城山キリスト教会 礼拝説教
二〇二三年五月七日 関根弘興牧師
第一列王記一二章二五節〜三〇節
列王記連続説教3
「王国の分裂」
25 ヤロブアムはエフライムの山地にシェケムを再建し、そこに住んだ。さらに、彼はそこから出て、ペヌエルを再建した。26 ヤロブアムは心に思った。「今のままなら、この王国はダビデの家に戻るだろう。27 この民が、エルサレムにある主の宮でいけにえをささげるために上って行くことになっていれば、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、私を殺し、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。」28 そこで、王は相談して、金の子牛を二つ造り、彼らに言った。「もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。」29 それから、彼は一つをベテルに据え、一つをダンに安置した。30 このことは罪となった。民はこの一つを礼拝するためダンにまで行った。(新改訳聖書第三版)
前回はソロモンの生涯を見ました。ソロモンは、王に即位すると、神様の前で礼拝し、民の指導者として正しい判断のできる知恵を求めました。ソロモンは、政治や軍事の体制を整え、貿易を推進して国を豊かにし、近隣の国々を支配下に置き、歴史上最も繁栄した平和な時代をもたらしたので、ソロモンの栄華と謳われるほどになりました。しかし、ソロモンは、しだいに思い上がった心を持つようになりました。多くの外国人の妻が持ち込んだ忌まわしい神々を拝み、まことの神様だけを信頼して従おうとする心を失っていったのです。
先週、礼拝の後に、ある方から「先生、ソロモンは最期まで悔い改めることはなかったのですか」と質問を受けました。聖書には、ソロモンが悔い改めたという記録はありません。ただ、旧約聖書の中に「伝道者の書」という書物があります。1章1節に「エルサレムでの王、ダビデの子、伝道者のことば」と書かれていて、内容的にもソロモンが書いたのだろうと伝統的に言われていますが、別人が自分をソロモンになぞらえて語るという文学手法を使って書いたのではないかという説もあります。
伝道者はこう告白しています。「私は他の誰よりも多くの知恵と知識を獲得した。しかし、かえって悩みや悲しみが増えた。そこで、こんどは快楽を味わうことにした。贅沢三昧をし、各地の宝を集め、多くのそばめをはべらし、心のままにやりたいことをやったが、すべては虚しく、何一つ益にならなかった。どんなに労苦して偉業を成し遂げ、多くの富を得ても、いつかは死んで忘れ去られてしまう。虚しいことだ。」つまり、伝道者は、「自分の知恵や力を尽くして成功や繁栄や快楽を手に入れても、それはすべて虚しいと悟った」というのです。そして、こう告白しています。「私は知った。・・・すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。」(2章12ー13節)「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。」(伝道者の者12章13節-14節)すべてをご存じで、すべてを支配しておられる神様を愛し、信頼し、その神様にすべてをゆだねる人生にこそ本当の満足と喜びがあるのだ、というのが伝道者が至った結論でした。この伝道者がソロモン自身だとしたら、晩年に神様への信仰を回復したのかもしれませんね。
しかし、世界中からもてはやされたソロモンの栄華の裏では、じわりじわりと崩壊の足音が近づいていました。対外的には、南方からはエドム人ハダデ、北方からはアラム人レゾンがイスラエルを脅かし始めました。そして、内側からの敵も起こってきました。ネバテの子ヤロブアムという人物です。
1 ネバテの子ヤロブアム
ヤロブアムは、エフライム部族の出身で、ソロモンの優秀な家来でした。ソロモンは彼の手腕を高く評価し、ヨセフの家の役務の管理者にしたと書かれています。ヨセフの家というのは、エフライム部族とマナセ部族のことです。
ここで、すこしイスラエルの十二部族の整理をしておきましょう。イスラエルはアブラハムの子孫からなっています。アブラハムの孫ヤコブに十二人の息子が生まれ、そこから十二部族が始まりました。ヨセフは十一番目の息子でしたが、母親の違う兄たちに憎まれエジプトに奴隷として売られてしまいました。しかし、神様の不思議な導きによってエジプトの総理大臣になりました。その後、大飢饉が起こると、ヨセフは父と兄たち家族をエジプトに呼び寄せて養いました。父ヤコブはヨセフの二人の息子エフライムとマナセがそれぞれに部族を作るように命じます。そうすると、十三部族になりますね。そのヨセフの時代の後、エジプトで奴隷状態になったイスラエルの民がモーセに導き出されて荒野を旅しているときに、会見の天幕で仕える祭司と奉仕者としてレビ部族が取り分けられました。その時から、レビ部族以外の部族が十二部族と見なされるようになりました。イスラエルの民がカナンの地に入ると、土地が部族ごとに分割されましたが、レビ部族だけは、各部族の所有地の中にある町々に分散して住むことになりました。
ところで、エフライム部族は、先ほどお話ししたヨセフの時代から、自分たちこそイスラエルを代表する部族だというプライドがあったようです。ですから、ベニヤミン部族出身のサウル王やユダ部族出身のダビデ王とソロモン王には、反発心を表すことがたびたびありました。実際に国が二つに分裂する以前から、エフライム部族を中心とする北イスラエル地方とユダ部族を中心とする南ユダ地方は対立の要素をはらんでいたのです。そこで、ソロモンは有能なヤロブアムをヨセフの家の役務の管理者に任命したのかもしれませんね。
さて、ソロモンは大規模な土木工事をいくつも行い、また贅沢の限りを尽くしましたが、そのため、民は、重労働と重税を強いられていました。ヤロブアムは自分の部族の役務管理者に命じられると、その実態を知って、義憤にかられていたかもしれません。そんなとき、預言者アヒヤに出会いました。アヒヤは着ていた新しい外套を十二切れに引き裂き、十切れをヤロブアムに与えて神様の言葉を告げました。「見よ。わたしはソロモンの手から王国を引き裂き、十部族をあなたに与える。しかし、彼には一つの部族だけが残る。・・・というのは、彼がわたしを捨て、・・・わたしの道を歩まなかったからである。・・・彼の子には一つの部族を与える。それはわたしの名を置くために選んだ町、エルサレムで、わたしのしもべダビデがわたしの前にいつも一つの灯火を保つためである。わたしがあなたを召したなら、あなたは自分の望むとおりに王となり、イスラエルを治める王とならなければならない。』」(11章31節-37節)ここで「ヤロブアムに十部族を与え、ソロモンの子には一つの部族を与える」とありますが、この一つの部族とは、ベニヤミン部族のことです。ダビデの子孫が王である南ユダ王国には、ユダとベニヤミンの二つの部族だけが残るということです。この預言を聞いてヤロブアムはどんなに驚いたことでしょう。アヒヤは続けて神様の言葉を語りました。「もし、わたしが命じるすべてのことにあなたが聞き従い、わたしの道に歩み、わたしのしもべダビデが行ったように、わたしのおきてと命令とを守って、わたしの見る目にかなうことを行うなら、わたしはあなたとともにおり、わたしがダビデのために建てたように、長く続く家をあなたのために建て、イスラエルをあなたに与えよう。」(11章31節-38節)これは、ダビデやソロモンに与えられた約束と似ていますね。誰であろうと神様を信頼して生きる者に対する共通の約束です。主に聞き従い、主の道に歩むなら、主はその人とともにいて、揺るぎない家を建ててくださるというのです。ただし、約束が与えられたら、その約束を受けとって生きていくかどうかは、本人にかかってくるわけですね。
ソロモンがこの預言のことを知ったかどうかはわかりませんが、ヤロブアムの不穏な動きを察知したソロモンは、彼を殺そうとしました。そこで、ヤロブアムはエジプトに逃れ、ソロモンが死ぬまでエジプトに留まることになります。
2 王国の分裂
ソロモンが死ぬと、その子レハブアムがシェケムに行って王に即位しました。シェケムは、イスラエルのちょうど真ん中に位置するエフライム族の町です。昔、先祖のアブラハムが神様に導かれて約束の地に入ったとき、最初に祭壇を築いた所です。また、シェケムの南北にエバル山とゲリジム山がありますが、エジプトから脱出して帰って来たイスラエルの民は、まずそこに行って祭壇を築き、石に律法を書き記し、二つの山に分かれて立ち、主に従って歩むことを誓ったのです。レハブアムは、わざわざその由緒あるシェケムに行って即位式を行ったのです。不穏な動きのある北の十部族に配慮したのかもしれませんね。
その時、イスラエルの人々はエジプトにいるヤロブアムを呼び寄せました。ヤロブアムはイスラエルの全会衆とともにレハブアムのもとに来て、こう直訴しました。「あなたの父上は、私たちのくびきをかたくしました。今、あなたは、父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきとを軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう。」(12章4節)
すると、レハブアムは、三日後に返答することを約束し、ソロモン王に仕えていた長老たちに相談しました。すると、長老たちはこう助言しました。「きょう、あなたが、この民のしもべとなって彼らに仕え、彼らに答え、彼らに親切なことばをかけてやってくださるなら、彼らはいつまでもあなたのしもべとなるでしょう。」(12章7節)民に仕えるのが王としての大切な姿だと言ったわけです。しかし、レハブアムはその助言が気に入りませんでした。「なんでソロモン王の息子である俺様が民に仕えなければならないのだ」と思ったのでしょうね。そして、同世代の若い家来たちに相談しました。すると、彼らはこう助言したのです。「彼らにこう言ってやりなさい。『私の小指は父の腰よりも太い。 私の父はおまえたちに重いくびきを負わせたが、私はおまえたちのくびきをもっと重くしよう。私の父はおまえたちをむちで懲らしめたが、私はさそりでおまえたちを懲らしめよう』と。」(12章10節-11節)この「さそり」というのは、金属片を埋め込んだむちのことです。奴隷を打つためのもので、ソロモン王のむちより強力で残酷な方法で懲らしめるという表現です。14章21節に、その時レハブアムは四十一歳だったと書かれています。同世代の家来もそのくらいの年齢だったでしょう。その年齢にしては思慮がありませんね。彼らは、「あなたは、父ソロモンより偉大な王です」と王をおだて、民は強く脅しさえすれば従うだろうと軽く考えていたのです。
三日後、戻ってきたヤロプアムたちに対し、レハブアム王は若い家来たちの助言の通りの言葉を厳しく宣告しました。その王の態度を見て、北の十部族の心は完全に離れてしまいました。「なぜ俺たちがユダ部族の王のために労苦しなければならないのか。そんな不当な扱いをするとは、冗談じゃない」と怒って、自分たちの町に帰って行ってしまったのです。しかも、レハブアム王が事態の打開のために彼らのもとに派遣した役務長官アドラムを石で打ち殺してしまいました。そして、ヤロブアムをイスラエルの王としたのです。
レハブアム王はエルサレムに逃げ帰り、ユダとベニヤミンから選り抜きの戦闘員を招集して北イスラエルを取り戻すために戦おうとしました。しかし、神様は預言者シェマヤを遣わしてこう言われました。「あなたがたの兄弟であるイスラエル人と戦ってはならない。・・・わたしがこうなるようにしむけたのだから。」レハブアムは、この主の言葉に従い、戦いを思いとどまりました。しかし、王国の分裂は決定的になってしまいました。ダビデとソロモンが八十年かけて築き上げてきた王国は、わずか数日で崩壊してしまったのです。築くのは大変ですが、壊すのは簡単ですね。無思慮で配慮の欠いた愚かな行為が一瞬にしてすべてを壊してしまったのです。
3 金の子牛
北イスラエルの王となったヤロブアムは、まずシェケムの町を築き直して首都としました。次に、ペヌエルを再建してそこに首都を移しました。ペヌエルは、ヨルダン川の東のギルアデ地域にある町で、昔、ヤコブが神様の祝福を求めて御使いと格闘し、「イスラエル」という名前を与えられた場所です。その後、ヤロブアムは首都をティルツァに移しましたが、後のオムリ王の時代以降は、サマリヤが首都になります。
さて、ヤロブアム王には、大きな懸念材料がありました。神殿が南ユダ王国のエルサレムにあるということです。このままでは、民はいつもエルサレムの神殿に行って神様を礼拝し続けることになります。そうすると、民の心は南ユダの王のほうに戻ってしまうかもしれない、とヤロブアムは危惧したのです。
そこで、ヤロブアムは、民をエルサレムに行かせない方法を考えました。北イスラエルの中に礼拝の場所を設けることにしたのです。彼は、まず、金の子牛を二つ造って、北の端のダン、と南の端のベテルに安置し、「もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる」と宣言しました。
「金の子牛」と聞いて思い出すのは、出エジプト記32章の出来事ですね。モーセに導かれてエジプトから脱出し、荒野を旅していた民は、シナイ山の麓にやってきました。その場所で、モーセが神様に呼ばれてシナイ山に上り、律法を授けられるわけですが、モーセが山に上ったままなかなか戻ってきません。不安になった民は、モーセの兄アロンに「モーセがどうなったかわからないから、私たちを導いてくれる神を造ってください」と要求したのです。すると、アロンは民の持っている金の耳輪を集めて金の子牛を造りました。すると、民は「これが私たちをエジプトから連れ上った神だ」と言って、その子牛にいけにえをささげ宴会を始めたのです。神様はその民の姿を見て非常に怒り、ただちに彼らを滅ぼそうとなさったのですが、モーセの必死のとりなしによって思い直してくださいました。
みなさん、不思議だと思いませんか。北イスラエルの人々は、この出来事をよく知っていたはずです。金の子牛がどれほど神様の怒りを引き起こしたかも教えられていたはずです。それなのに、いとも簡単にヤロブアムが造った金の子牛を礼拝するようになってしまったのです。たぶん、そこにはヤロブアムの巧みな欺瞞があったのではないかと思います。古代オリエントでは、神々が牛の背中に立ったり乗ったりする像がたくさん造られていました。ですから、ヤロブアムは、金の子牛を造って、人々にこう語ったのではないかと思います。「エルサレムの神殿には翼をもつケルビムに覆われた契約の箱があるけれども、この金の子牛は神様の王座であり足台なのです」と。そして、「ここにあなたがたをエジプトから導き上った神がおられるのです」と巧みに誘導していったのではないでしょうか。すると、民は、それがあたかも事実であるかのように受け入れ、金の子牛のもとで礼拝するようになってしまったのです。
それだけではありません。神様の宮に仕える祭司はレビ族のアロンの子孫から選ばなければならないと神様は命じておられました。しかし、ヤロブアムは、レビ族以外の一般の民の中から祭司を任命したのです。さらに、ヤロブアムは、神様によって定められた第七の月の十五日の祭りの代わりに、第八の月の十五日に祭りを定めました。つまり、ヤロブアムは、神様の命令を無視し、自分勝手に定めた場所、自分勝手に定めた方法、自分勝手に定めた時に礼拝を行わせたのです。異端のはしりのようなものですね。何とかして北イスラエル王国を安定させたいという思いでやったことかもしれませんが、神様に背くことによって得た安定は、一時的な虚しい安定にすぎません。結局、このことによって、ヤロブアムの家も北イスラエル王国も滅びに向かうことになるのです。
北イスラエルの人々の姿を見ると、人とは弱い者だと感じますね。いとも簡単に誘導され、束縛されてしまう弱さをもっているのです。考えて見れば、神様のために立派な神殿を建築したソロモンでさえ、他のいかがわしい神々に誘惑されてしまいましたね。
昔、不幸の手紙というのが流行った時期がありました。ある日、突然、不幸の手紙が送られてきます。それには、こう書かれているのです。「もし、あなたが五人の知人に同じ内容の手紙を出せば、不幸はあなたから去ります。しかし、そうしないなら、あなたのもとに不幸が留まります。」あなたならどうしますか。「くだらない」と捨ててしまえばいいではありませんか。しかし、恐れを感じて手紙の指示通りにしてしまう人がたくさんいたのです。このことで困り果てたある役所の人が、「あなたの不幸を食べます」という七福神の絵を描いたポストを設置したそうです。すると、毎週、段ボール箱いっぱいになるほどの不幸の手紙が投げ込まれたそうです。そして、その記事が新聞に載ると、日本中から処分できない手紙が送られてきたというのです。「集まった手紙は、その後どうしたんですか」との質問に、担当者は「裏の焼却炉で燃やしました」と答えていました。笑い話のようですね。しかし、人は、たった一枚の葉書にさえ束縛されてしまう弱い存在なのです。まして、新しく登場した有能なリーダーが自信たっぷりに「この金の子牛は、目に見えない神の玉座だ。私たちを導く神だ。だから礼拝しよう。礼拝しないととんでもないことが起こるぞ」と言ったら、多くの人がそれになびいてしまうことは、容易に想像できますね。
教会は、このことにいつも注意していなければなりません。なぜなら、キリスト教の異端の多くは、極端になってしまった教会から生まれているからです。もし指導者が人々を引きつけるために新しい解釈を語り「これこそ、これまで誰も語ってこなかった真理です」と言い出したら、非常に危険です。それがどんなに魅力的に映っても百パーセント疑ってください。また、指導者が聖書の教えのごく一部を極端に強調したり、自分に従えば祝福されるが、従わなければさばきや罰を受けると言って、人々に恐れを抱かせたり、極端な終末論で人々を不安にさせたりするところに異端が生じるのです。
先日、ある異端のグループの方が教会に伝道のためにやって来ました。「ヤコブの手紙2章24節に『人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではない』と書いてあるから、救われるためには行いが必要だ」と熱心に語っておられました。その方は、指導者に教えられたことを信じ込んでて語っているのですが、しかし、その異端グループの指導者は、聖書全体から教えているのではなく、メンバーを支配するために都合の良い聖書箇所を文脈を無視して引用し、利用しているだけなのです。
聖書が教えている真理は、「人は信仰によって救われるのであって、行いによるのではない」ということです。そして、ヤコブは「救われるためには行いが必要だ」と言っているのではありません。ヤコブが言いたいのは「信仰によって救われ、神様の愛や恵みを味わえば、その結果として、ふさわしい行いも伴ってくるはずだ」ということなのです。しかし、異端の指導者は、このヤコブの手紙の言葉を悪用して、「救われるためにはもっと頑張って伝道しなければならない。もっと善行を積まなければならない。もっとささげなければならない」と言ってメンバーを束縛しているのです。メンバーは、何か違和感を感じつつも、このグループを辞めれば滅びると脅されているので、疑問を持ったり異義を唱えることができないのです。
宗教の名を借りて人々を束縛するのは、最も卑劣な手段です。そのような束縛に捕らわれないように、私たちは、聖書をバランス良く読み、説教で語られた内容を自分でも聖書を読んで確認することが大切です。また、神様は恐れによって支配しようとする方ではありません。恐れを与えようとするものは、神様からのものではないのです。第一ヨハネ4章18節に「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します」とあります。私たちは、もちろん健全な意味で神様を畏れ敬うことは大切ですが、それとともに神様の愛と恵みの中で安心し、感謝しながら、神様に与えられた志を心から喜んで行っていく者とされていきましょう。