城山キリスト教会 礼拝説教    
二〇二三年四月二三日            関根弘興牧師
                 第一列王記二章一節〜四節
               
 列王記連続説教1
   「ダビデからソロモンへ」
 
 1 ダビデの死ぬ日が近づいたとき、彼は息子のソロモンに次のように言いつけた。2 「私は世のすべての人の行く道を行こうとしている。強く、男らしくありなさい。3 あなたの神、主の戒めを守り、モーセの律法に書かれているとおりに、主のおきてと、命令と、定めと、さとしとを守って主の道を歩まなければならない。あなたが何をしても、どこへ行っても、栄えるためである。4 そうすれば、主は私について語られた約束を果たしてくださろう。すなわち『もし、あなたの息子たちが彼らの道を守り、心を尽くし、精神を尽くして、誠実をもってわたしの前を歩むなら、あなたには、イスラエルの王座から人が断たれない。』」(新改訳聖書第三版)
 
 前回まで、第一サムエル記と第二サムエル記を読み進めてきました。第一サムエル記には、預言者サムエルの活動、初代の王サウル、そして、ダビデが次の王に選ばれたことが書かれていました。そして、第二サムエル記には、ダビデが実際に王位についてからのことが書かれていましたね。
 ダビデは、イスラエルを統一した優れた王でしたが、失敗や間違いもたくさんありました。特に、部下の妻であるバテ・シェバと姦淫し、その夫を戦場の最前線に送って戦死させ、バテ・シェバを自分の妻にしてしまうという大きな罪を犯しました。しかし、神様に遣わされた預言者ナタンによってその罪を厳しく糾弾されたとき、ダビデは自分の罪を正直に認め、心から悔い改めたのです。神様は、そのダビデを赦し、そのしるしとして、バテ・シェバとの間に生まれたソロモンを「エディデヤ(主に愛された者)」と呼んでくださいました。
 今日から読み始める第一列王記と第二列王記には、このソロモンがダビデの後継者として王に即位するまでの経緯と、ソロモン王の時代の出来事、そして、ソロモンの死後、北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂した経緯と、それぞれの歴代の王たちの歴史が記録されています。また、列王記の次の第一、第二歴代誌には、ダビデの子孫である南ユダ王国の歴代の王たちを中心とした歴史が別の視点から記録されています。その歴代誌も参考にしながら列王記を読み進めていくことにしましょう。
 今日は、ます、前回までの第二サムエル記の内容も振り返りながら、ソロモンが王になるまでの経緯を見ていきましょう。
 
1 ソロモン王の即位
 
 ダビデには多くの妻と息子たちがいましたが、長男のアムノンは後継者の第一候補でした。しかし、腹違いの妹タマルを無理矢理辱めたことで、タマルの兄である三男アブシャロムに殺されてしまいます。次男は病弱で早死にしたようです。三男アブシャロムは、長男アムノンを殺したことでダビデに遠ざけられていました。そこで、クーデターを起こして王位を奪おうとしたのですが、結局、ダビデ軍との戦いに負けて戦死してしまったのです。
 その後、ダビデは年を重ねて老人になりました。第一列王記1章1節には「夜着をいくら着せても暖まらなかった」と書かれています。そこで家来たちは、若く美しいアビシャグという女性を連れてきて、王のふところに寝させて王を暖めようとしました。徐々に冷たくなっていく命を取り戻してもらいたいと願ったのでしょう。
 しかし、ダビデの人生の終わりが近づいた今、後継者選びが最重要課題となっていました。ダビデの長男、次男、三男は死んでしまいましたから、四男アドニヤが後継者の最有力候補です。1章6節にこう書かれています。「彼の父は存命中、『あなたはどうしてこんなことをしたのか』と言って、彼のことで心を痛めたことがなかった。そのうえ、彼は非常な美男子で、アブシャロムの次に生まれた子であった。」ですから、アドニヤは、王の後継者として十分資格があるように思えますね。
 しかし、歴代誌22章9節-10節には、神様がダビデにこのように語られたと書かれています。「見よ、あなたに一人の男の子が生まれる。彼は穏やかな人となり、わたしは周りのすべての敵から守って彼に安息を与える。彼の名がソロモンと呼ばれるのはそのためである。彼の世に、わたしはイスラエルに平和と平穏を与える。彼がわたしの名のために家を建てる。彼はわたしの子となり、わたしは彼の父となる。わたしは彼の王座をイスラエルの上にとこしえに堅く立てる。」神様は、ソロモンを次の王にお選びになったのです。ダビデはそのことを知っていました。しかし、発表を先延ばしにしていました。大きな争いが起こることを懸念して、時期を見計らっていたのかもしれませんね。
 ところが、なかなか後継者に指名されない四男アドニヤは、待ちきれなくなったのでしょう。自分が王になろうと野心をいだき、自分の軍隊を手に入れ、ダビデの将軍ヨアブや祭司エブヤタルに自分を支持してくれるよう根回しをし、エン・ロゲルという場所の近くでヨアブやエブヤタルや王の息子たち、また自分を支持する家来たちを集めていけにえをささげ、王となったことを宣言したのです。
 そのことを聞きつけた預言者ナタンは、ソロモンの母バテ・シェバとともに急いでダビデ王のもとに行って知らせました。「あなたは『ソロモンが私の後を継いで王となる』と言っておられたのに、アドニヤが王になる宣言をしました。すぐに、あなた御自身で後継者を指名してください。」ダビデは、すぐに行動を起こしました。信頼する祭司ツァドクと預言者ナタンと護衛長ベナヤを呼び寄せ、こう命じたのです。「あなたがたの主君の家来たちを連れ、私の子ソロモンを私の雌騾馬に乗せ、彼を連れてギホンへ下って行きなさい。祭司ツァドクと預言者ナタンは、そこで彼に油をそそいでイスラエルの王としなさい。そうして、角笛を吹き鳴らし、『ソロモン王。ばんざい』と叫びなさい。それから、彼に従って上って来なさい。彼は来て、私の王座に着き、彼が私に代わって王となる。私は彼をイスラエルとユダの君主に任命した。」(1章33節-35節)その命令はすぐに実行に移されました。ギホンというのは、エルサレムの東側にある泉です。そこで油注がれたソロモン王がエルサレムに上ってくると、民はこぞって「ソロモン王。ばんざい」と叫び歌い、笛を吹き鳴らしました。
 ソロモンが王座に着いたという知らせは、すぐにアドニヤたちのもとに届きました。アドニヤに招かれた人々は身震いして去って行きました。アドニヤもソロモンを恐れて立ち上がり、祭壇のところに行って、祭壇の角をつかみました。祭壇には四隅に青銅の角があり、その角をつかんでいる者は殺してはならない、と言われていたようです。そして、アドニヤは、ソロモンの家来たちに「ソロモン王がまず、このしもべを剣で殺さないと私に誓ってくださるように」と命乞いをしたのです。ソロモンはそれを聞いて言いました。「彼がりっぱな人物であれば、彼の髪の毛一本でも地に落ちることはない。しかし、彼のうちに悪があれば、彼は死ななければならない」と。そして、人をやってアドニヤを祭壇から降ろさせ、家に帰らせたのです。
 しかし、後に、アドニヤは、ダビデに仕えていたアビシャグを自分の妻にして王位を狙おうとしたことで死刑になりました。
 
2 ダビデ、神殿建築をソロモンに託す
 
(1)ダビデの演説
 
 こうして、ソロモンが王位に就いたわけですが、第一歴代誌28章ー29章には、ソロモンが王になったときに、ダビデがイスラエルの指導者、役人、戦士たちを集めて語った言葉が記されています。ダビデは、全集団に向かって次のようなことを語りました。「私は、神殿を建築する志を持ち、用意をしてきた。しかし、神は『あなたはわたしの名のために家を建ててはならない。あなたは戦士であって、血を流してきたからである』と言われた。主は、私の子どもの中からソロモンを選び、王座に着けてくださった。そして、『あなたの子ソロモンがわたしの家を建てる』と言われた。私は全力を尽くして神殿建設に必要なものを用意してきたが、皆も神殿のためにみずから進んでささげ、若いソロモンを助けて神殿を建て上げてほしい」と。ダビデは、また、28章9節ー10節でソロモンにこう語りました。「わが子ソロモンよ。あなたの父の神を知り、全き心と喜びの気持ちをもって神に仕えなさい。主はすべての心を探り、すべての思いの動機を読み取られるからである。もし、あなたが神を求めるなら、神はあなたにご自分を現される。もし、あなたが神を離れるなら、神はあなたをとこしえまでも退けられる。今、心に留めなさい。主は聖所となる宮を建てるために、あなたを選ばれた。勇気を出して実行しなさい。」
 
(2)神殿建築の場所
 
 こうして、ダビデはソロモンに神殿建築という大事業を託したわけですが、神殿の場所はどのようにして決まったのでしょうか。その経緯が、第二サムエル記24章と第一歴代誌21章に記されています。
 きっかけは、ダビデの失敗でした。第二サムエル24章1節-2節にこう書かれています。「さて、再び主の怒りが、イスラエルに向かって燃え上がった。主は『さあ、イスラエルとユダの人口を数えよ』と言って、ダビデを動かして彼らに向かわせた。」これは理解がなかなか難しい箇所ですね。主がダビデを動かし、人口調査をさせたが、それは、主の目から見たら悪であり、主の怒りを招いたというのです。第一歴代誌21章1節には「サタンがイスラエルに逆らって立ち、ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせた」と書かれています。どういうことでしょうか。
 私たちの神様はすべての権威の上に立つお方です。サタンの働きでさえ、その上に神様の支配があるのです。たとえは、エジプトで奴隷生活を強いられていたイスラエルの民が脱出するとき、「神はパロの心を頑なにされた」と記されています。パロは大切な労働力を失いたくなかったので、イスラエルの民がエジプトを出ることを断固として認めようとしませんでした。しかし、神様はすべてを支配しておられる方ですから、聖書は「神がパロの心を頑なにされた」と主語が神様になる書き方をしているわけです。個人の意志も含め、すべての出来事は神様の支配下にあるということですね。また、使徒の働き7章に最初の殉教者となったステパノの説教が記されていますが、ステパノは、エジプトから脱出したイスラエルの民が神様に背を向けて他の神々を拝もうとしたことについて、こう語りました。「そこで、神は彼らに背を向け、彼らが天の星に仕えるままにされました。」(使徒7章42節)彼らは自分勝手に他の神々を礼拝したのですが、ここでも主語は神様になっていますね。
 ですから、ダビデの人口調査についても同じように考えてください。ダビデが自分で人口調査をしたいと思い、強引に進めていったのですが、神様はダビデのなすがままにされた、ということなのです。
 でも、人口調査の何が悪いのでしょう。旧約聖書の民数記では、神様御自身が人口調査をお命じになり、各部族の人数が細かく記されています。そもそも書名が民数記、英語だと「Book of Numbers」ですからね。人口調査そのものは悪い事ではないのです。むしろ現状を理解するために大切な場合もあるのです。
 しかし、ダビデの人口調査には、神様の目から見て問題があったようです。おそらく軍事目的で行われたのでしょうが、軍事目的の調査自体は悪いわけではありません。問題はダビデの動機にあったのでしょう。ダビデは幾多の危機を通過し、国をまとめ上げたリーダーです。以前、ダビデが大男ゴリアテと戦った時には、イスラエルにはまともな武器を持っている者がほとんどいない状態でした。しかし、今では、調査の結果、イスラエルには剣を使う兵士が八十万、ユダの兵士は五十万人であったと記されています。ダビデは自分の軍事力を誇りとし、軍事力により頼むようになっていたのでしょう。自分の人生の成果を証明したいという思いもあったのかもしれません。
 しかし、神様はいつも何を教えておられるでしょうか。ダビデ自身、巨人ゴリヤテと戦うとき、「この全集団も、主が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。この戦いは主の戦いだ」と宣言して、石ころ一つで巨人ゴリヤテを倒しましたね。第一サムエル14章6節で、ペリシテとの戦いに臨んだヨナタンもこう告白しました。「大人数によるのであっても、小人数によるのであっても、主がお救いになるのに妨げとなるものは何もない。」また、士師記7章で、ギデオンがミデアン人と戦おうとしたとき、主はこう言われました。「あなたといっしょにいる民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救った』と言って、わたしに向かって誇るといけないから。」(士師記7章2節)また、詩篇33篇16節-17節には「王は軍勢の多いことによっては救われない。勇者は力の強いことによっては救い出されない。軍馬も勝利の頼みにはならない。その大きな力も救いにならない」と書かれています。
 ダビデは優秀な王様でした。そして、これまで何度も、軍勢の多いことによっては救われない、ことを何度も経験してきました。しかし、ダビデは、いつのまにか自分の力を誇り、自己賞賛の誘惑の中に陥ってしまったようです。そして、勝利の背後に主の働きがあることを忘れてしまう弱さがあったのです。
 私たちも、自分の誇りや力と思われるものが簡単に弱さと愚かさに変わってしまうということを心に留めておくのは大切です。パウロは第一コリント1章27節-29節で、こう記しています。「神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。」教会はいつもこのことを自覚して進んでいくことを忘れてはいけません。
 さて、ダビデは、この人口調査のあと、その愚かさに気づき、良心のとがめを感じ始めました。第二サムエル24章10節にあるように、「私は、このようなことをして、大きな罪を犯しました。主よ。今、あなたのしもべの咎を見のがしてください。私はほんとうに愚かなことをしました」と言って悔い改めたのです。すると預言者ガドがダビデのもとにやってきました。そして、神様のさばきがあることを告げたのです。そして皮肉なことに、ダビデが調べた人口は、伝染病の流行によって激減したのです。リーダーの間違った野心や誇りや自己賞賛が、結果的に大きな痛みを引き起こし、多くの人を傷つけてしまうことになるということを、いつも覚えておくべきですね。
 ダビデの悔い改めにもかかわらず、伝染病は蔓延していきました。ダビデは、「罪を犯したのは、この私です。私を罰してください」と必死で祈り続けました。すると、預言者ガドがダビデのもとに来て、「エブス人アラウナの打ち場に上って行って、主のために祭壇を築きなさい」と告げたのです。「打ち場」というのは、風を利用して脱穀した麦と籾殻をふるい分けるために、小高い丘などに設けられた場所です。アラウナの打ち場は、エルサレムの最も高い地点にある場所だったようです。また、この打ち場は、第二歴代誌3章では「オルナンの打ち場」と書かれていますが、昔アブラハムが息子イサクをささげるために上ったモリヤの山上であったことが記されています。
 ダビデは、アラウナからこの打ち場を買い取り、そこに祭壇を築き、いけにえをささげて礼拝しました。すると「主が、この国の祈りに心動かされたので、神罰はイスラエルに及ばないようになった」(第二サムエル記24章25節)と書かれています。
 そして、第一歴代誌22章1節で、ダビデはこう言いました。「これこそ、神である主の宮だ。これこそ、イスラエルの全焼のいけにえの祭壇だ。」つまり、この場所を神殿建設の場所にしようと決心したのです。
 ダビデは、自分が行った人口調査によって過ちを犯し、大きな痛みと苦しみを背負いました。しかし、再び礼拝の場を再建することによって、ダビデだけでなく、国全体も回復されたのです。その礼拝の場所こそ神殿を建てるにふさわしいとダビデは考えたのですね。その後、ダビデは、熱心に神殿建築の準備を進め、神様から示された設計図、大量の資材、人材を用意して、ソロモンに託したのです。
 
3 ダビデのソロモンへの遺訓
 
 第一列王記2章2節-9節には、死期の迫ったダビデがソロモンに言い残した言葉が記録されています。今日読んだ2節ー4節は、その前半部分です。ダビデは「あなたの神、主の戒めを守り、モーセの律法に書かれているとおりに、主のおきてと、命令と、定めと、さとしとを守って主の道を歩まなければならない。あなたが何をしても、どこへ行っても、栄えるためである」と命じていますね。何よりも大切なのは、神様を礼拝し、心を尽くし、精神を尽くし、誠実に従っていくことであり、そうすれば、神様がすべてを良きにしてくださるということを改めて教えたのです。
 しかし、この続きの後半2章5節ー9節は、前半とはかなり違う雰囲気になっています。ダビデは三人の人物の名を挙げて、それぞれに適切な対応をするようソロモンに命じているのです。現実の様々な問題を知恵を用いて適切に処理するように言い残したということでしょうが、その内容は、ダビデの個人的感情も感じられる、とても人間的なものです。まず、将軍ヨアブについてです。ヨアブは、ダビデの腹心で数々の功績を上げましたが、ダビデの命令に背いて二人の将軍を暗殺し、四男アドニヤのクーデターに協力しました。ダビデは、自分ではヨアブに厳格な処分を下すことができませんでしたが、ソロモンには「彼のしらが頭を安らかによみに下らせてはならない」と命じたのです。次にダビデが挙げたのは、ギルアデ人バルジライの子どもたちです。以前、三男アブシャロムがクーデターを起こしたとき、エルサレムから脱出したダビデたちを保護してくれたのがバルジライ一族です。彼らの恩に報いるようにとダビデはソロモンに命じたのです。そして、三番目はシムイという人物です。ダビデがエルサレムを脱出したとき、シムイはダビデに石を投げつけ、嘲り、呪いの言葉を浴びせました。ダビデ側が勝利してエルサレムに戻るとき、シムイが必死に命乞いをしたので、ダビデは「おまえを死刑にすることはない」と約束しましたが、ソロモンにこう言い残しました。「だが、今は、彼を罪のない者としてはならない。あなたは知恵のある人だから、彼にどうすれば彼のしらが頭を血に染めてよみに下らせるかを知るようになろう。」ダビデは、シムイのような人物はこれからも災いを引き起こす恐れがあると考えたのでしょう。
 ダビデは優秀な王でしたが、弱さもあり、多くの過ちを犯しました。主の道を守るようにとソロモンを戒めましたが、ダビデ自身が完全に主の道を守ることができたかというと、そうではありませんでした。しかし、これから列王記を読んでいくと、歴代の王たちについて、「彼は、父ダビデの道に歩んだ」とか「ダビデのように主の目にかなうことを行った」という言葉が頻繁に出て来ます。私はこの言葉に安心するんですよ。ダビデはひどいことも散々行ってきたんです。失敗も弱さも愚かさもありました。しかし、それでも「主の目にかなう歩みをした」と言われるのです。それは、自分の弱さや過ちを認めて主に立ち返る勇気と素直さを持っていたからです。主が私たちに求めておられるのは、品行方正に生きることではなく、自分の弱さや愚かさを素直に認め、いつも主に立ち返る生き方をすることなのです。私たちは、自分の力では主の戒めを守ることのできない弱さがあります。失敗もあり、愚かさもあります。しかし、大切なのは、ダビデが詩篇51篇17節に書いてあることなのです。「神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」
 ダビデが王であった期間は四十年でした。生涯を閉じたダビデはダビデの町に葬られました。