城山キリスト教会 礼拝説教    
二〇二四年九月二二日             関根弘興牧師
               エステル記四章一二節〜一七節
  帰還からマラキ書まで3
     「王妃エステル」
 
 12 彼がエステルのことばをモルデカイに伝えると、13 モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。14 もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」15 エステルはモルデカイに返事を送って言った。16 「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」17 そこで、モルデカイは出て行って、エステルが彼に命じたとおりにした。 (新改訳聖書第三版)
 
 前回まで、エズラ記の前半部分の内容とそれに関係するハガイ書、ゼカリヤ書の預言についてお話ししてきましたね。まず、少し復習しましょう。
 南ユダ王国はバビロニヤ帝国に滅ぼされ、エルサレムの町も神殿も破壊され、多くの人々がバビロンに捕らわれて来ましたが、それから約七十年後の紀元前五三八年にペルシヤのクロス王がバビロニヤを滅ぼして覇権を握りました。クロス王は、支配下にある各民族の習慣や宗教を認める政策をとりました。そこで、バビロンに捕囚となっていた各民族をそれぞれの故国に帰し、宗教の自由を保障する命令を出したのです。ユダヤ人に対しては「エルサレムに帰って、神殿を再建せよ」と命じ、必要な援助を与えました。そこで、神様によって心を奮い立たされた人々がダビデ王の子孫であるゼルバベルと大祭司ヨシュアをリーダーにして故国に戻り、神殿再建工事を始めました。ところが、その地に住むサマリヤ人たちの執拗な妨害工作を受けて、工事は次のダリヨス王の時代まで約十六年間もの長い間中断することになってしまったのです。
 しかし、ダリヨス王の第二年に、神様は預言者ハガイとゼカリヤを通して励ましの言葉を与えてくださいました。ハガイを通して「あなたがたの現状をよく考えよ。自分中心の生活を優先しても決して満たされることはないのだ。礼拝の場所を建て上げることの大切さを思い起こしなさい。わたしがあなたがたとともにいて、あなたがたとともにいて神殿を建てさせ、それを以前の神殿にまさる栄光で満たす」と言われました。また、ゼカリヤを通して「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって神殿は建てあげられる。ゼルバベルの前に立ちはだかる大きな山は平地となり、ゼルバベルの手が神殿を完成する」と言われたのです。その言葉に力づけられたゼルバベルたちは工事を再開し、四年後の紀元前五一六年に神殿が完成し、奉献式が行われました。(細部の工事は後のアルタシャスタ王の時代まで続けられていたようです。)
 さて、この神殿完成までがエズラ記の前半1章〜6章に記されていることなのですが、6章のダリヨス王の時代と7章のアルタシャスタ王の時代の間には実は、五十六、七年の隔たりがあるのです。その6章と7章の間にアハシュエロス王が統治する時代が約二十年間ありました。そのアハシュエロス王の時代の出来事が今日のエステル記に書かれているのです。
 
1 エステル、王妃となる
 
 舞台となったのは、ペルシヤの首都シュシャンでした。アハシュエロス王は、治世の第三年に百八十日にも及ぶ大宴会を催しました。自分の輝かしい富と力を誇示したわけですが、おそらく、ギリシャ遠征のために国威を高揚し、武将たちの士気を鼓舞することが目的だったのだろうと言われています。大宴会が終わるとシュシャンの城にいたすべての人々のために七日間の宴会が催されました。その七日目のことです。酒の勢いですっかり上機嫌になった王は、王妃ワシュティに王冠をかぶらせて王の前に連れてくるように命じました。王妃の美しさを皆に見せびらかそうとしたようです。ところが、ワシュティは、王の命令を拒んで来ようとしませんでした。酒の勢いで恥ずべき行為を求められるのではないかと思ったのかもしれません。王は激怒しました。大宴会で自分の富と力を見せつけてきたのに、最後の最後に王妃に命令を拒絶され、大恥をかかされたわけですから。
 王は、すぐにワシュティの処分を側近に相談しました。すると、側近のひとりがこう提案しました。「ワシュティの行動に影響されて、国中のすべての女たちが夫を軽く見るようになっては困ります。そうならないように、ワシュティから王妃の位を剥奪し、今後一切王の前に出ることを禁じ、別の女性を王妃にしてください。そうすれば、女たちは夫を尊敬するようになるでしょう。」王はその提案を受け入れ、「男子はみな一家の主人とならなければならない。妻に迎合するな」という命令を記した書簡を全国に送ったのです。これは「女は黙って男に従え」というとんでもない命令だったわけです。
 さて、ワシュティの代わりとなる新しい王妃さがしが始まりました。国中の美しい未婚の娘たちがシュシャンの城に集められ、特別な香料や化粧品を与えられて一年の準備期間を過ごしてから、王のもとに順番に召されていくのです。後宮は「おとめ部屋」と「そばめ部屋」分かれていて、おとめが一度王のもとに召されても、王妃とされない場合、次の日からは「そばめ部屋」に移され、その後は王の声がかからなければ再び王のところに行くことはできませんでした。
 王宮に集められた娘たちの中にエステルがいました。故国に帰らずにペルシヤの各地に残って生活していたユダヤ人の一人です。幼くして孤児になり、おじのモルデカイの養女として育てられたのです。娘たちを管理する監督管ヘガイは、エステルに好感を抱き、最も良い部屋を与えて特別待遇をしました。2章15節には「エステルは、彼女を見るすべての者から好意を受けていた」とあります。そして、エステルは、王にも気に入られ、王妃の座につくことになったのです。エステルには野心も貪欲さもありませんでした。ただ自分の置かれた場所で従順に生きていただけです。与えられた物のほかは何も求めませんでした。それなのに、自分から望んだわけでもないのに、大帝国の王妃にまでなったわけですね。
 このエステルの姿を見ると、エジプトに奴隷として連れて行かれたのちに総理大臣にまでなったヨセフや、バビロンに捕らわれていったのに王に次ぐ権力を与えられることになったダニエルのことが思い起こされますね。この人々は皆、与えられた場所で従順に成すべきことをしていただけですが、人々の好意を受け、自ら望んだのではないのに高い位を与えられたのです。そして、その彼らを通して、神様がみわざを現してくださったのですね。
 
2 ハマンの陰謀
 
 エステルが王妃となって四年後のことでした。狡猾なハマンという人物が王に重んじられ、総理大臣に昇進しました。家来たちはみな、ハマンにひざをかがめひれ伏しました。王がそう命じたからです。
 エステルの養父モルデカイは、シュシャンの城の門番をしていました。しかし、ハマンが通っても、決してひざをかがめず、ひれ伏そうともしなかったのです。この「ひれ伏す」という言葉は、ただ敬意を表すのではなく、神としてあがめるという意味を持っていました。だから、モルデカイは、断固としてそれを拒否したのです。ダニエルの仲間たちが金の像を拝もうとしなかったのと同じですね。
 そのモルデカイの態度に、ハマンは激しく憤りました。「モルデカイを破滅させてやろう。いや、モルデカイはユダヤ人だから、王国中のすべてのユダヤ人を根絶やしにしてしまおう」と考えたのです。
 彼は総理大臣で、年間のスケジュールを決めるときには、くじ(プル)を投げて日程を決めていました。第一の月に、ユダヤ人虐殺の日を決めるためにくじが投げられました。すると、第十二の月の十三日に当たりました。そこで、ハマンは王にこう提案したのです。「国中に散らされて住んでいる一つの民族は、王の法令を守っていません。彼らは帝国に悪影響を及ぼすだけでなく謀反の危険もあります。ですから、彼らを滅ぼす命令を出してください。そのために必要な費用、銀一万タラントは私が負担します。」一万タラントは、当時のペルシヤの歳入の半分以上です。ギリシヤ遠征で財政難に陥っていた帝国としては喉から手が出るほどほしい額でした。ハマンは、ユダヤ人たちを絶滅させ財産を没収すれば、そのぐらいの額は集められると見積もっていたようです。王は、ハマンを信用していたので、その件をハマンに一任し、自分の指輪を預けました。ハマンは、すぐに書記官を招集し、各民族の言葉で命令を記し、王の指輪で印を押し、決して取り消されることのない命令として国中に送ったのです。それにはこう書かれていました。「第十二の月の十三日の一日のうちにすべてのユダヤ人を滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪え。」この文書の写しがすべての民族に公示されました。
 
3 エステルの決意と行動
 
 シュシャンの町や全国各地のユダヤ人たちは、この命令に衝撃を受け、着物を引き裂き、荒布をまとい、大声で嘆き悲しみました。
 モルデカイは、エステルに直接面会することはできませんから、エステルの侍従に文書の写しを渡し、「ユダヤ人のために王にあわれみを求めて欲しい」とエステルに伝えました。
 エステルは迷いました。なぜなら、たとい王妃であっても、王の召しがないのに王のところに行く者は死刑に処せられるという法令があったからです。そして、その法令を破った者をただちにたたき切るために武装した者たちが王座の近くに控えていたのです。ただし、王がその者に金の笏をを差しのばせば、許されることになっていました。しかし、エステルはここ三十日間王のもとに召されていません。もし早まって死刑に処せられたら、もともこもありません。もう少し待てば王様の召しがあるのではないか、だから、今は待っていることが賢明ではないか、と思ったかもしれません。エステルがそのことをモルデカイに伝えると、モルデカイは再び伝言を送りました。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」その伝言を受け取ると、エステルはこう返事をしました。「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」
 三日間後、エステルは王妃の衣装を身に着け、王の前に出ました。命がけの行動です。すると、王はエステルに金の笏を差し伸ばし、「エステルよ。何が欲しいのだ。王国の半分でもあなたにやれるのだが」と語りかけたのです。
 私なら、すぐに「ハマンが悪事を企んでいます。ユダヤ人を助けてください」とお願いすると思います。しかし、エステルは、このような提案をしたのです。「王様、今日、私が設ける宴会にハマンとご一緒にお越しください。」王はハマンを連れてエステルの宴会に出て、再び尋ねました。「あなたは何を願っているのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう。」
 すると、エステルは「明日、もう一度、私が設ける宴会にハマンと一緒にお越しください。そうすれば、願い事をお話しします」と答えたのです。エステルがなぜ、すぐに願いを言わずに二回も宴会を設けて王とハマンを招いたのかわかりません。ただ、そのようにしたほうがいいという思いを神様が与えてくださったのでしょう。そして、その背後で、神様が絶妙なタイミングで事を行ってくださったのです。
 
4 神様のタイミング
 
 一回目の宴会に出席したハマンは、翌日もまた宴会に招かれたことで上機嫌でした。王様と王妃と自分だけの宴会に二日続けて招かれるとは、とんでもない名誉なことです。どんな褒美が待っているだろうと大いに期待したことでしょう。しかし、帰り道、いつものことながら自分にひれ伏そうとしないモルデカイが城の門にいるではありませんか。ハマンは途端に気分が悪くなりました。ハマンの妻と取り巻き連中はそれを聞くと、こう進言しました。「高さ五十キュビト(約二十二メートル)の柱を立てさせ、明日の朝、王に話して、モルデカイをそれにかけ、それから、王といっしょに喜んでその宴会においでなさい。」その提案が気に入ったハマンは、さっそく柱を立てさせました。これで気分良く明日の宴会に出席できると思ったのですね。
 一方、王はその夜、なかなか眠れなかったので、過去の出来事が記録されている「年代記」を読み始めたのですが、そこに、モルデカイのことが記されていました。二人の宦官が王の暗殺を企てたが、それを察知したモルデカイの通報で未然に防ぐことができたという出来事が記されていたのです。王が家来たちに「この者に褒美をとらせたか」と尋ねると、家来たちは「いいえ、何もしていません」と答えました。
 ちょうどそのときでした。ハマンが、モルデカイを処刑する許可を得るために、王宮の外庭に入って来たのです。王は、ハマンを自分のもとに呼び寄せ、「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう」と尋ねました。ハマンは心の中で「王が栄誉を与えたいと思われる者は、私以外にだれがあろう」と思い、こう答えました。「その人には王服を着させ、王の乗られた馬に乗せ、町の広場で『王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである』と人々にふれさせてください。」すると、王はハマンに言いました。「あなたが言ったとおりに、すぐ王服と馬を取って来て、ユダヤ人モルデカイにそうしなさい。あなたの言ったことを一つもたがえてはならない。」
 なんということでしょう。ハマンは衝撃を受けただけでなく、自分でモルデカイが乗る馬を引き、広場で「王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである」と叫ばなければならなくなったのです。それが終わると、ハマンは、嘆いて、頭をおおい、急いで家に帰りました。そして、王と共にエステルの二回目の宴会に出席したのですが、ハマンはすべての思惑が外れ、宴会の気分どころではなかったでしょう。
 宴会の席で王は再びエステルに尋ねました。「あなたは何を願っているのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう。」するとエステルはこう語り始めたのです。「もしも王さまのお許しが得られ、王さまがよろしければ、私の願いを聞き入れて、私にいのちを与え、私の望みを聞き入れて、私の民族にもいのちを与えてください。私も私の民族も、売られて、根絶やしにされ、殺害され、滅ぼされることになっています。私たちが男女の奴隷として売られるだけなら、私は黙っていたでしょうに。事実、その迫害者は王の損失を償うことができないのです。」王が「そんなことをあえてしようと企んでいる者は、いったい誰か」と尋ねると、エステルは即座に答えました。「その迫害する者、その敵は、この悪いハマンです。」ハマンは、震え上がり、エステルに命乞いをしようとひれ伏しましたが、王は激しく憤り、ハマンがモルデカイのために用意していた柱にハマンをかけるよう命じました。皮肉なことに、ハマンは自ら立てた柱にかけられ、処刑されてしまったのです。箴言26章27節に「穴を掘る者は、自分がその穴に陥り、石をころがす者は、自分の上にそれをころがす。」とある通りになったのです。
 王は、ハマンから取り返した自分の指輪を、こんどはモルデカイに与えました。なんとモルデカイが国の総理大臣に就任することになったのです。
 しかし、ユダヤ人虐殺の命令は、まだ有効のままでした。一度出された命令は取り消しができないのです。エステルが再び王に嘆願したので、王は、ユダヤ人たちを守る新しい命令を出すことを許可しました。そこでモルデカイは王の名で命令をしたため、王の指輪で印を押して早馬に乗った急使に託して各地に送りました。その命令とは、「ユダヤ人たちは自分たちのいのちを守るために集まって、襲ってくる者たちを滅ぼしてもいい」という内容でした。自衛する権限を国のお墨付きで与えたのです。結局、第十二の月の十三日にユダヤ人たちを滅ぼそうとしたハマンのユダヤ人絶滅計画は頓挫したのです。
 この出来事を記念して、ユダヤの社会では、今でもプリムの祭りが祝われています。プリムはペルシャ語で「くじ」を意味するプルという言葉の複数形です。ハマンはくじを引いて悪を実行する日を決めましたが、神様は、その日を救いと喜びの日に変えてくださったのですね。
 この出来事は、エルサレムの神殿が再建されてから三十数年後に起こりました。当時はエルサレムもペルシヤ帝国の支配下にありましたから、もしエステルがいなければ、エルサレムのユダヤ人たちも、各地に散っていたユダヤ人たちも、すべて殺され、救い主がダビデの子孫から生まれるという約束も成就しなかったかもしれません。
 
 エステル記には一つの特徴があります。それは「神」とか「主」という言葉がどこにも出てこないということです。しかし、エステル記を読むと、歴史の背後に、また一人一人の思いや行動の背後に、すべてを支配してくださる神様がいてくださることを知ることができるのです。
 私たちは、この神様の愛と真実の支配の中に生かされています。その神様に信頼し、すべてを委ねながら、与えられた場所で誠実に歩んでいきましょう。