城山キリスト教会 礼拝説教
二〇二四年一二月一日 関根弘興牧師
マラキ書四章一節ー六節
帰還からマラキ書まで7
「旧約聖書最後の預言者マラキ」
1 見よ。その日が来る。かまどのように燃えながら。その日、すべて高ぶる者、すべて悪を行う者は、わらとなる。来ようとしているその日は、彼らを焼き尽くし、根も枝も残さない。──万軍の主は仰せられる──2 しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、いやしがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る。3 あなたがたはまた、悪者どもを踏みつける。彼らは、わたしが事を行う日に、あなたがたの足の下で灰となるからだ。──万軍の主は仰せられる──4 あなたがたは、わたしのしもべモーセの律法を記憶せよ。それは、ホレブで、イスラエル全体のために、わたしが彼に命じたおきてと定めである。5 見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。6 彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」(新改訳聖書第三版)
旧約聖書は、全部で三十九の書物からなっていますが、大きく四つに分けることができます。
最初の創世記から申命記までは「律法の書」「モーセの五書」と呼ばれ、神様の天地創造から始まり、人が神様との麗しい関係を自ら破壊してしまったこと、しかし、神様がすべての人を救うために、まずアブラハムとその子孫イスラエルの民を選ばれたこと、また、エジプトで奴隷状態になったイスラエルの民がモーセによって救い出され、四十年間の荒野の旅の間に神様の守り、導き、養いを経験し、律法を与えられ、約束の地を目前にする場所まで導かれたことまでが書かれています。
次のヨシュア記からエステル記までは、約束の地に入ってからのイスラエルの歴史が書かれている歴史書です。エステル記は最後に置かれていますが、実際には、ネヘミヤ記の中間の時代に起こった出来事が記されています。ですから、実際にはネヘミヤ記が歴史書の最後にあたることになります。
次のヨブ記、詩篇、箴言、伝道者の書、雅歌の五つの書は詩歌として分類されています。そして、最後に預言者たちの書が並んでいるわけですが、その中で今日のマラキ書は一番最後の預言書です。
昨年から前回までサムエル記からネヘミヤ記までの歴史書の内容を見てきました。約束の地に入ってから、何度も神様に背いてばらばらな生活をしていたイスラエルの民に、預言者サムエルを通して王が与えられました。最初の王サウルは神様のみこころに背いて自らの身に破滅を招きましたが、次のダビデ王によって国は統一され、次のソロモン王の時代に繁栄を極めました。しかし、その後、南北に分裂し、結局、北イスラエル王国はアッシリア帝国に滅ぼされて消滅し、南ユダ王国はバビロニヤ帝国に滅ぼされて多くの民がバビロンに捕囚となって連れて行かれてしまいました。しかし、その約七十年後、ペルシヤ帝国の時代になると、ペルシヤの王が各民族の故国への帰還と宗教的自由を認めるおふれを出したので、ユダヤ人はエルサレムに帰って破壊されていた神殿を再建しました。その後、律法学者エズラがエルサレムに行って律法を教え、また、ペルシヤ王の献酌官であったネヘミヤが総督としてエルサレムに行き、城壁を再建したのです。人々は、エズラやネヘミヤの前で「これからは神様の律法を守り、神様に従います」と誓いました。しかし、何度誓っても、すぐに忘れて、自分勝手な生活に戻ってしまいました。前回見たように、ネヘミヤはそうした現状を厳しく戒め、断固とした処置を行いましたが、いくら厳しい命令や戒めを受けても、人はすぐに自分勝手な道に逸れてしまうのです。ネヘミヤはそのことを痛感しました。ですから、ネヘミヤ記の最後は「私の神。どうか私を覚えて、いつくしんでください」という祈りで終わっていましたね。ネヘミヤは、人の力の限界を思い知って「神様、私たちの力では、あなたに喜ばれる生き方はできません。あなたのあわれみといつくしみがどうしても必要なのです」と魂の叫びのような祈りをしたのです。
ネヘミヤ記だけでなく、旧約聖書の最初から、人々は神様との誓いに背いて自らに災いや困難を招くことを繰り返して来ました。それは、もともと神様との関係がずれているからなのです。関係がずれていたら、どんなに頑張っても神様に喜ばれるような生き方をすることはできません。自分でどんなに神様に従おうとしてもできない状態なのです。それが「罪」の状態だと聖書は教えます。そして、その状態から救われるためには、神様のあわれみと助けがどうしても必要だ、ということを私たちは旧約聖書を通して知ることができるのです。歴史書は「神様、こんな状態にある私たちには、あなたのあわれみといつくしみが必要です」という祈りで終わっていました。では、預言書の最後のマラキ書は、何を語っているでしょうか。
1 預言者マラキ
マラキという名前は、「わたしの使者」という意味です。彼に関しては、それしかわかりませんが、マラキ書の内容から時代背景が見えてきます。マラキが活動したのは、ペルシャの時代になってエルサレムの神殿が再建されてからしばらく経った頃でしょう。律法学者エズラがエルサレムに行って律法を教え始めた前後か、ネヘミヤが城壁を再建した後だったかもしれません。当時の人々は、エズラやネヘミヤの前で神様の戒めを守りますと誓うのですが、しばらくすると、神様への礼拝をおろそかにして、自分勝手な生活を始めるということを繰り返していたのです。マラキは、そんな人々に対して、主の言葉を語っていったわけです。マラキ書の特徴は、神様と人々との対話の形式で記されていることです。見ていきましょう。
2 マラキのメッセージ
(1)わたしはあなたがたを愛している
まず1章2節で主は「わたしはあなたがたを愛している」と言われました。すると、民はこう応答しました。「どのように、あなたが私たちを愛されたのですか。」
当時の民の気持ちを少し考えて見てください。長いバビロンでの捕囚生活が終わり、故国に帰り、神殿が再建され、これから明るい未来が待っているだろうと期待していたことでしょう。しかし、実際には苦しい生活が何十年も続いているのです。
また、エズラやネヘミヤが来て、城壁も再建出来て、これから神様に従いますと盟約を結び、新しいスタートを切ったのですから、神様が豊かな生活をもたらしてくださるだろうと期待したことでしょう。しかし、時間が経つうちに、「神様は何もしてくださらない。物事が上手くいかない。神様は本当に私たちを愛してくださっているのだろうか」という思いが湧いてきました。だから、マラキが「神様はあなたを愛しています」と語っても、「冗談じゃないよ。いったいどのように愛されているというのだ」と反論してきたわけです。
人は、自分が不幸であると考えている限り、いくら「愛されていますよ」と言われても信じられないものです。「冗談じゃない、愛されているなら、どうしてこんなに不幸なんだ」と反論するのです。私たちは目の前の状況ですべてを判断しがちです。「愛されているなら健康であるはずだ」「愛されているなら金回りがよくなるはずだ」「愛されているなら問題がなくなるはずだ」と思うのです。しかし、それでは、信仰に生きることがいつしか空しくなってきます。誰も皆、健康を願いますが、健康が失われる度に「神様は私を愛してない」と考えるなら、死を目前にしたとき、人は神様を呪って死ぬでしょうね。
作家の三浦綾子さんは、様々な病を背負って生きてきましたが、こう言っておられました。「私は病にあえばあうほど、神様にえこひいきされているんじゃないかと思う」と。つまり、病の中だからこそ知ることのできる神様の愛があるというわけですね。詩119篇71節には「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」とあります。この作者も、苦しみの中に幸いを見いだす人生のありかたを知ることができたというのですね。
マラキは、神様の愛に疑いを持つ人々に対して、1章2節でこう語りました。「エサウはヤコブの兄ではなかったか。─主の御告げ─わたしはヤコブを愛した。」
エサウとヤコブは創世記に登場する双子の兄弟です。イスラエルの祖先アブラハムの子イサクに生まれた双子でした。兄のエサウは長男としての権利よりも自分の空腹を満たす食べ物を選ぶという愚かなことをしました。結局、神様の選びの民としての祝福の役目をヤコブに奪われてしまいました。このヤコブの十二人の息子たちからイスラエル民族が形成されたのです。神様はここで「ヤコブを愛し、エサウを憎んだ」と言っておられるのですが、これは聖書独特の表現方法で、二つのうちのどちらか一つを選ぶときに、選んだ方を「愛した」、選ばなかった方を「憎んだ」と言うのです。実際は、神様はエサウも愛しておられ、エサウに大きな富を与えて祝福し、その子孫エドム人も繁栄させてくださいました。しかし、エサウもその子孫たちも神様を愛し従う道を選ばなかったために、マラキの時代には没落し、国の再建もおぼつかない状態となっていたのです。一方、ヤコブの子孫であるイスラエルの民は、幾多の壊滅的で危機的な状況がありながらも、エルサレムに戻って、神殿や城壁を再建することができました。そういう自分たちの歴史を振り返ってみれば、神様があなたがたを見捨てずにずっと愛してくださっていたことがわかるではないか、とマラキは語ったのです。
(2)礼拝のあり方を見直しなさい
神様に愛されているということを知れば知るほど、心から神様を礼拝するようになっていきます。ということは、神様に愛されていないと思ったら、礼拝もおざなりになっていきますね。 当時の大きな問題は、人々の、特に祭司たちの礼拝の姿の中にありました。1章6節で神様はこう言っておられます。「子は父を、しもべはその主人を敬う。しかし、もし、わたしが父であるなら、どこに、わたしへの尊敬があるのか。もし、わたしが主人であるなら、どこに、わたしへの恐れがあるのか。・・・わたしの名をさげすむ祭司たち。」祭司たちは、律法を無視し、神様に汚れたパンや傷や病気のある獣をささげていました。もしその地を支配している総督にそんなものを持っていったら受け入れてくれるはずがありませんね。それなのに、神様に対しては、悪い物を平気でささげていたのです。神様に対する尊敬の念がまったくみられません。祭司たちさえそうですから、一般の人々も同じでした。
ローマ12章1節-2節にこう書かれています。「あなたがたの体を神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。」礼拝とは、心からの賛美を感謝と信頼をもって、神様に自分の人生をお委ねしますと表明することです。しかし、当時は、そのような本来の礼拝の姿が失われ、形式的なおざなりの礼拝になってしまっていたのです。「さあ礼拝だぞ。必要のない余り物や、傷や病気のある家畜ならささげても惜しくないから、それを持っていこう」というような感じですね。そこには自分たちを愛し、守り支えてくださっている神様への信頼も感謝もありませんでした。
また、3章8節では神様は「あなたがたはわたしのものを盗んでいる」と言われました。律法では、収穫物の十分の一をささげることが規定されています。神様が太陽を昇らせ、雨を降らせてくださったおかげで収穫を得ることができたのですから、その神様に感謝してささげるのです。しかし、当時の人々は「どうして俺たちが汗水流して収穫したものの中から十分の一もささげなければならないのだ」「神様に仕え、戒めを守って生きても何の益にもならない。むしろ、高ぶる者、悪を行う者が栄え、しあわせに生きているではないか」と考えて、ささげものをおろそかにしていたのです。
それに対して3章10節でマラキはこう預言しました。「十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。─万軍の主は仰せられる─わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。」
もし、これがネヘミヤの改革と前後する時期なら、前回お話しましたように神殿の奉納物保管所は、城壁再建の妨害者であったアモン人トビヤが使う部屋になってしまっていたわけですね。しかし、神様は、「もしわたしが生ける神であるということを本気で知りたいなら、この世の権力者に便宜を図って利益を得ようとするような姑息な手段をとるのではなく、わたしにささげてみなさい、本気になってわたしに任せてみなさい、委ねてみなさい、わたしは天の窓を開いてあふれるばかりの祝福を注ぐことができる神なのだから」と言われたのです。
新約聖書のマタイ福音書6章33節に「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのもの(生きていくために必要なもの)はすべて与えられます」と書いてあるとおりですね。私たちの神様は愛に満ちた神様です。私たちが真心から礼拝をささげ信頼するなら、ささえてくださらないはずがないではありませんか。3章6節にあるように、神様は「わたしのところに帰れ。そうすれば、わたしもあなたがたのところに帰ろう」と約束してくださっているのですから。
(3)家庭生活を点検しなさい
2章13節からは、もう一つ、長年にわたって繰り返されている大きな問題が書かれています。離婚です。聖書では、離婚も再婚もある条件にかなっていれば認められていました。しかし、マラキが活動した当時は、離婚と再婚を繰り返す人が大変多かったのです。そもそもペルシヤから帰還した人の多くは、ペルシヤで不動産やある程度の資産を持っていた人たちだったと言われています。イスラエルの名家の出身者が多かったようです。しかし、帰還した故国では、不動産や社会的地位を得ることがなかなかできませんでした。そこで、帰還した男性は、土地や財産や地位を手に入れるために、妻と離婚し、現地の女性と再婚したのです。財テクの手段として、離婚と再婚が増加したというのですね。
結婚は、神様が最初に人を造られた時から定められた大切な絆です。男女が互いに補い合うために結婚によって一体となるのです。その結婚を自分の利益のために利用しようとする人々が増えたら、家庭は破壊され、多くの悲劇を生むことになります。また、現地の外国人女性と結婚することによって、様々な異教の神々が持ち込まれることにもなりました。
マラキは、「あなたの若い時の妻を裏切ってはならない」と厳しく戒め、神様も「わたしは、離婚を憎む」とはっきり言われたのです。
3 希望のメッセージ
マラキは、人々の現状を厳しく戒めましたが、その一方で神様の将来の約束の言葉も語りました。まず、1章11節では「神様の御名が諸国の民の間であがめられ、すべての場所できよいささげ物がささげられるようになる」と預言されています。また3章1節では「見よ。わたしは、わたしの使者を遣わす。彼はわたしの前に道を整える。あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。あなたがたが望んでいる契約の使者が、見よ、来ている」、そして、マラキ書最後の4章5節-6節では「見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ」とあります。つまり、マラキは「将来、主の前に道を整えるエリヤのような預言者が現れて、人々に主をお迎えする用意をさせる。そして、人々が尋ね求めている救い主であり、神様と新しい契約を結ばせる使者となってくださる方が来てくださる。そして、世界中で神様の御名があがめられ、礼拝されるようになる」と預言したのです。そして、その時には、主の正しいさばきが行われ、主を敬い礼拝する人々のためには、「義の太陽が上り、その翼にはいやしがある」というのです。
「主の前に道を整えるエリヤのような預言者」とはだれでしょうか。新約聖書の最初に登場するバプテスマのヨハネのことです。バプテスマのヨハネは、荒野で人々に「悔い改めて主に立ち返りなさい。神様から遣わされる救い主をお迎えする準備をしなさい」と教え、イエス様が来られた時、「この方こそ待ち望んでいた救い主です」と人々に紹介した人物です。マタイ11章14節ではイエス様も「バプテスマのヨハネこそ、マラキが預言した、きたるべきエリヤなのです」と言っておられます。つまり、旧約聖書の最後の預言者マラキは旧約聖書と新約聖書の架け橋になる預言をしたわけですね。
このマラキの預言から実際にバプテスマのヨハネが登場するまでには、約四百年の中間時代と呼ばれる期間があります。その時代のことは聖書には書かれていませんが、救い主をお迎えするための準備の時代と考えることができるのです。なぜかといいますと、この中間時代に、今、私たちが手にしている旧約聖書の三十九巻が編纂されました。そして、ギリシャ帝国の時代になると、旧約聖書は当時の共通語であるギリシャ語に翻訳され、より多くの人が読めるようになりました。また、ユダヤ人たちが世界中に離散し、各地域で共同体を形成し、会堂(シナゴーグ)を立てたので、旧約聖書がいたるところで読まれるようになりました。そして、ローマ帝国の時代になると、交通網が整備され、すべての人の救い主であるイエス・キリストの到来を告げ知らせるのに最も相応しい環境が整っていったのです。伝道者の書3章11節「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」とある通りですね。
さて、今回で「帰還からマラキ書まで」と題する連続説教は終わります。旧約聖書を読むと、私たちは、自分の弱さや限界に気づくとともに、そんな自分をも愛してくださる恵み深い神様がおられることを知り、また、神様が絶妙なタイミングでみわざを行ってくださることを知って希望と忍耐を持つことができるのです。これからも聖書全体が指し示している救い主イエス様の素晴らしさをさらに深く味わっていきましょう。