城山キリスト教会 礼拝説教
二〇二六年六月二八日 関根弘興牧師
民数記二二章一節〜一二節
創世記から士師記まで35
「バラクとバラム」
1 イスラエル人はさらに進んで、ヨルダンのエリコをのぞむ対岸のモアブの草原に宿営した。2 さてツィポルの子バラクは、イスラエルがエモリ人に行ったすべてのことを見た。3 モアブはイスラエルの民が多数であったので非常に恐れた。それでモアブはイスラエル人に恐怖をいだいた。4 そこでモアブはミデヤンの長老たちに言った。「今、この集団は、牛が野の青草をなめ尽くすように、私たちの回りのすべてのものをなめ尽くそうとしている。」ツィポルの子バラクは当時、モアブの王であった。5 そこで彼は、同族の国にあるユーフラテス河畔のペトルにいるベオルの子バラムを招こうとして使者たちを遣わして、言わせた。「今ここに、一つの民がエジプトから出て来ている。今や、彼らは地の面をおおって、私のすぐそばにとどまっている。6 どうかいま来て、私のためにこの民をのろってもらいたい。この民は私より強い。そうしてくれれば、たぶん私は彼らを打って、この地から追い出すことができよう。私は、あなたが祝福する者は祝福され、あなたがのろう者はのろわれることを知っている。」7 占いに通じているモアブの長老たちとミデヤンの長老たちとは、バラムのところに行き、彼にバラクのことづけを告げた。8 するとバラムは彼らに言った。「今夜はここに泊まりなさい。主が私に告げられるとおりのことをあなたがたに答えましょう。」そこでモアブのつかさたちはバラムのもとにとどまった。9 神はバラムのところに来て言われた。「あなたといっしょにいるこの者たちは何者か。」10 バラムは神に申し上げた。「モアブの王ツィポルの子バラクが、私のところに使いをよこしました。11 『今ここに、エジプトから出て来た民がいて、地の面をおおっている。いま来て、私のためにこの民をのろってくれ。そうしたら、たぶん私は彼らと戦って、追い出すことができよう。』」12 神はバラムに言われた。「あなたは彼らといっしょに行ってはならない。またその民をのろってもいけない。その民は祝福されているからだ。」(新改訳聖書第三版)
まず、前回の内容を復習しましょう。イスラエルの民は、エジプトを脱出してから荒野をさまよい、四十年が過ぎました。エジプトを出るときに二十才以上だった者たちのほとんどは荒野で死んでしまい、新しい世代に変わっていました。また、モーセの兄、祭司アロンも死んで、その子エルアザルが大祭司の職務を引き継ぎました。そしてついに、彼らは約束の地に入って行くことになったのです。
彼らはまず、ヨルダン川の東側を北上していきました。地図を見るとわかるとおり、その地域には南からエドム人、モアブ人、また、その東側にアモン人が住んでいました。エドムは、イスラエル民族の先祖であるヤコブの双子の兄エサウの子孫の国です。また、モアブとアモンは、イスラエルの父祖アブラハムの甥であるロトの子孫から生まれた民族です。ですから、エドム、モアブ、アモンはイスラエルの親戚の民族ということになりますね。神様はイスラエルの民に「エドムとモアブとアモンに争いをしかけてはならない」とお命じになりました。以前、彼らにその地を所有地として与えると約束しておられたからです。そこで、イスラエルは、エドムとモアブの地を迂回し、アモンとの戦いも避けて、モアブの北にあるエモリ人の地に進んで行きました。エモリ人の王シホンとオグは、どちらも強い軍隊を持っていてイスラエルを迎え撃つために出陣してきましたが、イスラエルは彼らを打ち破り、ヨルダン東岸地域を占領しました。荒野を旅をしてきた弱小のイスラエルが、強国を次々と打ち破ったのです。神様は「恐れるな、わたしは彼らとその地をあなたの手に渡している」と約束してくださっていましたが、その通りになったわけです。モーセは、神様の約束が必ず実現することを改めて確信したことでしょう。
東側を占領した彼らは、ヨルダン川を渡る準備をするためにエリコの町の対岸のモアブの草原に宿営しました。そこは、エモリ人の王シホンが支配していた場所ですが、以前はモアブの領土だったところです。今日は、その場所で起こった出来事を民数記22章ー25章にかけて見ていきましょう。
1 バラクとバラム
さて、今日の主要登場人物二人は、名前がとても紛らわしいですね。一人はモアブの王バラク、もう一人は占い師のバラムです。
モアブはどんな国だったでしょうか。モアブの祖先ロトは、おじのアブラハムが神様に導かれてカナンの地に来るときに、一緒にやって来ました。そして、ソドムの町が滅ぼされたときに、ロトと二人の娘たちだけは神様の御使いに助け出されたという出来事がありましたね。ですから、モアブ人もある程度、まことの神様に対して畏敬の念を持っていたでしょう。しかし、その一方で、バアルやケモシュなどの異教の神々を拝み、宗教的にも道徳的にもかなり混乱していたようです。
モアブは以前、エモリ人に領土の一部を奪われていました。その強いエモリ人の王シホンとオグをイスラエルが打ち破り、領土を奪い取ったと聞いて、モアブ王バラクは震え上がりました。イスラエルとまともに戦っても勝ち目はなさそうです。しかも、今、彼らは、モアブのすぐ近くに宿営しているのです。もしかしたら、モアブも滅されてしまうのではないか、とバラクは恐れました。でも、本当は恐れる必要はなかったのですね。先ほどお話ししたとおり、イスラエルの民は、神様から「モアブと争ってはならない」と言われたので、わざわざモアブの地を迂回して進んだほどですから、モアブを攻撃しようなどとはまったく考えていなかったのです。しかし、それを知るよしもなく、バラクはどうしたらいいかと頭を悩ませました。
とにかく、力ある神がイスラエルを守っていることはたしかです。四十年前にイスラエルがエジプトを脱出するとき、神が海を分けて道をつくったという奇跡的な出来事は、近隣諸国に知れ渡っていました。その神がイスラエルの味方をしている限り、モアブも他の国々も太刀打ちできないでしょう。そこで、モアブ王バラクは、神とイスラエルの関係を破壊する方法を考えたのです。隣国ミデヤンと共謀し、占い師のバラムを招くことにしました。バラムは、当時、名の知れた占い師で、未来を見通す力をもつ先見者と見なされていました。そのバラムにイスラエルを呪ってもらえば、イスラエルは神の祝福を失って無力になるだろうとバラクは考えたのです。当時、占い師の言葉には魔術的な力があると信じられていたからです。
バラムの住んでいるのは、モアブから約六百キロ離れたユーフラテス河畔のベトルという所です。その地域には、イスラエルの先祖アブラハムやモアブの先祖ロトもこの地方の出身でもあり、人々はまことの神様について少しは知っていたようです。占い師バラムもまことの神様を拝む一方で、異教の神々も拝み、占いや魔術を行っていたようです。そのバラムのもとにモアブとミデヤンの長老たちがはるばるやって来て、モアブ王バラクの言葉を伝えました。「私は、あなたが祝福する者は祝福され、あなたがのろう者はのろわれることを知っている。だから、今、すぐに来てイスラエルの民を呪ってもらいたい。そうすれば、私は彼らと戦って追い出すことができるだろう。」すると、バラクは彼らに言いました。「今夜はここに泊まりなさい。主が私に告げられるとおりのことをあなたがたに答えましょう。」
その夜、神様ご自身がバラムに言われました。「あなたは彼らといっしょに行ってはならない。またその民をのろってもいけない。その民は祝福されているからだ。」そこで、次の朝、バラムは長老たちに言いました。「あなたがたの国に帰りなさい。主は私をあなたがたといっしょに行かせようとはなさらないから。」長老たちは仕方なく、またはるばると六百キロの道を戻って、モアブ王バラクに「バラムは私たちといっしょに来ようとしません」と報告しました。空振りに終わったわけです。
しかし、王は諦めきれません。今度はもっと大ぜいの、もっと位の高い長老たちを遣わし、こう言わせました。「もしあなたが来てくれたら、手厚くもてなし、言われることはなんでもしますから、ぜひ来て、イスラエルを呪ってください。」すると、バラムは答えました。「たといバラクが私に銀や金の満ちた彼の家をくれても、私は私の神、主のことばにそむいて、事の大小にかかわらず、何もすることはできません。」この言葉だけ聞くと、バラムは信仰に満ちた素晴らしい人のような感じがしますね。ところが、彼は続けてこう言いました。「今晩ここにとどまりなさい。主が私に何かほかのことをお告げになるかどうか確かめましょう。」
最初の長老たちが来た時に、神様はバラムに「あなたは彼らといっしょに行ってはならない。またイスラエルの民を呪ってもいけない」とはっきり告げておられましたね。すでに神様のみこころはわかっています。ですから、バラムは今回もきっぱりと断ればよかったのです。しかし、モアブ王が自分の願いを何でも叶えてくれるということを聞いて、彼の心の中に欲望がうずいてきました。長老たちを追い返すなんてもったいない、もしかしたら、何とか神様と交渉して、自分が利益を得る方法を見つけることができるかもしれない、と考えたのでしょう。
そんな彼の心を神様はもちろんお見通しです。神様は、バラムに「彼らとともに行け。だが、あなたはただ、わたしがあなたに告げることだけを行え」と言われました。神様は「あなたが欲に惹かれてモアブに行きたいと思っているのはわかっている。それなら、あなたの欲望のままにやってみて、何が起こるか身をもって知りなさい」という意味で、こう言われたのでしょう。ただし「わたしがあなたに告げることだけを行え」と釘も刺されました。
その神様の心がわからないバラムは「神様と対等に交渉してモアブにいく許可を得ることに成功した」と有頂天になったかもしれません。モアブに行けば手厚いもてなしを受けられるし、高価な贈り物ももらえるだろう、それに、神様に上手に持ちかければ、神様も自分の都合のいいように取り計らってくれるだろう、と勝手に思い上がっていたかもしれません。
しかし、そのような態度のままでモアブに行くことを神様はお許しになりませんでした。バラムはろばに乗ってモアブの長老たちと出発したのですが、22章22節にこう書かれています。「彼が出かけると、神の怒りが燃え上がり、主の使いが彼に敵対して道に立ちふさがった。」しかし、欲に目がくらんだバラムには主の使いが見えません。このまま進めばいのちが危ない状況です。しかし、23節からこう書かれています。「ろばは主の使いが抜き身の剣を手に持って道に立ちふさがっているのを見たので、ろばは道からそれて畑の中に行った。そこでバラムはろばを打って道に戻そうとした。」さらに進んでいくと、同じようなことが起こりました。「主の使いは、両側に石垣のあるぶどう畑の間の狭い道に立っていた。ろばは主の使いを見て、石垣に身を押しつけ、バラムの足を石垣に押しつけたので、彼はまた、ろばを打った。」さらにもう一度同じことが起こります。「主の使いは、さらに進んで、右にも左にもよける余地のない狭い所に立った。ろばは、主の使いを見て、バラムを背にしたまま、うずくまってしまった。そこでバラムは怒りを燃やして、杖でろばを打った。」ここで不思議な現象が起こりました。こう書かれています。「主はろばの口を開かれたので、ろばがバラムに言った。『私があなたに何をしたというのですか。私を三度も打つとは。』・・・ そのとき、主がバラムの目のおおいを除かれたので、彼は主の使いが抜き身の剣を手に持って道に立ちふさがっているのを見た。彼はひざまずき、伏し拝んだ。」バラムはろばの言葉を聞いてやっと主の使いに気づいてひれ伏したのですね。主の使いは彼に言いました。「あなたに敵対したのは、ろばではなく、わたしだ。あなたの道がわたしとは反対に向いていたからだ。ろばがわたしから身を巡らしていなかったなら、わたしは今はもう、あなたを殺していたことだろう。」バラムは、神様に対して高慢になることが死につながることをさとって、こう告白しました。「私は罪を犯しました。私はあなたが私をとどめようと道に立ちふさがっておられたのを知りませんでした。今、もし、あなたのお気に召さなければ、私は引き返します。」すると、主の使いは言いました。「この人たちといっしょに行け。だが、わたしがあなたに告げることばだけを告げよ。」こうして、神様の前に謙虚になったバラムは長老たちと一緒にモアブに向かったのです。
2 バラムの祝福と預言
占い師バラムがついにやって来ることを知ったモアブ王バラクは、わざわざ国境まで出て来て歓迎し、盛大な宴会を開いてもてなしました。そして、朝になると、イスラエルの宿営の一部を見ることができる山の上に連れて行きました。バラムは、バラクに七つの祭壇を築いて、それぞれの祭壇の上でいけにえをささげるよう指示し、自分は高台に上って神様にうかがいを立てました。そして、戻ってくると、神様から授けられた言葉をイスラエルの宿営に向かって唱え始めました。「神がのろわない者を、私がどうしてのろえようか。主が滅びを宣言されない者に、私がどうして滅びを宣言できようか。岩山の頂から私はこれを見、丘の上から私はこれを見つめる。見よ。この民はひとり離れて住み、おのれを諸国の民の一つと認めない。だれがヤコブのちりを数え、イスラエルのちりの群れを数ええようか。私は正しい人が死ぬように死に、私の終わりが彼らと同じであるように。」なかなか詩的な表現ですね。「自分は、イスラエルの民を呪うために招かれたけれど、神様のみこころに逆らって呪ったり滅びを宣言することなどできない。この民は神様に守られた特別な民だから、おびただしく増える。私もこの民のように神の祝福の中で死にたい」というのです。それを聞いたモアブ王は大ショックです。「イスラエルを呪ってもらうために招いたのに、なんで祝福してしまったのですか」と抗議しました。するとバラムは「主から授かった言葉をそのまま語らなければなりません」と言うばかりです。
諦めきれないバラクは、バラムを別の場所に連れて行き、今度こそ呪ってもらおうとしました。しかし、バラムはまたしてもイスラエルを祝福する言葉を語り出したのです。「神は人間ではなく、偽りを言うことがない。人の子ではなく、悔いることがない。神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか。見よ。祝福せよ、との命を私は受けた。神は祝福される。私はそれをくつがえすことはできない。」
バラクはまたしても大ショックです。でも諦めません。バラムをまた別の場所に連れて行って呪ってもらおうとしました。場所を変えれば、神様の心を変えられるかもしれないと思ったのですね。しかし、バラムは、イスラエルを祝福することが神様のみこころであることがはっきりわかったので、今度は、神様にうかがいをたてることをせず、イスラエルの民を見下ろしました。その時「神の霊が彼の上に臨んだ」と書かれています。バラムはこう唱えました。「なんと美しいことよ。イスラエルの住まいは。あなたを祝福する者は祝福され、あなたをのろう者はのろわれる。」モアブ王バラクは怒りを燃やして言いました。「敵を三度も祝福するとは何と言うことをしてくれたんだ。もう帰れ。」
するとバラムは、将来起こることを預言し始めました。「イスラエルから出る一つの星、一本の杖がモアブを打ち負かし、モアブの隣の国であるエドムも征服し、治めるようになる。また、近隣の国々も敵国に滅ぼされる」というのです。この預言の前半部分は、ダビデ王の時代に実現しました。後半部分も後の時代に実現します。結局、モアブの王バラクは、イスラエルを呪わせようとして、逆に、自分たちの暗い将来の預言を聞かされることになったのです。
3 バアル・ペオル事件
さて、神様が祝福を宣言してくださったイスラエルですが、そのイスラエルの民の中で、とんでもない事件が起きてしまいました。後世にまで語り継がれる有名な事件で、25章に書かれています。
ヨルダン川の東のモアブの草原に宿営しているイスラエル人たちに対して、モアブやミデヤンの娘たちが誘惑を仕掛けてきました。「私たちの神バアル・ペオルにいけにえをささげるので、あなたがたもどうぞいらしてください」と誘ってきたのです。誘惑に負けた者たちは、娘たちとともに異教の神々を拝み、淫らな儀式に参加しました。これは、今までの様々な神様の恵みや祝福を台無しにしてしまう事件でした。神様は、モーセに言われました。「この民のかしらたちをみな捕らえて、白日のもとに彼らを主の前でさらし者にせよ。」そこでモーセはイスラエルのさばきつかさたちに「あなたがたは、おのおの自分の配下のバアル・ペオルを慕った者たちを殺せ」と命じました。約束の地を目前にして、このような酷い出来事が起こったことで、モーセはどれほど心痛めたことでしょう。25章6節には、モーセとイスラエル人の全会衆が会見の天幕の入口で泣いていた、と書かれています。モーセは何度も怒り、売り言葉に買い言葉みたいなこともありましたが、120歳を過ぎてモーセはここで「泣いた」のです。モーセが泣いたと書かれているのはここだけです。労苦は生涯絶えないのですね。
その彼らの目の前で、イスラエル人のジムリがミデヤン人の娘コズビを自分の天幕に連れ込みました。あまりにも腐敗した身勝手な行為でした。それを見た大祭司エルアザルの子ピネハスは、二人を追って彼らを打ち、結局、この出来事に二万四千人もの人が死んだと書かれています。これは、何かの疫病によってもたらされたのではないかとも考えられています。
この出来事は「バアル・ペオルの事件」とか「コズビ事件」と呼ばれますが、ミデヤン人が中心になっていたようです。25章16節ー18節を見ると、主がモーセに「この事件を引き起こしたミデヤン人を打て」とお命じになっているからです。そして、31章で実際にミデヤン人を打ち負かした記録が記されていますが、31章8節に、ミデヤン人とともにベオルの子バラムも殺されたと書かれています。また、31章16節では「ペオルの事件」を「バラムの事件」とも呼んでいます。ですから、バラムがバアル・ペオルの事件の首謀者だったようです。黙示録2章14節にもそれを裏付ける言葉が書かれています。「しかし、あなたには少しばかり非難すべきことがある。あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行わせた。」一時的に神様の前に反省してイスラエルに祝福を宣言したバラムでしたが、彼自身は、その後も異教や呪術に関わり、貪欲、不道徳の象徴となってしまいました。例えば、第二ペテロ2章15節には「彼らは正しい道を捨ててさまよっています。不義の報酬を愛したベオルの子バラムの道に従ったのです。」、ユダ1章11節には「ああ。彼らはカインの道を行き、利益のためにバラムの迷いに陥り、コラのようにそむいて滅びました。」とあるようにです。
4 今日の内容から学ぶこと
モアブ王バラクは、イスラエルを導く神様の偉大な力を知っていました。それなら、自分もその神様を信じて頼るのが一番いいではありませんか。ところが、バラクは呪術に頼ろうとしました。ともに同じ神様を信じて歩もうとするよりも、相手が呪われることを願い、占い師に頼ったのです。
また、呪術師バラムは、預言や魔術を行う力を持っていたようで、人々から一目置かれていました。バラムの問題はどこにあったのでしょう。それは、自分が神様を説得することが出来、呪うことも祝福することも出来ると考えていたことではなかったこと思うのです。神様は、「あなたはただ、わたしがあなたに告げることだけを行え。」と言われましたが、バラムは自分の好きななように変えられると考えたのかも知れません。そして、それに見合う報酬は当然受けることが出来ると思ったのでしょう。または、十分な報酬があれば、神の思いも変えて見せようという高慢な思いもあったのでしょう。しかし、バラムがどのように考えようが、結局は、神様は祝福しようとする者を祝福するのだ、というわけです。でも、どんなに祝福された民と言われても、すぐその後に、バアル・ペオルの事件が起こっていったことも覚えておかなければなりません。
今私たちは、イエスキリストによって、国境を越え、言語を越え、肌の色の違いを超え、神の民、神のイスラエルとされています。神様と親しい関係、アバ父よ、と呼びかけながら主とともに歩む者とされていまう。パウロはこう記していますね。
ローマ8章35節-39節「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。・・・私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」
私たちは、神の祝福の民としていま生かされています。たとえあなたを呪うものが出てきたとしても、神様の愛〜離すことは出来ません。
でも祝福されたものであっても、自分達の弱さもろさを知っておいてください。私たちは誘惑に陥りやすい者だからです。
さあ今週も「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」と約束される主とともに神様の平安と恵みを分かち合う者として歩んでいきましょう。