許可を願い出ました。王は快く承知し、最も良いラメセスの地を彼らの所有として与えました。
 次に、ヨセフは父ヤコブを王のもとに連れて行きました。王が「あなたの年はいくつになりますか」と尋ねると、ヤコブはこう答えました。「私のたどった年月は百三十年です。私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月には及びません。」
 百三十年は、私たちの感覚では長寿ですが、祖父アブラハムは百七十五歳、父イサクは百八十歳まで行きましたから、それには及ばないと感じたのでしょうね。また、ふしあわせだったと言っていますね。確かにヤコブは苦労しました。双子の兄エサウとは長子の権利を巡って命が狙われるほどの確執がありました。そのため、兄から逃れて遠い母の故郷に行って、意地悪な伯父ラバンの家で二十年間仕えなければなりませんでした。二人の妻と二人のそばめによって十二人の息子をもうけましたが、やっと故郷に帰れたと思ったら、その息子たちが次々と問題を起こしたり、最愛の妻ラケルに先立たれたり、溺愛していた息子ヨセフがいなくなってしまったりして、大きな悲しみを味わいました。とても「幸せな生涯でした」とは言えなかったのです。しかし、ヤコブは「こんな悩みの多い人生なのだから、神様など信頼しても無駄だ」とは言いませんでした。ヤコブが、恐れ、落ち込み、苦しんでいるときに、神様はいつも「恐れるな。わたしがあなたとともにいる」と呼びかけて下さったのです。そして、確かに神様はヤコブと共にいて祝福してくださり、兄とも和解させてくださり、そして、エジプトに導いて飢饉から救い出してくださったのです。詩篇22篇24節に「まことに、主は悩む者の悩みをさげすむことなく、いとうことなく、御顔を隠されもしなかった。むしろ、彼が助けを叫び求めたとき、聞いてくださった」とあります。神様は私たちの叫び求める声を聞いて「面倒くさい」と無視するようなことは決してなさいません。必ず、その叫びに応えて、必要な助けを与えてくださるのです。そういう神様がおられることをヤコブは知っていました。ですから、「私の生涯はふしあわせでした」と言いながらも、神様が奇跡的な方法でエジプトに導いてくださったことに畏敬と感謝の念を抱いていたことでしょう。ずる賢く強引な性格で、父や兄を騙して長子の権利を手に入れた自分が、今、このように分不相応な神様の恵みを受けていることが信じられないような思いだったかもしれません。
 私たちの信仰生活も同じですね。良いことばかりが起こるわけではありません。むしろ、苦しいこと辛いことも多いでしょう。しかし、その中で神様が練り上げてくださり、必要な守りと導きを与えてくださることを味わうことができるのです。神様は私たちが助けを叫び求めれば、必ず聞いてくださいます。ですから、時には、かつてヤコブが願ったのと同じように「私を祝福してくださらなければ、あなたを離しません」と決してあきらめずに求め続ける強引さも必要なのですね。
 
3 ヨセフの行政手腕
 
 さて、飢饉の七年間の間、ヨセフはますます行政手腕を発揮し、三段階の政策を実行しました。第一は銀の国庫備蓄です。飢饉が非常に激しくなると多くの人々が食料を求めてやってきました。その代金をヨセフは銀で支払わせたのです。そして、穀物と引き換えに得た銀を国庫に蓄えていきました。国の財政基盤を構築していったわけです。
 しばらくすると、人々の銀が尽きてしまいました。すると、ヨセフは、家畜を代金の代わりにして、穀物を売りました。飢饉の時に民が家畜を殺して食べてしまったら、飢饉が終わった後の牧畜や農耕に使う家畜がいなくなってしまいます。ですから、家畜の保護のために、彼らの家畜を穀物の代わりに引き取ったのです。しかし、さらに飢饉が激しくなると、代金の代わりに出来る家畜がいなくなってしまいました。もう農地しか残っていません。そこで、ヨセフは、その農地を食物と引き換えに買い取ったのです。土地の国有化ですね。農地を指し出した農民たちは、国の小作人になるわけです。ヨセフは彼らに手厚い保護政策をとりました。飢饉が終わろうとするとき、彼らに穀物の種を配給し、収穫したものの五分の一を国に収め、残りの五分の四は家族の食料にしなさいと命じたのです。彼らは飢えから救われ、種を支給され、しかも、国の所有となっていた家畜を使わせてもらって農耕作業にあたることができたと言われています。私たちの感覚だと、収穫の五分の一、つまり、二十パーセントは高い税金だと思いますが、当時の税金は五十パーセントかそれ以上が普通でした。つまり、ヨセフは、当時としては驚くほどの低い税率を設定したということですね。ですから、国からも民からもその手腕が評価され、民を大飢饉から救った功労者として大変尊敬されたのです。
 
4 ヤコブの最期
 
 苦労に苦労を重ねてきたヤコブは、エジプトで約十七年間の安らかな日々を送り、いよいよ最期の時が近づきました。ヨセフが二人の息子マナセとエフライムを連れて父を見舞いに来ると、ヤコブは言いました。「全能の神がカナンの地ルズで私に現れ、私を祝福して、私に仰せられた。『わたしはあなたに多くの子を与えよう。あなたをふやし、あなたを多くの民のつどいとし、またこの地をあなたの後の子孫に与え、永久の所有としよう。』今、私がエジプトに来る前に、エジプトの地で生まれたあなたのふたりの子は、私の子となる。エフライムとマナセはルベンやシメオンと同じように私の子にする。」つまり、ヨセフに二人分の相続権を与えようということです。ヤコブは、マナセとエフライムを抱き寄せ、二人の頭に手を置いて祝福を祈ろうとしました。普通は、長男の頭の上に右手、次男の頭の上に左手を置いて祈ります。ですから、ヨセフは長男のマナセを父の右側に、次男のエフライムを父の左側に近寄らせました。しかし、ヤコブはわざわざ腕を交差させて、右手を次男のエフライム、左手を長男のマナセに置いて祈ったのです。ヨセフは、視力の衰えているヤコブが二人を見間違ったのだろうと思って、ヤコブの手を取って置き替えようとしましたが、ヤコブは「わたしにはわかっている。マナセも大きな民となるが、エフライムはさらに大きくなる」と言って祝福を祈りました。後の歴史を見ると、どちらも大きな一族となりましたが、特に、エフライム族は、北イスラエル王国のリーダー的な部族になりました。ですから、このヤコブの行為には、将来を預言する意味が含まれていたのですね。
 長男と次男の立場が入れ替わるというのは常識とは違います。しかし、聖書には常識と違う出来事が度々記されています。イエス様は「先の者があとになり、あとの者が先になることが多い」と言われましたが、「当然こうだ」と決めてかかっている人間の常識が覆されることがよくあるのですね。神様は、私たちが勝手に当たり前だと思い込んでいることに束縛されることなく、思いのままに自由に働かれるからです。
 さて、ヤコブは臨終の床に息子たちを呼び寄せ、一人一人について預言の言葉を語りました。それが49章に書かれています。 その中で、ユダについてこう語っています。「ユダは獅子の子。わが子よ。あなたは獲物によって成長する。雄獅子のように、また雌獅子のように、彼はうずくまり、身を伏せる。だれがこれを起こすことができようか。王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。」これは、将来、ユダの子孫が王位につき、一族が王位を継承し、ついには、すべての人々を治める平和の王が出現するということです。つまり、救い主がユダの子孫から生まれるということが預言されているわけです。
 ヤコブは預言を語り終えると、「私が死んだら、アブラハムが私有の墓地とするためにヘテ人エフロンから買い取ったマクペラの畑地のほら穴に葬ってほしい」と言い残して息を引き取りました。百四十七年の生涯でした。
 ヨセフはヤコブをミイラにしてから、家族と大軍勢を伴ってカナンの地に上って行き、七日間の荘厳な葬儀を行い、ヤコブの遺体をマクペラの畑地のほら穴に葬りました。
 
5 兄たちの心配
 
 葬儀が終わってエジプトに帰ると、ヨセフの兄たちは心配し始めました。父が亡くなった今、ヨセフは、以前自分たちがヨセフをエジプトに奴隷として売ったことを恨んで復讐してくるのではないかと恐れたのです。しかし、ヨセフははっきり言いました。「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。ですから、もう恐れることはありません。私は、あなたがたや、あなたがたの子どもたちを養いましょう。」ヨセフは、すでに兄たちを赦していました。兄たちは、それを聞いてやっと安心することができたでしょう。
 私たちはどうでしょうか。イエス様は、私たちの罪をすべて身代わりに背負い十字架についてくださいました。そして、「あなたの罪はすべて赦されている。恐れるな」と語りかけ続けてくださっています。それなのに、私たちは「そうは言っても、本当は赦されていないのではないか。罰を受けるのではないか」と心配してしまうことがないでしょうか。でも、主は、はっきり言われるのです。「恐れることはない。わたしはあなたの咎を赦し、あなたの罪を二度と思い出さない。わたしはあなたを生かし、あなたを養う」と。
 さて、ヨセフはエジプトで大きな業績を残し、百十歳で生涯を閉じました。亡くなるとき、ヨセフは、兄たちにこんな遺言を残しました。「神は必ずあなたがたを顧みて、この地からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださいます。・・・そのとき、あなたがたは私の遺体をここから携え上ってください。」そこで、ヨセフの遺体はミイラにされ、数百年後にカナンの地に運ばれていくまで保存されることになったのです。
 次回は出エジプト記に入ります。ヤコブの子孫であるイスラエル民族がエジプトを出てカナンの地に向かうことになる経緯を見ていくことにしましょう。