城山キリスト教会 礼拝説教    
二〇二三年五月二八日             関根弘興牧師
                 第一列王記一五章一節〜五節
               
 列王記連続説教5
   「一つのともしび」
 
 1 ネバテの子ヤロブアム王の第十八年に、アビヤムはユダの王となり、2 エルサレムで三年間、王であった。彼の母の名はマアカといい、アブシャロムの娘であった。3 彼は父がかつて犯したすべての罪を行い、彼の心は父ダビデの心のようには、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。しかし、ダビデに免じて、彼の神、主は、エルサレムにおいて彼に一つのともしびを与え、彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを堅く立てられた。5 それはダビデが主の目にかなうことを行い、ヘテ人ウリヤのことのほかは、一生の間、主が命じられたすべてのことにそむかなかったからである。(新改訳聖書第三版)
 
 前回は、ソロモン王の死後に分裂した北イスラエル王国の初代の王ヤロブアムと南ユダ王国の初代の王レハブアムの姿を見ました。今回は、その続きです。まず、北イスラエルの王たちの姿を見ていきましょう。
 
1 北イスラエルの王たち:ナダブからオムリまで
 
 北イスラエルは、ヤロブアムの死後、その子ナダブが王になりました。初代の王ヤロブアムは金の子牛を造って拝ませ、北イスラエルの民をまことの神様から引き離すという大きな罪を犯しました。そこで、神様は、14章10節で預言者アヒヤを通して「ヤロブアムの家を断ち滅ぼす」と宣告しておられましたね。しかし、ヤロブアムは悔い改めることをしませんでした。息子のナダブはどうだったでしょうか。15章26節にこう書かれています。「彼は主の目に悪であることを行い、彼の父の道に歩み、父がイスラエルに犯させた罪の道を歩んだ。」ナダブも父と同じでした。そこで、ついに神様の宣告が現実になってしまったのです。ナダブは王になった二年目にペリシテのギベトンを攻め囲んでいたのですが、そのギベトンで、イッサカル族のバシャがクーデターを起こしてナダブ王を殺し、ヤロブアムの家に属する人々をすべて根絶やしにしてしまったのです。
 バシャは王になって二十四年間北イスラエルを支配しましたが、15章34節にこう記されています。「彼は主の目の前に悪を行い、ヤロブアムの道に歩み、ヤロブアムがイスラエルに犯させた彼の罪の道に歩んだ。」バシャも金の子牛の礼拝やまことの神様に背を向ける生き方を続けたのです。そのバシャに対して、預言者ハナニの子エフーが厳しい神様の宣告を語りました。「わたしはあなたをちりから引き上げ、わたしの民イスラエルの君主としたが、あなたはヤロブアムの道に歩み、わたしの民イスラエルに罪を犯させ、その罪によってわたしの怒りを引き起こした。それで今、わたしはバシャとその家族とを除き去り、あなたの家をネバテの子ヤロブアムの家のようにする。バシャに属する者で、町で死ぬ者は犬がこれを食らい、野で死ぬ者は空の鳥がこれを食らう。」(16章2節ー4節)何の価値もないちりのような者であるバシャが王になれたのは、神様が引き上げてくださったからです。しかし、バシャは「自分の力、自分の功績、自分の手腕によって今の私があるのだ」という傲慢な態度で、神様の言葉にまったく聞く耳を持ちませんでした。そのため、バシャの家もヤロブアムの家と同じ結末を迎えることになったのです。バシャの死後、息子のエラが王になりましが、その二年後に、戦車隊の半分の長であるジムリが首都ティルツァでクーデターを起こし、エラを暗殺し、バシャの家に属する者を一人残らず殺してしまったのです。バシャの家もヤロブアムの家と同じように絶滅してしまったわけですね。
 ジムリがティルツァで王になったとき、イスラエルの兵の多くはペリシテのギベトンで陣を敷いていました。その時、「ジムリが謀反を起こして王を打ち殺した」という知らせが届いたのです。「自分たちが戦っているすきに、軍団の長であるジムリが王を暗殺し、王の一族を虐殺し、自分が王になるとは何事か」と憤った民は、ギベトンの陣営で指揮をとっていた将軍オムリをただちにイスラエルの王としました。オムリは全軍を率いてギベトンから引き返し、ティルツァを包囲しました。すると、ジムリは、自ら王宮に火を放って死んでしまったのです。ジムリの在位期間はわずか七日でした。明智光秀は「三日天下」でしたが、ジムリは「七日天下」で終わってしまったわけですね。なぜでしょうか。その理由は、16章19節に書かれています。「これは、彼が罪を犯して主の目に悪であることを行い、ヤロブアムの道に歩んだその罪のゆえであり、イスラエルに罪を犯させた彼の罪のゆえであった。」
 さて、ジムリの死後、オムリがすんなりと王になったわけではありませんでした。北イスラエルはしばらくの間、オムリに従うグループと、ティブニという人物に従うグループに分裂していたのです。ティブニは、おそらくジムリ一派に属する者だったと思われます。しかし、オムリ派の方が強かったので、ティブニが死ぬとオムリが北イスラエル全体の王になりました。 オムリは、ティルツァの西にある土地を買い取り、そこに町を建て、サマリヤと名付けて首都にしました。ここは、南北の交通の要所で、西の海岸方面にも容易に移動できる絶好の場所です。また、谷に囲まれた台地なので、難攻不落の軍事要塞としても優れた場所だったのです。オムリは、これまでの北イスラエルの王の中では最強の王のように思われました。しかし、16章25節にはこう書かれています。「オムリは主の目に悪を行い、彼以前のだれよりも悪いことをした。」人の評価と神の評価は全く違うのですね。そして、このオムリの死後、さらに輪をかけて「誰よりも悪いことをした」と形容されるオムリの子アハブが王に即位することになるのです。
 
2 南ユダの王たち:アビヤムとアサ
 
(1)アビヤム
 
 一方、南ユダはどうだったでしょう。初代の王レハブアムの死後、その子アビヤムが王になりました。歴代誌ではアビヤとなっています。このアビヤムについて、列王記には15章1節ー8節の短い記録しかありませんが、第二歴代誌13章にはもっと詳しく記されています。
 列王記には、アビヤムの母は、「ダビデの三男アブシャロムの娘のマアカ」だと書かれていますが、この「マアカ」は、実際はアブシャロムの娘ではなく、孫娘だと考えられます。また、歴代誌では「ウリエルの娘のミカヤ」となっていますが、「ミカヤ」とはマアカのことで、父がウリエルという名前だったのでしょう。
 さて、南ユダでアビヤムが即位したとき、北イスラエルの王は初代のヤロブアムでした。アビヤムとヤロブアムの間には争いがありました。歴代誌には、アビヤムの戦士は四十万、ヤロブアムの戦士は八十万とだったとありますから、アビヤム側は半分の兵力しかなかったわけですね。しかし、アビヤムは山の頂上に立ってヤロブアムの陣営にこう宣言しました。「神様がイスラエルの王国をとこしえにダビデに与えると約束してくださったのに、あなた方は反逆し、金の子牛を拝むようになった。しかし、私たちは、まことの神である主を礼拝し従っている。神が私たちとともにいて、かしらとなっておられる。主と戦ってはならない。」しかし、ヤロブアム軍は前後から攻撃してきました。すると、南ユダの人々は主に叫び求め、祭司たちがラッパを吹き鳴らしました。そして第二歴代誌13章15節ー18節にはこう書かれています。「ユダの人々がときの声をあげたとき、神はヤロブアムと全イスラエルを打ち破られた。・・・・ユダ人は、勝利を得た。彼らがその父祖の神、主に拠り頼んだからである。」この結果、北イスラエルの力が弱まり、南ユダが勢力を広げていきました。ここまでなら、アビヤムは立派な王様に見えますね。しかし、今日の箇所の第一列王記15章3節にはこう書かれています。「彼は父がかつて犯したすべての罪を行い、彼の心は父ダビデの心のようには、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。」アビヤムの父レハブアムは、神様だけを信頼するのではなく様々な偶像を拝みました。その息子アビヤムも北イスラエルに勝利して次第に傲慢になり、主に拠り頼むことを忘れていったのでしょう。しかし、3節の続きにこう書かれていますね。「しかし、ダビデに免じて、彼の神、主は、エルサレムにおいて彼に一つのともしびを与え、彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを堅く立てられた。」アビヤムは罪を行い、心が主と一つになっていませんでしたが、それでも、神様は、ダビデとの約束を守り、ダビデの家系が絶えることのないようにしてくださったのです。しかも「一つのともしびを与え」とありますが、これは「暗闇に光を灯すような王様が登場しますよ」ということですね。ここでは、次の王となるアサのことを指していると考えられます。
 しかし、次の5節を読むと「あれっ」と思いませんか。「それはダビデが主の目にかなうことを行い、ヘテ人ウリヤのことのほかは、一生の間、主が命じられたすべてのことにそむかなかったからである」とありますね。ダビデは、忠実な部下ウリヤを戦死させて、その妻を奪うという大きな罪を犯しましたが、それ以外に主にそむくことはまったくなかったでしょうか。そんなことはありませんね。しかし、ダビデは、罪を犯したときにはいつも、正直に自分を見つめ、心から悔い改め、主に信頼して生きる道に立ち返ったのです。ですから、主はダビデを赦し、とこしえの約束を与えてくださったのですね。
 アビヤムの治世はわずか三年間でした。そして、アビヤムの子アサが王になりました。
 
(2)アサ
 
 15章9節ー10節にこう書かれています。「イスラエルの王ヤロブアムの第二十年に、ユダの王アサが王となった。彼はエルサレムで四十一年間、王であった。彼の母の名はマアカといい、アブシャロムの娘であった。」ここで「母の名はマアカ」とありますが、マアカは、アサの父アビヤムの母ですから、実際には祖母にあたります。ユダヤの社会では、祖母に対しても、権力を持っていたり、貢献をしているものに対して「母」という表現をすることがあるのです。マアカはアビヤム王とアサ王の時代に「王母」として宮廷内に影響力を持っていたのでしょう。
 そして、15章11節、14節にこう書かれています。「アサは父ダビデのように、主の目にかなうことを行った。・・・アサの心は一生涯、主と全く一つになっていた。」このアサについては、第一列王記15章と第二歴代誌14章ー16章に記されています。
 
@信仰の回復
 
 第二歴代誌14章2節にこう書かれています。「アサは、彼の神、主がよいと見られること、御目にかなうことを行い、 異教の祭壇と高き所を取り除き、柱を砕き、アシェラ像を打ちこわした。それから、ユダに命じて、彼らの父祖の神、主を求めさせ、その律法と命令を行わせた。」また、第一列王記15章13節にはこうあります。「彼はまた、彼の母マアカがアシェラのために憎むべき像を造ったので、彼女を王母の位から退けた。」
 アサが行ったのは、失われていた信仰の回復、つまり、ダビデに与えられた神様の約束にもう一度立ち返ろう、というものでした。第一列王記2章3節ー4節で、ダビデはソロモンにこう言い残しましたね。「あなたの神、主の戒めを守り、モーセの律法に書かれているとおりに、主のおきてと、命令と、定めと、さとしとを守って主の道を歩まなければならない。あなたが何をしても、どこへ行っても、栄えるためである。そうすれば、主は私たちについて語られた約束を果たしてくださろう。『もし、あなたの息子たちが彼らの道を守り、心を尽くし、精神を尽くして、誠実をもってわたしの前を歩むなら、あなたには、イスラエルの王座から人が断たれない。』」これが、イスラエルの王として決して見失ってはいけない大指針だったわけです。しかし、ソロモンもレハブアムもアビヤムも、いつしかこの指針から逸れていってしまいました。その後「一つのともしび」として登場したアサは、道を逸れてしまった国の状態を憂い、ダビデが言い残した原点に戻らなければならないと熱心に改革を進めていったわけですね。そして、その結果、「王国は彼の前に平安を保った」(第二歴代誌14章5節)と書かれています。戦いのない平和な数年間の間、アサは防備の町々を築き、国は徐々に力を付け、繁栄していきました。
 
Aクシュ人との戦い
 
 しかし、しばらくすると、クシュ(エチオピア)人ゼラフが百万の軍勢と三百台の戦車を率いて南から攻めてきました。戦力は南ユダの二倍近い大軍勢です。絶体絶命のピンチです。しかし、アサは敵を迎え撃つために出陣し、神様にこう叫び求めました。「主よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたにあっては変わりはありません。私たちの神、主よ。私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に当たります。主よ。あなたは私たちの神です。人間にすぎない者に、あなたに並ぶようなことはできないようにしてください。」(第二歴代誌14章11節)すると、「主がクシュ人を打ち破られたので、クシュ人は逃げ去った」と書かれています。ユダ軍は主によって大勝利を収め、多くの分捕り物を持ってエルサレムに帰ってくることができたのです。
 その時、オデデの子アザルヤがアサに神様の預言を語りました。「アサおよび、すべてユダとベニヤミンの人々よ。私の言うことを聞きなさい。あなたがたが主とともにいる間は、主はあなたがたとともにおられます。もし、あなたがたがこの方を求めるなら、あなたがたにご自身を示してくださいます。もし、あなたがたがこの方を捨て去るなら、この方はあなたがたを捨ててしまわれます。長年の間、イスラエルにはまことの神なく、教師となる祭司もなく、律法もありませんでした。しかし、その悩みのときに、彼らがイスラエルの神、主に立ち返り、この方を尋ね求めたところ、彼らにご自身を示してくださいました。」(第二歴代誌15章2節ー4節)
 これを聞いたアサは、奮い立って、さらに信仰の回復を進めました。神様がアサと共におられることを聞いて、北イスラエルの心ある多くの人々がユダに身を寄せてきていました。その人々やユダの人々をエルサレムに集めて、アサは、新しく築いた主の祭壇で多くのいけにえをささげ、「心を尽くし、精神を尽くして神である主を求めます」という誓いを立てました。第二歴代誌15章15節には「ユダの人々はみなその誓いを喜んだ。彼らは心を尽くして誓いを立て、ただ一筋に喜んで主を慕い求め、主は彼らにご自身を示されたからである。主は周囲の者から守って彼らに安息を与えられた」とあります。19節には「アサの治世の第三十五年まで、戦いは起こらなかった」と書かれています。
 前回お話ししましたが、レハブアム王の時代に神殿の宝物はエジプトにごっそりと奪われてしまいましたね。そこで、アサは、父や自分が手に入れた銀や金や器類を神の宮に運び入れました。しかし皮肉なことに、神殿の宝物倉が豊かになると、それが逆にアサの足を引っ張るものとなってしまったのです。
 
Bアラムとの同盟
 
 アサの時代、北イスラエルにクーデターが起こってバシャが王位に就きました。バシャは、南ユダ王国を攻略するためにエルサレムの北方約八キロのラマに要塞を築いてユダへの交通を遮断しようとしました。
 しばらく平和な時代が続いていたアサにとって、これは危機的な状況でした。アサは、どうしたでしょうか。以前クシュ人の大軍と戦った時のように、主に信頼して叫び求めたのでしょうか。残念ながら、アサは、主の力に頼るのではなく、主の宮の宝物倉にあった銀や金に頼ろうとしたのです。
 アサは、宝物倉の銀と金を取り出し、ダマスコに住むアラムの王ベン・ハダデに送り届けてこう言いました。「私の父とあなたの父上の間にあったように、私とあなたの間に同盟を結びましょう。ご覧ください。私はあなたに銀と金を送りました。どうか、イスラエルの王バシャとの同盟を破棄し、彼が私のもとから離れ去るようにしてください。」(第二歴代誌16章3節)これは、ベン・ハダテにすれば願ってもない提案でした。北に位置していたアラムにとって、すぐ南にある北イスラエルを攻めれば自国の領土を拡張できるからです。ベン・ハダデは、すぐに北イスラエルとの同盟を破棄し、北イスラエル北方の町々に攻め込みました。それを知ったバシャは、北方の防衛のためにラマの要塞建築を中止せざるをえなくなりました。北のアラムと南のユダに挟まれて身動きできなくなってしまったのです。
 アサは、建築中止に追い込まれたラマに残された建築資材を運び出して、逆に自分たちのために二つの要塞を建てたのです。アサにしてみれば、すべてしてやったり、という気分だったでしょう。しかし、得意満面のアサのもとに預言者ハナニがやって来てこう告げたのです。「あなたはアラムの王に拠り頼み、あなたの神、主に拠り頼みませんでした。それゆえ、アラム王の軍勢はあなたの手からのがれ出たのです。あのクシュ人とルブ人は大軍勢ではなかったでしょうか。戦車と騎兵は非常におびただしかったではありませんか。しかし、あなたが主に拠り頼んだとき、主は彼らをあなたの手に渡されたのです。主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。あなたは、このことについて愚かなことをしました。今から、あなたは数々の戦いに巻き込まれます。」(第二歴代誌16章7節ー9節)ハナニは、「あなたがクシュ人とルブ人の連合軍を打ち破った時と同じように主に拠り頼めば、北イスラエルとアラムの連合軍も打ち破ることができたのに、愚かな判断をして絶好の機会を逃してしまった」と言ったわけです。確かに、このあと南ユダはしばしばアラムに悩まされることになるのです。
 しかし、このハナニの言葉を聞いたアサは、自分の大成功したかのようにみえる策略を批判されたので、激怒し、ハナニに足かせをかけてしまったのです。人は批判されると弱さがでてきますね。「アサはこのとき、民のうちのある者を踏みにじった」とも書かれています。
 アサは、治世の第三十九年目に、両足とも重い病気にかかってしまいました。民を踏みにじった足が、動かなくなってしまったのですから皮肉なものです。「ところが、その病の中でさえ、彼は主を求めることをしないで、逆に医者を求めた」と書かれています。どうぞ誤解しないでくださいね。これは「神様だけに頼るべきで、医者を頼ってはいけない」という意味ではありません。神様は、医療を通しても働いてくださるのですから。ここでは、大きな病の中ですら神様に祈り求めようとしないアサの頑なな姿が指摘されているのです。二年後にアサは死んで葬られ、息子のヨシャパテが王になりました。
 さて、今日の王たちの姿を見ると、人とは何と不完全な者かと思わされますね。北イスラエルの王たちは神様に背を向け続けたために悲惨な末路に至りました。南ユダの王たちは、神様に従う姿勢を貫くことができませんでした。「神様は、強い者も弱い者も助けることができる方なのだから、ただ神様に信頼して生きていけばいいのだ」と知っていながら、ついつい人や物にだけ頼ったり、自分の知恵や力が一番優れていると考え、道を逸れていきました。表面的には繁栄し強い王であっても、たとえ治世が長くても、主に背を向けて生きることは、結局愚かで、何の誇りになることはない、というのが列王記を貫く原則です。「一つのともしび」として期待されたアサも、結局、不完全な王でした。しかし、私たちは、「永遠のともしび」として来てくださったダビデの子イエス・キリストを知っています。イエス様こそ、父なる神様に徹底的に従う完全な王であり、すべての暗闇に打ち勝つ永遠の光なる方です。このイエス様の愛と恵みの支配の中に生きることのできる幸いを感謝しつつ歩んでいきましょう。