城山キリスト教会 礼拝説教
二〇二三年五月一四日 関根弘興牧師
第一列王記一四章二一節〜三一節
列王記連続説教4
「混沌の世界へ」
21 ユダではソロモンの子レハブアムが王になっていた。レハブアムは四十一歳で王となり、主がご自分の名を置くためにイスラエルの全部族の中から選ばれた都、エルサレムで十七年間、王であった。彼の母の名はナアマといい、アモン人であった。
22 ユダの人々は主の目の前に悪を行い、彼らの先祖たちよりひどい罪を犯して主を怒らせた。23 彼らもまた、すべての高い丘の上や青木の下に、高き所や、石の柱や、アシェラ像を立てた。
24 この国には神殿男娼もいた。彼らは、主がイスラエル人の前から追い払われた異邦の民の、すべての忌みきらうべきならわしをまねて行っていた。25 レハブアム王の第五年に、エジプトの王シシャクがエルサレムに攻め上って来て、26主の宮の財宝、王宮の財宝を奪い取り、何もかも奪って、ソロモンが作った金の盾も全部奪い取った。27 それで、レハブアム王は、その代わりに青銅の盾を作り、これを王宮の門を守る近衛兵の隊長の手に託した。28 王が主の宮に入るたびごとに、近衛兵が、これを運んで行き、また、これを近衛兵の控え室に運び帰った。29 レハブアムのその他の業績、彼の行ったすべての事、それはユダの王たちの年代記の書にしるされているではないか。30 レハブアムとヤロブアムとの間には、いつまでも戦いがあった。31 レハブアムは彼の先祖たちとともに眠り、先祖たちとともにダビデの町に葬られた。彼の母の名はナアマといい、アモン人であった。彼の子アビヤムが代わって王となった。(新改訳聖書第三版)
前回は、ソロモンの死後に王国が北イスラエルと南ユダに分裂してしまった経緯を見ましたね。ソロモンがまことの神様だけに信頼する姿を失い、異教の神々に仕えたこと、また、ソロモンが民に重労働と重税を課したことが原因となって、ソロモンの死後、国はすぐに分裂してしまったのです。
その後、北イスラエル王国は、クーデターが八回も起こり、王朝が次々と変わっていき、最後はアッシリヤ帝国に滅ぼされることになります。一方、南ユダ王国は最後までダビデの王朝が続きますが、結局バビロニア帝国に滅ぼされることになります。これから読み進めていく列王記には、その北イスラエルと南ユダの歴代の王の時代の出来事が交互に書かれているので、今読んでいるのが北王国の話なのか南王国の話なのか、よく確認しながら読んでいかないと混乱してしまうかもしれません。それから、列王記の次の歴代誌には、南ユダ王国中心の歴史が記されています。最後に南ユダ王国が滅び、人々はバビロンに捕囚として連れて行かれますが、ペルシヤの時代になると、故国に帰ってエルサレムの神殿を再建する許可を与えられます。歴代誌にはそこまでが記録されているのです。
これから、列王記と歴代誌の記事にそって北と南の王たちの姿を見ていくことにしましょう。
1 北イスラエル王ヤロブアムの愚かさ
前回見ましたように、北イスラエルの初代の王となったのはヤロブアムです。彼は、ソロモン王の優秀な家来でしたが、預言者アヒヤから「ソロモンの死後、その子から十部族を引き裂いてあなたに与える」という預言を受けました。そして、ソロモンの子であるレハブアム王に反旗を翻し、北の十部族の支持を得て北イスラエルの王となったのです。神様はヤロブアムに「あなたがわたしの道を歩むなら、あなたの家を揺るぎないものとしよう」と約束してくださったのですが、彼は、王になるとすぐに主に大きく背くことを行いました。神様を礼拝する場所は南ユダにあるエルサレムの神殿でしたが、そのままでは民の心が南ユダ王国になびいてしまうかもしれません。そこで、ヤロブアムは金の子牛を二つ造り、国の北端の町ダンと南端の町ベテルに安置し、そこに自分勝手な礼拝の場所を造って、「ここに、あなたがたの神々がおられるから、もうエルサレムに行かずにここで礼拝しなさい」と命じたのです。多くの人々がヤロブアムの命じたとおりにしましたが、それを受け入れなかった人たちもいました。第二歴代誌11章13節-16節にこう書かれています。「イスラエル全土の祭司たちとレビ人たちは、すべての地域から出て来て、彼(レハブアム)の側についた。レビ人たちは、自分たちの放牧地と所有地を捨てて、ユダとエルサレムに来たのである。ヤロブアムとその子らが、主の祭司としての彼らの職を解き、自分のために祭司たちを任命して、彼が造った高き所と雄やぎと子牛に仕えさせたからである。彼らの後に続いて、イスラエルの全部族の中から、イスラエルの神、主を尋ね求めようと心に決めた者たちが、その父祖の神、主にいけにえを献げるためエルサレムに来た。」ヤロブアムは、民をエルサレムの神殿から遠ざけようと金の子牛を造りましたが、その結果、神様に仕える祭司やレビ人たち、そして、真の神様を求める人たちを遠ざけてしまうことになったのです。
そんな中、第一列王記13章で、一人の勇気ある預言者がやって来てヤロブアムに向かって厳しい預言を語りました。その預言者の名は書かれていません。「ひとりの神の人」とあるだけです。その人は主の命令によって南ユダから金の子牛が安置されているベテルにやってきました。ちょうどそのとき、ヤロブアムは香をたくために祭壇のそばに立っていました。すると、その神の人は祭壇に向かってこう預言しました。「祭壇よ、祭壇よ、主はこう言われる。『見よ、一人の男の子がダビデの家に生まれる。その名はヨシヤ。彼は、おまえの上で香をたく高き所の祭司たちを、いけにえとしておまえの上に献げ、人の骨がおまえの上で焼かれる。』・・・これが主の告げられたしるしである。見よ、祭壇は裂け、その上の灰はこぼれ出る。」(第一列王記13章2節ー3節)驚くことに、この預言通りのことが約三百年後に起こりました。北イスラエルがアッシリヤに滅ぼされた後の時代に南ユダの王となったヨシヤが、ヤロブアムの造った祭壇や高き所を破壊し、ヤロブアムが勝手に任命した祭司たちの墓から骨を取り出して、祭壇の上で焼いたのです。
しかし、ヤロブアムはこの神の人の言葉を聞いて激怒し、手を伸ばして「彼を捕らえよ」と命令しました。すると、突然、その手がしなび、戻すことができなくなってしまったのです。また、神の人が言ったとおり、祭壇が裂け、灰が祭壇からこぼれ出ました。
驚いたヤロブアムは、急に弱気になってしまいました。そして、この人に懇願しました。「どうか、あなたの神、主にお願いして、私のために祈ってください。そうすれば、私の手は元に戻るでしょう。」人間は身勝手ですね。普段は神様に背を向けているのに、何か困ったことが起こると神様に助けてもらおうとするのです。ヤロブアムも自分が普段礼拝している金の子牛ではなく、「あなたの神、主に祈ってください」と願ったのです。神の人が主に祈ると、ヤロブアムの手はすぐに元通りになりました。こんな奇跡を経験したのですから、ヤロブアムは、悔い改めて「私もあなたの神を私の神として礼拝します。まことの神様に従います」と告白してもよかったはずです。しかし、彼はその絶好の機会を生かすことをしなかったのです。
2 神の人とベテルの老預言者
ヤロブアムは、まことの神様に立ち帰るのではなく、この神の人を自分のために利用したいと思ったのかもしれません。この人に祈ってもらえば自分の願いが叶うと勘違いしたのかもしれませんね。そこで、「私の家に来て食事をしてください。あなたに贈り物をしたいのです」と招きました。しかし、その人はきっぱりと断りました。神様から「この地でパンや水を食べたり飲んだりしてはならない」と命じられていたからです。そして、ユダに帰って行ったのですが、その途中で、この人の身に、私たちには理解しがたい不条理な出来事が起こりました。それが、13章11節ー32節に書かれています。
ベテルに住むある年老いた預言者が、祭壇での出来事を息子たちから聞くと、すぐにろばに乗って神の人を追いかけ、その人を見つけると、「私の家に来て食事をしてください」と招きました。神の人は「私は神様から『この地でパンを食べたり、水を飲んではならない』と命じられていますから、行きません」と断りました。すると、老預言者は「私もあなたと同じく預言者です。御使いが主の命令を受けて、私に『その人をあなたの家に連れ帰り、パンを食べさせ、水を飲ませよ』と言って命じました」と言うのです。この老預言者は、自分の願望を果たすために神の人をだましたのです。神の人は、その言葉を信じて老預言者の家に行き、パンを食べ、水を飲みました。
すると、この老預言者に主の言葉が示されたので、彼は神の人に叫びました。「主はこう言われる。『あなたは主のことばに背き、あなたの神、主が命じた命令を守らず、引き返して、主があなたに、パンを食べてはならない、水も飲んではならないと言った場所でパンを食べ、水を飲んだので、あなたの亡骸は、あなたの先祖の墓には入らない。』」自分がだまして神様の命令に背くことをさせたのに、その相手に神のさばきを語ったのです。なんだか納得できませんね。しかし、そのとおりのことが起こりました。神の人は老預言者の家を出て帰って行く途中、獅子に殺されてしまったのです。そのことを知らされた老預言者は、急いで現場に出向き、死体を見つけて自分の町に持ち帰り、いたみ悲しんで自分の墓に葬りました。そして、息子たちに言いました。「私が死んだら、あの神の人と同じ墓に葬ってくれ。あの人がベテルの祭壇や高き所に対して預言したことは必ず成就するからだ。」元はと言えば、自分のせいで、神の人を殺してしまったようなものですね。ですから、この老預言者は大きな罪責感を感じていたのかも知れません。
さて、この出来事は、いったいどういうことを教えているのでしょう。それを解く鍵は、何なのでしょうか。
この出来事のすぐ後の13章33節ー34節にこう書かれています。「このことがあった後も、ヤロブアムは悪い道から立ち返ることをせず、引き続き一般の民の中から高き所の祭司たちを任命し、だれでも志願する者を任職して高き所の祭司にした。このことは、ヤロブアムの家の罪となり、ついには大地の面から根絶やしにされることとなった。」ここで強調されているのは、ヤロブアムの罪ですね。ヤロブアムが金の子牛を造ることから始まった罪は、北イスラエル全体を神様から引き離し、結果的にヤロブアムの家も北イスラエル王国も滅亡に向かわせることになるのです。それに比べて、この神の人の罪は、だまされてつい主の命令に背くことをしてしまったというだけのとても些細な罪に見えますね。それなのに獅子に殺されてしまったのです。この出来事は、神様のさばきの厳しさを表しています。つまり、たとえ預言者でも牧師でもどんなに敬虔な信仰者でも、神様の命令に少しでもそむくなら、厳しいさばきの現実があるということなのです。そうすると「それではいったい誰が神のさばきを免れることができるだろう。誰もいないではないか」ということになりますね。それが、旧約聖書を読む時の大切なポイントなのです。つまり、どんなに大きな罪でも、どんなに小さな罪でも、神様のさばきを受けなければならない、だから、神様の命令を完全に守って神のさばきを免れることのできる人など一人もいない、つまり、人が自分の行いで救いを得ることなどできない、神様の恵みによらなければ、救いを得ることはできない、ということを旧約聖書は教えているのです。
私たちの信じている神様は一切の罪も汚れも受け入れない完全に聖なる方、完全に義なる方ですが、それと同時に、愛と恵みに満ちあふれた方です。ですから、私たちを救うために救い主を遣わしてくださいました。新約聖書のローマ3章23節-24節にこう書かれています。「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」神のもとから来られた救い主イエス様が私たちの罪をすべて背負って十字架につき、私たちの代わりにすべての罪の罰を引き受けてくださったので、私たちはさばきを受けることなく、赦され、神様のいのちに生かされ続けていくことができると約束しているのです。それは、ただただ神様の恵みによるのです。また、キリストが来られる以前の旧約聖書の時代にも、神様は、心から悔い改めて神様のもとに帰る人々や神様の約束を信頼して生きる人々を赦し、受け入れ、豊かな恵みを与えてくださっています。ダビデの生涯を見ても、彼は数々の過ちを犯しましたね。でもダビデはそのたびに自分の罪を認め、主に立ち返る素直な心を持っていました。だから、神様はダビデの家に祝福を約束してくださったのです。恵みによって救いを得るために私たちに求められているのは、ただ一つのことだけです。それは、いつも神様の約束を信頼し、神様を礼拝しながら生きることなのです。それが旧約聖書も新約聖書も一貫して教えていることなのです。
3 預言者アヒヤの宣告
しかし、ヤロブアムは神様に立ち返ろうとしませんでした。 14章を見ると、ヤロブアムの子アビヤが病気になりました。大切な跡取り息子です。すると、ヤロブアムは、自分が北イスラエルの王になることを預言してくれた預言者アヒヤのもとに妻を行かせ、息子がどうなるか教えてもらおうとしたのです。ただ、ヤロブアムは、アヒヤから「主の道を歩め」と言われていたのにもかかわらず、金の子牛を造って主に背く道を歩んでいたので、自分たちの素性がわかると厳しく責められるかもしれないと考えたのでしょう。わざわざ妻に変装をさせ、別の女性のふりをさせて送り出したのです。この時、アヒヤは年を取り、目が見えなくなっていましたが、ヤロブアムの妻が変装してやってくることを神様に告げられて知っていました。そこで、ヤロブアムの妻が来るとすぐにこう言ったのです。「お入りなさい。ヤロブアムの奥さん。なぜ、ほかの女のようなふりをしているのですか。私はあなたにきびしいことを伝えなければなりません。帰って行ってヤロブアムに言いなさい。『あなたはこれまでのだれよりも悪いことをし、行って、自分のためにほかの神々と、鋳物の像を造り、わたしの怒りを引き起こし、わたしをあなたのうしろに捨て去った。だから、見よ。わたしはヤロブアムの家にわざわいをもたらす。』」そして、アヒヤは、ヤロブアムの家と北イスラエル王国の滅亡を告げたのです。
ヤロブアムは、神様によって王位を与えられ、「わたしの道に歩めば、あなたのために確かな家を建てよう」という約束を与えられていたのに、神様に聞き従おうとしませんでした。神様のさばきを宣告されても悔い改めようとしませんでした。
パウロは第一コリント15章10節で「神の恵みによって、私は今の私になりました」と記していますね。ヤロブアムが謙遜に、「神様の恵みによって今の私になりました」と告白することができていたら、歴史は変わっていたでしょう。しかし、彼は、「私は自分の知恵と力で今の私になった」と言わんばかりの王になってしまいました。これまでも見てきたように、失敗した王や指導者には共通の姿があります。あたかも自分の力で王になったかのように錯覚する姿です。
私たちは、「神様の恵みによって今の私になりました」と告白しつつ歩んで行く者でありたいですね。
さて、ヤロブアムの子アビヤはヤロブアムの妻が預言者アヒヤのもとから帰って来たときに死んでしまいました。ヤロブアムが王であった期間は二十二年でした。ヤロブアムの死後、その子ナダブが代わって北イスラエルの王となりました。
4 南ユダの王レハブアムの愚かさ
一方、南ユダの王レハブアムはどうだったでしょうか。彼は四十一歳で王となりましたが、王に即位した直後の彼の無思慮で高慢な態度が王国の分裂を引き起こす直接原因になってしまいました。しかし、先ほどお話ししましたように、金の子牛を礼拝するようになった北イスラエル王国から祭司やレビ人や真の神様を求める人々が移住してきました。そして、第二歴代誌11章17節にこう書かれています。「彼らは三年の間、ユダの王権を強固にし、ソロモンの子レハブアムを励ました。三年の間、彼らがダビデとソロモンの道に歩んだからである。」祭司やレビ人が神様への礼拝の大切さや聖書の言葉を教え、主を慕い求める人々が祈り支えて王を励ましたので、結果的にユダの王権が強固になったというのです。
新約聖書の第一テモテ2章1節には、「すべての人のために、また、王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい」と書かれていますね。日本ではクリスチャンは少数派です。でも、少数であっても主を愛するクリスチャンがこの国にいること自体に大きな意味のあることなのです。そのような自負を持ってクリスチャン・ライフを送ってください。
さて、レハブアム王の最初の三年間は国が安定し強固になっていきました。しかし、第二歴代誌12章1節に「レハブアムの王位が確立し、彼が強くなるに及んで、彼は主の律法を捨て去った。そして、全イスラエルが彼にならった」と書かれています。ここの「全イスラエル」というのは南ユダ王国の国民ということです。レハブアムもまた次第に「私は自分の知恵と力で今の私になった」と勘違いするようになったのでしょう。そして、まるでソロモンを重ね合わせるかのように様々な異教の神々の祭壇を築き、忌み嫌うべき慣わしをまねるようになってしまったのです。
そんな南ユダに、大国エジプトの王シシャクが大軍を率いて攻めてきました。分裂してしまった南ユダにはソロモンの時代に集められたたくさんの財宝がありました。シシャクはそれを狙ってきたわけです。彼は、ユダの町々を次々と攻め取り、エルサレムにまで攻め寄せてきたのです。その時、レハブアムはどうしたでしょうか。第二歴代誌12章5節ー8節にこう書かれています。「そのとき、預言者シェマヤが、レハブアムと、シシャクを前にしてエルサレムに集まったユダのつかさたちのもとに来て、彼らに言った。『主はこう仰せられる。「あなたがたがわたしを捨て去ったので、わたしもまたあなたがたを捨ててシシャクの手に渡した。」』すると、イスラエルのつかさたちと王とはへりくだり、『主は正しい』と言った。主が、彼らのへりくだった様子をご覧になると、シェマヤに次のような主のことばがあった。『彼らがへりくだったので、わたしは彼らを滅ぼさない。間もなく彼らに救いを与えよう。シシャクの手によって、わたしの怒りをエルサレムに注ぐことはやめよう。ただし、彼らは彼のしもべとなる。わたしに仕えることと地の諸王国に仕えることとの違いを思い知るためである。』」こうして、南ユダは、滅びは免れましたが、エルサレムの神殿や王宮にあった金銀財宝をエジプトにごっそり奪い取られ、エジプトの属国状態になってしまったのです。
レハブアムは十七年間国を治めました。最初の三年間は神様に従って歩み、また、エジプトに攻め込まれたときには神様の前にへりくだりました。しかし、第二歴代誌12章14節には「彼は悪事を行った。すなわち、その心を定めて常に主を求めることをしなかった」と書かれているのです。
皆さん、今日はこの「心を定めて主を求める」という言葉をしっかり覚えておきましょう。レハブアムは神様だけに心を定めようとはしませんでした。様々な誘惑に引きずられ、自分の身にも南ユダ王国にもわざわいを招くことになりました。でも、彼がへりくだったとき、主は救いを与えてくださったのです。
私たちの人生には、わからないことも、不条理と思えることも起こります。疑いも起こることもしばしばです。そして神様に背を向けてしまうことすら起こります。だからこそ、私たちは今日、「心を定めて主を求める」ことを選び取りながら歩んで行くのです。