城山キリスト教会 礼拝説教    
二〇二四年一一月三日             関根弘興牧師
                ネヘミヤ一章一節〜一一節
  帰還からマラキ書まで5
     「ネヘミヤ」
 
 1 ハカルヤの子ネヘミヤのことば。第二十年のキスレウの月に、私がシュシャンの城にいたとき、2 私の親類のひとりハナニが、ユダから来た数人の者といっしょにやって来た。そこで私は、捕囚から残ってのがれたユダヤ人とエルサレムのことについて、彼らに尋ねた。3 すると、彼らは私に答えた。「あの州の捕囚からのがれて生き残った残りの者たちは、非常な困難の中にあり、またそしりを受けています。そのうえ、エルサレムの城壁はくずされ、その門は火で焼き払われたままです。」4 私はこのことばを聞いたとき、すわって泣き、数日の間、喪に服し、断食して天の神の前に祈って、5 言った。「ああ、天の神、主。大いなる、恐るべき神。主を愛し、主の命令を守る者に対しては、契約を守り、いつくしみを賜る方。6 どうぞ、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。私は今、あなたのしもべイスラエル人のために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエル人の罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。7 私たちは、あなたに対して非常に悪いことをして、あなたのしもべモーセにお命じになった命令も、おきても、定めも守りませんでした。8 しかしどうか、あなたのしもべモーセにお命じになったことばを、思い起こしてください。『あなたがたが不信の罪を犯すなら、わたしはあなたがたを諸国民の間に散らす。9 あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの命令を守り行うなら、たとい、あなたがたのうちの散らされた者が天の果てにいても、わたしはそこから彼らを集め、わたしの名を住ませるためにわたしが選んだ場所に、彼らを連れて来る』と。10 これらの者たちは、あなたの偉大な力とその力強い御手をもって、あなたが贖われたあなたのしもべ、あなたの民です。11 ああ、主よ。どうぞ、このしもべの祈りと、あなたの名を喜んで敬うあなたのしもべたちの祈りとに、耳を傾けてください。どうぞ、きょう、このしもべに幸いを見せ、この人の前に、あわれみを受けさせてくださいますように。」そのとき、私は王の献酌官であった。(新改訳聖書第三版)
 
 今日は、「帰還からマラキ書まで」の連続説教の五回目です。まず、前回までの内容を振り返ってみましょう。
 南ユダ王国の人々は、バビロニヤ帝国によって国も神殿も滅ばされ、バビロンに捕囚として連れて行かれてしまいましたが、その約七十年後、ペルシヤのクロス王がバビロニヤを滅ぼして覇権を握りました。クロス王は捕囚となっていたユダヤ人たちに「故国に帰って神殿を再建するように」という命令を出しました。そこで、心を奮い立たされた人々は、ゼルバベルと大祭司ヨシュアをリーダーにして故国に帰り、神殿再建工事を始めたのです。途中、敵の妨害や様々な困難のために長い中断の時期がありましたが、工事開始から約二十年後、神殿が完成しました。
 それから三十年以上経ったペルシヤのアハシュエロス王の時代にエステル記の出来事が起こりました。ペルシヤ帝国の支配下にある各地に多くのユダヤ人が生活していたのですが、総理大臣ハマンがユダヤ人に敵意を抱き、王を巧みに言いくるめて「国中のすべてのユダヤ人を虐殺せよ」という命令を出させたのです。しかし、王妃エステルとエステルの養父モルデカイの勇気ある行動によって、その計画を阻止することができました。
 その後、アルタシャスタ王が即位しました。この王は、ユダヤ人に大変好意的で、ユダヤ人の律法学者エズラから助言を受けていたようです。エズラには、エルサレムに行って律法を教えたいという強い願いがありました。それを知ったアルタシャスタ王は、エズラがエルサレムに行くことを許可しただけでなく、エズラにエルサレムの神殿にささげる多額の金銀と供え物を預け、また、ユダヤ人の宗教、行政、司法に関する大きな権限を与えたのです。こうして、アルタシャスタ王の第七年にエズラは期待に胸を膨らませてエルサレムに到着しました。しかし、そこに待っていたのは、指導者たちが神様に対して大きな不信の罪を犯し続けているという現実でした。エズラは大きなショックを受けましたが、人々がもう一度神様に立ち返るよう、律法の書に基づいて指導していくことになったのです。
 ここまでが前回までの内容でしたね。今までも繰り返しお話ししていますが、今回の連続説教の底に流れているテーマは、パウロがローマ12章2節で言っているように「この世と調子を合わせてはいけません」ということです。この世とは「神様なしの秩序」という意味です。私たちはこの世に柔軟に対応する必要がありますが、神様なしの秩序に飲み込まれるのではなく、いつも神様を信頼しながら神様の秩序の中で歩んで行くことが大切なのです。
 さて、今日のネヘミヤ記には、エズラがエルサレムに行ってから十三年後の紀元前四四五年、アルタシャスタ王の第二十年からの出来事が書かれています。見ていきましょう。
 
1 エルサレムの現状
 
 ネヘミヤはペルシヤ王の献酌官でした。献酌官というのは、食事の時、王の身近で給仕をする役職です。当時は、王に毒を盛って暗殺するということがたびたびありましたので、献酌官になれるのは王に最も信頼された人物だけです。また、献酌官は常に王の身近にいるわけですから、帝国内で大きな影響力を持っていました。ネヘミヤは王に次ぐ第二の地位にまでなっていたのではないかとも言われるほどです。ネヘミヤは異教の国ペルシヤの王に誠実に仕えて信頼されていましたが、彼が最も大切にしていたのは、神様をあがめ、神様に従いながら歩むことでした。それは、これまで見てきたダニエル、エステル、モルデカイ、エズラも同じでしたね。
 ある時、親類のハナニが、ユダから来た人々をネヘミヤのもとに連れてきました。ネヘミヤは政府の高官で、たやすく面会できませんから、ユダの人々はハナニに仲介を頼んだのかもしれません。ネヘミヤは、彼らにエルサレムの現状を尋ねました。何十年も前に神殿が再建され、しかも律法学者エズラがエルサレムに行って十年以上熱心に改革に取り組んでいるわけですから、順調に復興し、同胞も安定した生活を送っているだろうと思っていたのかもしれません。しかし、そのネヘミヤの予想に反し、彼らはこう報告したのです。「人々は非常な困難の中にあり、またそしりを受けています。そのうえ、エルサレムの城壁も門も破壊されたままです。」城壁と門が破壊されたままでは、自分たちの身をを守ることができず、再び敵に攻撃されて滅びてしまう危険が常にあるということですね。その状況の中で、人々は敵にそしられながら苦しい生活を送っているというのです。この報告を聞いたネヘミヤは愕然としました。しかし、「よし、わかった。私はいつも王の近くにいるから、王に直談判してなんとかしよう。私に任せておけ」とは言いませんでした。彼が取った最初の行動は「祈る」ことだったのです。1章4節にネヘミヤは「すわって泣き、数日の間、喪に服し、断食して天の神に祈った」と書かれていますね。その祈りの内容が1章5節ー11節に記されていますが、これは「ネヘミヤの祈り」として有名な箇所です。詳しく見ていきましょう。
 
2 ネヘミヤの祈り
 
(1)神様への呼びかけ
 
 ネヘミヤはまず、神様にこう呼びかけました。「天の神、主。大いなる、恐るべき神。」この「天の神」とは、すべての領域を支配しておられる神という告白です。「恐るべき神」とは、「畏れ敬われ、礼拝されるべき神」という告白です。ネヘミヤは、当時の世界を支配するペルシヤ王に仕えていましたが、その王よりも遙かに偉大な神様がおられ、この神様こそすべてのものを支配しておられ、すべての民が畏れ敬い礼拝すべき方である、と告白したのです。
 ネヘミヤは続けて、すべての主である神様は「主を愛し、主の命令を守る者に対しては、契約を守り、いつくしみを賜る方」であると告白しました。モーセの時代、イスラエルの民は、モーセを仲介者として神様と契約を結びました。民が神様を愛し従いさえすれば、神様は大いなる祝福と恵みといつくしみを与えてくださるという契約です。ネヘミヤは、「神様は、その契約を必ず守ってくださる方だ」と告白したのです。
 
(2)罪の告白
 
 しかし、もう一方の契約の当事者である民は、どうだったでしょうか。ネヘミヤはこう告白しました。「まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。私たちは、あなたに対して非常に悪いことをして、あなたのしもべモーセにお命じになった命令も、おきても、定めも守りませんでした。」この「罪」というのは、神様との関係が破綻している状態を表す言葉です。イスラエルの人々は神様と契約を結んだのに、その契約を無視し、神様に背を向け、神様の愛と恵みの支配から離れて自分勝手な道を歩むことを繰り返してきました。それが、現在のような状況を招いたというのですね。ネヘミヤ自身は神様に従って生きることを第一にしていました。しかし、自分には罪がないとは考えていませんでした。神様の命令を完全に守ることのできる者など一人もいない、ということをネヘミヤはよく知っていたのです。ですから、先祖や同胞の姿を他人事として批判するのではなく、自分も罪人の一人であることを認めながら、自分のこととして神様に告白して祈ったのです。
 
(3)神様の約束を引用し、あわれみを願い求める
 
 そして、ネヘミヤは聖書に記されている神様の約束の言葉を引用して祈りました。「神様、あなたは、あなたに立ち返る者を回復させると約束してくださっているではありませんか。私たちは、あなたが贖ってくださったあなたの民なのですから、どうか、あわれみを受けさせてください。」
 人々は、神様の恵みを忘れて繰り返し罪を犯してきました。しかし、彼らが悔い改めて神様に立ち返るたびに、神様は彼らをあわれみ、救いの手を差し伸べてくださいました。その歴史をネヘミヤはよく知っていました。ですから、今回も「あわれみを受けさせてください」と熱心に祈り求めたのです。
 この聖書に出てくる「あわれみ」という言葉は、しばしば誤解されますが、ただ「可哀想に思って大目に見る」という意味ではありません。神様が与えてくださる「あわれみ」とは、単なる同情ではなく、「頼りがいのある支え」「実際に行動を伴う支え」という意味なのです。ネヘミヤは「神様、あなたがみわざを行って私たちを罪の状態から救い出してください。そして、私たちがあなたに立ち返って幸いな生活が送れるように具体的な支えとなってください。」と必死に祈ったわけですね。ネヘミヤは、どんな問題も、神様の支えがなければ決して解決することはできないと知っていたのです。
 
3 祈りの答え
 
 ネヘミヤは三ヶ月ほど祈り続けました。祈りの中で、自分がエルサレムに行って城壁を再建したいという願いが湧いてきたのでしょう。しかし、そのためには王の許可が必要です。どのように王に説明し、許可を得たらいいのか思いあぐねていたのではないかと思います。
 あるとき、ネヘミヤはいつものように王様に酒を差し出していましたが、いつになくしおれた様子をしていました。通常、王の前で悲しみや憂いを顔に出すことは禁じられていました。酒がまずくなるだけですからね。それに、いつもと違う異常な様子を見せると、謀反を企んでいるのではないかなどとあらぬ疑いをかけられる恐れもありました。ですから、ネヘミヤはこれまでそのような態度を取ったことがありませんでした。しかし、その日は、悲しみや憂いの気持ちを隠すことができませんでした。そんなネヘミヤの様子に気づいた王は、「ネヘミヤよ。お前は病気でもなさそうなのに、なぜ、そのように悲しい顔つきをしているのか」と尋ねました。そこで、ネヘミヤは恐れながらも正直にこう打ち明けました。「私の先祖の墓のある町が廃墟となり、その門が火で焼き尽くされているというのに、どうして悲しい顔をしないでおられましょうか。」すると、王が「では、あなたは何を願うのか」と尋ねたので、ネヘミヤは、まず心の中で神様に祈ってから、思い切って答えました。「王さま。もしもよろしくて、このしもべをいれてくださいますなら、私をユダの地、私の先祖の墓のある町へ送って、それを再建させてください。」すると、王は「旅はどのくらいかかるのか。いつ戻って来るのか」とネヘミヤに尋ね、ネヘミヤがエルサレムに行くことを快く許可してくれたのです。ネヘミヤは、思い切って少し厚かましいのではないかと思われるほどの願いをしました。「もしも、王さまがよろしければ、川向こうの総督たちへの手紙を私に賜り、私がユダに着くまで、彼らが私を通らせるようにしてください。また、王に属する御園の番人アサフへの手紙も賜り、宮の城門の梁を置くため、また、あの町の城壁と、私が入る家のために、彼が材木を私に与えるようにしてください。」すると、王はそれも快く承諾してくれました。ネヘミヤは「私の神の恵みの御手が私の上にあったので、王はそれをかなえてくれた」と記しています。
 それだけでなく、王は、将校と騎兵たちをネヘミヤの護衛につけて送り出してくれました。以前、エズラがエルサレムに行くとき、エズラは「神様が守ってくださるから、護衛は要りません」と断りましたね。一方、ネヘミヤは躊躇なく護衛の助けを受けました。これは、どちらが正しいとか、信仰深いとかいうことではありません。状況や必要に応じて各自が自分で判断すればいいのです。信仰生活というのは、このように柔軟性があるものなのですね。
 
4 妨害と完成
 
 さて、ネヘミヤはこうしてユダの地に総督として赴任しました。エルサレムに到着すると三日間静かな時を過ごし、夜中に起き出して城壁の現状を見回りました。そして、いよいよ城壁の再建工事に取りかかりました。3章に書かれているように、工事の箇所を細かく分け、それぞれに責任者を置き、同時進行で工事を進めていったのです。その工事の間に様々な問題や妨害があったことが2章から6章に書かれています。どんなことがあったのでしょうか。
 まず、外部からの妨害がありました。その地の総督ホロン人サヌバラテや役人のアモン人トビヤが、ネヘミヤの始めた工事に執拗な妨害工作を仕掛けてきたのです。城壁が再建されれば、ユダヤ人が結束して強くなり、自分たちの既得権益が脅かされるからです。彼らは「おまえたちは王に反逆しようとしているのか」「そんな城壁など一匹の狐が上っただけでくずれてしまうぞ」と繰り返し、嘲ったり脅したりしてきました。城壁が完成しないうちにエルサレムに攻め入って工事関係者を殺してしまおうとする陰謀も企てました。工事に携わっている人々は、そういう妨害や脅かしに動揺し心が折れそうになってしまいました。しかし、ネヘミヤは「彼らを恐れてはならない。私たちの神が私たちのために戦ってくださるのだ」と勇気づけ、昼夜交替の見張りを置き、工事をする人々にも武器を持たせて工事を進めていったのです。そこで、妨害者たちは、今度は、ネヘミヤの暗殺計画を企てました。話し合いをしようと提案してネヘミヤをおびき出し、殺してしまえばいいと考えたのです。彼らは四度もネヘミヤを誘い出そうとしましたが、ネヘミヤは断り続けました。すると、彼らは、五度目にこう書き送ってきました。「あなたが城壁を建て直して彼らの王になり、ペルシヤの王に反逆しようとしている、という噂が広まっているぞ。それを王が聞いたらただではすまないぞ。私たちが相談に乗ってあげよう」と。しかし、ネヘミヤはその誘いもきっぱり退け、神様に「私を力づけてください」と必死に祈ったのです。
 また、内部にも様々な問題がありました。ユダヤ人の中にトビヤたちと姻戚関係を結んだ者たちがいて、内部情報を彼らに流したり、工事を辞めるように説得しようとしてきました。
 また、頼りになると思っていた預言者シェマヤは「敵があなたを殺しにやって来るから、私と一緒に神殿の本堂の中に隠れよう」と言ってきました。しかし、神殿の本堂に入ることが許されているのは祭司だけです。総督であるネヘミヤといえども、本堂に入れば律法に違反した者としてされることになります。ネヘミヤは、シェマヤが敵に買収されて自分を陥れようとしていることに気づき、はっきり言いました。「私のような者が逃げてよいものか。私のような者で、だれが本堂に入って生きながらえようか。私は入って行かない。」
 このように外からの敵の攻撃や脅かし、内部の人々の心配や裏切りなど幾多の困難が襲ってきたのですが、ネヘミヤは、神様の助けを祈り求めながら、断固として工事を進めていきました。そして、城壁は五十二日で完成したのです。6章16節にはこう書かれています。「私たちの回りの諸国民はみな恐れ、大いに面目を失った。この工事が、私たちの神によってなされたことを知ったからである。」
 さあ、目に見える城壁は再建できました。しかし、それで人の神様に対する姿も変わったでしょうか。そうではありませんでした。ネヘミヤは、ここから人の心の中の崩れた城壁を再建するというさらに困難な課題に取り組まなければならなかったのです。それについては、次回、見ていくことにしましょう。
 
 ネヘミヤは旧約の時代、つまり、「人が神様の命令に従うなら、神様のいつくしみを受けることができる」という契約の時代に生きていました。しかし、神様の命令を完全に守れる人など一人もいません。この契約の下では皆、自分が罪人だと認めるしかないのです。ただ、そのように自分が罪人であることを認め、あわれみを求める人々を神様は助けてくださるというのが聖書の約束です。それが新約聖書にある新しい契約が与えられています。「イエス・キリストを信じるものは、救われる」という契約です。私たちは、自分の弱さと罪を認め、私たちに代わって神様の律法を完全に成し遂げてくださった救い主イエス様を信じ受け入れるだけで、神様との関係が回復され、神様とともに歩むことができるようになったのです。そのことを改めて感謝し、神様の約束に信頼しながら歩んでいきましょう。