城山キリスト教会 礼拝説教    
二〇二四年一〇月六日             関根弘興牧師
                 エズラ七章一節〜一〇節
  帰還からマラキ書まで4
     「律法学者エズラ」
 
1 これらの出来事の後、ペルシヤの王アルタシャスタの治世に、エズラという人がいた。このエズラはセラヤの子、順次さかのぼって、アザルヤの子、ヒルキヤの子、2 シャルムの子、ツァドクの子、アヒトブの子、3 アマルヤの子、アザルヤの子、メラヨテの子、4 ゼラヘヤの子、ウジの子、ブキの子、5 アビシュアの子、ピネハスの子、エルアザルの子、このエルアザルは祭司のかしらアロンの子である。6 エズラはバビロンから上って来た者であるが、イスラエルの神、主が賜ったモーセの律法に通じている学者であった。彼の神、主の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをみなかなえた。7 アルタシャスタ王の第七年にも、イスラエル人のある者たち、および、祭司、レビ人、歌うたい、門衛、宮に仕えるしもべたちのある者たちが、エルサレムに上って来た。8 エズラは王の第七年の第五の月にエルサレムに着いた。9 すなわち、彼は第一の月の一日にバビロンを出発して、第五の月の一日にエルサレムに着いた。彼の神の恵みの御手が確かに彼の上にあった。10 エズラは、主の律法を調べ、これを実行し、イスラエルでおきてと定めを教えようとして、心を定めていたからである。(新改訳聖書第三版)
 
 「帰還からマラキ書まで」と題する連続説教をしていますが、今日は、その四回目です。まず、前回までの内容を振り返ってみましょう。
 南ユダ王国の人々は、バビロニヤ帝国によって国も神殿も滅ばされ、バビロンに捕囚として連れて行かれましたが、その約七十年後、ペルシヤのクロス王がバビロニヤを滅ぼして覇権を握りました。クロス王は捕囚となっていたユダヤ人たちに「故国に帰って神殿を再建するように」という命令を出しました。そこで、心動かされた人々がダビデ王の子孫ゼルバベルと大祭司ヨシュアをリーダーにして故国に帰り、神殿再建工事を始めました。途中、敵の妨害や様々な困難のために長い中断の時期がありましたが、預言者ハガイやゼカリヤが語る神様の励ましのことばに力を得て、工事開始から約二十年後、ダリヨス王の時代に神殿を完成することができたのです。そこまでの内容がエズラ記前半の1章から6章までに書かれていましたね。
 その神殿完成から三十年以上経ったアハシュエロス王の時代に前回お話ししたエステル記の出来事が起こりました。ユダヤ人エステルがアハシュエロス王の妃に選ばれてしばらくしたとき、総理大臣ハマンがユダヤ人に敵意を抱き、王をうまく言いくるめて「第十二の月の十三日にすべてのユダヤ人を虐殺せよ」という命令を国中に送ったのです。しかし、王妃エステルとエステルの養父モルデカイの勇気ある行動によって、ハマンの計画を阻止することができました。その背後に神様の絶妙な御計画とみわざを見ることができましたね。
 その後、アハシュエロス王は、治世の二十年目にクーデターによって暗殺されてしまい、今日のエズラ記7章に登場するアルタシャスタ王が即位しました。つまり、エズラ記の6章と7章の間には五十六、七年の時間の隔たりがあるわけです。今日は7章から10章までのエズラ記後半の内容を見ていきましょう。
 
1 学者エズラ
 
 アルタシャスタ王は、ユダヤ人に大変好意的でした。前回見ましたように、アハシュエロス王の王妃だったエステルはまわりのすべての人に好意を持たれていましたし、エステルの養父モルデカイはハマンの代わりに総理大臣になり、王や人々から信頼されていたのでしょう。アルタシャスタ王の時代になってもそういう好意的な評価が続いていたのかもしれません。
 そして、今日の主人公エズラも王の好意を受けていたようです。エズラは、祭司の家系に生まれ、「モーセの律法に通じている学者」でした。11節には「エズラは、主の命令のことばと、イスラエルに関する主のおきてに精通した学者であった」とあります。そして、6節に「彼の神、主の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをみなかなえた」と書かれていますから、王に大変気に入られ、信頼され、王の相談役のような立場にいたのでしょう。エズラは、聖書に基づいた知恵によって王にいろいろな助言を与えていたのかもしれません。
 人が生きていくために大切なものの一つが教育です。どのような教育を受けるかによって人の生き方は変わっていきます。敵対心を植え付ける教育もあれば、平和の大切さを教える教育もあります。また、何を自分の神として生きていくのかということを教えるのも大切なことです。
 エズラは、人々にモーセの律法を教えることに使命感を持っていました。モーセの律法というのは、神様がモーセを通して与えてくださった様々な命令や戒めのことで、旧約聖書の創世記から申命記の五つの書に記録されています。エズラは、ペルシヤにいる同胞にそのモーセの律法を教えていたでしょう。律法学者の元祖とも言える人です。そのエズラには一つの願いがありました。再建された神殿があるエルサレムに行って律法を教えることです。旧約聖書の時代、エルサレムの神殿は、全世界に散って生活しているユダヤ人たちの信仰の中心でした。皆、神殿のあるエルサレムの方角に向かって祈りをささげていたのです。ですから、エズラは、そのエルサレムに戻って律法を教えることによって、そこがすべての祝福の源になると考えたのではないかと思います。目に見える神殿が完成した今、律法に従って心から礼拝をささげる人々を育てることが大切であり、それが自分の使命だと感じていたのでしょう。
 
2 アルタシャスタ王の帰還命令
 
 そのエズラの願いがついに叶えられるときがやってきました。アルタシャスタ王の第七年のことです。王はエズラに命令書を与えました。その内容は7章12節ー26節に書かれています。要約すると次のような内容です。「あなたの神の律法に従ってユダとエルサレムを調査しなさい。また、王とその七人の議官たちがささげた銀と金、すべての州からささげられた銀と金、また、イスラエルの民と祭司たちのささげ物を携えていきなさい。その献金で牛、羊、穀物のささげ物、ぶどう酒を買い、神殿で神にささげなさい。残った銀と金は、あなたとあなたの同胞が神の御心に従って判断して、よいと思われることに使ってよい。また、神の宮の礼拝に必要な器具を与える。その他に神の宮に必要なものがあれば、王の宝物倉から調達してよい。私の国にいるイスラエルの民、祭司、レビ人のうち、だれでも自分から進んでエルサレムに上って行きたい者は、あなたと一緒に行ってよい。あなたは、あなたの神の知恵にしたがってさばきつかさや裁判官を任命し、川向こうのすべての民、すなわち、あなたの神の律法を知っているすべての者を裁かせ、神の律法を知らないものには教えよ。あなたの神の律法と王の律法を守らない者は厳格に判決を執行せよ。」その手紙には、さらに川向こうの宝庫係全員への命令も書かれています。「天の神の律法の学者である祭司エズラが、あなた方に求めることは何でも、心してそれを行え。天の神の宮のために、天の神によって命じられていることは何でも、熱心に行え。また、神の宮に仕える者たちには、みつぎ、関税、税金を課してはならない。」王は、エズラに大きな権限を与え、神様の律法と神殿を大切にするように命じ、神殿で奉仕する人々にも税金免除という破格の待遇を与えたのですね。
 王は、エズラに「神の律法に従ってユダとエルサレムを調査するように」と命じていますが、この調査は宗教的な面での調査です。ペルシヤは広大な領土があり、ギリシャの抵抗やエジプトの反逆の鎮圧などに追われていました。ですから、各地域の安定を確認したいわけですね。エルサレム一帯の宗教的な安定はパレスチナ全体の安定に繋がると考えていたのでしょう。エズラは、その役割にふさわしい人物として選ばれたわけです。
 また、王が神の宮を大切にせよと命令した理由が24節に書かれています。「御怒りが王とその子たちの国に下るといけないから」だというのです。このような考え方をする人は多いですね。献金を保険のように考えるんです。「神様、これだけ献げましたから災いが下りませんように」と願うのですが、まるで神様もお金で買収できるかのような発想ですね。また、献金を投資のように考える人もいます。「神様、これだけ献げましたから、何十倍にもして返してください。」皆さん、献金は神様への感謝を表す行為であって、保険でも投資でもありません。でも、アルタシャスタ王も自分を守るために保険をかけるような意識があったのですね。
 とは言っても、王は、エズラを信頼しているからこそ、多額の献金を託し、行政、司法、教育の全権を委ねるという異例の待遇を与えたのです。その背後には神様の働きがありました。9節ー10節にこう書かれています。「彼の神の恵みの御手が確かに彼の上にあった。エズラは、主の律法を調べ、これを実行し、イスラエルでおきてと定めを教えようとして、心を定めていたからである。」また、27節ー28節ではエズラ自身もこう告白しています。「私たちの父祖の神、主はほむべきかな。主はエルサレムにある主の宮に栄光を与えるために、このようなことを王の心に起こさせ、王と、その議官と、すべての王の有力な首長の好意を私に得させてくださった。私の神、主の御手が私の上にあったので、私は奮い立って、私といっしょに上るイスラエル人のかしらたちを集めることができた。」
 
3 エルサレムへの帰還
 
 以前、クロス王の命令によってゼルバベルたちがエルサレムに帰還してから約八十年、そして、神殿が再建されてから約六十年が経っていました。こんどは、エズラたちがエルサレムに帰還するわけです。エズラの呼びかけに答えてアハワ川のほとりに集まってきた人々のリストが8章1節ー14節に記されています。でも、問題がありました。その中にレビ人が一人もいなかったのです。レビ人には神殿の奉仕だけでなく民を教える役割もありました。必要な資金も物資も備えられたけれど、肝心な「人材」が不足していたわけです。エズラはレビ人が誰も来ないことに驚きました。私ならすぐに「まったくレビ人たちは何を考えているのだ」と批判するでしょう。しかし、エズラはそうではありませんでした。十一人の信頼できる者をレビ人たちのもとに遣わして、今回の帰還の目的を丁寧に説明させたのです。すると、三十八人のレビ人と、レビ人を補佐する宮につかえるしもべ二百二十名が加わることになりました。
 彼らは、出発前にまず断食をして道中の無事を神に願い求めました。当時の旅には大きな危険が伴ったからです。しかも、エズラたちは今の価格で数百億円にもなる金品を携えていくのです。それが奪われたり危害が加えられるようなことばあれば、エズラの目的は水の泡になってしまいます。
 ですから「護衛をつけてください」と王に願ってもいいはずですね。ところが、エズラは、王の軍隊に自分たちを守ってもらうことは恥だと考えました。エズラは王にこう言っていたからです。「私たちの神の御手は、神を尋ね求めるすべての者の上に幸いを下し、その力と怒りとは、神を捨てるすべての者の上に下る。」いつも「神様が私たちを守ってくださる」と言っているのに、いざとなると「あなたの軍隊に守ってもらう必要があります」と言うのは、神様の御名を貶めることになると思ったのでしょう。
 ただ、私たちはこの箇所から「神様だけに頼るべきだから、人にはいっさい頼ってはならない」というような極端な考え方をしないようにしましょう。人の助けを借りたほうがいいときもあります。神様の導きを祈りつつ自分自身で判断すればいいのです。この時のエズラは、「今回は、王の軍隊の助けは借りずに、神様の守りに信頼していこう」という判断をしたわけですね。そして、信頼できる祭司長十二人を選んで、神様にささげる金銀財宝を交替で寝ずの番をして守るよう命じました。神様が守ってくださるから何もしなくても大丈夫というのではなく、神様が守ってくださることを信頼しつつ、自分たちのできる細心の注意を払ったのです。
 7章9節を見ると、エズラ一行は、第一の月の一日に出発し、第五の月の一日にエルサレムに到着しました。約千四百キロの道のりを四ヶ月間旅したわけです。8章31節にこう書かれています。「私たちの神の御手が私たちの上にあって、その道中、敵の手、待ち伏せする者の手から、私たちを救い出してくださった。」神様が守ってくださったとしか言い様のない旅だったのですね。彼らはエルサレムに着くと三日間の休息をとり、四日目に携えてきた金品を主の宮に納めて礼拝しました。それから、王の太守たちと川向こうの総督たちに王の命令書を手渡しました。そして、いよいよ帰還の目的である「神様のおきてとさだめを教える」という働きが開始されようとしていたときでした。エズラのもとに重大な報告がもたらされたのです。
 
4 エルサレムの現状
 
 9章1節ー2節にこうあります。「イスラエルの民や、祭司や、レビ人は、カナン人、ヘテ人、ペリジ人、エブス人、アモン人、モアブ人、エジプト人、エモリ人などの、忌みきらうべき国々の民と縁を絶つことなく、かえって、彼らも、その息子たちも、これらの国々の娘をめとり、聖なる種族がこれらの国々の民と混じり合ってしまいました。しかも、つかさたち、代表者たちがこの不信の罪の張本人なのです。」これを聞いたエズラは上着を裂き、髪の毛と髭を引き抜き、茫然自失状態になってしまいました。
 でも、私たちはユダヤ人が他の民族と結婚することが、なぜ「不信の罪」と呼ばれるのだろうと疑問に思いますね。「聖書はイスラエルだけが聖い国でその他の国は忌み嫌うべき国だと教えているのか」と思ってしまいますね。でも、そうではありません。私たちの神様はすべての民を愛しておられ、すべての民のまことの王であり、すべての民が神様を信頼して聖なる民となることを願っておられます。そのために、まずイスラエルの民を通して御自分のみわざを現してくださったのです。
 マタイ1章の救い主イエス様の系図には二人の外国人女性の名が出て来ます。一人はエリコに住んでいた遊女ラハブで、おそらくカナン人だったと思われます。もう一人はモアブ人ルツです。この二人は、外国人でしたが、まことの神様を信じたことによって救い主の系図に名を連ねたのです。その他にも神様を信じて祝福を受けた外国人は聖書の中にたくさん出て来ます。
 ですから、問題は外国人と結婚すること自体にあるのではなく、外国人と結婚した結果、忌まわしい異教の神々が持ち込まれまことの神様がないがしろにされてしまった人々がたくさんいたということなのです。たとえば栄華を極めたソロモン王は、多くの外国人女性を愛し、その女性たちの持ち込んできた偶像礼拝に引き込まれたために、国が分裂する結果になってしまいました。そして、北イスラエル王国も南ユダ王国も様々な忌むべきおぞましい神々に頼りまことの神様に背を向けた結果、滅亡してしまったのです。特に、9章1節に名前が挙がっている民族は、モーセの時代からイスラエルの民を誘惑して災いをもたらすことを繰り返していたので、神様は、モーセを通して彼らとの結婚を禁じていました。
 エズラは、聖書の内容に精通していましたから、こうした背景から他の民族と縁を結ぶことの危険性をよく理解していました。また、自分たちの国がバビロニヤに滅ぼされ、今、ペルシヤの支配下に置かれているのも外国から持ち込まれた偶像礼拝の結果だということを知っていました。ですから当然、他の同胞もそのことを自覚しているはずだと思っていました。まさか神殿がある信仰の中心地エルサレムでそんなことが横行しているとは、まったく考えてもいなかったでしょう。ですから、ただただショックを受けてしまったのです。
 エズラは神殿に行ってひれ伏し、「私たちは神様の命令に背いてしまいました。誰も神様の御前に立つことができません」と涙ながらに告白し祈りました。すると、そこに多くの民も集まってきて激しく涙を流して泣いたのです。その時、シャカヌヤという人が提案しました。「私たちは、神に対して不信の罪を犯し、この地の民である外国の女をめとりましたが、まだ望みはあります。これらの妻たちと、その子どもたちをみな、追い出しましょう。律法に従ってこれを行いましょう。立ち上がってください。このことはあなたの肩にかかっています。私たちはあなたに協力します。勇気を出して、実行してください。」そこで、外国人の妻を持つ人々を詳しく調べ、百十一名の者たちが離婚に応じていったのです。
 私たちは、このような記事を読むと大変困惑しますね。大勢の人に離婚を強制するのはおかしいではないか、離縁された妻や子供はどうなってしまうのか、可哀想ではないかと思ってしまいます。でも、今の私たちが持っている倫理観で判断するのではなく、当時の状況を理解する必要があります。
 バビロンから帰還してきた人々の中には、豊かな生活を手に入れるためにユダヤ人の妻と離婚して外国人の女性と結婚する人が少なからずいました。つまり、男の身勝手によって経済的にも社会的にも妻を追いやるような離婚が横行していたのです。それもエルサレムででてす。そういう人々の中には、神殿に仕え、人々に律法を教える立場の祭司やレビ人もいたのです。大祭司ヨシュアの息子たちもいました。ですから、エズラの命令は、そのような利己的な行いを禁止し、不法な身勝手な離婚の取り消しをする措置でもあったと言えるのですね。外国人の妻を追い出すことは、それだけ見たら理不尽に思えますが、ユダヤ人の妻を離婚して外国人の妻と結婚するという男たちの身勝手な行動が、結局、豊かさをもたらすどころか家庭にとっても社会にとっても深刻な問題となり、大きな代償を支払う結果となったということなのです。
 それだけでなく、神様のあわれみと恵みによってやっと故国に帰り神殿を再建できたというのに、異教の神々が持ち込まれ純粋な信仰が保てなくなったら、これまでの働きがすべてが無駄になってしまいます。今までの先祖たちの過ちを繰り返すことになってしまいますね。ですから、エズラは、指導者として思い切って厳しい対処をしたのです。
 以前にもお話ししましたが、この連続説教の底に流れているテーマは「この世と調子を合わせてはいけません」ということです。この世、つまり、神様なしの秩序に自分を合わせるのではなく、いつも神様ありの秩序に生きるのです。私たちはこの世に柔軟に対応する必要があります。そして、どんな中にあってもここに主はいてくださる「神ありの秩序」の中を歩み、礼拝を共に献げていく者として歩んでいきましょう。